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三不過之術/(手裏剣術)

2020年 04月29日 13:00 (水)

 世間様は今日から本格的なゴールデンウィーク改めステイホームウィークとのことだが、私は今日も通常稼働。

 週末までに6,000文字のインタビュー原稿と4,500文字の企業ルポ記事、そして某資格関連の原稿直しをしなければならぬ。

 つまり、多忙だ。

 ところが一転して、来週からはコロナ不況の波をもろにかぶってか、まったく取材や原稿書きの仕事がない。

 そこで、経産省のコロナ対策の一環である、個人事業者向けの持続化給付金を申請しようと思うのだが、準備をしてみたところ私の場合、経理上の問題で7月にならないと申請ができない。

 給付金は、特に不備がなければ請求~受理から2週間ほどで支給されるというので、なんとか7月中旬~下旬まで生き延びなければならん。

 家賃や経費の支払いができず、この月末で資金繰りがショートして、破産・倒産に至るフリーランスや個人事業者も、少なくないだろう。

 コロナは人を殺すだけでなく、経済も殺すのだということを実感する。

 まことに、過酷な時代だ・・・・。



 しかし、それでも日々、稽古を続けなければならぬ。

 昨晩は久方ぶりに、手裏剣を打った。

 とはいえ拙宅内での打剣なので、二間の座打ちである。

 それにしても、ここのところ手裏剣にはほとんど触っていなかったので、たかが二間での四寸的に、なかなか集剣しない・・・。

 いやまったく、手裏剣はさぼると本当に刺さらなくなるものだ(苦笑)。

 小半刻ほど打剣を繰り返し、ようやく翠月剣を板金を打つ心(全力での打剣)で3本続けて打ち、四寸的に集剣させることができた。

 やれやれ。

2004_手裏剣



 手裏剣術は、大陸では「三不過之術」とも呼ぶそうな。

 いわく、三打に一打は必ず的中させるとのよし。

 しかし、手裏剣術を表看板にするのであれば、三打に一打というのはちと情けないと、我ながら大いに反省。

 しかも、四間や五間であればまだしも、二間四寸的ごときで三打に一打しか必中しないようでは、さすがにちょっとまずかろうと、しみじみ思う。

 辻占であれば、当たるも八卦当たらぬも八卦でかまわないが、武術としての手裏剣術では、それは許されまい。

 生死一重の至近の間合いからの、渾身の一打。

 その境地は、未だ遥かに遠い。

 (了)
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「座技」という鍛錬-柳剛流と柴真揚流の稽古から/(武術・武道)

2020年 04月26日 15:48 (日)

 夜、柳剛流居合を抜く。

 当初、我が家の狭い一畳稽古場では、二尺八寸八分の居合刀を使うと「向一文字」と「切上」しか抜けなかった。

 しかしこの2か月、柳剛流居合を中心に稽古をしてきた成果か、広さ一畳強という居合を稽古するには極小に近いスペースでも、上記二本の形に加えて「右行」「左行」「後詰」といった体捌が必要な形が、ある程度抜けるようになってきた。

 何事も、鍛錬である。

 ここで重要なのが、いまさらながらではあるが鞘引きと序破急、この2点だ。

 居合においては初学で学ぶ、あまりにも初歩的な理合であるが、長尺刀を自在に抜くコツも、この2つに収斂されるだろう。



 柳剛流にしても柴真揚流にしても、今は主に拙宅内で座技を中心に稽古を重ねている。

 このためかどうか、むしろ今まで以上に、下半身が安定してきたように感じられる。

 考えてみれば、正座から立ち上がるただそれだけでも、フルスクワットを1回やっているのと同じようなものなのだ。

 座した状態から跳び違って斬る柳剛流居合はもちろん、柴真揚流柔術の表早業居捕17本の形をみっちりとおさらいすることでも、相当に下半身が鍛えられる。

1903_天神真楊流
▲『天神真楊流柔術極意教授図解』(吉田千春・磯又右衛門著)より


 上図は、柴真揚流の親流儀のひとつである天神真楊流の中段居捕「両手詰」だが、柴真揚流の柔術表早業居捕「両手捕」も、これとほぼ同じ理合の業となる(蹴足の入れ方などが、若干異なる)。

 これらはいずれも、対面して座した状態から、蹴足の当身を入れるという業だが、実際に稽古をしてみれば分かる通り、何度も繰り返して行うと、相当な下半身の鍛錬となる。

 ちなみに同様の蹴りの鍛錬は、伝統派空手道を稽古していたころに「居合蹴り」として、よくやらされたものだ。

2004_居合蹴り
▲『完全図解 空手鍛錬三カ月』(祝嶺制献著)より


 あるいは、同じ居捕の「真之位」でも、天神真楊流では取は立った状態から受を崩して押し倒すが、柴真揚流においては取りは立ち上がらず折敷いた低い体勢から、我が体を送って受を倒す。

 この、

「折敷いた低い姿勢のまま我が体を送りつつ、受を身隅に崩して押し倒す」

 という動作が、結構下半身に効くのである。

 一連の動作を10回も繰り返すと、かなり下半身に負荷がかかっていることが実感できるはずだ。



 このように、居合や柔(やわら)の座技は、術を磨くだけでなく、形の動作そのものが下半身の鍛錬という役割を担っているという面がある。

 元々一人稽古が前提の居合とは異なり、本来、相対動作で取るべき柔の形稽古であるが、単独で取や受の動作を復習することは、業を磨くための効果はもとより、身体、特に下半身の鍛錬となっている点も見逃してはならない。

 不要不急の外出自粛が問われる今だからこそ、たった畳一枚のスペースがあればいくらでも鍛錬ができる、居合や柔の座技に、改めて徹底的に取り組んでみたいものだ。

2001_柴真揚流_左巴_(裏)_2
▲柴真揚流柔術の居捕「左巴」の裏。並座した状態から立ち上がり、折敷いた体勢で当身を入れる。この一連の動作だけでも、単独で何度も繰り返すことで当身の威力が磨かれ、下半身の鍛錬ともなる


 (了)

5月の稽古について/(お知らせ)

2020年 04月25日 12:52 (土)

