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人を守ってこそ、自分も守れる~母の死に様から想うこと/(身辺雑記)

2020年 07月11日 11:39 (土)

 残念なことに、本日の稽古は雨のため中止。

 これも、江戸の伝統を今に受け継ぐ、古式ゆかしい野天稽古場の宿命である(苦笑)。

 止むを得ないが、午後は拙宅でひとり居合を抜き、柔(やわら)の形をおさらい。

 その後は、易書の素読にでも励むとしよう。

 まさに晴耕雨読である。



 新型コロナウイルス感染症は、都内の1日の新規感染者数が過去最大となり、陽性率も自粛解除後最高の5.8%。

 当庵のある埼玉県も昨日の新規感染者数は44人、拙宅のあるA市でもまた新規感染者が出て、これまでの陽性患者が20人を超えた。

 にもかかわらず、イベントの人数制限が緩和緩和されて昨日から5,000人規模の開催が可能となり、GoToキャンペーンは前倒しで実施するのだとか・・・。

 この国は、狂ってますね。



 私はわりあい最近、ふた親を共に肺炎で亡くした。

 特に母については、終末期に2週間ほどベッドサイドでつきっきりで看取りをしたので、肺炎による死が、どれほど苦痛に満ちた死に方であるのかを目の当たりにした。

 臨床の医師へのアンケートで、最も苦しい死に方は何かと問うと、肺炎による死がトップに挙げられることが多い。

 コロナ以前に、高齢者の死因の多くが肺炎であることから、皆さんなにかイメージ的に安易に感じているのかもしれないが、肺炎による死は、本人にとっても、看取る者にとっても、たいへんにつらい体験になる。

 それを知ってか知らずか、肺炎を伝播させる未知のウイルス感染症であるCOVID(コビット)-19に対して、安直な考えを持っている人が少なくないのではなかろうか?

 たしかに若い人は無症状、あるいはごく軽症で済むことが多いようだが、それをいいことに彼らがウイルスを社会に広く伝播させることで、多くの病弱な高齢者や既往症を持つ人が命の危険、それも肺炎死という最も苦痛にみちた死のリスクにさらされることに、私は個人的に、非常に強い憤りを感じる。

 自分たちは若く体力もあり、万が一罹っても軽症あるいは無症状で済む。

 だから無自覚に外出して遊びほうけ、市中を歩き回ってウイルスをまき散らし、それが元でどこかの誰か(その多くは老人や病者など、社会的な弱者だ)が感染して重症化し、その結果何人かが肺炎で死んでも、

「自分たちの知ったことではない」

「インフルエンザでの死者と、たいして変わらないでしょう」

 などとうそぶくのは、あまりに命に対して無自覚すぎる。

 少なくとも、武術の鍛錬を通じて命のやり取りという命題を扱う武人であるならば、こんな軽薄な意識では、もう落第だ。

 マスクや手指の消毒、ソーシャルディスタンスを維持すること、不要不急の外出を自粛し、三つの密を避けるのは、自分が感染しないこと以上に、

「他者に感染させないこと」

 で、どこかの誰かの

「命を守る」

 ことに、意義があるのだ。

 このことを自覚していない若い人が少なくないように感じられるのは、とても残念に思う。



 金儲けがすべてに優先する「新自由主義」の世の中らしく、経済優先で感染症対策をないがしろにしている昨今の国や都道府県の対応、また感染予防に無自覚な人々の身勝手で非科学的・反医学的な論調を聞くたびに、私は肺炎で苦しみながら死んでいった母の面影とともに、次の言葉を思い出す。


「人を守ってこそ、自分も守れる。己のことばかり考えるやつは、己をも滅ぼすやつだ!」(島田勘兵衛) 


200711_島田勘兵衛
▲映画『七人の侍』より


 (了)

再自粛の可能性と柳剛流の鍛錬/(柳剛流)

2020年 07月10日 14:32 (金)

