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平成31・令和元年を振り返って/(武術・武道)

2019年 12月30日 12:15 (月)

門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし(一休宗純)


 いよいよ今年も、残すところあと2日となった。

 この1年を振り返ると、なかなかに内容の濃い1年間であったように思う。

 まず、ひとりの武道人として、私にとって今年の最も大きな出来事は、9月に師より、仙台藩角田伝柳剛流兵法免許の印可と『柳剛流剣術免許巻』を賜ったことである。

 ようやく、そしてついに柳剛流免許皆伝となったことで、ある意味、私の武道人生の集大成となった1年であった。

 加えて8月には師に同道させていただき、仙台藩角田伝柳剛流の聖地である宮城県の角田市と丸森町を訪ねることができたことも、貴重な経験となった。

 しかしその後、角田と丸森は台風による水害で大きな被害を受けることになってしまった。

 現地はいまだ復旧半ばとのことですが、一刻も早く角田・丸森の皆さまが、元の落ち着いた暮らしに戻れることを願っております。

1908_柳剛流_新武館にて



 また7月には、やはり師より、柳生心眼流兵術切紙を印可していただけたことも、私にとっては大きな出来事であった。

 柳生心眼流については、幼少の頃からの憧れの流派である一方で、組形における「返し(ムクリ、マクリともいう)」や、後方転回や跳び違いをしながら激しく攻防する「取返」など、たいへんに激しくアクロバティックな形を習得しなければならないことから、

「五十路を目の前にした自分には、初学からの習得は困難ではないか?」

 と諦めていた。

 しかし、師や兄弟子であるY関西支部長のお導きで、なんとか「返し」や「取返」も取れるようになり、初学の門である切紙をいただけたことは、

「できないと思っていたことが、(五十路を目の前にして)できるようになった」

 という、柳剛流の免許皆伝とはまた違った意味での、たいへんにうれしく充実した経験となった。

 さらに、柳生心眼流とはまた方向性の異なる柔術当身拳法である柴真揚流についても、翠月庵門下のY・N両師範代の協力もあり、みっちりと稽古できるようになったことは、今年の大きな成果であった。

1902_柳生心眼流_3



 武術伝習所翠月庵主あるいは国際水月塾武術協会埼玉支部長という立場から今年を振り返ると、なんといっても古参の門人3名に加えて新たに3人の稽古者が門下に加わり、当庵で柳剛流の稽古を始めたことは、たいへんに喜ばしいことであった。

「柳剛流を後世に伝える」

 という点で、小なりといえども私を含めて7名の修行人が今、流祖・岡田惣右衛門生誕の地である武州で柳剛流の木太刀を振るっているということは、とても貴重なことであろうと思う。

 将来に向けて、我々ひとりひとりが「一粒の麦」となり、柳剛流興隆の新たな力となりたいものだ。

1912_柳剛流_突杖

 

 一方で反省点を挙げると、今年は手裏剣術に関しては、ほとんど稽古をすることができなかった。

 私自身の柳剛流、そして柳生心眼流や柴真揚流の稽古、さらに門人諸子への指導で、定例稽古も自宅での稽古もすでに、質・量共に限界に近く、手裏剣術の錬成に時間と労力を割くことがほとんどできなかった。

 また翠月庵の開庵以来、12年間にわたる稽古の中で、特にここ数年、手裏剣術という武芸の形而上下における「限界」、言い換えれば、

「武芸としての発展性の無さ」

 と、

「私自身の手裏剣術に対する資質の無さ」

 を強く感じていることも、手裏剣の稽古にほとんど時間を裂けなかった潜在的な理由である。

 こうした点で、来年以降、自分の武術人生の中で、手裏剣術をどう位置付けていくのかについて、あらためて考えていこうと思う。



 空手道の稽古については「キャリア20年の万年二段」として、今年も県連主催の稽古場で毎週1回程度、いち稽古者として粛々と稽古を続けることができた。

 空手については、2000年代前半に玄制流二段の印可をいたいだいて以降、10年ほど前から、もう試合も昇段もしなくてよいと決めており、今はもっぱらフィジカル面での心身の維持が目的となっている。

 このため今後も、週1回程度の稽古を継続していければと考えている。



 さて、平成31/令和元年も、たくさんの皆さんのお世話になりました。

 師である国際水月塾武術協会会長の小佐野淳先生には、各流の実技や有職故実、また地方でのフィールドワークなどについて今年も多くの学びを賜り、本当にありがとうございました。来年も、変わらぬご指導をいただければと存じます。

 また、水月塾の各師範方および本部の皆さんにも、たいへんお世話になりました。来年も本部にて、心映えの美しい爽やかな稽古が共にできることを、楽しみにしております。

 翠月庵の友好団体である、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会のO先生と同稽古会の皆さんにも、深くお礼申し上げます。今年は諸般の事情により、あまり行事に参加させていただくことができませんでしたが、来年、春の演武でお会いできることを楽しみにしております。

 思う存分に掛け声をかけて剣を振るい、柔(やわら)を取り、手裏剣を打つことができる貴重な「場」を提供してくださる、行田稽古場の家主様にも、心よりお礼申し上げます。

 そして私の書く、世のため人のためには全くならない(苦笑)、ニッチでどうでもよい本ブログをいまだに読んでくださる、北は北海道から南は沖縄までにお住まいの読者の皆さんにも、深く感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

