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なごり雪、雪見酒、柴真揚流柔術の稽古/(身辺雑記)

2020年 03月30日 10:33 (月)

 新型コロナウイルス感染症対策のため外出自粛が促されるなか、先の週末は思わぬ大雪となった。

 拙宅周辺も5cm以上は積もっただろうか。

 こんなことを書くと鈴木牧之さんに怒られてしまいそうだが、雪の少ない伊豆育ちの私は、雪が降り積もるのを見ると五十路を過ぎた今も、なんだかワクワクしてしまう。

200330_雪
▲未明から降り出した雪が、みるみる降り積もっていった



 本当は終日みっちりと原稿を書かねばならないのだが、部屋の窓越しに深々と降る雪を見ているとなんとも言えない気分になってしまい、まだ日が暮れる前から蚕豆と蛍烏賊を肴に、人肌燗の酒を一杯。

 鶴澤清治の太棹を聞きながら、さらに杯を二杯、三杯。

 岩波の『日本刀』(本間順治著)を読みながら、四杯、五杯。

 書物から目を離し、杯を手に窓の外の雪を望めば、死んでしまったふた親や、もう数十年も会っていない旧友のことなどが思い起こされ、しんみりとした心持ちとなる。



 いつのまにか酔いつぶれて寝てしまい、目覚めるとすでに外は暗く、雪も降りやんでいた。

 酔いと郷愁からの寝覚めというのは、いささかほろ苦いものだ。

 熱めの風呂につかってアルコールを抜き、洗いたての稽古着に着替え、今晩は柴真揚流の稽古。

 柔術表早業の立合投捨、1本目の「馬手捕」から15本目「三人捕」までをおさらい。

 次いで、当身台への打ち込み。「馬手捕」や「弓手捕」にある、当身での当て倒しから蹴足での止めを念頭に、当身台へ拳足を打ち込む。

 そして稽古のしめに、素抜(小太刀居合)を遣う。



 疫病が猛威を振るい、世の中がなにやら騒然としているが、できうるかぎり平静に、いつも通りの日常を失わないようにしたいものだ。

200330_柴真揚流
▲拙宅の稽古場にて。端坐調息の上、柴真揚流柔術の稽古


「世間では、独身男ほど楽しいものはないと言ってるけど、それはまちがいだね。どうせただ年をとって、達者なだけで意地の悪いじいさんになるだけのことさ」(スティーヴン・キング『ザ・スタンド』)

 (了)
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五十路の養生/(身辺雑記)

2020年 03月28日 00:39 (土)

 今晩は、夜桜を借景にして柳剛流の稽古。

 拙宅前の川沿いに続く桜並木は、例年よりも1週間以上も早いがもう満開で、巷のコロナ騒ぎが嘘のように美しく咲き誇っている。

 春の夜らしい、少し質感のあるとろりとした夜風に吹かれながら、半刻ほど4尺4寸2分の長木刀を振るう。

 今日は特に、「左剣」と「中合刀」に集中。

 柳剛流剣術の形=業の中でも、この2つは最も高度な跳び斬りの「術」を要求されるものだ。

1805_柳剛流_剣術_中合剣
▲柳剛流剣術 「中合刀」



 稽古後、ここ最近、持病である手根管症候群によるしびれが再び出てきたので、灸をすえた。

 手根管症候群は、もう10年来の長患いなのだが、だましだまししながら付き合っている。

 大陵と臂臑の2カ所に灸をすえると、しびれがだいぶ楽になる。

 また最近、左の肩にも痛みが出始めたので、左腕の臂臑にも灸をすえると、かなり肩の痛みが楽になった。

2003_お灸
▲右手のしびれが激しい時は、大陵に灸をすると楽になる


 
 さらに、なんとなく疲労感が強いので、補中益気湯を飲んでおく。

 この漢方薬は、私にとって万病に効く特効薬だ。

 特に肉体疲労や夏バテには欠かせない。

 ただしこの薬、いささか値段がお高いのが玉にキズである。



 若い頃の無茶や長年に渡る不摂生のせいか、五十路ともなると古傷や加齢の影響で、そこら中に痛みや不調が表れてくる。

 それらを抱えた上であと20年、人生の終盤に向けて、どれだけ長く稽古が続けられるか?

 そこで重要なのが、養生を学ぶことだ。

 武術・武道人たるもの、身体の壊し方だけでなく、癒し方も学んでおかねばならない。

 ま、20代や30代の若い人らには、こうした心境は分かんないだろうけれども、オジサンたちにとっては深刻な問題なんですヨ(苦笑)。

2003_漢方
▲私の養生には、お灸と漢方薬が欠かせない

 (おしまい)

令和方丈記/(身辺雑記)

2020年 03月27日 05:23 (金)

 「感染爆発の重大局面」と、都知事が発表した翌日、こんなタイミングに限って、都内で終日打ち合わせ&インタビュー取材。

 てっきり当日朝に中止の連絡があるかなと思っていたのだが、そんな連絡はいっこうに無く、朝の通勤ラッシュのピークが終わった直後、乗車率120%くらいの電車に1時間ほど乗って東京へ。

 都心の巨大オフィスビルで、6畳ほどの狭い会議室に7人が集まって半日がかりの打ち合わせ。

 ちなみに、窓は空かない・・・。

 そして午後は、12畳くらいの会議室で、8人が集まって約2時間のインタビュー。

 ここも、窓は空かない・・・。

 そして、帰宅ラッシュ前の乗車率140%くらいの電車に乗って帰宅。

 こりゃあ、コビット19も蔓延するだろうねと、しみじみ思う。

 来週、東京の1日あたりの感染者数は、100人単位になるだろうか?



 帰宅して家のドアを開けたら、部屋に入る前に洗面所で、平家物語の冒頭「祇園精舎」をゆっくり暗唱しながら約30秒の手洗い、そしてうがい。

 そのまま廊下で服を脱いで、すぐに浴室に入り、シャワーを浴びてからようやく自室に入る。

 脱いだスーツは部屋は入れず、ベランダにつるしておく。

 スマホもアルコールを吹きかけて拭く。

 ここまでやっても、感染症予防としては気休め程度だ。

 ま、なにもしないよか、マシなんだろうけれどもね。



 翠月庵の稽古は、今週末の28日、そして来週末の4日と、引き続き向こう2週に渡って中止することとした。

 結果として3月は、丸まる1か月の休みとなり、4月になっても稽古再開のめどはたっていない。

 これだけの長期間、行田稽古場での定例稽古を休むのは、結庵以来、この12年間で初めてだが、しかたあるまい。

 柔(やわら)はもちろん、剣術にしても、今は到底、誰かと接して稽古をする時ではない。

 これは自分自身を守るためであり、また門人諸氏とそのご家族の安全を守るためでもある。

 そういう意味で、本当に無神経で無責任だなと思うのは、ネットなどを見るといまだに、都市部であるにも関わらず人を集めて、しかも屋内で稽古を実施している武術団体がちらほらあることだ。

 こうした団体の代表者なり指導者たちは、飛沫感染やエアロゾル感染、不顕性感染に関してどのような理解をしているのだろう?

 また、今回の新型コロナウイルス感染症の高い感染力や致死率について、どう考えているのだろうか?