 昨日、東京都内の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の新規感染者が224人となりました。

 また、今、この瞬間に入った速報(NHK)では、本日も東京では240人以上の新規感染者が確認されたということです。

 先週から連日100人台、昨日からは倍の200人台の新規感染者数が続いており、感染症の専門家の中には、

「パンデミックの第二波が始まった」

 と指摘する人もいます。

 同様に、翠月庵の稽古場がある埼玉県でも、新規感染者数の増加が続いており、最近は連日20~40名が新規感染。

 拙宅のある市でも、再び新規感染者が増えており、感覚としては先の自粛期間のまっさかりであった、4月上旬のような状況になっているように思えてなりません・・・。



 このため、本日以降も東京や埼玉での新規感染者数の増加が続く場合、翠月庵の定例稽古について、再び自粛とすることも検討しています。

 とりあえず、この週末から来週末までの新規感染の動向をみて、判断する予定です。

 思うにどうも最近、なんとなく社会全体で感染症対策への緩みを感じるところですが、引き続き十分な注意をしてください。

 また、仮に再び定例稽古が自粛となったとしても、門人諸氏は動じることなく粛々と、一人稽古に励んでください。



 柳剛流は総合武道です。

 剣術の組太刀ができないのなら、ひたすら居合を抜いて「跳斬之術」を磨いてください。

 また、初学の人は剣術の「備之伝」を、切紙以上の人は「備十五ヶ条フセギ秘伝」を、徹底的に練磨してください。

 たとえば、私は自宅での稽古の際、鏡に映った自分の構えに対し、これをフセギ秘伝で防ぐ一人稽古を必ずやります。

 真剣に「気」を込めてこれを五分もやると、かなり精神的に疲れますよ(笑)。 

 剣術や突杖などの形について、打太刀や仕太刀を仮想して、丁寧におさらいするのも良いでしょう。

 このように、一人稽古は工夫次第でいろいろなことができます。

 その上で繰り返しになりますが、柳剛流における一人稽古の王道は、やはり居合です。

 徹底的に居合を抜いて、跳斬之術のための強じんな下半身を作りましょう!

 そして、いずれコロナが本当に落ち着いたあかつきには、たっぷりと組太刀を稽古しましょう。

DSCN0681_柳剛流居合


「習へ遠く心や雲となりにけり 晴てそたたぬ有明の月」
(柳剛流剣術目録巻 武道歌)


 (了)

柔はやはり相対稽古/(古流柔術)

2020年 07月09日 11:31 (木)

 先の本部稽古では、久しぶりに柳生心眼流の「取返」をたっぷりと稽古した。

「梃子の原理を最大限に活用しながら攻防を繰り返し、技の極まらぬうちに逃れ、反撃に移る技法を形として伝えるもの」(『柳生心眼流兵術』小佐野淳師著)

 という柳生心眼流の「取返」について、それができるようになった、きわめて個人的な感動体験(笑)については、以前、本ブログに書いた。

柳生心眼流 「取返」/2017年 06月26日
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-1145.html



 以来、できるだけ多く「取返」の稽古をしたいと思っているのだが、当たり前のことながら、相手も「取返」ができないと稽古ができないので、実際にはこれまで、兄弟子の関西支部長が本部にみえられたときにしか、稽古ができなかった。

 そこで、現在、翠月庵ではY師範代のみが心眼流の稽古をしているので、今年は彼に「取返」ができるようになってもらおうと思っていたのだが、春からのコロナ禍で稽古をすることができず、今に至ってしまった。

 素振二十八ヶ条を基本とし、日本の古流柔術の中では、比較的一人稽古がしやすい柔(やわら)である柳生心眼流とはいえ、それが対人攻防の武技である以上、やはり受と取で行う相対稽古は絶対に欠かすことができない。

 それをしみじみと実感している、今日この頃である。

1902_柳生心眼流_1


 (了)

稽古三昧の週末/(武術・武道)

2020年 07月06日 10:43 (月)

