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足切り論争/(柳剛流)

2020年 06月30日 11:48 (火)

 ツイッターで情報発信を始めてから、およそ1か月。

 頑張って、基本的に毎日3回、柳剛流に関する話題を中心につぶやいている。

 おかげさまで、いいねやリツイートをしてくれる方もいてくださり、たいへんにありがたい。

 それらの方々のプロフィールを拝見すると、武道関係者よりも歴史ファンの人の方が多いのかなあという感じである。

 ま、発信している私自身、武道関係者向けというよりも、それ以外の方々により広く、柳剛流をはじめとした古流の伝統武道を知ってほしいというのが第一の目的なので、いまのところ順調に情報発信ができているかなと思っている。

 アラシとかクソリプも、今のところは無いしね。

 今のところは・・・(笑)。



 発信が多くなった分、これまで以上にツイッターをみる機会も増えたのだが、まあ、いろんな人が、いろんなことをつぶやいているんだねえ。

 そんな中で先般は、剣術の「足切り」が話題になっていた。

 当然ながら、そういう話題なので柳剛流の名前も挙げられ、なかには脚斬りについて使えるとか使えないとか、いろいろと論評をする人々も見られた。

 五十路を過ぎて足るを知った老荘の徒である私としては、面識のない武道関係者たちの論談の場に、のこのこ「当事者」として乗り込んでいって論争をするのは面倒くさいので、そっと読むだけに留めていた次第。

 それにしても、まあ皆さん、言いたい放題なわけだが(苦笑)、そういう文言を見ると、他流の人々が脚斬りという技、あるいはそれを代名詞としている柳剛流をどう見ているのかが分かって、これはこれで非常に勉強になる。

 また、脚斬りという業について否定的な認識や、誤解・誤謬というか、そういうものを他流の人々が持っているというのは、逆に「兵法」としては、むしろ我々にとって都合がよいことでもあるので、多としたいところでもある。

 その上で、一言記しておくと、

「面に隙ができるとか、間合いが近いとか、下半身の力が必要とか、そういう課題はもう、我々は200年以上も前に、すべて検討し、解を導きだし、クリアしている」

 ということである。

(なんか、似たようなセリフが、某格闘漫画にあったような・・・)

 脚斬りの難しさや剣術技法としてのメリット・デメリットについて、それらを活かしあるいは解決するための技術的工夫、鍛錬法、応用、心法といったものは、柳剛流においてはすべて流祖・岡田惣右衛門によって編み出され、まとめ上げられ、形や口伝として我々現代の修行者にまで伝えられている。

 ゆえに、これはもう何度も書いてきたことだが、

「相手と見合っている状態から、反射神経に頼ってやぶから棒に脚に斬りつけるような粗雑な業は、柳剛流にはない」

 ということだ。

 こうした反証の例として、脚斬りへの疑問を示した剣道家の記者に対し、仙台藩角田伝柳剛流6代師範・佐藤健七先生が、実際に立ち合った結果が、昭和53年発行の雑誌『剣道日本』に記されている。

1907_柳剛流_佐藤健七先師
▲仙台藩角田伝・佐藤健七先師による、柳剛流剣術「左剣」(昭和53年)/(『剣道日本 続剣脈風土記 陸前柳剛流』より)



 また、これも何度も書いているけれど、脚斬りだけが柳剛流の業や勝口(かちくち)ではない。

 たとえば立合いで左上段に構えて、「脚を斬るぞ! 脚を斬るぞ!」と色を見せた上で、おもむろに横面をひっぱたく(竹刀打ちの稽古の場合、無礼な人間や敵対的な相手に対しては、ここで耳を抜く)というのも、柳剛流の試合稽古におけるひとつの勝口である。