 彼らは自分自身、そして弟子とその家族の生命を危険にさらしていることに対する、自覚が無さすぎる。

 さらに、無自覚に感染症を広げる行為を改めないという点で、社会の安寧を損ねているわけであり、そういう意味で社会人としての規範意識が低く、武人としても失格だ。
 

 
 肉体的にはそうでもないが、この時期にノコノコと悪疫が蔓延する都市部に出かけたことで精神的に疲れたのか、晩酌後に抹茶を一服したところ、はからずもそのまま眠ってしまった。

 しかし、うとうととしつつも、

「ああ、今晩はまだ稽古をしてないぢゃあないか・・・。つうか、ぬか床もかき混ぜなきゃ・・・」

 などという意識があるためか熟睡もできず、結局3時過ぎに目覚めてしまう。

 そこで、もそもそと稽古着に着替え、小半刻ほど柴真揚流の稽古。

 柔術表早業の居捕、「左巴」から「二人捕」まで17本をおさらいし、当身台への打ち込みで稽古終了。

 その後、ぬか床をかき混ぜて人参を仕込んでおく。

 明日の朝には、よい頃合いに漬かっているだろう。

 そのまま、なんとなく眠ることもできず、こんな駄文をつらつら書いている次第。

2003_茶

 静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから心に問ひていはく、世を遁れて、山林に交るは、心ををさめて道を行はむとなり、しかるを汝、すがたは聖人にて、心は濁りに染めり、栖はすなはち浄名居士の跡をけがせりといへども、たもつところはわづかに周利槃特が行にだに及ばず、もしこれ貧賤の報のみづから悩ますか、はたまた妄心の至りて狂せるか。
 その時、心さらに答ふることなし。
 ただかたはらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏両三遍申してやみぬ。
 時に建暦の二年、弥生のつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にしてこれを記す。
(『方丈記』鴨長明)


 (おしまい) 

二尺八寸八分での柳剛流居合/(柳剛流)

2020年 03月24日 00:36 (火)

 ここしばらく、自宅での柳剛流居合の稽古では、二尺一寸の無銘または二尺二寸の市原長光を遣っていた。

 しかし、いずれも真剣とはいえ短いのでばかり抜いていると、それはそれで腕が鈍るので、昨夜は二尺八寸八分の稽古用居合刀を抜く。

 久々に行う長尺刀での柳剛流居合は、最初のうちこそ少々難儀をしたが、5分も抜き差しをしていると、身体がなじんでいつも通り抜けるようになる。

 拙宅の屋内稽古場(別名・台所)は、稽古できるスペースが1畳ちょっとしかないので、この長尺刀ではこれまで、1本目の「向一文字」と5本目の「切上」しか抜くことができなかった。

 2本目の「右行」や3本目の「左行」、あるいは4本目の「後詰」では、体捌きや鞘引きをすると鞘がそこらへんにぶつかってしまい、スムーズに抜けないのである。

 しかし昨晩は、ふと、

「右行や左行、後詰も、ここで抜けるかもな・・・」

 と感じ、スラスラと抜いてみると、それなりに遣うことができた。

2003_柳剛流_居合
▲柳剛流の聖地・角田の新武館にて、柳剛流居合を遣う



 ひとりの剣術遣いとしての個人的な好みを言えば、私は長い刀はあまり好きではない。

 二尺一~二寸の短めで身幅や重ねの厚い刀が、心身ともに一番しっくりとくる。

 しかし、柳剛流居合の主たる眼目はあくまでも「鍛錬」であるため、稽古ではできるだけ長い刀を使うことが望ましい。

 また、柳剛流の偉大な先達たちが佩用し、あるいは稽古で使ったであろう差料を拝見すると、たとえば仙台藩角田伝柳剛流の佐藤彌一郎先師の佩刀は刃長三尺一寸六分・柄一尺一寸超であった。

 あるいは、江戸で活躍した大師範・岡田十内の差料も三尺八分と、双方ともたいへんに長い刀であることは、意味深長である。

 いずれにしても柳剛流の士たるもの、刀が短かろうが長かろうが、流儀の真面目である「断脚之太刀」と「跳斬之妙術」を存分に遣えるよう、平素から鍛錬を怠らないことが大切だ。

1908_柳剛流_佐藤彌一郎先師居合刀
▲刃長三尺一寸六分に及ぶ、佐藤彌一郎先師の佩刀


 小半刻ほど二尺八寸八分を抜き差しした後、我が愛刀・監獄長光二尺二寸一分で改めて柳剛流居合を抜くと、まるで脇差を振るっているようだ(苦笑)。

 この感覚ひとつとっても、柳剛流居合では平素から長尺刀での鍛錬が重要なのだと、改めて実感した次第。

2003_長光
▲私の愛刀・監獄長光。銘「長光」、2尺2寸1分、反り4分 元幅1寸5厘、先幅7分7厘、元重2分6厘、先重1分8厘。身幅広く、重ね厚く、切先は古風かつ豪壮な猪首風。刃文はのたれに丁字風乱れを加え、沸え崩れや飛び焼きが独特の景色を見せる

 (了)

凶行と隠逸/(身辺雑記)

2020年 03月23日 18:50 (月)

 昨日、国や県からの自粛要請を拒否して、さいたま市のさいたまスーパーアリーナで強行された格闘技イベントには、約6,500人の観客が集まり、8時間にわたって観戦をしたとのこと。

 イベントを強行(いや、「凶行」だ)した主催者、そして観客共に、常軌を逸しているとしか思えない。

「感染するか、しないかは自己責任なので、観戦に来た」

 という観客のコメントが報道であったけれど、自分が感染して周囲の人にウイルスをばらまくことで、重症者や死者が出るということを、どうして理解できないのだろうか?

 ちなみにこの日の夜、埼玉県で新型コロナウイルス感染症による、初めての死者が確認されたというのも暗示的だ。

 10日から2週間後、メガクラスターが発生する可能性を考えると、いまから暗澹たる気分となる。

 「コロナをうつしてやるぞ」といってパブに行き本当に店員にうつしてしまい、挙句の果てには急死した愚か者がいたが、このイベントの主催者も、それに参加した観客たちも、本質的にはこの「コロナをうつしてやるぞ」親父とまったく同質の人間といえよう。

 義務教育の限界と知性の敗北を、しみじみと実感する。



 先週の19日、翠月庵の稽古を中止するに当たり、その根拠のひとつとした埼玉県内の感染者数は38名だった。

 しかし、県内の感染者数はその後も増加を続け、本日22日現在で54名(うち死者1名)となっている。

 このペースで感染拡大が続くようなら、当庵もまったく稽古再開の見込みがたたないわけだが、それも今は致し方あるまい。

 ところが先の三連休では、「自粛疲れ」「コロナ疲れ」といって、各地でかなりの人出があったとか。

 疲れている場合ではなく、疫病との戦いは、むしろこれからが本番だというのに、日本人というのはまことにこらえ性のない民族である。

 持久戦が苦手で、負け戦にとことん弱いというのは、源平の合戦からアジア・太平洋戦争の悲惨な結末に至るまで、変わらない日本人の民族性というべきか。

 そしてまた、オリンピックの延期あるいは中止がいよいよ確定的となった今日の午後、東京都知事がはじめて「首都封鎖」の可能性について言及をした。

 いよいよ感染爆発が、目前に迫っているということか・・・。

 今、我々にできることは、不要不急の外出を控え、手洗いを励行し、十分な栄養と休養をとり、よく眠り、(可能な範囲内で)いままで通りに仕事を続けるということ。

 これが感染拡大を遅滞させ、感染爆発を回避し、結果として自分にとって大切な人たちや、地域の人々の命を守ることになる。



 そんな気持ちで先の週末は、自宅にて静かに過ごした。

 一人稽古をする以外は、大好きなラジオを聴きながら吉田裕著『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』 (中公新書)を読み、読書に飽きたら稽古用の手控えに目を通す。