 先の土日は、久しぶりに稽古三昧の週末であった。

 土曜は翠月庵の定例稽古。

 当初は雨で中止かなとも思ったのだが、昼前から曇りになったので稽古を実施。

 先週に引き続き感染症対策に留意しつつ、ソーシャルディスタンスが保てる稽古ということで、警視流立居合、柳剛流の備之伝と居合に絞って集中的に稽古を行う。

 昨年、当庵に入門したI氏、そしてF氏(なんと今年で御年70歳!)、両名とも警視流立居合について、形の手順はおおむね覚えたので、形の想定や意味を解説しつつ、より細かい指導を心がける。

 細かな動作や運足、拍子にいちいちダメ出しをしていると、だんだん自分が嫁をイジメる姑にでもなったような気分だ(苦笑)。

 しかし、せっかく時間と体力とお金を使い、しかもコロナ禍の中で感染リスクを冒して習いに来てくれているのだから、こちらも手を抜くことはできない。

 彼らの「形」を「業」に、そして「術」にまで止揚させるべく導いていくのが、私たち武道師範の務めであろう。

 そのためには、姑のごとく嫌われても、正すべき点は正していかねばなるまい。

 ま、必ずしも、世の中のすべての姑の皆さんが、嫌われているわけではないだろうけれども・・・。

 後半は、柳剛流備之伝から柳剛流居合。

 低く跳び違いながら抜き差しを繰り返す柳剛流居合の稽古は、身体的な負荷も高く、下半身の強じんさと柔軟性がないと相当に厳しい。

 特に中高年の初心者については、場合によっては膝や腰、下肢の筋肉や筋を傷めかねないので、慎重に各人の体調や状況を観察しながら形の手直しをした。

2007_柳剛流_居合
▲入門8か月目のI氏による、柳剛流居合1本目「向一文字」



 翌日曜は朝から山梨に赴き、本部稽古に参加。

 午前中は柳剛流。

 兄弟子で柳剛流免許である関西支部長・Y師範に相手になっていただき、「右剣」から「相合刀」まで剣術の組太刀をおさらい。

 組太刀を遣うのは、3月からのコロナ自粛以来なので、なんと実に4カ月半ぶりだ。

 柳剛流はもとより、天道流や力信流の剣の遣い手でもあるY師範を相手に、木太刀を手に対峙する稽古は緊張感あふれるもので、こうした厳しい感覚は相対稽古ならではだ。

 やはり剣術の稽古は、組太刀をやらないとダメだなあと、しみじみ実感する。

 午前の後半は、柴真揚流。

 師より、柔術早業居捕「左車」と「右車」の裏と裏々の形をご指導いただく。

 柴真楊流の当身は接近戦での運用が特徴なのだが、この左右車の裏の形では一段と接近した状態からの当身を使わねばならず、なかなかに難しい。

 裏々の形も当て倒しの業であり、さながら空手道の約束組手を、座して行っているような趣である。



 昼食をはさんで午後は、柳生心眼流の稽古。

 素振二十八ヶ条からミットへの打ち込み、さらに私はY師範と組ませていただき、素振の組形を取る。

 受となって、心眼流特有の返し(ムクリ、マクリ)の後方回転を取るのも4カ月半ぶりだ。

 最初はいささかぎこちなかったが、師に検分をしていただき、後半はなんとかそれなりに受けが取れるようになった。

 次いで、柳生心眼流の「取返」。

 梃子の原理を最大現に活用しながら攻防を繰り返し、背中合わせの後方回転等で技の極まらぬうちに逃れ、反撃に移る技法である心眼流の「取返」は、技術的にも身体的にも、非常に負荷の高い形であり鍛錬でもある。

 今のところ、この形については本部にY師範が来られる時にしか稽古ができないので、この機会を逃してなるものかと相手をお願いして何度も繰り返す。

 その後は師より申し付けられ、柳剛流居合の指導に当たる。

 本部で柳剛流居合を学んでいるB氏に、1本目の「向一文字」から5本目の「切上」まで5本の形について、特に運足と体の転換について留意しながら指導をした。



 本部での稽古は今年1月以来、実に半年ぶりであった。

 ずいぶんと間が空いていただけに、朝から夕方まで稽古三昧の時を満喫することができた。

 首都圏でのコロナ禍は、再び流行の兆しをみせているだけに予断は許されないが、世情に一喜一憂することなく、粛々と、淡々と、自分なりの稽古、そして指導を続けていきたいものだ。