 ここでは、

「柳剛流は脚を斬る」

 と、相手に思わせれば思わせるほど、我にとっては有利になる。

 「脚斬り」という技で、相手の心を居着かせて勝つのだ。

 空手道でたとえれば、下段蹴り(ローキックや関節蹴り)が得意技だからといって、空手家は組手の試合や地稽古で、下段蹴りだけで勝つわけではない。

 下段を蹴るぞ、下段を蹴るぞと色を見せて、刻み突きや逆突きを相手の上段に叩き込むのも、典型的な勝口である。

 こんなことは、ことさら言い立てなくとも、剣術はもとより、柔(やわら)や空手、拳法など、試合稽古や地稽古を地道にやっている真面目な武道人なら、誰でも理解しているごく初歩的な戦術であろう。

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▲柳剛流剣術 「青眼左足刀」



 私自身も時として陥りかねないので、大いに自省しているのだけれど、他流の業を一知半解で、公に論評するというのは、技術論として未熟なことはもとより、そもそも武道に携わる者として、たいへんに失礼なことだ。

 たとえば、一刀流や新陰流をよく知らない私が、あえて公の場で、切り落としや合撃を批判しても、それは技術論として的外れなだけでなく、それらの流儀をまじめに稽古している方々に対して、たいへんに無礼な行為であろう。

 ところがそのような言説が、ツイッターという世界では匿名のもとに、縦横無尽に飛び交っている。

 しかも、それらの人々の中には、武道の素人さんや初心者だけでなく、それなりの流派のそれなりの立場にあるであろうと思しき者もいて、他流の業や術を気安く論評しているわけだ。

 いやまことに、ツイッターという世界は修羅の巷、ある種のハッピーな地獄絵巻なのだなあと、改めてしみじみと実感する。

 ま、フェイスブックのように、中高年が承認欲求全開で、えんえんと実名でマウントを取り合っている世界もまた、違った意味で地獄絵図なんだけどナ・・・(笑)。

 そういう意味では、ツイッターの方がまだ、ある種、気楽でいいのかもしらんネ。

 南無八幡大菩薩。

 (了) 

地力を錬る/(柳剛流)

2020年 06月27日 11:34 (土)

 昨晩は柳剛流居合の稽古。

 「向一文字」と「切上」の2本を繰り返し抜く。

 抜き付けの序破急を意識し、二尺八寸八分の刀をいかに鋭く遣うかに留意した。



 先週から再開した翠月庵の定例稽古だが、当面の間はソーシャルディスタンスを保った上での柳剛流居合、あるいは警視流や神道無念流の立居合の稽古を中心としている。

 剣術にせよ柔(やわら)にせよ、相対稽古の再開については、7月以降も慎重にならざるを得ないようだ。

 なにしろ、都内では連日40人から50人の、埼玉県内でも10人前後と、自粛解除後、新規感染者が再び増えてきており、到底、楽観できない状況になっているからである。

 有効なワクチンが開発され、臨床で広く使われるようになるまでは、コロナ前の暮らしには戻れないということか・・・。



 それでも稽古は怠れない。

 幸いなことに柳剛流は総合武術であり、剣術だけでなく居合があり、突杖があり、長刀(なぎなた)もある。

 組太刀の稽古ができなければ、引き続き居合に精進し、柳剛流の地力を徹底的に錬ること。

 これに尽きる。

1910_柳剛流_居合_新武館

 (了)

兵法としての交流・広報・宣伝戦略/(武術・武道)

2020年 06月25日 10:42 (木)

 今から10数年前、知人の武友を介して、複数の他流派の人間を集めて、当庵で手裏剣術を中心とした交流・講習会を行わないかという話が持ち上がったことがあった。

 当初は私もその話に前向きだったのだが、会の詳細を詰めていく段階で思うところがあり、結局、私の方から開催を断り、交流会の話は流れることとなった。

 なぜ断ったのかというと、諸々細かい問題があったのだが、一番の理由は、参加する側の中心的なメンバーである某古流武術の人間の対応が非常に高慢で、礼を失していたからである。