 今回は、柴真揚流柔術の手控えを改めて最初から見直し、必要に応じて補足を加えた。

 表早業居捕17本、同立合投捨15本、棒の型7本、組太刀5本、素抜(小太刀居合)3本、口伝3ヶ条、さらに先日師より伝授していただいた柔術早業の裏と裏々の一手と、この1冊のノートに私が学んだ柴真揚流柔術のすべてが記してある。

2003_柴真揚流_手控え
▲トンボ絵と悪筆はご愛敬・・・


 手控えの補遺に倦んだら、酒を燗につけ、2時間ほど出汁で煮込んだ大根を肴に一杯。

 食材も酒も備蓄は十分なので、改めて買い物に出かける必要もない。

 今は、心静かに隠逸の時を過ごすことで、疫病禍に立ち向かうことだ。

 (了)

稽古自粛のため、柳剛流の一人稽古/(柳剛流)

2020年 03月22日 00:46 (日)

 新型コロナウイルス感染症予防のため、まことに残念ながら翠月庵の定例稽古は中止。

 このため拙宅にて、一人稽古に励む。

 本日は柳剛流の長木刀をせいせいと振るいたいので、屋内ではなく団地の私道で1時間半ほど汗を流した。

・準備運動/四股(50回)
・柳剛流/備之伝、備十五ヶ条フセギ秘伝、素振り、剣術、長刀
・柳生心眼流/素振二八ヶ条
・整理運動/四股(50回)

 仙台藩登米伝柳剛流の大家であった沼倉清八師範は、柳剛流の剣に加え、柔(やわら)として柳生心眼流の免許皆伝でもあったという。

 偉大な先達に自分如きを重ね合わせるのはおこがましいのだけれど、柳剛流の剣を振るい、その後、心眼流の当身拳法を鍛錬していると、

「かつて、沼倉師範もこのように稽古をされたのだろうか・・・」

 などと、想像の翼が広がる。

 なおちなみに、私たちが伝承している仙台藩角田(丸森)伝柳剛流剣術の師範方の多くは、心極流の躰術を兼修されている方が多かったと伝えられている。

2003_柳剛流_佐藤新治先生碑
▲柳剛流剣術と共に、心極流躰術の伝承にも努めたと伝えられる、伊具郡丸森町にある佐藤新治先師の頌徳碑



 ところでニュースによれば、埼玉県知事やコロナ対策担当の国務大臣が開催自粛を要請しているにも関わらず、今日、埼玉スーパーアリーナで1万人規模の観客が集まる格闘技のイベントが行われるのだという。

 今この時期に、この状況の中で、県や国の要請を無視して、密閉空間に1万人以上を集めて格闘技の興行を強行するというのは、疾病予防や公衆衛生という観点からみれば、人々の生命を危険にさらす、

「テロ行為」

 に等しいといって、過言ではないだろう。

 現在、埼玉県内では多くの武道やスポーツ関係者・団体が、新型コロナウイルス感染症の流行を防ぐために、稽古や試合、イベントなどを自主的に控えているなかで、このような大規模な格闘技イベントを、行政の自粛要請を無視して行うというのである。

 しかも、イベント主催者は感染予防のために十分な対策をするとしているのだが、その具体的な内容を確認したところ感染症対策としてはお寒いかぎりで、到底、クラスターの発生を予防できるとは思えない。

 こういう無責任で、金儲けしか考えていないきわめて利己的な行動に対して、埼玉県民として、また地域で伝統武道の振興に携わっている者としても、非常に強い憤りを感じる。

 このように、営利優先で公共の福祉や地域の安全を考えない、

「反社会的な活動」

 を平気で行える無神経さ、公衆衛生に対する鈍感さ、つまり社会性の低さゆえ、「K-1」という格闘技は公共性のあるスポーツにはなりえず、しょせんは「色物の興行」としてしか、社会に認知されないだろう。

 武道関係者はもとより、スポーツとしてまじめに格闘技に取り組んでいる多くの人たちは、こうした「興行系格闘技」の反社会的行為に対し、もっと真剣に怒るべきだと私は思う。

 (了) 

一〇心(いちまるこころ)への道遠し/(身辺雑記)

2020年 03月21日 02:40 (土)

 昨日は東京ステーションホテルのラウンジにて、無鑑査で全日本刀匠会前会長の三上貞直刀匠に、約2時間ほどのインタビュー取材を行った。

 昨年、取材をさせていただいた宮入小左衛門行平刀匠もそうだったが、三上刀匠もたいへん物腰の柔らかいお人柄で、

「道を究めた方というのは、皆、その人柄も円相のごとく、大きな丸になるのだなあ」

 と、しみじみ感じ入った次第。

 それに比べると私など、柳剛流の「一〇心(いちまるこころ)」を語っていながら、内実はいまだに豆州の野良犬のままだなあと、反省することしきりである・・・。



 帰宅後、夜は団地の自治会の集まり。

 今日のご奉公で、ようやく1年間の班長務めはお役御免。

 8年前もそうだったが、独り者の自営業者には、こうした町内会活動は、はっきり言って過重負担だ。

 やれやれである。



 晩酌後、SNSをつらつらと読んでいたところ、私自身には直接関係のないことなのだが、心ならずも不快な書き込みを見つけてしまい、なんとも気分が悪い。

 『なぜ世界は存在しないのか』 (清水一浩訳/講談社選書メチエ/2018年)の著者で、気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエルは、たしか、

「SNSは人を不幸にする」

 と言ってたが、まったくその通りかもしらん。

 せっかく昼間の清々しい取材で洗われた心が、ネットのじっとりとした卑屈な悪意に触れてしまい、べっとりと汚れてしまったようだ。

 ま、私に言わせりゃあ、どっちもどっちなんだがね・・・。



 穢れた気分を祓おうと、深夜、木太刀を執って柳剛流の稽古。

 備之伝、備十五ヶ条フセギ秘伝、そして「右剣」から「相合刀」まで剣術形8本の仕太刀と打太刀を独習。

 屋内なので、刃長二尺二寸の木太刀を遣う。

 明日、翠月庵の定例稽古はコロナ禍で休みなので、団地の庭で、四尺四寸の長木刀をじっくりと振るうか。

 とりあえずひと風呂浴びて、柳剛流の伝書を読んでから寝よう。

1909_柳剛流_佐藤金三郎先師免許

 (了)

柴真揚流の諸術をおさらい/(古流柔術)

2020年 03月20日 01:24 (金)