 最後に、今年も飽きることなく私の日常を支えてくれた「S」へ。

 1年間、本当にありがとう。

 感謝しています。

戦機


 
 それでは令和2年も引き続き、武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部を、宜しくお願い申し上げます。

 皆さま、良いお年を。

 翠月庵主/国際水月塾武術協会埼玉支部代表
 瀬沼春燕軒 謹識 

 (了)
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翠月庵の稽古納め/(武術・武道)

2019年 12月28日 23:58 (土)

 本日は翠月庵の稽古納め。

 寒風吹きすさぶ中、一同で存分に木太刀を振るい、柔(やわら)を取る。

 途中、久しぶりに私の10年来の武友で、柳生心眼流(荒木堂)師範のKさんが、ご令息ともに来訪。

 ご所蔵の、柳生心眼流や新陰流の木太刀を拝見。

 しばし武道談義に花が咲く。

1912_柳生心眼流_木太刀
▲上から新陰流、柳生心眼流、柳剛流の木太刀。それぞれの長さ、重さ、形に、それぞれの流儀の剣風や思想が如実に表れている



 稽古はまず素振りで身体を温めたあと、柳剛流剣術から。

 基本であり極意にもつながる「右剣」、そして「左剣」の形を丁寧に稽古。

 次いで帯刀し、警視流立居合5本。

 そして柳剛流の居合5本を抜く。

 さらに、柳剛流突杖、そして長刀の形を存分に遣う。

 稽古後半は私とY氏とで、柳生心眼流の組形の「表」を交互に取る。

 今年最後の「マクリ」が心地よい。

 一方でS氏には刀法併用手裏剣術を、そして私、Y氏、S氏、I氏で、脇差を手裏剣に打つ飛刀術を稽古。

 稽古のしめは、再び柳剛流剣術。

 I氏には師範代のY氏が打太刀となって「右剣」と「左剣」を、S氏には私が打太刀となり「飛龍剣」、「青眼右足刀」、「青眼左足刀」、「無心剣」、「中合刀」、「相合刀」の6本、別名・極意柳剛刀を、じっくりと指導する。

 こうして、令和元年の翠月庵の定例稽古は終了。

 個人的には、柴真揚流柔術についても、表早業居捕と立合投捨計32本、剣術5本、素抜(小太刀居合)3本、棒の型7本を、すべて今日おさらいしたかったのだが、残念ながら3時間の定例稽古では時間が足りず。

 柴真揚流は、年明けの稽古始めで、みっちりと稽古しよう。



 さて、今年も1年間、一同ケガ無く快活に稽古をすることができた。

 来年も粛々と、仙台藩角田伝柳剛流兵法をはじめとした、伝統武道の稽古を続けていこうと思う。

 また来年は、師範代のY氏とN氏は柳剛流目録を、そしてS氏は切紙が受けられるよう、さらに精進をしてほしい。

 同様に、今年入門したA氏、I氏、F氏も柳剛流の剣を磨き、まずは2~3年後に切紙が取れるよう、稽古を続けてもらいたいと思う。

 なにはともあれ、みなさんお疲れ様でした。



「分けのほる鹿の道は多けれど 同じ高根の月を詠めん」
(柳剛流目録巻 武道歌)



 (了)

今年最後の徹夜/(身辺雑記)

2019年 12月26日 05:08 (木)

 今年最後の締め切りの原稿となる、医療法人のルポルタージュ、渾身の4,500文字を今、入稿。

 時間はもう、朝の5時。 

 久しぶりの徹夜だ。

 さすがに、これから稽古はしない・・・というか、できない(爆)。

 50過ぎると、徹夜での原稿書きは堪えるぜ・・・。



 残る年内の仕事は、年明け締め切りの企業の求人広告記事のテープ起こしと執筆。

 そして温泉宿の原稿があるんだが、資料がいまだに届かない・・・。

 ま、とりあえず寝よう。

          1912_剣の4

 (おしまい)

聖夜、柳剛流の伝書を読む/(柳剛流)

2019年 12月25日 10:01 (水)

 クリスマスイブの夜。

 仕事が終わるとすでに深夜2時前、心身ともに疲労困憊である。

 また、明日も4,500文字の原稿の締め切りがあり、さすがに今晩、この時間から稽古をする気にはなれない。

 底冷えのする中、ひと風呂あび、そのままさっさと寝てしまうのが良いのだが、長時間にわたるテープ起こしと原稿書きで、脳がいまだにワクワクしており、到底、すぐに眠れそうにない。

 そこで、トワイスアップにした秘蔵のアードベックを嗜みながら、柳剛流の伝書をひも解いてつらつらと読む。

  *  *  *  *  *

 一般的に、研究者ではない実践家としての武道人の多くは、目録巻にしても免許巻にしても、もらった伝書は神棚に供えるか引き出しの奥に秘蔵して、その後は全く目を通さないのが常であろう。

 しかし、私にとって柳剛流を稽古し、その思想を学ぶことは、ある種の信仰に近い。

 このため、折に触れて流儀の伝書を精読することは、欠かすことのできない習慣となっている。

 特に、今晩のように稽古ができない日は、必ず何らかの伝書なり史料なりに目を通すようにしている。

 伝書を読むことで、流祖・岡田惣右衛門や仙台藩角田伝の祖である岡田(一條)左馬輔、あるいは府内の大師範・岡田十内や武州の大家・岡安英斎など、柳剛流の先師・先人方の剣の思想に、