各位

 5月の稽古について、お知らせします。

 現在、5月6日(水曜)まで国からの非常事態宣言が出ておりますので、この点を鑑みて、まず5月2日(土曜)そして9日(土曜)の稽古は休みとします。

 その上で5月16日(土曜)以降の稽古については、非常事態宣言が延長されるとの報道もありますことから、5月8日(金曜)の段階で、皆さんにメール等にてお知らせします。

 なお、現状での見通しをあらかじめ述べておきますと、非常事態宣言の期間が延長された場合は5月中の稽古再開は難しく、そうなると最短でも稽古再開は6月以降になるでしょう。



 庵主としては、自分自身と大切な人たち、そして皆さんと皆さんのご家族、関係するすべての人の安全が一定程度担保できるように、首都圏全体の流行がしっかりと収束するまでは、半年でも1年でも躊躇することなく稽古自粛を継続するつもりです。

 半年や1年くらい稽古を休んでも、武道は逃げません。

 しかし、自分や大切な人が命を失ったり、重い後遺症や障害が残って仕事や暮らしが壊れてしまっては、武道の稽古などすることができないのは、言うまでもありません。

 安全が確実に担保されない状況で複数人が集まる稽古を再開し、感染リスクを高めてクラスターを作り出したり、不要不急の外出で社会全体の感染予防を妨害するようなことは、武道を志す人は絶対にしてはなりません。

           剣の2



 一方で、不要不急の外出を控える中、皆さんそれぞれ工夫して一人稽古に励んでいるかと思います。

 逆に、この時期に一人稽古をさぼっていると、せっかくこれまで稽古をしてきたのに、稽古再開時にとんでもなく業前が下がっていることになりかねません。

 皆さん油断せず、できるだけこれまで学んできた業の復習に取り組んでください。

 まずは、柳剛流居合です。

 居合を徹底的に、何度も何度も繰り返してください。

 柳剛流居合は、流祖・岡田惣右衛門が私たち後世の弟子のために、いつでもどこでも一人で稽古ができるように編み出してくれた、貴重な形であり業の体系です。

 100回抜けば100回分、1,000回抜けば1,000回分、必ず得ることがあります。

 繰り返します。

 柳剛流居合を、徹底的に練磨してください。

 そして、外出したいという我欲に負けることなく、ただ静かに一人で居(お)ること。

 これもまた大切な、武道における「心法」の修行です。

1910_柳剛流_浅間神社石碑

 (了)

可視化されてくるもの/(身辺雑記)

2020年 04月24日 12:15 (金)

 昨晩は、柴真揚流柔術の稽古。

 柔術表早業の居捕17本、立合投捨15本、居捕の「左巴」と「右巴」の裏と裏々までをおさらい。

 なかでも居捕の「左巴」「右巴」と「真之位」、立合投捨の「馬手捕」「弓手捕」と「巌石落」は、特に念を入れて繰り返す。

 柴真揚流の、体幹の力積と腰の切れを活かした当身は、打撃の素養が伝統派空手道である私にとって、柳生心眼流の柔らかく独特な使い方をする当身よりも、はるかに体になじみやすい。

 まあ逆説的に言えば、柳生心眼流の当身は、あまりにも異質で独特だからこそ興味深く、稽古のしがいがあるということだ・・・(苦笑)。

 稽古のしめに当身台へ、拳、肘当、頭突き、蹴足を打ち込んで、約半刻の稽古は終了。

 うん、私は柴真揚流の当身、好きだよ。

2001_柴真揚流_当身
▲脇を締めて体幹の力積と腰の切れを活かし、至近距離から電光や水月に拳を打ち込む柴真揚流の当身。空手のように拳頭部を当てるのではなく、指の第二関節部分で当てる



 コロナ禍の影響で世の中が殺気立っているせいもあってか、最近、人間関係における粗雑な対応が、これまでよりも目につくように感じる。

 劇画原作者の故小池一夫センセイは、

「ああ、この人とは距離をおくべきだな、別れるべきだな、と思うのは、自分への対応が雑になった時だ。逆に言うと、自分は絶対に人を雑に扱ってはいけないということ。少しでも『人を雑に扱う』とは、最低な事だと、いつも心に留めておくのだ」

 という名言を残されたが、私も本当にそう思う。

 これは、仕事やプライベートな人間関係はもとより、武道修行でもまったく同様だ。

 人間、50歳を過ぎたらどうせもう遠からず死ぬのだから、限られた人生、無理に我慢して嫌な思いをすることもない。

 なんか雑に扱われているな・・・と感じたら、そういう相手とは静かに距離を置き、何ならとっとと縁を切るのもひとつの兵法だ。

 五十路を過ぎてから、より強く、そう思うようになってきた。

 一方で、自分自身がそのように他者を粗雑に扱わないよう、努めて心がけている。

 特に門人諸氏への対応は、雑にならないように自戒している。

 これは弟子をお客様扱いするとか、甘やかしてぬるい稽古をするとか、お友達のように付き合うとか、そういうことではない。

 一人ひとりの弟子に対して、その人その人に合った、最も適切で必要な指導を、個別丁寧にしていくということだ。

2004_指導ノート
▲翠月庵の定例稽古に関する指導ノート。その日の出席者、指導内容、門人ごとの課題や今後の指導ポイントなどをメモしておき、次回の指導に活かしている



 危機や不測の事態に直面すると、人はその本性が露わになり、隠されていたものが可視化されてくる。

 未知のウイルスによる疫病が猖獗を極めている今はまさに、そういう「時」なのだなあと、しみじみ思う。

 では、私自身の本性や内面に隠されていたもの=心の地金は、どのようなものなのか?