 今晩は柴真揚流の稽古。

 柔術以外の諸術をひと通りおさらい。

 まずは「素抜」と呼ばれる小太刀居合を抜く。

 この業は座している我に向かい、歩み寄ってくる相手に対処することを想定したものだ。

 小太刀での居合ゆえ、抜き差しそのものは容易であり、形も全部で3本あるのみのシンプルなものだが、業の想定や遣い方が独特で、たいへんに興味深い。

 次いで剣術。

 「陽炎」から「取先」まで、5本の組太刀を遣う。

 柴真揚流らしい接触技法を用いる「無想」や、先々の先を取って勝つ「取先」など、簡素ながら特徴的な形=業が多い。

 最後は棒の型を、「抄当」から「捨身当」まで7本。

 ここで稽古をしめようと思ったのだが、やはり柴真揚流の稽古だけに流儀の本体である柔(やわら)の形もやっておかねばならない。

 そこで、表早業の立合投捨を「馬手捕」から「三人捕」まで15本、「気合の大事」に留意しながら復習。

 さらに表早業居捕の1本目「左巴」について、表、裏、そして裏々それぞれの形を打つ。

 最後は、当身台に蹴足と拳と肘当てを打ち込んで、今晩の稽古を終えた。

1903_柴真揚流_棒
▲柴真揚流 棒の型「抄当」



 さて、夜が明けたら世間様は三連休だそうだが、私は都内で午前中から日本刀関連の取材。

 今回のテーマは短刀ということなので、ちょっと予習してから眠るとしよう。

 (了)

今週の定例稽古について/(身辺雑記)

2020年 03月19日 16:32 (木)

各位

■21日(土)の稽古は中止します

 本日夜、新型コロナウイルス感染症(コビット19)対策に関する、国の専門家会議の見解が発表されるとのことですが、今朝、その内容の速報が報道されました。

新型ウイルス 専門家会議 今夜公表の見解 概要判明
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200319/k10012338981000.html?utm_int=word_contents_list-items_071&word_result=%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9


 これを読むと、大規模なイベントでなく、感染リスクの3条件に合致していなければ、地域の状況に合わせて集会等は自粛しなくてもよいようです。

 一方で、埼玉県内では現在38名の感染が確認されており、3月17日にも1日5名の感染が確認されるなど、感染者数はいまだに増加傾向にあるようです。

新型コロナウイルス感染症の県内の発生状況(埼玉県庁)
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0701/covid19/jokyo.html


 以上の点を勘案して、今週末21日(土)の稽古は中止とします。

 「21日の稽古はできるかな?」と考えていたのですが、埼玉県では現時点でも感染者が増加していることから、今週も中止と判断しました。


■今後の稽古について

 なお来週、28日(土)の稽古については、1週間後の26日(木)頃の段階で情勢を判断し、改めて皆さんに連絡します。

 毎週ごとの断続的な開催可否の判断で、皆さんにはご迷惑をおかけします。

 なにより、絶好の稽古シーズンの中、やむを得ず稽古を中止することは断腸の思いですが、自分自身と身近な人たちの安全と健康を守るのも、武術を嗜む者の務めです。

 各自、自主稽古に励みながら、稽古再開に備えてください。


■自宅での自主稽古について

 自宅での自主稽古は、各々すでに工夫して行っていることと思います。

 その上で自主稽古では特に、柳剛流居合をみっちりと鍛錬することが重要です。

 この機会に、跳び違いの基盤となる足腰を、柳剛流居合で徹底的に鍛えてください。

 加えて鏡などを活用し、「備之伝」をしっかりと身につけることも大切です。

 切紙以上の者はさらに、「備十五ヶ条フセギ秘伝」を鍛錬しましょう。


 まだ柳剛流居合を習っていない人は、警視流立居合を十分に復習してください。

 特に1本目の「前腰」を、徹底的に繰り返すことです。

 柳生心眼流は素振28ヶ条を、柴真揚流は相対形の動作を一人で繰り返すなど、各自工夫をして一人稽古に励むことも、欠かすことのできない武術修行です。

 手裏剣術を行っている人で、自宅で手裏剣が打てる環境がある人は、いつも通り打剣に励んでください。

 その他、一人稽古のやり方など疑問や質問、不明点などがあれば、メール等で連絡をもらえれば、その都度回答します。

2003_稽古場
▲稽古場の片隅では、春を告げる可憐なオオイヌノフグリが咲いています


 各自、できるだけこまめに手洗いを励行し、よく食べ、しっかりと眠り、(酒はほどほどにして)、疫病禍を乗り越えましょう!

 武術伝習所 翠月庵
 春燕軒 謹識

 (了)

コビット19のある日常、柳剛流突杖と柴真揚流棒の型/(身辺雑記)

2020年 03月18日 03:27 (水)

 コビット19の影響で、お役所関係の雑誌の仕事が1件、流れてしまった。

 加えて、これは疫病の影響か定かではないが、国内旅行関連の仕事も1件、お流れに。

 不景気な話である。

 それでも昨日、ちょっと仕事としては手ごわい、海外の医療関係者のインタビュー原稿(6,000文字)を仕上げたので、気分は少し軽い。

 今月は月末までに、高齢者の解剖生理学に関連するコラムをあと4本、子ども向けの医薬品に関する読みもの記事を8本書き上げつつ、日本刀関係の取材が1件ある。

 なにはともあれ、仕事があるのはありがたいものだ。

 何しろフリーランスは、1日約4,000円しか休業補償がもらえないらしいからねえ。



 昨日は早めに仕事を終え、県立武道館へ行って来年度の空手道教室の申し込み手続きを済ます。

 ここは県主催の教室なので、稽古は平均して週に1回・1年間の教室で、参加費とスポーツ障害保険代を合わせて年額合計約1万1,000円というのは、武道の費用としてはかなり安い。

 とはいえ、それでも年々、参加費は値上がりしている。

 たしか、私がここの稽古に参加し始めた10年前の年間費用は、現在の3分の2以下だったはずだ。

 このため、値上げが理由で辞めていった人も、実際に何人か知っている。

 経済的な格差、生活の苦しさが、武道の門戸を閉ざしていることは、本当に残念なことだ・・・。



 その後、ドラッグストアやスーパーマーケットで、食材やらなにやらを購入。

 相変わらず、マスクと消毒用のアルコールは、1つも売っていない。

 ま、当面の必要分はあるからいいけれど、子どもや年寄りのいる家庭は大変だろうなあと思う。

 火曜は生協の「98円均一セール」なので、冷凍の魚の切り身をまとめ買い。

 肉もある程度まとめて買いし、1食分ずつに切り分けて冷凍しておく。

 米や乾麺類などの主食、缶詰や乾物(高野豆腐や塩昆布)の主菜・副菜など、基本的な食料品はおよそ1か月分の備蓄があるのだが、生鮮食品はなかなかストックしにくいので、こまめに買い足しておかなければならない。

 油や食塩、本つゆ、洗剤、手洗い用の石鹸、サランラップやゴミ袋なども、ローリングストックとして買いたしておく。

 コビット19の流行が今後、半年から1年くらいは続きそうな中で、この前のトイレットペーパー騒動のように、デマなどのちょっとしたきっかけで、日用品や食料など特定の品物があっという間に入手困難になる可能性も低くないだけに、「備えよ、常に(Be Prepared)」ということだ。