「直(じか)にふれる」

 ことができる。

 私にとっては、それが大きな喜びだ。

 古流を学び修行する醍醐味は、こういうところにもあるのだと、私は想う。

1912_柳剛流_切紙


「人の剣法を知るは、激発闘争して徒に勝を求むるの技なり。根の神より之を発し、誠を以てして勝を全うするに在ることを知らず。術は心に属し、業は四躰に属す。能くその心を尽くせば、則ち四躰言わずして覚ゆ。是に於いて始めて、共に剣を謂るべきのみ」(岡田左馬輔筆「免許之巻」より)


 (了)

本部での稽古納め/(武術・武道)

2019年 12月23日 10:55 (月)

 昨日は、水月塾本部での稽古。

 午前中は柴真揚流柔術の棒の型について、師よりご指導いただく。

 棒術については、私は30代の頃に空手道の稽古の一環として、玄制流の六尺棒を学んだ程度で、専門的な技術や経験はない。

 また個人的な好みという点でも、剣術や柔術などに比べると、棒術にはそれほど強い関心がなかった。

 しかし柴真揚流の棒の型は、非常に簡素かつ質実剛健なもので、その素朴さゆえ、私はたいへんに気に入っている。

 これは、柳剛流の突杖にも通ずるところだけれども、どうも私は複雑精緻、技巧華麗な技よりも、彼我の死命を一撃で制するような、素朴で渾身の業=術に惹かれる傾向があるようだ。

1901_柴真揚流棒の型
▲柴真揚流柔術 棒の型「返し当」


 昼食後、午後はまず座学から。

 師より、起倒流柔術「本體」の教え、また剣術における「剣法三角矩」などについて、ご講義をいただく。

 その後、午前中に引き続き柴真揚流の棒の型、そして水月塾制定日本柔術(甲陽水月流)の形と鍛錬法を行い、稽古は終了。

 稽古後、忘年会でほろ酔い気分となり、雪の中、武州への帰路についた。

 (了)

寒風を斬る!/(武術・武道)

2019年 12月21日 22:32 (土)

 本日は、翠月庵の定例稽古。

 今回は初学者が2名参加のため、また我が野天稽古場は12月らしいかなりの寒さだったこともあり、まずはみっちりと素振りを行い、身体を温める。

 右晴眼から左上段、そして真向正面切りという二足一刀の正面斬りを、天地も裂けよとばかりの掛け声をかけながら繰り返すと、すぐに師走の荒川沿いを吹く寒風も気にならなくなってくる

 素振りで十分に体が温まってきたら、次は柳剛流の備之伝を指導。

 柳剛流剣術の15の構えについて、それぞれの構えの意味や太刀筋について説明しながら、正しい構えが取れるよう指導する。

 次いで、初学者に日本刀の取り扱いと抜き差しについて習熟してもらうことを主な目的として、警視流の立居合を指導。

 入門2日目のF氏には私が、2カ月目のI氏には師範代のY氏についてもらい、それぞれマンツーマンで指導をする。

 半刻ほど警視流を抜いた後、少し体が冷えてきたので、今度は柳剛流の長木刀に持ち替え、2人一組で打ち込みの稽古。

 私とY氏が打太刀、I氏とF氏が仕太刀となり、上段から鬢、二の腕、脛への切返しを繰り返すと、再び体が温まってくる。

 ここでF氏は、所用により退出。

(ちなみに当庵は、稽古時間内であれば参加も退出も自由である)

 そして稽古後半、私とY氏は、柳生心眼流の組形を、「表」、「中極」、「落」の21ヶ条まで交代しながら取る。

 途中、中極の組形で、Y氏の重当てが効きすぎ、私はしばし悶絶。

 中極の重当ては飛び込みながら当てるので、特によく効くなと実感する。

 ま、私が普段から、「当身はできるだけちゃんと当てなさいね」と指導しているので、いいんだけれどもさ(笑)。

 稽古終盤は、柳剛流の居合を指導。

 I氏には、当初は1本目の「向一文字」と5本目の「切上」の2本を指導したのだが、のみ込みが良いので2本目「右行」、3本目「左行」、4本目「後詰」も一気に指導。

 3人で1本目から5本目まで、ひと通り居合を抜く。

 柳剛流居合は、跳び斬りの地力を養うための鍛錬が大きな目的の形だけに、形の動作を覚えた後は、倦まず弛まず形を何万、何十万回と繰り返し、それによって「柳剛流の体」を作ってほしいと思う。

171014_柳剛流居合
▲座位での跳び違いを繰り返すことで、跳び斬りができる「体を作る」ことが、柳剛流居合の鍛錬の大きな目的だ


 さて、いよいよ来週の稽古で、翠月庵も稽古納めだ。

 いよいよ暮れも、押し詰まってきた。

 (了)

取材終了/(身辺雑記)

2019年 12月20日 18:20 (金)