 夜ごと静かに自省している、今日この頃である。

 (了)

死の影、そして素振二十八ヶ条/(古流柔術)

2020年 04月23日 02:06 (木)

 私の住まいからもそれほど遠くない埼玉県白岡市で、新型コロナウイルスに感染し、軽症だとして自宅待機中だった50代の男性が死亡した。

 今月16日に感染が確認されたが、軽症だとして入院できる病床が空くまで自宅で待機することを余儀なくされていたという。

 その結果、21日午前9時すぎに、連絡が取れないことから男性の父親が自宅を訪ねたところ倒れているのを見つけ、搬送先の病院で死亡が確認されたということである。

 感染確認から、わずか5日後の急死だ。

 ちなみに埼玉県内では、病床がひっ迫していることなどから、20日までに感染が確認された676人のうち半数以上の370人が自宅での待機を余儀なくされている。



 上述の男性と同様、私も50代でひとり暮らし。

 その死は、けして他人事ではない。

 この病気は感染すると、最初は軽症でも急変して死に至ることがあるのだ。

 にもかかわらず、いまだにパチンコ屋で密集したり、県外の観光地に押し掛ける人が絶えないなど、この感染症をあまりにも軽く考えている人が多すぎるように思えてならない。

 そもそもこれは人類にとって未知のウイルス感染症であり、たとえ軽症や無症状だとしても、どんな後遺症が残るのかも分かっていないのだ。

 欧米の研究では、症状が軽快した後も、免疫不全や臓器に深刻な後遺症を残す例があるとの報告もある。

 とにかくこの病気には、慎重過ぎるほど慎重に対応するべきだ。



 本日は夕方までに、とある民間資格に関するインタビュー原稿をアップ。

 ホッケと高野豆腐を肴に冷酒で軽い晩酌を済ませ、二刻ほど仮眠。

 その後、エアロバイクから筋トレで身体を温め、今晩は柳生心眼流の稽古。

 まずは「卍」、「巴」、「水平」の振りで心身を整える。

 次いで「天の振り」から「横周転の振り」までの単独素振り。

 そして、「表」、「中極」、「落」、「切」と、素振二十八ヶ条を振る。

 過日、本部稽古にて師よりご指導いただいた、右手首の使い方と重当ての要点に特に留意しつつ、「表」から「切」までの二十八条を丁寧に繰り返す。

 稽古のしめは、実践応用稽古の復習、そして当身台への打ち込み。

 当身台への打ち込みでは、周転山勢巌からの肘当てと、跳び込んでの重当てを集中的に行った。



 それにしても、柳剛流や荒木流の居合を除けば、私が稽古している武芸の中でも一人稽古のしやすさという点で、柳生心眼流はやはり頭抜けた存在だ。

 素振二十八ヶ条は、一人で、いつでもどこでも稽古ができるのがいい。

 一つの形は初めから終わりまでわずか20秒足らずで完了する動作なので、仕事の合間でもちょっとした時間があれば振ることができるし、もちろん集中して一時間、二時間と稽古することもできる。

 まさに、このコロナ禍において、一人稽古に最適の古流武術だといえるだろう。

 ただし、やはり心眼流の稽古の醍醐味は受と取りの二人で相対して形を取る組形にある。

 コロナが収まり翠月庵での定例稽古が再開したら、存分に組形を取りたいものだ。

 また今年は、Y師範代を相手に取返の稽古がみっちりとできるよう、仕上げていきたいと思う。

 そのために、今は一刻も早くコロナが終息するよう、できるだけ家に居よう。

1902_柳生心眼流_2

 (了)

身を慎む/(武術・武道)

2020年 04月22日 10:48 (水)

 先日、松代藩文武学校武道会より報せがあり、5月30日に予定されていた「第28回春の武術演武会」が、コロナ対策として延期となった。

 なお、今後の開催の時期は未定とのこと。

 すでに、毎年4月上旬に行われている苗木城さくらまつりの演武会、また5月5日に行われる水月塾本部の演武も中止となっているので、翠月庵が関わる今年上半期の演武は、これですべて中止または延期となった。

 まことに残念だが、悪疫下の現状を鑑みればやむをえまい。



 試合のない古武道において、演武会は貴重な「形而上の真剣勝負」の場であり、機会があればできるだけ参加したほうが良い。

 しかし逆説的に言えば、演武は武道修行のうちのひとつの手段、単なる方便に過ぎないので、演武それ自体は「目的」ではない。

 ありていに言えば、我々は演武に出るために稽古をしているわけではないので、演武があろうがなかろうが、ただ淡々と今まで通りに稽古を続けるのみである。

 この点を誤ってしまうと、演武をすることそれ自体が目的となってしまう。

 すると、「業」は華法に流れ、「術」は見世物や大道芸のたぐいと変わらなくなり、結果として武の本質を見失ってしまう。

 見栄えだけの100の手数よりも、一打必倒の一手に価値を見出すのが、武の本質だ。



 今はとにかく不要不急の外出を控え、他者とできるだけ接触をせず、静かに自宅で身を慎むことで、一刻も早い疫病の収束、そして終息に貢献しなければならない。

 「個」の利だけでなく、「公」にいかに役立てるのかを考えることも、武道に携わる人、ひいてはより良き社会人に必須の資質であろう。

 コロナ禍が収まるまでは粛々と一人稽古に励み、我が一剣、我が一打、我が一投を、徹底的に磨きあげることだ。

1910_柳剛流_居合_新武館



 今はまだ、「自粛疲れ」などと言っている状況ではない。

 まずはあと2週間、必要であればこの先1年でも2年でも、己の行動を適切に処していかなければならぬ。

 刀を振り回し、人を殴り投げ飛ばすことだけが、武道修行ではない。

 身を慎み、一人居(お)ることもまた、吾人に欠かすことのできない大切な武道修行と心得るべきだろう。

 (了)

リモート取材/(身辺雑記)

2020年 04月21日 22:51 (火)

 本日は埼玉の拙宅と東京の編集部、兵庫の某医療施設との三元同時中継で、リモート取材によるインタビュー。

 ネットを介したテレビ電話を使って約3時間、5人の医療・介護関係者の話を聞く。

 こうしたリモート取材は、以前も某メーカーの仕事でやったことがあるのだが、私のような「古い人種」の取材記者にとっては、直接対面してインタビューするのに比べると、なんとなくやりづらく、普段のインタビューの何倍も疲れる。