 (了)

柳剛流と三和無敵流、稽古と調査/(柳剛流)

2020年 07月03日 09:35 (金)

 柳剛流の親流儀のひとつが心形刀流であることは比較的よく知られているが、もう1つの親流儀に三和無敵流があることは、意外と知られていない。

 大河原有曲から心形刀流の蘊奥を学んだ岡田惣右衛門は、廻国武者修行の際、常陸の名流である三和無敵流を廣澤源右衛門から学んだことが、残された史料から分かっている。

(なおウイキペディアでは、そのほかに東軍新当流や山本流[当流]などを修行したとあるが、関東周辺の柳剛流研究の第一人者である辻淳先生はこれについて、「山本流(当流)の修学については確実ではなく、東軍新当流についてはそれを示す史料や文献を見たことがない」と、問題点を指摘している。そのほかにも、ウィキペディアの柳剛流の記述は、いまだに誤りや不確実な記載が少なくないので注意が必要だ)

 心形刀流が主に柳剛流の剣術に影響を与えているのに対し、三和無敵流が柳剛流の殺活術をはじめ、突杖や長刀に影響を与えたであろうということは、これまでも本ブログで触れてきた通りである。



 こうした影響のさらに具体的な考察のためには、三和無敵流の史料だけでなく、その実技を検証できれば良いのだが、残念ながら同流はすでに絶流して久しいようだ。

 手元の史料を紐解くと、昭和33(1958)年発行の『盛岡藩 改訂増補古武道史』(米内包方著)の巻末にある「各県に現存する諸流」という章に、

「神奈川 三和無敵流 (現師範)鈴木時次郎」

 という記述があるが、この鈴木師範が最後の伝承者だったのだろうか?

 機会があれば、調査をしてみたいと考えている。

 これに関連して先日、1996年発行の『秘伝』誌に、山田実先生ご執筆の三和無敵流に関する記事があることを知ったので、現在取り寄せているところだ。



 調査という点では、以前、複数の武術研究に関する先輩方からご連絡やご指摘をいただき、数年前まで登米に現存していた柳剛流柔術とその伝承者であるN氏について情報提供をいただいた。

 その上で、コンタクトを取ろうと何度か試みたのであるが、まことに残念ながら成果が上がっていない。

 あと10年、いや5年早ければ、何らかの情報が得られたのではないかというところで、悔しい思いをしている。

 また、仙台藩角田伝の某師範家の末裔という方からご連絡をいただき、伝書類を見せてくださるということで、「使いの者に伝書を渡し、連絡するように言っておいた」とのお知らせを受けたのだが、結局、その後、先様からの連絡が途絶えてしまったということもあった。

 さらに柳剛流柔術に関しては、上記『盛岡古武道史』に、関東地方での伝承者の記述があり、その伝承者に関係するであろうご親族と思われる方の所在までおおよそ当たりがついているのだが、私の多忙もあり、まだ直接コンタクトをするところまでには至っていない。



 このように、柳剛流に関連して調査すべき課題はまだ山積しているわけだが、何しろ私は研究者ではなく、柳剛流という伝統武道の実践者・伝承者である。

 ゆえに私の本義は、柳剛流という兵法の武技の練磨、そして伝承と後進の育成であることは言うまでもない。

 ありていに言えば、自分の稽古と門人への指導が最優先であり、事績の調査・研究はあくまでも補助的なものだ。

 武道人として、この優先順位を見失っては本末転倒である。

 この点を心しておきながら、フィールドワークも少しずつ進めていきたいと考えている。

 なにはともあれ、まずは柳剛流の稽古そして指導。

 話はそれからだ。

1705_松代演武_柳剛流左剣

 (了)