DSC_0096_20191220154308.jpg


 本日は午前中から赤坂にて、某外資系企業の若手職員へのインタビュー×2本。

 取材はつつがなく終わり、年内の現場仕事はこれにて終了。

 年が押しつまるのは、早いものだ。

 といっても、現場での取材仕事が年内は今日で終わりということで、まだ膨大な執筆作業が残されているのである(涙)。

 とりあえず年内中に、インタビュー原稿3本、医療法人のルポ1件、温泉旅館の記事10本を書き上げねばならない。

 テープ起こしが辛いのう・・・。

 そんなこんなで今年の仕事納めは29日、来年の仕事始めは1月2日からの予定。

 不況、増税、物価高のトリプルパンチで、稼げるときに稼げるだけ稼がないと、とてもじゃあないが生活が立ち行かず、将来への貯蓄もままならない。

「人生は過酷だ。生きていくためにはカネがいる」

 寒風の中、そんな名言をしみじみと想った、師走の夕暮れ。

 (おしまい)

柳生心眼流の「素振」/(古流柔術)

2019年 12月19日 17:50 (木)

 今週は思うところあって、柳生心眼流を中心に稽古。

 今晩は「表」、今晩は「切」などと、拳法28ヶ条からその日のテーマを決めて、集中して取り組む。

 受と捕の二人で取る組形の稽古は、翠月庵の定例稽古にてY氏が出席したときしかできないのだが、拳法28ヶ条の素振は単独形なので、いつでもどこでも、一人で稽古できるのがいい。

 また素振の稽古は、畳一畳ほどのスペースがあればできることも魅力だ。

 机にかじりついて原稿を書いている最中、ちょっと息抜きにコーヒーを淹れている間に、台所で「中極」の折取を一本振るといったこともできるので、日常生活の中で折に触れて振るよう、習慣化に努めている。

 仕事の合間の素振は、肩こり予防に最適である。

 ただし、あまり「武者震い」をやりすぎると、頭がクラクラしてくるので注意が必要だ(笑)。

 さて、今週末の定例稽古では、みっちりと組形の稽古をするとしよう。

 1902_柳生心眼流_2

 (了)

ネット右翼と武道/(時評)

2019年 12月18日 01:02 (水)

 SNSやブログなどで、武術や武道に関して「なるほど!」と思わせてくれる一文を見つけ、「さて、どんな人が書いているのだろう?」と思い、その人の他の書き込みを読む。

 すると、武術・武道に関する事以外については、読むに堪えないヘイトやジェンダーに関する書き込みばかりだったり、あるいは極めて偏った極右的な思想の特定著名人へのリツイートばかりだったりで、

「ああ、こういう方向性の人なのね・・・」

 と、ガッカリさせられることがある。

 ま、日本は自由の国なので、内心の自由や思想の自由、表現の自由は憲法で保障されているわけであり、どこかの誰かが極めて偏った思想に染まるのもまた自由だ。

 私がとやかく言うことではない。

 しかし私個人としては、特定の外国の人たちを執拗に口撃したり、まじめに社会活動にコミットしている若いお嬢さんを冷笑したり、自国第一主義や排外主義、あるいはレイシズムを公言して憚らないような武術・武道人とは、

「お近づきには、なりたくねえなあ」

 と、しみじみ思う。

  *  *  *  *  *

 移民研究の専門家・樋口直人氏によれば、ネット右翼、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人々の傾向は、「高学歴」「30代から50代」「自営業者や経営者」であり、

「武器や自衛隊などが好きなミリタリーオタク、武道関係者、宗教的活動に関わっているなどの背景のある人が多い」(東京新聞/2019年6月8日)

 のだそうな。

 この分析については、なんというか、ちょっと個人的には複雑な気分である。

 なぜなら私は、高学歴ではないけれど、50代で自営業で経営者で、武器や自衛隊などが好きなミリタリーオタクで武道関係者だからだ(爆)。

 つまり、樋口氏が分析したネトウヨの条件に、私は非常に色濃く該当しているわけデス。

 ・・・・・・。

 しかしまあ、世の中には常に「例外」というものがある。

 そこんところを、ご理解賜りたく申し上げ奉り候。

  *  *  *  *  *

 たしかに武術・武道の関係者には、ネット右翼的な思想信条、つまりレイシズムや排外主義、戦前の軍国主義を肯定的に捉えている人々も少なくないのは、肌で感じるところだ。

 そこで繰り返しになるが、「内心の自由」は誰にも止められないわけで、我こそ武道家なりと広言する人が、一方で「南京大虐殺は本当は無かった」とか、「ナチスのホロコーストは捏造だ」とか、「大東亜戦争は、侵略戦争ではなかった」とかいう、客観的な歴史的事実に反するデマを信じ、あまつさえ「●●国人は出ていけ!」などというヘイトスピーチを繰り返すことを、赤の他人である私が啓蒙してあげる筋合いはない。

 しかし、私だけでなく、ごく一般的な教養を持つ普通の社会人であれば、そのような非常に偏った思想に基づいた言動をSNSやブログで繰り返し発信している人を、自分の習い事の師匠や兄弟子として仰いだりしたくはないだろう。

 あるいは自分の子供を、そのような偏った思想信条を持つ人が指導者をしている流儀や会派に、「ぜひ入門させたい!」という親御さんも、あまりいないであろう。

 過日、ツイッターでヘイトまがいの外国人差別や女性へのセクハラやDVを公言している、とある武道関係者が、

「なぜ自分の道場には門人が集まらないのか?」

 と、嘆息している書き込みを読んだのだが、

「そりゃあ、女性に暴力を振るったり、セクハラ発言を嬉々として書き込んだり、ヘイトスピーチまがいの外国人差別を公言するようなクズ野郎が“先生”をしている道場に、ノコノコ入門するおめでたい人など、そうそういるわけがねえだろうよ」

 と諭してあげたくなったのは、はたして私だけであろうかね・・・?