 私は昔から、無礼なヤツが大嫌いだ。

 ま、無礼なヤツが好きだという人は、あまりいないだろうけれども(苦笑)。

 こちらとしては、武友の口利きで稽古場を交流場所として提供し、あまつさえ先方の希望を受けて手裏剣術の講習を無償で行おうというのにも関わらず、その某古流の人間は、あたかも「参加してやる」「呼ばれてやる」といった態度でこちらに応対したので、

「そのような無礼な人間と交流する意味はないし、そのために稽古場を提供し、手裏剣術を解説・指導することはできない」

 と、丁寧にお断りした次第である。

 一方で、これもまた10年くらい前だったか、やはり知人の口利きで、手裏剣術を取り上げたいということで、ネットTVの番組への出演依頼があった。

 そこでまず、番組の担当者と面会して企画書を提出してもらい、番組の構成を確認し、演出や台詞については手直しが必要なところはこちらが赤字を入れて、

「これで良いなら、取材を受け入れて出演できますよ」

 と提案。

 無事、こちらの意図した通りの番組として、出演、放送されたということがあった。

 また、これは番組名を明かしても良いだろうけれど、かつてのフジテレビの人気番組に『笑っていいとも』というのがあったのだが、この番組のディレクターから番組スタッフへの手裏剣術の指導を依頼されたことがあった。

 お台場の局に出向いて実際に指導をしたところ、「番組にも出演してくれないか?」と依頼をされたのだが、この番組はニュースや報道ではなくバラエティ番組なので、場合によっては「いじられそう」な気配がしたため、出演は丁重にお断りをした。



 こんな過去の思い出話をつらつら冒頭で書いたのは、先日、ネットでちょっと話題になっていた動画を見たからである。

 この動画は、著名(?)な若い総合格闘技の選手と、合気道の達人として有名なS師範のお孫さんという若い師範が技術交流をするというものだ。

 実際に動画を見ると、格闘技の選手が、「達人に合気道を教わる」というていの内容で、まあ一見、当たり障りのない交流風景に見えないでもない。

 しかしその一方で、格闘技の選手の側が、合気道師範に対して、「それ本当に効くんですか?」「僕には効きませんよね」的なスタンスのシーンも垣間見え、見方によっては、

「ちょっと失礼なんじゃないか?」

 と感じる人もいるだろうな・・・というようなものであった。

 案の定、ネット上では、格闘技の選手の合気道師範に対する態度が「失礼だ」という否定的な意見があり、あるいは「そんなことはない、にこやかな交流じゃないか」との好意的な意見もあり、評価は二分されているようである。



 さて、ここで私は思うのだけれど、肝心なのは、この動画への出演・公開によって、格闘技の選手側と合気道の師範側のどちらが、よりメリットを甘受しているのかということだ。

 これについては、明らかに格闘技の選手側のメリットが大きいように思う。

 そして、合気道家側のメリットは最小限度であり、私が思うにはむしろデメリットの方が大きいとすら感じた。

 出演している格闘技の選手の態度も、たしかに一見、友好的で柔和に見えるが、一方で合気道師範側を呑んでかかっていることが一目瞭然であり、

「なんで合気道側は、こんな自流の『格』を下げるような動画への出演を了承したのかな?」

 としか思えないのである。

 宣伝や広報などというのは、本来、武道修行の本質には何のかかわりも無いものだけれど、一方で現実社会では、霞を食って生きていくわけにはいかないので、宣伝も広報も大切であり、門人の募集・確保もあだやおろそかにはできない課題である。

 こうした意味で、自身や自流の広報・宣伝戦略、今風に言えば「ブランディング」のようなものについても、特に稽古場を開いて門人を募集している師範や、流儀の道統を担っている稽古者は、ある程度、意を砕く必要があろうかと思う。

 ありていに言えば、

「どのように、マスコミやネットに『露出』するか?」

「どのように宣伝・広報することが、自流や自分にとって有効・有益なのか?」

「他流・他会派との交流に、どのような意味や意義があるのか?」

 という点を常に熟慮して行動することは、それこそ「兵法」そのものであり、絶対に蔑ろにできないということである。

 このような視点から上記のネット動画について論評すれば、当該動画は格闘技の選手の側にとってメリット最大であり、合気道師範側には益する点は皆無で、本人の気持ち・感想は別として流儀・会派としては、損害ですらあったといえるだろう。