 ベーデン=パウエル卿は、いいこと言ったね。



 夜は柳剛流の稽古。

 今晩は突杖のおさらい。

 「ハジキ」「ハズシ」「右留」「左留」「抜留」の形を丁寧に、小半刻ほど遣う。

1805_柳剛流突杖
▲柳剛流突杖 「ハジキ」


 ちなみに、柴真揚流柔術の表早業立合投捨の中にも、「杖捌」という杖の形がひとつあるのだが、これが柳剛流突杖の技にたいへんよく似ているのは興味深い。

 また柴真揚流には、柔術に加えて棒の型が7本あるのだが、こちらも柳剛流の突杖に似て、たいへんシンプルで素朴な趣の「形」=「業」である。

 さらに両流ともに、打つよりも突く技が中心になっている点もよく似ている。 

 もっとも、柳剛流突杖が「三尺棒」と呼ばれる乳切サイズの杖を使うのに比べ、柴真揚流の棒の型は六尺弱の棒で激しく打ち合うので、迫力は圧倒的に柴真揚流の方が上だ。

 そんなことをつらつら考えていたら興が乗ってきたので、さらに小半刻ほどかけて柴真揚流の棒の型をおさらい。

 「抄当」から「捨身当」まで全7本を、手控えを確認しつつ復習した。

1901_柴真揚流棒の型
▲柴真揚流棒の型 「返し当」


 私の武芸修行は、若い頃から柔(やわら)と剣術がメインだったのだけれど、杖や棒もなかなかに味わい深いものだなあと、最近になって思うようになった。

 杖や棒は「神武不殺」という思想において柔との相性も良いのだろうし、その意味で柔と同様に杖や棒には、現代社会における護身術的な意義も残されているだろう。

 柳剛流突杖と柴真揚流棒の型のいずれも、丁寧に稽古を積み重ねて自分自身の業を錬りつつ、門人への指導・伝承にも心がけていきたいと思う。

 (了)

疫病下の日々/(身辺雑記)

2020年 03月14日 01:02 (土)

 すでに門人諸氏には個別に連絡し、本ブログでも書きましたが、


3月14日(土曜)、翠月庵の定例稽古は、新型コロナウイルス予防の観点から休みとします!



 さて、柳生心眼流兵術、柳剛流兵法、柴真揚流柔術と続いた「ある日の一人稽古」シリーズ。

 残りは手裏剣術編と、その他のもの編を書こうと思っているのだが、ちょっと休憩。

 今日は一日机にかじりつきながら、なかなかはかどらない、ベトナムにおけるリハビリテーション医療に関するインタビューのテープ起こしに四苦八苦していた。

 それにしても、最近どうも仕事に対する集中力が上がらない。

 しかしまあ、コロナ禍と政府の愚策による大恐慌を目の前に、仕事があるだけマシということかね。



 今朝読んだ東京新聞の記事では、日本感染症学会の理事長が、

「ウイルスとの戦いは、年をまたいで続くと思わなければならない。恐らくそうなる」

 と指摘する一方で、

「何でも自粛というのはよくない」

 とも述べていた。

 また国の専門家会議では、感染拡大のリスクが高い条件として、

1.密閉空間で換気が悪い
2.多くの人が手の届く距離にいる
3.近距離での会話や発声がある

 の三点を挙げ、この3つの条件が重ならないようにと注意喚起をしている。

 これについて、翠月庵での定例稽古の環境をみると、当てはまるのは3.の「近距離での会話や発声がある」のみだ。

 このように、有識者の発言や国の示唆を勘案すると、現時点と同様の感染状況であれば、来週末21日(土曜)からは、通常通り定例稽古を行ってもよいかなとも考えている。

 もちろんその場合も、

・熱のある人や体調不良の人には、稽古参加を控えてもらう
・稽古場への行き帰りや稽古中の接触など、感染リスクに不安を感じる人には無理に参加を促すことなく、遠慮なく休んでもらう
・稽古前後の手指/武具等の消毒

 など、感染防止への十分な配慮が必要だろう。

 来週以降の稽古については、この週末の感染拡大の様子も考慮し、早めに判断し告知するつもりだ。



 それにしてもコロナ禍によって、世界的なレベルでの株価の下落や経済の悪化、社会不安が高まっている。

 地元では先日、さいたま市が市内の幼稚園や保育園にマスクを配布したのだが、地域にある朝鮮学校附属の幼稚園をあえてその対象から除外し、子どもたちにマスクを配布しなかったのだという。

 地域で暮らす子どもたちに、健やかに育ってほしいという願いには、日本人と北朝鮮人の区別などあろうはずもないし、一条校だのそうでないだのといった理屈で、特定の子どもたちをパージするというのは、なんとも心根がさもしい。

 まさに直球の、人種差別である。

 その後、当該幼稚園の関係者や保護者による抗議が行われ、この事案がマスコミによって広く報道されたこともあってか、さいたま市長が釈明のコメントを出し、方針を一転、それらの幼稚園にもマスクが配布されることになったとのこと。

 まったく、ちびっ子たちの健康くらい、国籍に関係なく大人たちみんなで守ってやれよと、しみじみ思う。



 疫病や災害など天変地異が起きると、必ずそこに差別や迫害が起こるというのは、今も昔も変わらない人間の愚かさというべきか。

 しかし、そういう時だからこそ、少なくとも我々柳剛流の剣を志す一門は、流儀の先師・先人方の教えの通り「惻隠の心」を忘れず、社会的に弱い人たちに対しては「武士の情け」をもって接したい。

 武人の徳目としての「仁」とは、そういうものではないだろうか。

 翠月庵の門人諸氏は、そういう人たちであってほしいし、私自身、そういう人間でありたいと思う。



 さて、もう日付が変わった。

 とっとと稽古して、寝よう。


「僕は人間が偉大な行為をなしうることを知っています。しかし、もしその人間が偉大な感情をいだきえないなら、それは僕には興味のない人間です」(カミュ『ペスト』)

 (了)

ある日の一人稽古~柴真揚流柔術/(古流柔術)

2020年 03月13日 02:25 (金)

 今晩は柴真揚流の稽古。

 本日は、ちょっと遅い時間までバタバタしていたので、有酸素運動と筋トレは省略。

 代わりに、ウォ―ミングアップ&クールダウンに四股を踏む。

1.準備運動/四股50回(約2分)
2.柴真揚流柔術(30分)
・表早業居捕/左巴、右巴、左車、右車、両手捕、片胸捕、両胸捕、柄捌、巌石、横車、飛違、両羽捕、石火、袖車、御使者捕、真之位、二人捕、以上17本
・打ち込み稽古/表早業立合投捨の馬手捕、弓手捕、巌石落の各形の動きで、当身台に拳足や頭突き等を打ちこむ。
3.整理運動/四股50回(約2分)

 以上、合計35分。 

2001_柴真揚流_左巴(裏)


 柴真揚流はもとより日本の古流柔術の多くは、捕と受の2名で行う形稽古(相対稽古)が修行の根本となる。

 このため、柳生心眼流兵術のような特殊な例を除いて、多くの場合、一人稽古がしにくいのが柔術のマイナス面だ。

 しかしこれは、組太刀を稽古の根本とする古流剣術も同様であり、相対稽古を補完するための日常における一人稽古をどのように行うのかについては、修行者の工夫や見識が問われるところでもある。