 とはいえ最悪の場合、数年は続くとも言われるコロナ禍の世界においては、今後もこうした遠隔取材の機会が増えていくのだろう。



 考えてみると、私が制作会社の編集者として出版業界の仕事を始めた当時は、まだ原稿は手書きだった。

 もちろんDTPなどというものはなく、写植をカッターナイフで切り張って版下を作り、印刷会社に届けて製版フィルムとし、雑誌などを刷っていたものだ。

 遠い昔、ジュラ紀・・・ぢゃなくて、20世紀後半の話である。

 それがまず原稿書きがワープロとなり、パソコンによるDTPが一般化し、メールやPDFが使われるようになり、ついにテレビ電話でのリモートインタビューと相成ったわけだ。

 こうした技術の進化が、果たして本当にニンゲンさまを幸せにしているのか、私のような懐古趣味的人間にとってはいささか疑問である。

 先日、地上波で放送していた原田知世版の『時をかける少女』を見て改めて思ったけれど、個人的には1980年代のテクノロジー(スマホなし、パソコンなし、ネットなし、もちろん承認欲求とヘイトが飛び交うSNSもない)での暮らしで、私は十分に幸せだったなあと、しみじみ思う。

極楽浜



 ダーウィン先生の「適者生存」を持ち出すまでもなく、いつの時代も環境に適応した者が生き残り、勝ち残っていくのだというのは重々承知だが、私ももう五十路を越えたことだし、精神をすり減らしながら生き残っていく人生も、ちょっとどうかなと思う。

 玄米と味噌汁と漬物の飯が食え、ちょっとの肴と酒が呑め、毎日風呂に入り、柳剛流の稽古ができ、図書館で本が借りられ、親しい人と一緒に時折文楽や歌舞伎にいければ、それで私の人生は十分満ち足りている。

 しかし、この程度のささやかで慎ましい暮らしを維持するだけでも、今の時代、必死で慣れないITを駆使し、メンタルをすり減らし、下げたくもない頭を下げて、日銭を稼がなければならないのが現実だ。

 易に云うところの「潜竜」のような暮らしを送るには、億万の資産がなければ無理ということか・・・。

 ま、しかたない、稽古して寝よう。

 南無八幡大菩薩。


「いもうとの真っ赤な櫛で占えばわれに三たびの死が訪れん」(寺山修司)

 (了)

一人居ること/(時評)

2020年 04月20日 11:03 (月)

 3月の第二週から翠月庵の定例稽古を中止にして、はや6週間が過ぎた。

 ここで、現状確認。

 現在、国内の新型コロナウイルス感染者数は1万人を超えて死者は224人、埼玉県内では感染者667人で死者13人、私が住んでいる地域では感染者4名となっている。

 都内の一部地域ではすでに医療崩壊が始まっており、埼玉県内では200人以上の感染者が、病院のベッドが足りないために自宅療養となっている。

 今のところ緊急事態宣言の期間はゴールデンウイーク最終日の5月6日(水曜)までとなっているが、報道等によればこれが延長されることは、ほぼ間違いないだろうとのこと。



 武芸の立合いでは、気の抜けたなれ合いの形稽古でもない限り、ぼけ~っと突っ立てやられるのを待っている相手などいない。

 同様に、疫病対策も常にその局面(最近はフェーズっつうんですか?)は変化流動する。

 この点で注意したいのが、首都圏や大阪・兵庫圏など感染が急激に広がり蔓延期となっている地域では、すでに「三密を避ける」といった生易しい対策で可とする局面は過ぎ去っているということだ。

 現状では、

「人との接触を8割減らす」

 という局面に入っている。

 国のクラスター対策班による接触の定義とは、

「誰かと1メートル以内の距離で2~3往復の会話をすること」

 あるいは、

「握手をするような身体的接触」

 とのこと。

 このレベルの人との接触について、コロナ流行前を10割とし、それを8割減らして2割にせよという。

 要するに、

「家から出るな」

 ということだ。

2004_コロナ



 にもかかわらず、一昨日から昨日の週末、都心の人出はそれなりに減少したものの(週末だから当たり前だ)、吉祥寺や湘南など、都心以外の人出は従来と同様か場所によっては増えていたとのこと・・・。

 これは、彼ら彼女ら自身の感染機会を増やすだけでなく、それにより結果として地域の医療崩壊を促し、重症者の命を死に追いやっているという点で、間接的・潜在的な「傷害致死」といって過言ではない。

 3月の中頃、首都圏でのイベント自粛が指摘され始めた中でK-1という大規模格闘技イベントが強行され、社会的に大きな批判を浴びた。

 今現在、47都道府県すべてで緊急事態宣言が発出され、全国民に不要不急の外出自粛が要請されているなか、それを無視してわざわざ行楽に出かけたり、複数人で集まって遊んでいる人たちというのは、

「規範意識の低さ」

 という点で、あのときノコノコK-1を見に行って批判を浴びた人たちと、何らかわりがない。

 それどころかツイッターを見ていて驚いたのだが、緊急事態宣言の中でも特に警戒が必要な特定警戒都道府県に指定されている地域でありながら、なんと今この段階でも弟子を集めて、室内で組太刀を指導している人がいた。

 まあ、当庵にはまったく関わり合いのない団体のことなので、私がとやかく言う筋合いはないわけだが、武道人として、またいち社会人として考えると、その指導者は常軌を逸しているとしか思えない。

 こうなるともう、無知とか規範意識とかいうレベルではなく、

「反社会的行為」

 と言ってよいだろう。



 それにしてもなぜ、たかだか1か月やそこらを、(仕事以外で)家に居ることができないのだろう?