 ネットにせよ、テレビや新聞、雑誌といったマスコミにせよ、そこで取り上げられる、あるいはそこに登場し、発信することが、

「自流や自分自身にとってどのような影響を及ぼすのか?」

「どんなメリット・デメリットがあるのか?」

「リターンとリスクはどのような割合なのか?」

 武術・武道人は、こうした点を「兵法」の観点から、常に熟慮しておかねばならない。

 さもないと、相手側に面白おかしく取り上げられて流派の「品位」を貶められたり、利用されていたずらに武人としての「格」を下げられてしまうなど、ろくなことがない。

 これは、自分自身の失敗も含めた武術・武道人としての経験から、また出版業界というマスコミの一端で25年間、記者・編集者として仕事をしてきた者としても、断言できることである。

 武人たるもの、広報・宣伝戦や情報戦も、けして軽く考えてはならない。

1309_6周年

(了)

稽古再開/(武術・武道)

2020年 06月20日 21:15 (土)

 暦を見ると、本日は種をまけば豊作間違いなしの一粒万倍日であり、かつ極上の吉日である天赦日だとか。

 そんななか、新型コロナ感染症対策のため3月から中止としていた毎週土曜の定例稽古を、今日から再開した。

 感染症対策のため通常よりも稽古時間を1時間短縮し、14~16時までの2時間、ソーシャルディスタンスを維持し、門人の間近で指導する私はマスクを着用。

 対面で行う組太刀や柔(やわら)の稽古は今しばらく様子をみて自粛する形で、接触の少ない警視流立居合と柳剛流居合の稽古を行った。

 すでに真夏の陽気の中、荒川の風に吹かれながら天下御免の野天道場で剣を振るうのは、なんとも開放的で清々しい。

 普通にのびのびと稽古ができる喜びを実感した、あっという間の2時間であった。

200620_警視流立居合_無想返し
▲警視流立居合 「無想返し」

 (了)

梅雨小袖「今」八丈/(身辺雑記)

2020年 06月19日 11:53 (金)

 本日は朝から雨。

 しとしとと梅雨らしい、しかし意外に湿度が低いので、なんとも心地よい翠雨である。

 こういう雨が、私はとても好きだ。

 おまけに、明日土曜は朝から晴れるということで、最高である(笑)。

 いよいよ明日、3カ月半ぶりに、翠月庵の定例稽古再開だ。

 自分自身の武道修行については、この3カ月半の間も特段平素と変わらないものであったが、2007年9月の結庵以来、12年間に渡ってこれほど長く定例稽古を休んだのは、もちろん初めてである。

 それだけに、ある程度稽古のやり方に制限はあるものの、再開できるというのはうれしさもひとしおだ。

 普通に稽古ができる喜び、それを早く実感したいものである。



 6月4日から、ツイッターでも積極的に情報を発信している。

 毎日、柳剛流に関して1回、柴真揚流をはじめとした柔術に関して1回、その他武術・武道に関して思う事を1回、合計3回書き込むことを自分のノルマにしている。

 また、テキストだけでは味気ないと思い、原則的につぶやきにはできるだけ画像を添えるよう心がけている。

 と、積極的な情報発信を始めて、まだ2週間ほどなのだが、これがまた結構キツイですな・・・(苦笑)。

 文章を140文字で完結させるとなると、どうしても細かい修辞を省略しなければならず、こちらの意図が言葉足らずで伝わりにくくなりがちだ。

 また、基本的にツイッターでの情報発信は、武術・武道関係者向けというよりも、一般の人に向けて広く、柳剛流や柴真揚流などの古流の武術の存在を知っていただきたいというのが目的なので、できるだけ平易な、誰でも分かる言葉で伝えるように心がけている。