 私の場合、柴真揚流の一人稽古では、当然ながら居捕でも立合でも受けを取ってくれる相手がいないので、相対形での捕(あるいは受)の動きを単独で、丁寧に繰り返す。

 それにしても、柔(やわら)の相対形の動きを一人で繰り返すというのは、なんとも手ごたえの感じづらいものだ。

 しかし柴真揚流の場合、当身で「当て倒す」という形=業が多く、ある種、空手道の約束組手に近い感覚なので、比較的一人稽古がしやすいともいえる。

 また、「袖車」や「真之位」といった締め技系の形、あるいは捨身投げの形などについても、その動きを自分一人で繰り返すのは、けして無駄な稽古ではない。

 手控えを確認しながら、何度も何度も繰り返し、一人稽古で形の動作を体にしみ込ませることは、必ず相対稽古あるいは乱取り等でも活きてくる。

 いわば、シャドーボクシングのようなものだ。

 さらに、これに加えて私は補助的鍛錬として、当身台への打ち込み稽古も適宜行っている。

 形の動きに準じながら、畳とマットを組み合わせた当身台に、拳足や頭突き、あるいは肘当てなどを打ち込むのである。

200312_柴真揚流_当身1


 なお、打ち込み稽古で注意すべき点は、拳足などを固めることが目的ではないということだ。

 あくまでも、物体に拳足等を打ち込む当て心地(感触)を感得することが目的である。

 さらにこれは私見ながら、こうした当身の打ち込み稽古は、特に拳での当身に関して、柴真揚流特有の腰のキレと体幹の力積を活かした当て方=威力の養成につながると考えている。

 同様に柴真揚流で多用する蹴足の当身についても、形稽古ではどうしても全力で蹴り込むことができないので、当身台でしっかりと、「身の内1~2寸」に蹴り込む鍛錬をしておかなければならない。

200312_柴真揚流_当身2


 繰り返しになるが、柔(やわら)の稽古はあくまでも相対での形稽古が主体である。

 それだけに、一人稽古はなかなかやりにくいものであるが、工夫を凝らして取り組んでいくことが重要だ。

 (了)

ある日の一人稽古~柳剛流兵法/(柳剛流)

2020年 03月12日 02:02 (木)

 さて、今晩は柳剛流の稽古。


1.有酸素運動/エアロバイクを最大負荷で(30分)
2.ストレッチ各種
3.筋トレ(下記のメニューを15分以内で)
・プレスアップ(横)×20、クランチ×20、ランジ×20、レッグレイズ×20、小太刀片手素振り×60、ベントニーシットアップ×20、カーフレイズ×100、サイハンドスライド×20、プレスアップ(縦)×20、レッグレイズ×20、リアシザーズ×50、ツイストクランチ×20
4.柳剛流兵法(40分)
・備之伝/上段、中段、下段、向青眼、平青眼、斜青眼、中道、右陰、左陰、下陰、八艸、頓保、丸橋、右車、左車
・備十五ヶ条フセギ秘伝
・剣術(右剣、左剣、飛龍剣、青眼右足刀、青眼左足刀、無心剣、中合刀、相合刀)
・居合(向一文字、右行、左行、後詰、切上)
5.刀の手入れ(10分)

 以上、合計95分。 
  1908_柳剛流_新武館にて


 柳剛流において、一人稽古の根幹となるのは居合である。

 このため柳剛流居合の形は、実践のためのスキルというよりも、柳剛流の術技が自由自在に遣える、「身体を作る」ための鍛錬という意味合いが色濃い。

 こうした点を念頭に、切紙を目指す初学者は、まずは丁寧に形の動作を覚えることを心がけてほしい。

 一方で、切紙以上の修行人は、柳剛流の真面目たる「跳斬之術」を習得するための鍛錬として、徹底的に居合を抜き、跳び違いでの斬撃を繰り返し、強い下半身を作ることが重要だ。

 その際、補助的な鍛錬として、新聞紙を一枚広げ、その上で飛び違いながら、新聞紙を破らずに居合を抜くという鍛錬法がある。

 切紙以上の者はこの鍛錬法を、積極的に一人稽古に取り入れると良いだろう。

2003_柳剛流_居合


 なお居合の稽古に関して、翠月庵では行田稽古場での稽古の場合、特に初学者には居合稽古用の模造刀使用を推奨している。

 これは、行田稽古場は野天稽古場のため、真剣を使う場合に風雨や雪などの心配があること(刀が錆びる、柄が傷む・・・)、また指導上、時として初学者に対しては、刀身に触れて指導をする場合があるためである。

 一方で、初学者でも真剣を所持している人は、自宅での居合の稽古では、模造刀よりも真剣の使用が望ましい。

 当然ながら、切紙以上の者で真剣を所持しているなら、自宅での居合稽古では、真剣の使用が大前提だ。

 これは言うまでもないことだが、いくら居合の稽古用といっても模造刀は所詮は模造品。

 真剣と模造刀とでは、形而上下あらゆる意味で、武具としての「重み」(単なる重量のことではない)が違うのである。

 ゆえに剣術者たるもの、己の心丹を錬るためにも、居合の一人稽古ではできるだけ真剣を用いるべきだ。

 我々は常に、「触れれば切れる」「振るえば相手を打ち殺す」、極めて殺傷力の高い武具を扱う「業」=「術」を鍛錬しているということを、忘れてはならない。

 また、刀匠が心魂を込めて打った日本刀は「惟神の霊器」ゆえ、稽古後の刀の手入れも大切な「心の稽古」だ。

 きちんと端座・面壁し、丁寧に愛刀を手入れすることは、武人の嗜みと心得るべきである。

 (了)

ある日の一人稽古~柳生心眼流兵術/(古流柔術)

2020年 03月11日 00:46 (水)

 新型コロナウイルス流行の影響で、しばらくの間は、今まで以上に一人稽古の機会が増えると考えられる。

 そこで私自身の日常における一人稽古の具体的な内容を、改めて各流儀の例ごとにここに記しておくことも、門人諸氏にとって何かの参考になるかもしれないと思った次第。

 というわけで今晩は、柳生心眼流の稽古。


1.有酸素運動/エアロバイクを最大負荷で(30分)
2.ストレッチ各種
3.筋トレ(下記のメニューを15分以内で)
・プレスアップ(横)×20、クランチ×20、ランジ×20、レッグレイズ×20、小太刀片手素振り×60、ベントニーシットアップ×20、カーフレイズ×100、サイハンドスライド×20、プレスアップ(縦)×20、レッグレイズ×20、リアシザーズ×50、ツイストクランチ×20
4.柳生心眼流兵術(40分)
・基本鍛錬/天の振り、地の振り、周転(卍)の振り、降周転の振り、半周転の振り、地開の振り、地開変転の振り、天開の振り、誘引の振り、上袈裟の振り、巻周転の振り、下袈裟の振り、横周転の振り
・素振二十八ヶ条/「表」、「中極」、「落」、「切」
・補助鍛錬/当身台への打ち込み稽古、佐藤伝の拳形での素振(「表」、「中極」、「落」の片衣で)

 以上、合計85分。

1902_柳生心眼流_3


 柳生心眼流兵術には、なんといっても日本の古流柔術としては特異的な、単独形による鍛錬法である「素振二十八ヶ条」があるので、これほど一人稽古のしやすい柔(やわら)はない。

 正しい素振を徹底的に練磨し、「素振り三年刃のごとし」という、当身拳法の境地を目指したい。

 ただし柳生心眼流の稽古においても、他の古流柔術と同様に受と捕の二名で行う相対稽古は、欠かすことのできない重要な鍛錬であることは言うまでもない。

 武術が対人攻防の「業」=「術」である以上、人間を相手にした相対稽古は必須である。

 一人稽古だけでは武術は大成しないということを、忘れてはならない。

 (了)

コロナの世界の片隅に/(身辺雑記)

2020年 03月10日 11:28 (火)