  *  *  *  *  *

 「惻隠の心」というのは、武術・武道人に絶対に欠かすことのできない、重要な徳目のひとつだ。

 ありていに言えば、「弱きを助け、強きを挫く」という心根のことである。

 それを持たない武術・武道人は、単なる粗暴な者として、最終的には自滅するだろう。

 そして、本当の意味での「惻隠の心」、つまり「仁」という徳目を理解しているのなら、特定の外国の人々を執拗に攻撃(口撃)したり、女性や子ども、あるいは老人に暴力を振るったり、弟子や後輩にパワハラやモラハラをするなど、ありえないことだ。

 こうした点で、いわゆるネトウヨ的な武術・武道関係者というのは、武人に必須の「惻隠の心」を持たないということからも、まことに残念な人たちだといってよかろう。

 一方で、たとえば民族派の闘士であった故・野村秋介氏は、獄中で虐待を受けていた在日コリアンの青年を救ったエピソードでも知られている。

 それはまさに、武人としての惻隠の心=仁からの行動であり、心映えの美しい行為であった。

 「武士の情け」とは、そういうものではないだろうか。

  *  *  *  *  *

 人の思想信条というものは、右でも左でも構わない。

 それぞれが、自分が信ずる道を歩めば良い。

 「自由の世界」とは、そういうものだ。

 しかし、そこに「惻隠の心」、つまり「仁」の徳があるか?

 ここが重要なのだと、私は思う。

 そしてまた、右でも左でも、あまりに偏った思想は結局は破綻する。

 こうした意味で、今の日本の政治や社会において、中道左派や中道右派の勢力が壊滅しつつあるのは、非常に深刻な事態だ。

 格差の時代、断絶の時代だからこそ、我々はもっと「惻隠の心」や「仁」、「中庸」といった東洋の叡智について、深く学ぶべきではないだろうか。

 (了)

33年前の当身/(古流柔術)

2019年 12月17日 01:31 (火)

 深夜、柳生心眼流の稽古。

 今晩は思うところあって、「表」の素振り7本に集中する。

 先月の本部稽古にて、師よりご指摘いただいた柳生心眼流のとある動作=技の口伝について。

 実はこれが、今から33年前に旧師から●●流柔術の当身の口伝だとして教えていただいた、「なでり」と称する技と、まったく同じ原理用法であることに、先日気がついた。

 柳生心眼流と●●流とは、技術的にまったく関連がないと思われるので、たまたま同じ原理での当身が存在したということなのであろう。

 人間の考えることは、たいして変わらないということか。

 そこで久々に、33年前の稽古ノートを開く。

 当時の私は、敦盛もかくやという花の17歳(!)。

 新聞配達と鉄工場でのアルバイトで月謝と交通費を稼ぎ、旧師の元へ通って柔術や剣術を学んでいた。

 思えば、それはもう前世紀のこと。

 元号でいえば、2代も前の話である。

 あれから幾年月。

 少年老い易く、学成り難し・・・(苦笑)。

 1912_当身
▲33年前の稽古ノート。当時から、当身が大好物

 (了)

それぞれへの指導/(武術・武道)

2019年 12月15日 10:20 (日)

 昨日は翠月庵の定例稽古。

 前半は、本日から入門したF氏に、着装や礼法、立ち方や素振りなどについて指導する。

 師範代のN氏やS氏も共に、初心に帰ってF氏への指導内容を一緒に行ってもらう。

 私自身も、こうした武道経験のまったくない入門者への指導によって、

 「立ち方とは?」

 「構えとは?」

 「素振りとは?」

 といった、武芸の根源的な部分についてのふり返りができる。

 それにしても、これまで翠月庵で柳剛流を学ぶ人は、いずれも他流の師範や有段者だった。

 このため、ある意味で教える私も楽であったのだが、武道経験のない初心者への指導というのは、指導する立場からすると、たいへんなことなのだなと、しみじみ思う。

 一方で、こうした初心者というのは、いわば真っ白なカンバスのようなものであり、ゼロから柳剛流の色に染めていけるという点で、やりがいのあることでもある。

 いずれにしても翠月庵では、経験者も、未経験者も、それぞれの素養や経験に合わせて、丁寧な個別指導をしていこうと思う。

  *  *  *  *  *

 稽古後半。

 まずはS氏を仕太刀に、柳剛流剣術を「右剣」から「相合剣」まで合わせる。

 杖道師範で、J流薙刀術、柔道、空手、それぞれの有段者でもあるS氏の剣風は、良くも悪くも非常に攻勢的だ。

 このため、四尺四寸二分の長木刀を振るう仕太刀の脚斬りの激しさに、打太刀を執る私も時折、ヒヤッとさせられることがある。

 柳剛流における脚斬りの実践性を、改めて実感させられる瞬間だ。

 続いてS氏を仕太刀に、柳剛流長刀(なぎなた)を指導。

 「左首巻」から「上段切留」まで、7本の形を打つ。

 一般的な薙刀とは異なり、飛び違いながら7尺以上の長刀を振るう柳剛流長刀の動きは、簡単なものではない。

 その辺りの口伝を丁寧に伝えながら、指導に当たった。

 次いでN氏には、柴真揚流柔術の剣術形と棒の形を指導。

 剣術は「陽炎」から「取先」までの5本、棒の形は「抄当」から「返当」までの3本を丁寧に繰り返した。

 庵主としてはこの後、自分自身の稽古という意味でも、N氏を相手に柴真揚流の表早業居捕と立合投捨の稽古がしたかったのだが、まことに残念がなら時間の関係でそこまでできず。