 精神的に未熟な子供が、家でじっとしていられないというのなら、まだ話は分かる。

 分別有る大人がこの局面で、不要不急の外出や人との接触を自粛できないというのが、私にはさっぱり理解できない。

 こういう人たちが、療養中の高齢者や既往症の有る人たち=社会的弱者の生命を危険にさらし、結果として224人を死に至らしめ、疫病の早期収束を妨害し、社会や経済を崩壊に導いているわけだ。

 ふた親をともに肺炎で亡くし(肺炎で死ぬのがどれだけ苦しいことなのか、多くの人が理解していない)、ちょっとした感染症でも命を失いかねない療養中の患者さんを取材した経験のある私は、強くそう思う。

 いずれにしても、こんなことでは到底、早期での疫病終息は望めないだろう。

浄土



 一人で居(お)ること。

 それを苦としないこと。

 武人に絶対欠かすことのできない素養である。

 翠月庵の門人諸氏は、これを十分に心して、己の身を正しく処してほしい。


「打解て少しまどろむ頃あらば 引き驚かす我枕神」
(柳剛流剣術免許巻 武道歌)


 (了)

一人稽古のススメ(その2)/(柳剛流)

2020年 04月18日 13:08 (土)

門人各位

 新型コロナ対策の緊急事態宣言下、皆さん、なにかと不自由な暮らしが続いているかと思います。

 埼玉県ではついに、基礎疾患の無い30代の男性が新型コロナ肺炎で死亡するに至り、ますます厳しい局面となりました。

 皆さん、それぞれの立場や仕事などにより、外出や通勤をせざるを得ない人もいるかと思いますが、できるだけ家族以外の人と接触しないよう心がけ、手指の消毒をこまめに行い、しっかり栄養と睡眠をとり、ご家族の皆さんと力を合わせながら(独り者は、たくましく独力で(笑))、この苦境を乗り切りましょう。



 一方で外出自粛の毎日では、運動不足になりがちです。

 日々の暮らしの中で、気分転換も兼ねて木刀や居合刀の素振り、あるいは居合や立居合の形など抜いてみてください。

 わずか数分の間でも稽古に集中することで、ストレス解消にもなろうかと思います。

 ベテランの皆さんは引き続き、一人稽古の中で各自の課題とやるべき鍛錬に励んでください。

 柳剛流に加えて、Y師範代は柴真揚流と柳生心眼流、N師範代は柴真揚流、S氏は手裏剣の稽古も十分に行っておいてください。

 初学の皆さんは、素振りと柳剛流の備之伝、そして柳剛流居合または警視流立居合を丁寧に復習してください。

 ベテランも初学の皆さんも、まずなにより柳剛流居合の形にじっくりと向き合い、深めることが重要です。

1712_柳剛流居合「切上」
▲柳剛流居合 「切上」



 なお、5月以降の稽古については、来週の土曜、25日に改めてお知らせします。

 翠月庵
 春燕軒 謹識

 (了)

柴真揚流の当身とボクシングのインファイティング/(古流柔術)

2020年 04月17日 12:39 (金)

 今晩の稽古は・・・といつもなら書くところなのだが、一昨夜に引き続き、昨夜も稽古前に寝てしまったため、朝に小半刻ほど柴真揚流の稽古。

 このまま朝型稽古にパラダイムシフトするか・・・?

 なにはともあれ、柔術表早業の居捕を「左巴」から「二人捕」まで17本おさらい。

 その後は当身台への打ち込み稽古。

 形の動きに沿って拳、肘、頭突き、蹴足などを当身台に打ち込む。

(感染症対策の10万円が入ったら、柴真揚流の稽古用に日本拳法で使う防具の胴と帆布しないを買って、国内経済のV字回復に貢献しようか・・・)

 清明もそろそろ終わり穀雨になろうというだけに、稽古を始めるとすぐに、薄っすらと汗ばむようになった。

 ほとんど外に出ないので実感がないのだが、いまや春も盛りであり、立夏も目の前なのだな。



 稽古後、ちょっと思うところがあり、10代からの愛読書であるドイツ・アマチュア・ボクシング連盟指導部著『最新ボクシング教室』をひも解く。

 柴真揚流の当身を稽古をしていて、ボクシングのボディアッパーやインファイティングとの関連について思い至ったからである。

 たとえば左のボディアッパーについて同書では、

「右脚を伸ばさねばならない。主な動作は腰で行うべきである」

 とある。

 ここでのボディアッパーは左半身からなので、この姿勢において右脚を伸ばして腰で打つというのは、なるほど、柴真揚流の拳での当身の使い方との共通点が見出せる。

 あるいは、インファイティング(接近戦)に関して、

「ここにいくつかコンビネーション・ブローを揚げるが、これらはできるだけインサイド・ポジションで打つべきものである」

 とある。

 柴真湯流では、表早業居捕の「巌石」や「横車」、あるいは立合投捨の「巌石落」や「十文字」における、彼我が非常に接近した状態での当身や当て倒しの業が、まさにインサイド・ポジションでのボディーブローだ。

 これらはまあ、私の思い入れによるかなり強引なこじつけと言えないでもないが・・・(苦笑)。

 ボクシングにおけるインファイティングも柴真揚流の当身殺法も、いずれも彼我の頭が接触するほどの非常に接近した状態での打撃法ということで、自ずから共通する体の使い方となるのだろう。

 ちなみに私は、アウトボクシングよりインファイトのほうが好きだ。

 やっとうでも柔(やわら)でも、あるいは空手でも、距離を置いてチョンチョンやるより一気に接近しての肉弾戦がいい。

 ま、あくまでも個人的な好みなんだけども(笑)。



 そんなことをつらつらと考えた、うららかな疫病下の春の朝・・・。

2004_ボクシング
▲ドイツ・アマチュア・ボクシング連盟指導部著『最新ボクシング教室』(ベースボール・マガジン社/1961年)より

 (了)

莫妄想/(身辺雑記)

2020年 04月16日 07:18 (木)

 昨夜は晩酌が過ぎて、自室でそのまま気絶。

 早朝、4時過ぎに目覚める。

 稽古もせずに寝てしまったので、気力を振り絞って稽古着に着替え、我が家の一畳稽古場へ。

 柴真揚流の諸術(組太刀、棒、小太刀居合)を、ひと通りおさらい。

 さらに柔術表早業居捕の「左巴」と「右巴」、立合投捨の「馬手捕」と「弓手捕」の形を取り、当身台への打ち込みでしめる。

 小半刻の稽古なり。

 自宅での稽古は深夜に行うことが多いので、早朝の稽古はまた違った爽やかさがある。

 とはいえ私は重度の夜型人間なので、これをルーティーンにするのは到底無理だ(苦笑)。



 埼玉県内の新型コロナウイルスの陽性確認者が、ついに500人を超えた。

 また県知事は、ゴールデンウイーク明けに県内の陽性確認者は1,000人を超えるとの試算を発表。

 いまのところ翠月庵は、4月末まで稽古中止としているのだが、これでは5月中の稽古再開もかなり難しそうだ。

 それどころか、米科学誌『サイエンス』に掲載されたハーバード大学研究チームの論文では、

「外出規制などの措置を、2022年まで断続的に続ける必要がある」

 とのこと。

 こうなると、いつになったら行田稽古場での定例稽古が再開できるか、皆目見当がつかない・・・。

 しかし、何しろ今は人類が直面したことのない、未知の殺人ウイルスが世界中に蔓延しているわけで、なにはともあれまず感染しないこと、そして残念ながら感染してしまったら、できるだけ人にうつさないこと、この2つを肝に銘じるのみ。