 新型コロナウイルス感染症の予防のため、今週末14日(土曜)の翠月庵の定例稽古は中止とした。



 当庵は、密閉空間とは対照的な吹きっさらしの野天稽古場であり、門人諸諸氏に対してはすでに1か月以上前から、本人および家族等が体調不良の人は稽古に参加しないように繰り返し周知していた。

 このため現時点では、稽古を実施しても感染リスクはそれほど高くはないと思う。

 しかし、この病気は不顕性感染が少なくないということ。

 また、この時期の集会等の自粛は、感染者数のピークの山をできるだけ平坦にするために効果的だという、社会的な意義があること。

 さらに、都内や千葉県などの首都圏から埼玉県中北部にある当庵へ電車で通う人については、車内での感染リスクが避けられないと判断し、今週末の稽古中止を決めた次第。

 来週以降の稽古についても、今週中の流行の動静を見て、実施の可否を判断しようと思う。



 現代社会において、古武道=伝統武道を稽古・鍛錬する目的を、その重要度の高さから順に列挙すると、

1.伝統文化としての、武芸の「業」=「形」=「術」と、有職故実の保存・継承
2.稽古を通じた人格の陶冶
3.鍛錬による心身の健康増進
4.広義における護身

 以上の4点に整理、大別できる。

 その上で、上記3.の「鍛錬における心身の健康増進」と、4.の「広義における護身」(疾病やケガから自分と周りの人の身を守ることも、大切な護身である)を考えると、今、感染症蔓延の状況下で稽古を強行し、自分と門人を、健康被害のリスクにさらしてはならないのは言うまでもない。

 このための、定例稽古中止である。

 一方で私個人としては、一日でも多く指導・稽古をしたいという気持ちが強い。

 現在の翠月庵は、特に柳剛流に関しては初学の門人が多いことから、彼らに対してはできるだけ頻回に指導・稽古をしなければならない時期である。

 しかし、そのために人類にとって未知の感染症に罹り、健康被害が出てしまっては元も子もない。

 はやる気を抑えて、「じっと耐え忍ぶ」のもまた、武芸の鍛錬。

 そのぶん自分自身は、師範として己の業前を少しでも上げられるよう、一本でも多く柳剛流居合を抜き、柳生心眼流の素振を振り、柴真揚流の当身を鍛えよう。

 悪疫の流行は恨めしいが、ここはひとつ「臥薪嘗胆」だ。



 自宅での稽古の後は、ぬるめのお湯にゆっくりと入浴し、身体を芯から温める。

 そして湯上りには、大好きな竹本越路大夫の義太夫を聞きながら、この世界で最も旨いシングルモルト・ウイスキーであるアードベッグを、トワイスアップで一杯。

 いや、二杯、三杯・・・。

 グラス片手に、柳宗悦の『南無阿弥陀仏』でも読みながら、気息を整え心気を養い、布団をかぶって早めにとっとと寝ちまおう(笑)。

 南無八幡大菩薩。

1909_柳剛流_一〇心

 (了)

柳生心眼流の拳形と、空手道の背刀打ち/(古流柔術)

2020年 03月06日 12:29 (金)

 新型コロナウイルス感染症の流行は、激しさを増すばかり。

 世情は日に日に不安感が高まっているが、それでも日々の稽古を欠かすことはできない。

 一昨夜と昨夜は、思うところあって柳生心眼流の稽古。

 「表」から「切」までの素振二十八ヶ条を丁寧に振る。

 普段は、

2003_柳生心眼流_拳1
▲普段の素振の際の拳



 このような拳形で素振を行っているのだが、昨年末の本部稽古にて、師より教えていただいた「鈴木専作・佐藤金兵衛伝」の拳形でも、素振をしてみる。

2003_柳生心眼流_拳2
▲「鈴木専作・佐藤金兵衛伝」の拳形


 佐藤伝の拳形での素振は、昨年末から折に触れて自分の稽古に取り入れているのだが、最近になってようやく、違和感なくその拳形で、自然に素振ができるようになってきた。

 当身台への打ち込みについても、通常の拳形と併せて佐藤伝の拳形での打ち込みも積極的に行っている。

 個人的には、特に「落」での下段打ちは、この佐藤伝での拳形の方がより人体に打ち込みやすく効きが良いように感じる。

 また、この佐藤伝の拳の使い方について、師よりとある「口伝」を伝授していただいたので、その打ち方を当身台への打ち込み稽古で繰り返しているのだが、これがたいへんに使いやすい。



 ところで、かつて私が30代の頃(遠い昔、平成時代・・・)、競技空手の試合に出ていた時に、組手試合での得意技のひとつが「背刀打ち」であった。

 当時、伝統派空手の試合組手で、背刀打ちを使う人はほとんどいなかったのだが(今もほとんどいないと思う)、1990年代に全日本選手権で優勝した国分利人師範が、この背刀打ちという変わった技を、試合組手で効果的に使っているのを見て、私は衝撃を受けた。

 このため、実際に自分が空手を稽古するようになった際、

「試合での背刀打ちを、自分の得意技にしよう!」

 と、結構一生懸命に稽古をしたのである。

 当時、私の空手の師はG流のT先生で、そのご令息であるK先生は、全空連のナショナルチームに選抜された組手の選手であり、全日本選手権で決勝の舞台にまで進まれた、日本の空手界を代表する超一流の空手家であった。

 このK先生が、私が組手の稽古や試合で背刀打ちを盛んに使っているのを気にかけてくださり、何度か直接、試合での背刀打ちの使い方を指導してくださったのは、G流の門を離れ空手の試合からも遠ざかった今も、忘れられない大切な記憶である。

 こうして組手での背刀打ちは、私の得意技となった。

 その結果、流派主催の全国大会における組手試合で、私よりも格上であったオランダ支部長の外国人空手家を、この背刀打ちで撃破するという大番狂わせができたことは、今も記憶に鮮明だ。

2003_空手_組手
▲組手でのもう1つの得意技は、左の上段回し“ナイマン”蹴り。そういえばハンス・ナイマンも、鬼籍に入って久しいねえ・・・



 で、なぜに競技空手現役時代の自慢話(苦笑)・・・、ではなく思い出話をつらつらと書いたのかというとだ。

 師より伝授していただいた、柳生心眼流佐藤伝の拳形に関する「とある口伝」が、空手道における背刀打ちの古い使い方によく似ていたからである。

 その具体的な内容は流儀の口伝ゆえ、ここでは明らかにできないが、

「なるほど、よく効く技、実践的な術というのは、自ずから共通するのだなあ・・・」

 と、得心した次第。



 ここしばらく、翠月庵における柔(やわら)の稽古は柴真揚流が中心となっているのだが、私個人としては柳生心眼流についても、その業が体に染みつき「術」となるよう、さらに鍛錬を重ねていかなければと自戒している。

 (了)

令和金色夜叉/(柳剛流)

2020年 03月04日 01:32 (水)

 23時過ぎに、ようやっとインバウンドの原稿を書き終わる。

 そして、いそいそと稽古着に着替え、日付をまたぎながら柳剛流の稽古。

 居合を抜き、剣術のおさらいを終えて、

「さて今晩はこれくらいにして、風呂に入る前に洗い物でもしちまおうかな」

 と思っていると、スマホにメールが。

 先日から入札していた、ヤフオクに出品されている柳剛流の切紙について、これまでは私が最高額入札者だったのだが、高値を更新されたとの知らせである。

 「チッ!」

 っと、おっとり刀でさらに1万円まで入札したが、それでも入札額を超えられず。

 今月は20年間使っていた刀ケースが壊れてしまい、修理に出すために別のを新調したこともあって、これ以上の投資はできない。

 ということで、落札を断念した。

 そこで、せめてアップされている画像だけでも史料にと、スクリーンショットでコピーをしておいた次第。

 ああ、この柳剛流の伝書もまた、どこかの好事家のタンスの奥深くにしまわれ、永遠に日の目を見ることはないのか・・・。

 ま、いい。

 私には、流祖・岡田惣右衛門伝来の剣術、居合、突杖、長刀、そして各種口伝という、仙台藩角田伝柳剛流免許皆伝の実技全伝が、あるじゃあないか!