 この点、本ブログはそういった縛りなどなく、思うまま、感じるままに、だらだらと、楽屋落ちも含めて過剰な説明なく書けるので、なんともらくちんなものだとしみじみ思う。

 一方で、本ブログは無用なアラシを避けるために、ブログの開設当初からコメント欄を閉じているのだが、ツイッターはそうはいかないので、いわゆる「クソリプ」とか、アラシみたいなのがくるのかなあと、ある程度覚悟はしているのだけれど、今のところそういったものは無い。

 ま、アラシやクソリプが来るほど、読まれていないということか(苦笑)。

 逆に、ツイートにイイネやリツイートをしてもらえると、

「ああ、好意的に読んでいただけたのだなあ」

 と、今年で51になろうという、酸いも甘いもなめつくし、ひねくれて枯れたオッサン(ワタクシのことデス・・・)でも、素直にうれしいものですな。

 

 10万円の定額給付金とアベノマスクは届いたが、持続化給付金はいまだ入金されず。

 今日の未明、「不備があるか特例なので、まだ入金できない。詳細は追って連絡する」という自動送信のテンプレが送られてきて、がっかりである。

 不備があるならあるで、具体的に指摘してもらえればすぐに修正して再申請するから、教えてくれよと思うのだが、システム上、先方からの連絡待ちで、こちらからの問い合わせはできない。

 本当に給付されんのかね?

 ま、あと2~3か月は貯金を切り崩しながらなんとかなるけども、飲食や小売の事業者はバタバタと倒産・廃業しており、私のようなフリーランスも、コロナ不況による経営状態の悪化は、被害激甚である。

 幸い今月から、単行本の仕事がいくつか新規で動き始めたからよいけれど、4~6月の売り上げは、ライター歴25年で最低最悪。

 貯金がなければ、とっくに廃業という状況だ。

 その一方で、電通は事業を右から左へ横流しにして20億だか30億だかさしくっているというのだから、そりゃあ草場の陰で、井上伝蔵や日昭和尚、野村秋介さんたちが、歯噛みして怒っておられるだろうよ。

 ま、「貧乏人は、死ねばよい」というのは、明治このかた、この国の政府・為政者たちの変わらぬ政治姿勢ということか。

 

 昨日、再開した地元の図書館へ渡辺京二さんの『幻影の明治』と、『「弾」~鶴澤清治の世界~』 のCDを返却しにいったところ、蔵書整理のために除籍する本の無料供与が行われていた。

 どれどれとのぞいてみると、定価1万5000円もする『新・宮沢賢治語彙辞典』があった。

 1,000ページを超える大著で、しかも汚れも破損もなく、非常にきれいで新品同様である。

 あまりに状態が良いので、「これ本当に無料でもらっていいのですか?」と訊ねると、良いとのこと。

 喜び勇んでもらって帰り、晩酌しながらつらつらと読む。

 ま、たまにはこんな、ラッキーなこともあるってことか。

 それにつけても、持続化給付金、いつ入んだよ・・・・・・(怒)。

 南無八幡大菩薩。

200619_宮沢賢治


 (了)

居合と日本刀/(身辺雑記)

2020年 06月16日 18:11 (火)

issue_55_1.jpg

 
 6月30日(火曜)発売の週刊日本刀第55号にて、「瞬時に抜刀し、敵を制する 居合と日本刀」という記事を執筆しました。

 武術関連の記事は、もろもろものしがらみや各派各流ごとの「定説」や「諸説」が入り混じるので、なかなか書きにくいのですが・・・(苦笑)。

 今回はあくまでも「ビギナーの刀剣ファン向け」ということで、分かりやすく書くよう努めました。
 
 よろしければぜひ、ご笑覧ください。

 (おしまい)

天行健/(武術・武道)

2020年 06月14日 00:00 (日)

 3か月半ぶりに定例稽古再開!