 その上で、今できる稽古を粛々と続けていくしかない。

 当分の間、剣術の組太刀や柔術の相対稽古ができないのは残念だが、その分、居合を中心とした一人稽古に専念することだ。

 居合だけでなく、剣術や柔(やわら)の相対形についても、その動きを一人で稽古することができる。


「稽古場は練習をするところではなく業を学ぶ場所。学んだ業を自分のものにするための鍛錬は自分でしなさい」



 という、旧師の教えが思い返される。

地蔵菩薩
▲心の聖地・恐山



 鎌倉時代、遠からず押し寄せるであろう圧倒的な元の大軍による攻撃に対し、執権・北条時宗は苦悩し、その悩みを無学祖元に打ち明けた。

 そこで返ってきた言葉が、

「莫妄想(まくもうぞう)」

 であった。

 未知の疫病が猛威を振るっている、いま、この時。

 将来の不安にかられ妄想におびえるのではなく、いまできる稽古にひたすら励み、「形」を「業」に、そしてさらに「術」にまで止揚すべく、鍛錬を続けるのみだ。

 (了)

脚を斬るだけが柳剛流ではない/(柳剛流)

2020年 04月14日 21:40 (火)

 外出自粛期間中の一人稽古・・・というか、1年365日のルーティーンである自主稽古であるわけだが、ここしばらくの間は特に柳剛流居合に集中している。

 一昨夜、そして昨夜は思うところあって、いつもの稽古用長尺刀ではなく、我が愛刀・監獄長光で居合を抜いた。

 普段、二尺八寸八分の長尺刀で稽古をしているので、二尺二寸一分の長光で同じ形を遣うと、まるで脇差を抜いているかのようだ。

 柳剛流居合は鍛錬形であると同時に、有事の際には普段差しの刀で瞬息のうちに抜刀し、敵手を斬り倒すための「業」=「術」でもある。

 脚を斬るだけが柳剛流ではない。

 身幅広く重ね厚い、昭和の実戦刀である監獄長光で柳剛流居合を遣っていると、改めてそれを実感できる。

1810_松代演武_柳剛流居合
▲柳剛流居合 「向一文字」 松代藩文武学校武道会の師範演武にて
 


 稽古後、ごくわずかだが鍔が緩んできたような気がしたので、すぐに柄を外して調整を施した。

 鍔の緩んだ刀ほど危険なものはない。

 ましてや鍔鳴りのする刀を稽古に使うなど、言語道断だ。

 殺傷力のある武具である日本刀(真剣はもちろん、稽古用の模造刀でも打突すれば人を殺害しうる)を稽古に使う以上、この点は何度繰り返し強調しても、強調し過ぎということはない。

 また、もし鍔鳴りのする刀を使っている者がいたら、絶対にその太刀筋の線上に位置してはいけない。

 可能な限りその者から離れ、できればその場から立ち去るべきだ。

 また指導者であれば、鍔が緩んでいる刀を使うような者を、稽古に参加させてはならない。

 武道人としての、最低限の嗜みである。

2004_長光
▲久々に柄を外したので、茎をじっくりと鑑賞。市原長光特有の、銘切の字体が目を引く  

 (了)

一人稽古のススメ/(柳剛流)

2020年 04月11日 19:12 (土)

門人各位

 感染症の流行は、いっこうに収まる気配がありませんが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 仕事や学業など、それぞれ困難な状況にあるかもしれませんが、各人が最善を尽くしているかと思います。

 どうも、この感染症との戦い(あまり、「戦い」とは表現したくないですが・・・)は、なにやら長期戦になりそうです。

 このため先の見通しはなかなか立ちませんが、事ここに及んだ以上、気長に対処していくしかありません。

 疫病下の日常では、自主稽古もままならないかもしれませんが、時に気分転換がてら、1回15分でもよいので立居合や居合を抜いてみてください。

 できれば稽古着に着替え、それから居合を遣うと、日常とは一線を画した、良い気分転換になるでしょう。



 幸い、柳剛流は総合武術ですので、一人稽古のために居合の形があります。

 また柳剛流の居合は、畳一畳のスペースがあれば抜き差しができますので、刀と帯さえあれば、室内で容易に稽古ができます。

 もちろん立った状態で刀の抜き差しができるなら、警視流の立居合でも構いません。

 柳剛流の居合にしても、警視流の立居合にしても、いずれも一人稽古のためにあるものですから、この機会にぜひ、それぞれの「形」=「業」と深く向かい合ってみてください。

1908_柳剛流_新武館演武
▲柳剛流居合 「向一文字」


 厳しい状況が続きますが、それぞれが柳剛流の士としての自覚と覚悟を持って、粛々と日々を過ごしていただければと思います。

 翠月庵
 春燕軒 謹識

 (了)

春燕軒日乗/(身辺雑記)

2020年 04月10日 14:33 (金)

 夜、柳剛流の稽古。

 二尺八寸八分で、「向一文字」から「切上」まで、5本の柳剛流居合を繰り返し抜く。

 今晩の稽古で思ったこと。

 形而上下での、序破急の重要性。そして納刀での体の使い方。

 長尺刀での稽古は体の規矩をいっぱいに使うので、ストレッチ効果もあるか(笑)。



 朝、冷や飯の玄米茶漬けを食べながら新聞をひらくと、埼玉県内の感染者はここ2日間で急激に増えて288人となり、県内の全医療機関のベッドがすでに満杯なことから、感染者の4割が入院できない状態だという。