 稽古・指導する内容が増え、門人の数も多くなってくると(といっても、10人足らずの少人数だが・・・苦笑)、指導中心でなかなか自分自身の稽古ができなくなるのが悩みどころだ。

 ま、それはそれで、贅沢な悩みということか・・・(笑)。

1705_松代演武_柳剛流左剣
▲柳剛流剣術 「左剣」での脚斬り

 (了)

入門初日の柳剛流/(柳剛流)

2019年 12月14日 11:52 (土)

1.稽古着の着方
2.自然体で立つ
3.向身、半身、一重身とは?
4.一般論としての、武道の座礼と立礼
5.柳剛流の長木刀を持って、中段(晴眼)に構えてみよう
6.真向正面の素振り(運足と共に)
7.上段、中段、下段の構え(備之伝より)
8.脚斬りと跳び斬り(柳剛流の特徴を知る。剣術形の「右剣」から)


 以上は、まったくの武道未経験者向けの、入門初日の指導の一例。

 一方で他流の有段者や切紙以上であれば、初日から備之伝と剣術形「右剣」「左剣」を指導します。

 その上で個人差はありますが、初心者も他流の経験者も、まずは3~5年くらいで「切紙」の伝位を得ることを目指しましょう。

1804_柳剛流礼法2
▲仙台藩角田伝 柳剛流の礼法には、股立をとる所作が含まれる


「むら雨の柳の枝のふりかかり てまの心大事とそしれ」
(柳剛流剣術切紙巻 武道歌)


 (了)

柳剛流突杖の真面目/(柳剛流)

2019年 12月13日 01:54 (金)

 多忙だ。

 日付が変わるちょっと前に、本日の業務が終了。

 心身ともに疲れ切っているが、生きていくためには、働いて金を稼がねばならない。

 一方で、1日稽古を休めば1日分だけ、「下達」する。

 おまけに五十路を過ぎると、体力も気力も、あるいは反射神経も、いずれも衰える一方なのだ。

 それらに少しでも、抗わねばならぬ。

  *  *  *  *  *
 
 ARBやTHE MODSの曲をガンガン流して気分を上げながら、30分のエアロバイク&筋トレで身体をいじめる。

 その後、今晩は柳剛流突杖の稽古。

 三尺棒とも呼ばれる乳切の杖を用い、「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」の5本の形を遣う。

 柳剛流では、剣術でも突杖でも、また免許秘伝の長刀(なぎなた)でも、足使いは「撞木」を重んじるわけだが、突杖の形は、動きの中で自然に撞木の足使いとなる。

 これは長刀でも同様なのだが、突杖の方がより短く軽い杖を用いての自然な動きとなるので、特に撞木の足使いに慣れてない初学者に対しては、指導効果が高いように思える。

 また柳剛流突杖では、「突杖」という呼び名の通り、業の極めはすべて突きとなる。

 見世物や殺陣のように、杖を不必要にくるくると回したり、ブンブン振り回したりすることはない。

 シンプルに、払い、巻き落とし、抑え、そして突くのみの、実に素朴な業だ。

 このため、柳剛流と天神真楊流を合わせて創流した分派である中山柳剛流では、これらの業を「突之刀法」と称している。

 武技として、徹底的に余分な動きをそぎ落としたところに、柳剛流突杖の真面目があるといえよう。

1805_柳剛流突杖
▲柳剛流突杖 「右留」


 (了)

野晒し画賛/(箴言集)

2019年 12月12日 23:09 (木)

  1912_箴言


「喧嘩しないでくらそじゃないか すえはたかいにこのすがた」
(雲山住人並題)


 (了)

「幹」としての柳剛流/(柳剛流)

2019年 12月08日 00:05 (日)

 生業多忙のため、土曜の定例稽古は休み。

 このため夜、原稿を書き終わってから拙宅にて、柳剛流の稽古。

 備之伝から、鏡に映った自分の姿を相手にしての、備十五ヶ条フセギ秘伝の鍛錬を行う。

 ひたすら鏡に映る自分の構えを防いでいると、いつしか我と敵との境界が茫洋としてくるようだ。

 その後、「右剣」から「相合剣」まで、仕太刀と打太刀、それぞれの要諦を丁寧に確認しつつ形を繰り返す。

 今週は月曜から、もっぱら柴真揚流柔術の稽古に専念してきたのだが、7日ぶりに振るう柳剛流の木太刀が何とも心地よい。

 私の武芸の本義は柳剛流なのだと、改めて実感する。

 柳剛流の剣を己の武道修行の大きな「幹」として、柴真揚流と柳生心眼流という2つの柔(やわら)を太く頑丈な枝として、これからも稽古を続けていこう。

 *  *  *  *  *

 稽古後、柳剛流の木太刀に油を引く。

 空気が乾燥するこれからの季節、木太刀の手入れを怠ると、あっという間にささくれてしまう。

 今、手元にある4口の柳剛流の長木刀に、ひとつずつ丁寧に油を引き、布で磨き上げた。

1912_柳剛流_木太刀

「敵と我二人と見るは愚かなれ 一体一気溜りなければ」
(柳剛流剣術免許巻 武道歌)