 っと、感染症対策も万全に週末を迎えたものの、無情にも雨。

 古式ゆかしい野天稽古場の翠月庵は、雨が降ると稽古ができない。

 このため、まことに残念ながら、土曜の定例稽古は中止。

 再開は、次週へと持ち越しとなった。

 ところが、どうも来週末も、雨のようである・・・。

 まあ、こればっかりはしかたがない。

 易に曰く、

「天行健なり。 君子はもって自ら彊めて息まず」

 の心持ちで行くしかあるまいね。



 定例稽古が中止になったので、午後から拙宅で一刻ほど稽古。

 柳剛流を総ざらいする。

 備之伝、フセギ秘伝、剣術、突杖、長刀、そして居合と、すべての形を丁寧におさらい。

 仕太刀はもとより、打太刀についても手付けや史料を見直しつつ動作を確認し、業を繰り返す。

 さらに、小刀伝、二刀伝、鎗・長刀入伝、活之伝、組打口伝、一人ノ合敵、そして一〇心と、伝承しているすべての口伝を確認。

 最後に、稽古のシメは殺法。

 柳剛流殺活術、角田伝の18の殺と岡安伝の五ヶ所大當について、それぞれの部位を確認しつつ、当身台に拳足を打ち込んだ。



 入浴後、早めの食事を済ましてから、本日は観相のお勉強。

 柳剛流の「五眼伝」について、ツイッターで少々書いたこともあり、人相見の書物をひも解く。

 天道春樹先生監修の『人生を豊かにする人相術』(説話社)は、一見、新書版の手ごろで安価なハンドブックだが、人相見の奥義・極意ともいえる画相の見方を初歩から非常に丁寧に、しかも分かりやすく解説した、古今無双の名著である。

 が、しかし、それでも画相を見るというのは、卜占の中でもかなり難しく、私のようなニセ占い師にはたいへんにハードルが高い。

 けれども特に「目」の見方については、武芸を嗜む者として最低限これだけは、しっかりと学んでおきたいところだ。

 一方で易は、誰が筮竹をさばいても、あるいは八面賽を振っても答えは一刀両断。

 基本的に百発百中である。

 易神に問うて当たらないというのは、占者が「ヘボ」なだけだ。

 もちろん私も、「ヘボ」の部類なんだけどネ(笑)。

 さて、来週の土曜は雨が降りませんように。

 南無八幡大菩薩。

 1910_人相

 (了)

雨か・・・/(武術・武道)

2020年 06月11日 16:04 (木)

 いよいよ今週末から定例稽古再開!、と浮き立っていたら、今度は熱波、そして梅雨入りである。

 ご存じのように、翠月庵は古式ゆかしい野天稽古場なので、雨が降ると稽古ができない。

 そして、天気予報によれば、今週末そして来週末も雨のようだ・・・。

 こうなると、実質的な稽古再開は、結局7月ということになるかもしらん。

 差し当たって雨天中止とするかは、天気予報の動向をにらみながらギリギリで判断するつもりだが、少なくとも今の段階では、今週末は難しいかなあという感じでもある。



 その上で、昨晩は稽古再開に向けて警視流立居合のおさらい。

 一本目「前腰」から五本目の「四方」までを丁寧に抜き、指導上の留意点などを確認した。

 コロナによる自粛期間中、初学の門人は警視流立居合、ベテラン陣は柳剛流居合と、それぞれじっくり一人稽古として取り組むように促してきたので、定例稽古再開後、各人が3~4か月間の間にどれくらい習熟してきたのかを、しっかりとみていくつもりだ。

 サボっていた人は、ひと目見ればすぐにばれますよ(笑)。



 当庵で稽古している国際水月塾伝の警視流立居合は、一般に流布している警視流立居合と比較すると、抜き付け方などが一部異なるが、それぞれの形の趣旨や技の遣い方の大意は共通している。

 諸流の抜刀の技を精選し、神道無念流立居合の強い影響下で取りまとめられた一連の形は、シンプルながら味わい深く、蹲踞による礼法も独特の趣がある。

 ただし、行合いや行連れなど、形の想定する状況を理解していないと、特に初学の稽古者は、

「なぜに、その運足?」

 と困惑するケースが少なくないので、指導する者はその辺りを明快に解説するべきであろう。

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▲警視流立居合 「前腰」



 私は子供のころから雨が大好きなのだけれども、稽古に関してだけは、雨降りは困る。

 本当に困る。

 彩の国埼玉は晴天率日本一なのだから、土曜の午後は雨よ降るな!