 南無八幡大菩薩。

1911_柳剛流_切紙
▲昨年のフィールドワークで拝見した、仙台藩角田伝柳剛流5代師範・佐藤金三郎先師が、4代師範・泉冨次先師より受領した「柳剛流剣術切紙」

 (了)

柳剛流平法の徒として、悪疫下の世を想う/(柳剛流)

2020年 03月03日 11:55 (火)

 悪疫と政府の愚策のため、日用品や食品の買占めが目につくようになっている今日この頃。

 買い物先のスーパーマーケットやドラッグストアの売り場では、冗談抜きでちょっと殺伐とした雰囲気すら漂っている。

 災害や疫病の際、こうした人心の荒廃が怖ろしい。

 ネットを覗くと、自称ジャーナリストで元ニュースキャスターの女性や、ナチズムを肯定する資産家の美容外科医などが、さかんに「武漢肺炎」という言葉を連呼し、人種差別と外国人嫌悪を煽っている。

 差別や迫害につながることから、WHOでは新興感染症について、特定の地名を付けた名称で呼称しないように促しているのだが、これらネトウヨのオジイチャン・オバアチャンたちは、おそらく意図的なのであろう、くどいほどに「武漢」という言葉を繰り返している姿が、なんとも醜悪だ。

 ツイッターでも、こうした特定の地名を意図的に結び付けた、差別的な病名をしつこく繰り返しているネトウヨ系アカウントが目に余り、日本人の心の醜さを目の当たりにさせられるようで、心底ゲンナリとする。

 かつて関東大震災の際にデマを煽り、あるいはそれに踊らされて、罪のない外国人たちを虐殺したのは、きっとこういう人々なのだろう。

 彼ら彼女らが、どんなにおちょぼ口で「美しい国でござい」、「誇り高き民族であります」などと叫んでも、日本人の品格は、近代日本の新思想における理想的な高みを表した2つの名著『武士道』と『茶の本』の上梓をピークとして、以後、現在までの100年間は劣化する一方なのだなあと、しみじみ絶望する。

 本当にこの国を思い、この国の伝統を愛し、世界の中で誇れる日本あるいは日本人でありたいと望むのであれば、他者を侮り、いたずらに見下し、作らぬでよい敵をあえて作るような行為は愚の骨頂であることに、なぜに彼ら彼女らは気づかないのだろう。

 また、こうしたネトウヨと言われる人々は、「売国奴」とか「非国民」などという、なんとも薄汚れた過去の亡霊のようなコトバをよく使う。

 しかし、いたずらに憎しみをあおり、無害な他者を排撃し、諍いの種をまき散らす、「自称・保守」の彼ら彼女らこそ「売国奴」であり「非国民」ではないだろうか?

 彼ら彼女らは、

「よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」

 という明治天皇の御製を、もう一度赤心から読み直すべきであろう。


 
 柳剛流兵法は、「柳剛流平法」とも称す。

 そして流儀の先達は、

「武道を学ぶ人は心の和平なるを要とす」

 と諭し、

「当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すをもって要と為す」

 と教えた。

 幸いなことに当庵の門人には、特定の国や民族を憎み攻撃するような差別・排外主義者は一人もいないが、万が一にもそのような心根の醜い者がいたとすれば、すみやかに当流の門から立ち去るべきだ。

 柳剛流はその本義として、

 「武術之儀は護国之」

 という思想を掲げている。

 つまり武人の育成=人格の陶冶こそが、その剣の根本命題なのだ。

 ゆえに、流儀の稽古を重ねて業前が上がるほどに、弱い人や恵まれない人にも心を寄せる「仁」の精神が、欠かすことのできない徳目として求められる。

 なぜなら、「仁」あっての武勇であり武徳だからだ。

 逆に言えば、他者を思う「仁」の心が薄く、弱い人にも心を寄せる「惻隠の心」を解さない没義道漢には、柳剛流の剣を学ばせてはならない。

 柳剛流の先達は、

「人之行ひ正敷して其上に武有はよし、行い正しあらさる時武有は人をも害あるのみならず、己をも害する事出来者也」

 と喝破した。


 こんな時代だからこそ、流祖・岡田惣右衛門以来の「断脚之太刀」を学ぶ我々は、先師・先人たちの教えを改めてかみしめる必要があるだろう。

2002_柳剛流_殺活免許


「まけてのく 人を弱しと思うなよ 智恵の力の強き人なり」
(中山柳剛流・中山多七郎の修行帳より)


 (了)

8人目/(武術・武道)

2020年 03月01日 12:00 (日)

 新型肺炎の蔓延が猖獗を極めるものの、稽古は続く。

 昨日は翠月庵の定例稽古。

 今回から新たにO氏が入門。柳剛流の稽古を始める。

 これで、私を含めて8人目の柳剛流剣士の誕生である。

 とはいえ、あまり気負うことなく、腰を据えてじっくりと稽古を積み重ねて、まずは切紙を目指して精進してほしいと思う。

 入門第一日目ということで、まずは基本の礼法から立ち方、素振り、打ち込み稽古。

 さらに、O氏は剣道二段ということなので、備之伝から柳剛流剣術「右剣」の形までを指導した。

180512_柳剛流



 17時で定例稽古は終了だが、Y師範代と私はいつも通りさらに居残り。

 約1時間、柴真揚流の稽古を行う。

 今日は、柔術早業の居捕と立合投捨から、いくつかを抜粋して集中的に取った。

 居捕は「左巴」、「右巴」、「飛違」、「袖車」、「真之位」、「御使者捕」を、立合投捨は「馬手捕」、「弓手捕」、「岩石落」、「後捕」、「後帯捕」を、受と捕を交代しながら繰り返し取る。

 特に柴真揚流ならではの、「当て倒す」という独特の当身の入れ方に留意しつつ指導を心がけた。

 今年は徹底的に、柴真揚流の形を磨いていこうと思う。



 帰路、地元のドラッグストアやスーパーマーケットに立ち寄るが、マスクも消毒用アルコールも、トイレットペーパーもすべて品切れ。

 それどころか、米や保存のきくインスタントラーメンなどにも、1人1点の販売制限がかかっていた。

 まるで震災直後のようだ。

 マスクや消毒用アルコ―ルはまだしも、十分な生産量が有るトイレットペーパーを、デマに踊らされて買い占めるのはいかがなものか。

 家にトイレットペーパーが2ロールしかなかったので、ちょうど買おうかと思っていることころにだったわけだが、本当に大迷惑である。

 それにしてもこの混乱、まだまだ続きそうだねえ・・・。

 (了)