 こりゃあもう埼玉は、医療崩壊寸前てことか・・・。

 しかし、今のような中途半端な感染症対策では、さらに来週、再来週と状況は悪化するだろう。

 そもそも、「営業や外出を自粛してください、ただし補償はしません(キリッ)」では、我々下々の者は生きていけない。

 アベ政権の富裕層や大企業・公務員優遇、そして社会的弱者の切り捨てという基本姿勢は相変わらずで、持たざる者のひとりである私も毎日腸が煮えくり返る思いだ。

 「貧乏人は、死ねばよい」

 というのは、秩父事件以来このかた、この国の権力者たちの一貫した姿勢である。



 最終的に、日本人の60~70%が感染し、集団免疫が出来上がるまで流行が収まらないということなら、いつかは自分も罹るのだろうな・・・と、覚悟だけはすでにしている。

 その上で、できるだけかからないよう対策に努めることで、流行全体のピークをマイルドにすることに、ひとりの地域住民として貢献すること。

 そして万が一罹った場合は、できるだけ人にうつさないこと。

 この2つが、今、我々にできることだ。

 個人的には、外出を控えて家にいることは、正直ほとんど苦にならない。

 仕事場の書斎で原稿を書き、台所の「一畳稽古場」で居合を抜き、あるいは柔(やわら)の形を取り、当身台に拳足を打ち込み、たまさかには自室で旬の肴(この時期なら、蚕豆に蛍烏賊かね)で人肌燗の酒を呑みながら、ほろ酔い気分で越路大夫の義太夫を鑑賞。

 ひとしきり呑んだら風呂に入って、ラジオを聴きながら本でも読むか、飽きたらとっとと寝ちまえばいい。

 悪疫禍のもと、いつもとさして変わらない日常が続く。

2004_一畳稽古場
▲柳剛流も、柴真揚流も、柳生心眼流も、すべてここで稽古する、我が家の「一畳稽古場」


 (了)

命に対する感受性/(武術・武道)

2020年 04月09日 02:20 (木)

 4月7日、愛知県警の剣道特別訓練員(特練員)の間で、新型コロナウイルス感染症のクラスター(感染者集団)が発生していることが確認された。

 このため100人以上の警察官が自宅待機となり、特練の稽古に参加した一般の大学生、0歳の赤ちゃんを含む家族や知人にまで感染が広がっているという。

 同様に4月2日には、警視庁の剣道関係者からも、稽古による感染者が出ている。

 驚くべきことに彼らは、武道関係者の多くが3月の早い段階から感染症の拡大防止のために稽古を自粛していたにも関わらず、なんと3月末まで集団稽古を続けていたのだという・・・。

 彼らの中で誰か一人でも、

「現在の状況下で稽古を行うのは、感染とその拡大のリスクが高すぎる。稽古は即刻、中止にすべきである」

 と意見する者は、いなかったのだろうか?

 特練員は、警察内における剣道指導者を目指す人々なわけだが、このような現状認識の甘さ、危機管理能力の低さ、命に対する感受性の浅さでは、そもそも武道指導者としての資質に欠けていると言わざるをえない。

 特練の厳しい猛稽古は私も聞き及んでいるけれど、彼らがどれだけ剣道が強かろうが、段位・称号が高かろうが、

「無知ゆえに自分と他者を守れず、周囲の人々を生命の危険にさらした」

 という点で、武道人として、またその指導者として、極めて未熟である。

 愛知県警・警視庁いずれの事案においても、この状況下で稽古中止を判断しなかった指導者(管理者)、そして中止を具申しなかった稽古参加者は、いずれも武道人としての自らの行動を改めて見つめ直すべきだ。

 武道に携わる人は、命に対する深く鋭敏な感受性を涵養しておかなかればならない。

 (了)

短刀/(古流柔術)

2020年 04月08日 01:06 (水)

 緊急事態宣言が発令された夜。

 短刀に関する雑誌の記事を書き終え、続いて浮世絵に関する書籍の原稿を書こうとしたものの、24時前に集中力が切れて本日の業務は終了。

 残りの仕事は明日、朝早く起きて頑張ろう。



 いそいそと稽古着に着替え、今晩は柳生心眼流の稽古。

 「表」から「切」まで、素振二十八ヶ条をひとしきり振るう。

 「素振り三年刃のごとし」というが、私の素振りも護刀(まもりがたな)の短刀くらいにはなってきただろうか・・・?

 世の中がどうあれ、できるだけいつも通りに、静かに粛々と日々を送りたものだ。


2004_柳生心眼流_イメージ

 (了)

生きるために必要な外出以外はしない!/(身辺雑記)

2020年 04月07日 10:36 (火)

 いよいよ今夜、政府は東京や埼玉、千葉、兵庫など7都府県に対して、新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言を行うとのこと。

 感染症対策としては遅きに失した感があること、また自粛を強く求めているにもかかわらず補償は少額でしかも不公平であることなど問題点は多々あるが、それでも国民に正しい危機感を喚起させるという点で、意味はあるかと思う。



 さてそこで、いま我々武術・武道人は何をなすべきなのか?

 答えはシンプルだ。

「家から出るな!(stay at home)」

「他人と距離をとれ!(social distancing)」


この2つである。

 もちろん、どうしても生きていくために出勤しなければならず、あるいは不顕性感染者かもしれない他人と接する必要のある人もいるだろう。

 それでも、各人ができるだけ、

「生きるために必要な外出以外はしない」

 こと。

 そして、

「他人との距離を1.8m以上保つ」

 ことだ。

 武芸に熟練した者であれば分かると思うが、1.8mのソーシャル・ディスタンシングとは、つまり尺貫法でいうと一間!