 (了)

下段に附ける/(柳剛流)

2020年 06月09日 11:13 (火)

 昨晩は柳剛流の稽古。

 備之伝、フセギ秘伝、剣術をおさらいしたあと、目録の小刀伝や二刀伝、鎗・長刀入伝について、手控えや口伝書を参考にしつつ、木太刀を執る。

 その延長で、思うところあって続けて柳剛流の長刀(なぎなた)を振るった。

 ところで、一言で長刀を「下段に附ける」といっても、その形態は流儀によってさまざまである。

 手元の書物をひも解いても、たとえば同じ古流の長刀でも、直心影流と天道流では、ずいぶんと下段の構えの趣が異なる・・・。

 そんなことを考えつつ、ひとしきり長刀のおさらいをした後、そのまま興がのってしまい、入浴後、園部秀雄刀自著の『学校薙刀道』(昭和11年)を読みながら床についた。

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▲柳剛流長刀 「上段左足」



 さて、本日午後は、久しぶりに都内で打ち合わせだ。

 リモートでない仕事の打ち合わせは、なんと2カ月半ぶりである。

 まったくコロナ禍は、「この世界」の姿をすっかり変えてしまったのだなあと、しみじみ実感する次第。

 (了)

「向一文字」を磨く/(柳剛流)

2020年 06月07日 03:43 (日)

 最近、晩酌しているうちにそのまま9時前に寝てしてしまい、真夜中の2~3時頃に目覚めるという、たいそう健康的な日(?)が多くなってきた。

 加齢の影響だろうか・・・?

 このため深夜や未明、早朝に稽古をする羽目になることが少なくない。

 昨日もケーブルTVで「松本清張時代劇ミステリー」を見ながら寝てしまい、目覚めたら2時ちょっと前。

 それからモサモサと稽古着に着替えて小半刻ほど稽古をし、今、こんな駄文を書いている次第。



 今晩は柳剛流の稽古。

 二尺八寸八分で、居合を抜く。

 コロナ対策の自粛期間中、一畳ちょっとの広さの拙宅の稽古場において、特に居合に専念したので、「向一文字」から「切上」まで、柳剛流に伝わる5本の形を、この狭いスペースでも容易に抜けるようになった。

 しかし、左右そして後方に体を転換して抜く「右行」や「左行」、「後詰」の形については、むしろ無理に狭いスペースで長尺刀を抜くため、鞘引が中途半端になったり、体の変換が崩れぎみになってしまうなど、かえって不自然なクセがついてしまいかねないな・・・、とも感じている。

 やはり拙宅内での長尺刀を使った稽古では、1本目の「向一文字」と5本目の「切上」、この2本の形の稽古に絞った方が良いのかもしれない。

 もちろん、二尺三~四寸の刀であれば、この限りではないが。

 いずれにしても、柳剛流居合の基本かつ極意は1本目の「向一文字」にあるわけで、まずはこの形をしっかりと抜けるようになること、居合の稽古はこれに尽きる。

2006_柳剛流_居合
▲柳剛流居合 「向一文字」



 さて、このまま埼玉県内の状況が安定していれば、いよいよ次の土曜から翠月庵の定例稽古を再開する予定だ。

 久しぶりに、古式ゆかしい我が野天稽古場で存分に剣を振るい、手裏剣を打ち、柔(やわら)を取ることができるかと思うと、実に感慨深い。

 なんといっても、3カ月ぶりである。

 とはいえ、油断大敵。

 しっかりと感染症対策を講じた上で、稽古に臨まねばなるまいね。

 (了)