 (了)
 

師走/(身辺雑記)

2019年 12月07日 10:13 (土)

1912_芝浦


 金曜。

 急な依頼を受けて、午後から芝浦の外国人技能実習機構で取材。

 田町駅から芝浦に向かって歩いていくと、運河のある風景が目を引く。

 30~40代、国内外の出張ばかりしていたころは、浜松町からモノレールに乗って羽田に向かう際の、この辺りの水辺の景色が好きだった。

 レインボーブリッジの見えるビルの会議室で、60分ほど機構の理事にインタビューを行い、取材は終了。

 すでに夕暮れ時なので、どこかで一杯やりたいところだが、このインタビュー取材の記事、約4,000文字の原稿を日曜の朝までに仕上げなけばならないので、とんぼ返りで帰宅する。

 そして、深夜日付が変わる頃までテープ起こし。

 全体の4分の3ほどの音源を文字起こして、今晩の業務は終了。

 あとは明日だ。

 テープ起こしは心身が消耗する作業で疲れ切ってしまったため、今晩の有酸素運動と筋トレは省略。

 稽古着に着替え、「陽炎」から「取先」まで柴真揚流の剣術形5本、棒の形3本、そして素抜(小太刀居合)3本をおさらい。

 小半刻ほど稽古をしてから入浴。

 寝酒に銀河系で最も旨いウイスキーであるアードベッグを、トワイスアップで1杯ひっかけて就寝した。



 今週の稽古は、柴真揚流が中心となった。

 そして今日、土曜の定例稽古は、庵主多忙のため休み。

 明日の朝までに、残り10分間分のテープ起こしと4,000文字の原稿執筆、そして来週の取材準備までを終わらせなければならん。

 なるほど、師走だな・・・。

 (おしまい)

柴真揚流における拳での当身/(古流柔術)

2019年 12月06日 01:50 (金)

 水曜夜の空手の稽古で、腰と左手首を少々傷めてしまったため、今晩の稽古は軽めに、柴真揚流の表早業立合投捨のおさらい。

 形の動きを確認しつつ、適宜、当身台への打ち込みを交える。

 柴真揚流の拳による当身は、日本の古流柔術によくみられる親指を握り込んだ拳形で、掌の側を上に向けた状態で水月や電光に突き込むものだ。

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▲親指を握り込んだ、柔術特有の拳形



 この突き方は、空手道でいうところの「裏突き」あるいは「下突き」とよく似ている。

 そして、柴真揚流の稽古をしていて実感できるのは、こうした突き方は彼我が組み合うような、ごく近い間合から当身を入れるのに、たいへん適したものだということだ。

 一方でこの当ては、手の甲の側が上を向く空手の正拳突きやボクシングにおけるストレートなどと比べると、当て方はもとより身体の使い方そのものが大きく異なる。

 このため形の反復によって、この当て方に最適な身体の使い方に習熟するのと併せて、実際に当身台やサンドバック、防具を付けた相手などに拳を打ち込み、当て具合を体得しておかねばならない。

 私は形稽古に加えて、主に畳を使った当身台へ打ち込むようにしているが、最近になってようやく、柴真揚流としての拳での当身に十分な手ごたえを感じられるようになってきた。

 この当身は、ともすると貧弱な「手打ち」になりがちなため、全身の統一力と体幹の強さ、そして腰のキレを最大限に生かして当てることを覚える必要がある。

 柴真楊流では、拳での当身と同様に肘当てや蹴足も多用するが、個人的には、それらの中でも最も難しいのが拳での当て身であると思う。

 このシンプルな「業」を、稽古を通じて「術」のレベルにまで高めていきたいものだ。

1912_拳法図解_突込
▲明治21(1888)年の『拳法図解』(久富鉄太郎著)より、「行連レ右突込」。受は、掌を上にした柔術独特の突き方をしているのが分かる。ただし、柴真揚流の視点で見ると、この受の突き方は非常に「なっちゃあいない」、ダメな突き方である(笑)。柔術的な拳での当身を、「業」=「術」として十分に効かせるためには、重要な口伝がいくつかある


 (了)

深夜、柴真揚流の稽古/(古流柔術)

2019年 12月04日 02:28 (水)