 特に、間合を瞬時に目測することに長けた手裏剣術者なら、彼我の距離は一目で分かるはず。

 またそれは、剣術家や柔取りでも同様だろう。

 とにかく、他者とは一間以上の間合いをとることが重要だ。

 その上で、たとえば愛知県警や警視庁では、3月下旬から4月上旬にかけて、剣道の稽古を通じての警察官同士での感染、そしてクラスターの発生が確認・報告されているという事例を、武術・武道関係者は十分に吟味するべきであろう。

 つまり、今この時期に武芸の相対稽古など、剣術であろうが柔術であろうが、絶対に行ってはならないということである。

 感染症の流行収束までは、とにかく対面しての相対稽古は自粛し、一人稽古に専念すること。

 それが自分と門人、そしてそれぞれの家族、さらには地域の安全を守る唯一の方法だと、私は強く思う。



 というわけで、もう一度繰り返すが、緊急事態宣言の終了が告げられるまでは、

「生きるために必要な外出以外はしない!」

 これに尽きる。

 皆さんどうか、自分とご家族の命を守る行動をしてください。

 (了)

柳剛流の一人稽古/(柳剛流)

2020年 04月04日 00:49 (土)

 今晩は、二尺八寸八分の居合刀で、柳剛流居合を遣う。

 「向一文字」、「右行」、「左行」、「後詰」、「切上」の5つの形を、何度も繰り返す。

 昨晩は一人の武術・武道人として、たいへん残念な出来事に心打ちひしがれたのだが、その残念さや無念さを心に刻みつつ、居合に集中した。



 柳剛流は総合武術であり、剣術を表芸としながらその稽古体系の中に居合もあるわけだが、これは一人稽古が存分にできるという点でも、たいへんにありがたい。

 今のように、悪疫がはびこり相対稽古がままならない時でも、一人で居合をじっくりと錬ることで、柳剛流に必要な地力を養うことができる。

 長尺刀を用い、跳び違いながらの斬撃を繰り返すのは、フィジカル的にもなかなかキツイので、「業を錬る」という武術的な効用に加えて、スポーツ的な爽快感やストレス解消の効果もある。

 また、畳一畳強ほどの稽古場という非常に狭いスペースで、長い刀を抜き差しするのも良い鍛錬だ。



 柳剛流の一人稽古は、まず居合。

 これにつきる。

1908_柳剛流_新武館にて
▲聖地・新武館にて。柳剛流居合 「切上」


「無念とて無しと思うな唯ひとつ心の中に無しと知るべし」
(柳剛流剣術免許巻 武道歌)


 (了)

4月の稽古は月末まで、すべて中止とします/(お知らせ)

2020年 04月03日 11:43 (金)

各位

 4月の稽古について、お知らせします。

 4日(土曜)の稽古については、すでに中止のお知らせをしており、それ以降の稽古については8日頃に改めてお知らせすると、先にお伝えをしました。

 その上で、現在の首都圏の状況をみますと、東京、埼玉、千葉ともに日に日に感染者数が増えており、各都道府県で週末ごとに外出の自粛要請が出されている状況です。

 こうした点を勘案すると、今月中のコロナ終息は難しいと思われます。

 そこで予定よりも早いお知らせになりますが、4月の稽古はすべて中止することとしました。

 まことに残念ですが、5月には稽古が再開できることを祈りましょう。

 特に、入門して間もない皆さんは、稽古への意欲が高まっているところに中止が続き、しかも再開のメドが立たない状況に、不満もあろうかと思います。

 しかし、ご自身とご家族の命を守るために、ここはひとつ気持ちを強く持って自粛に耐え、稽古再開を待ってください。

 それまでは、木刀の素振りや警視流立居合などを自習して、武芸の土台をしっかりと練り上げておいてください。

 古参の皆さんは、これを良い機会として一人稽古、特に柳剛流居合について深く向き合ってください。

 必ず大きな学びがあるはずです。

 初学の皆さんも古参の諸氏も、一人稽古について疑問などがあれば、メールまたは電話で庵主宛に問い合わせてください。

 普段なら、

「細かい点は、稽古場で直接指導・解説します」

 とするべき点についても、今回の稽古自粛期間中は特別に、メール・電話等での質問にも細かく丁寧に回答します(笑)。

 先の見通しは、今日の段階ではなかなかみえてきませんが、5月には稽古場で皆さんにお会いできることを楽しみにしております。

 なお5月の稽古については、4月27日頃に改めてお知らせします。

 それまでは各人が不要不急の外出をできるだけ控え、しっかりと栄養を摂り、十分な睡眠をとって、自己免疫を高めてコロナ感染予防に努めてください。 

武術伝習所 翠月庵
春燕軒 謹識

1909_柳剛流_一〇心

 (了)

ララバイ・オブ・ユー/(身辺雑記)

2020年 04月03日 00:25 (金)



 (了)

ヒーロー/(時評)

2020年 04月01日 11:21 (水)



 私のヒーローである秋山小兵衛先生や鬼平こと長谷川平蔵は、たとえば江戸の町が疫病に襲われた際に、貧民を救済するなとか、唐人を追い出せとか、そんなことは絶対に言わないだろう。

 差別や排外主義を煽る連中を懲らしめ、困窮している人々や外国人たちを手助けするべく奔走するはずだ。

DSC_9315.jpg
▲秋山先生は、やっぱり又五郎さんだね


 それにしても、高齢者や子どもを抱えたシングルマザー、障碍のある人など、アベ政権の悪政のもとで生活保護を受けざるを得ない、貧しい人たちに対するヘイトを煽る百田尚樹のツイートに、10万を超える「いいね」がつけられているというのは、日本人の心根の醜さを目の当たりにさせられるようで、暗澹たる気分になる。

 また、この国で真面目に働き、つつましく暮らしている外国人たちをあえて攻撃する小野田紀美のツイートも、同様に醜い。

 このように災害や疫病が生じると、かならずそこに差別や排外主義が台頭する。

 しかしそんな「悪」に、絶対に与してはならない。

 柳剛流兵法二代・岡田(一條)左馬輔いわく、

「武術之儀は護国之(くにのまもり)」

 だと。

 吾人が鍛え上げた柳剛流の「断脚之太刀」は、社会の片隅で困っている弱い人たちを踏みにじるためのものではない。

 そのような人々を、護るためにこそあるのだと、心に期するべし。

 貧しくとも自由な流れ武芸者である私の、これがせめてもの矜持である。

 (了)