コロナ対策と手水の行き帰り/(身辺雑記)

2020年 06月05日 14:16 (金)

 昨日4日、埼玉県は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う休業要請を巡り、スポーツジムやカラオケ店など一部の業種で継続していた要請を同日付で解除した。

 業界や店舗ごとに徹底した感染防止対策を講じることを前提に、休業要請の対象から外すとのこと。

 スポーツジムの営業が解禁になるということで、またひとつ、翠月庵の定例稽古再開への環境が整ったといえるだろう。

 しかし、接待を伴う飲食業やライブハウスは引き続き休業要請を継続するとのことなので、やはり剣術の組太刀や柔術の相対稽古などは、今しばらく実施することを避けた方が良いようだ。

 先に示した翠月庵の稽古再開要項は、6月1日から稽古を再開した講道館の基準を参考にしたものだが、剣術や柔術の相対稽古についても講道館の動向や指針を参考に、稽古開始の時期を見極めていきたいと考えている。

 それまでは定例稽古では、居合や立居合などをじっくりと錬り、指導していこうと思う。

 

 一方で日々の稽古は、コロナ禍の前も後も、なにも変わらず。

 形のおさらいと当身台への打ち込み稽古を、粛々と続けるのみだ。

 仕事場から手洗いに向かう際には、途中にある当身台へ、「両非」の当身を必ず一度ずつ打ち込む。

 行きは右の手刀と蹴足、帰りは左の手刀と蹴足で打ち込むとちょうどよい。

 「両非」の蹴足は上足底で当てるのだが、間合と拍子によっては膝蹴りでもよいのだろうと個人的には思う。

 また当てた後は、相手は前のめりに屈むので、そのままうつ伏せに固める・あるいは締めるか、逆に当身の後にそのまま大外落としで刈り倒すのもありかな・・・。

 ・・・などと考えながらデスクに戻り、持続化給付金の申請書類作りに取り掛かる、蒸し暑い梅雨入り前の午後2時。

190302_両非

 (了)

真・流れ武芸者のつぶやき/(身辺雑記)

2020年 06月04日 19:10 (木)

 ツイッターについては、これまではもっぱらロム専門で、ほとんど活用してこなかった。

 しかし、ここ3か月ほど、コロナ対策による自粛で、これまで以上にツイッターをみる(読む)機会が増え、なんとなく自分なりに情報を発信してもいいのかなあ・・・という気になってきた。

 とはいえ、翠月庵の公式ツイッターを立ち上げるとかいう大仰なものではなく、これまでのロム専用アカウントで、柳剛流などの情報発信や、武術やその他のよしなしごとについて自分なりに感じたことをつぶやいたり、リツイートしたりしていこうかと思う。

 ということで、そこでつぶやくのは、それをわざわざプロフィールに書くのも野暮なので明記してはいないけれども、

「あくまでも個人のツイートであり、所属する団体等の公式見解ではありません」

 というやつである。

 あくまでもこれは「試験的な試み」なので、場合によってはまたすぐに、ロム専門にするかもしれない。

 匿名のSNSは、荒れたり変な人に絡まれたり、いろいろめんどうくさいんだよねえ(苦笑)。

 そういえばミクシイでは、いろいろたいへんだったなあ・・・。



 まずは、向こう3か月くらい情報を発信しつつ、様子を見ようかと思う。

 面倒なことがあるようなら、またロム専門に戻るか、鍵をかけるか、最悪アカウント削除しちゃえばいいか。

 また、今回はあくまでも「試験的な取り組み」なので、本ブログや翠月庵のホームページと、ツイッターアカウントは、しばらくの間はリンク等での直接的な紐づけは、しないでおこうかと思う。

 そんなわけでご関心のある方は、あちら界隈でも、庵主を探してみてやってください。

 ま、すぐに見つかると思いますが・・・(笑)。

 南無八幡大菩薩。

足跡

 (了)