 80万円ショックの痛手からは、まだ十分に立ち直っていないのだが、いつまでも茫然とはしていられない。

 気を取り直し、昼間は机にかじりついて地方の社会福祉法人のルポルタージュ記事を鋭意執筆。

 業務終了後、エアロバイクをこぎ、筋トレをこなし、深夜、柴真揚流柔術の稽古。

 表早業居捕17本、表早業立合投捨15本をおさらい。

 それぞれの形=業に含まれる当身について、「殺」の部位を意識しつつ、さらに掛け声と呼吸についても口伝に留意しながら、半刻ほど形を繰り返す。

 稽古のしめは、「素抜」(小太刀居合)3本。

 *  *  *  *  *

 それにしても柔(やわら)の稽古がいいのは、剣術や居合などに比べ、カネがかからないことだ(苦笑)。

 刀も模造刀も木刀もいらず、稽古着さえあれば、あとは身体ひとつで稽古できる。

 とはいえ実際には、例えば柴真揚流であれば、大小の木刀をはじめ、杖、棒、袋撓、小太刀といった武具や、当身用の防具などが必要となる。

 そこで近いうちに、柴真揚流の稽古用に袋撓と防具を購入したかったのだが、残念ながら無期限の延期だ。

 これもみな、80万円の・・・・(以下、自粛)。

 ま、いい。

 当身台に、柴真揚流の拳や蹴足、肘当てをバンバンぶち込んで、憤りを鎮めた次第。

 嗚呼、人生不可解。

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▲電光を蹴る! 

 (了)

7人目の士と、跳斬之妙術/(柳剛流)

2019年 12月01日 15:34 (日)

 土曜は翠月庵の定例稽古。

 吹く風はすでに初冬の厳しさであり、しみじみと身に染みるが、これもまた伝統的な野天稽古場たる、我が翠月庵ならではの味わいだ(苦笑)。

 本日は、先月入門したI氏とマンツーマンでの稽古。

 まずは、柳剛流の長木刀を用いての素振りから。

 晴眼から二足一刀での正面斬り、そして廻刀での正面斬りを指導する。

 しっかりと、腹の底から掛け声をかけつつ素振りを繰り返していると、次第に身体が温まり、寒風も気にならなくなる。

 次いで備之伝にて、柳剛流の15の構えを整える。

 ここで、事前に連絡をもらっていた見学者が来訪したので、初学者向けの稽古の様子を理解してもらうために、柳剛流はいったん中断し、警視流立居合のおさらい。

 独特の礼法から始まり、「前腰」から「四方」まで、5本の形をI氏と私とで行い、丁寧に手直しをする。

 その後、座技の居合の例として柳剛流居合を披露。

 先月入門したばかりのI氏には、まだ柳剛流の居合は教えていないので、私が「向一文字」から「切上」まで、5本の形を抜く。

 最後に剣術の稽古として、I氏が仕太刀、私が打太刀となり、「右剣」の指導。

 見学者のF氏には、ここまでの稽古を見てもらった上で、稽古や入門に関する細かな質問等に答えた。

 その結果、F氏はこの場で入門を決め、12月から翠月庵での稽古を希望するとのこと。

 これで当庵では、私を含めて7人目の柳剛流の士の誕生である。

 「七人のなんとか」ではないが、ま、「七」というのはめでたい数だ。

 もちろん「七」にとどまらず、10でも100でも1,000でも、柳剛流の普及と伝承のために、門人は多いにこしたことはない(笑)。

 *  *  *  *  *

 今回入門を決めたF氏は、当庵で柳剛流を稽古している今年入門の諸子同様、武道経験が無いということなので、初歩から1手1手、丁寧に分かりやすく指導していこうと思う。

 稽古は、学ぶ者も教える者も共に、倦まず、弛まず、ゆっくりと取り組むのがいい。

 まずはあまり気負うことなく、それぞれのペースで、身体的にも金銭的にも時間的にも無理のないよう、各人の生活の中に武道修行を織り込みながら、気長に稽古を続けてもらいたいものだ。

 現代社会における「生涯武道」とは、そのようにあるべきものだろう。

 その上で、

 「武道修行こそ、我が人生なり!」

 と強く志すのであれば、学ぶ者も教える者も、そのように稽古・指導に専念精進していけば良いのだ。

 そもそも柳剛流の教伝は、ひとにぎりの人間のみに許されるといった、器の小さなものではない。

 江戸の昔から柳剛流は、百姓・町人から徳川家所縁の由緒正しい武家まで、あるいは一剣におのが命を懸ける剣客から野良仕事の合間の余暇として武芸を楽しむ農民まで、そして男子のみでなく婦女子にも惜しみなく、その業と心を伝えてきた。

 この事実は、残された数多くの史料からも明らかだ。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門以来、先師・先人方の足跡に照らして、吾が党の修行の門は万人に広く開かれたものなのだと、私は強く信じている。

 *  *  *  *  *

 その後、F氏が辞し、I氏も所用で早退となったので、16時からは庵主ひとりの稽古。

 日暮れとともに気温が急激に下がってきたので、身体を温めようと、長木刀を振るいながら延々と、跳び斬りの素振りを繰り返す。

 定例稽古ではどうしても、私が打太刀を執ることになるので、こういう時こそ門人諸子以上に徹底的に跳び斬りの鍛錬を積み、仕太刀の運刀に習熟しておかねばならない。

 ポルコ・ロッソの台詞ではないが、跳べない剣術遣いは、ただの剣術遣いだ。

 それは、柳剛流の士ではない。

 かつて、無敵の女武芸者・園田秀雄刀自をして、

 「跳斬之妙術」

 と言わしめた柳剛流の技を、先師・先人方に倣い、私たちも徹底的に磨いていかなければならない。

1911_稽古場
▲夕暮れ時の稽古場から見る、初冬の荒川沿いの風景が私は好きだ


 (了)