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柳剛流における「免許」の資格/(柳剛流)

2019年 11月28日 08:25 (木)

 昨晩は、県立武道館で空手の稽古。

 この教室生え抜きであるAさんとBさんが、来月全空連の公認二段を受審するとのこと。

 僭越ながら私も、空手道の先輩として、Aさんに組手の際の刻み突きについて、ポイントを少々アドバイスさせていただいた。

 頑張って、ぜひ合格してほしいものである。

 *  *  *  *  *

 昇段といえば、現代武道とは異なり、古武道(伝統武道)である柳剛流には段位はなく、「切紙」、「目録」、「免許」の3つの伝位がある。

 柳剛流のそれぞれの伝位を現代武道の段位に置き換えると、「切紙」は初段、「目録」が3~4段、「免許」が5~6段というところであろうか。

 柳剛流きっての実戦派であり、上野戦争での黒門前16人斬りでその名を知られる剣客・小川重助に、こんなエピソードがある。


「小川先生ハ許シハ目録迄ハ出スモ、免許ハ容易ニ出サヌ。免許ハ免許丈ケノ術ニ真ニ達セザレバ呉レヌト。目録ハ沢山受ケタルモ、免許ノ者ハナシ」(小林雅助著『雑誌并見聞録』/明治40(1907)年)


 柳剛流の免許は、当然ながら「完全相伝」である。

 このため、流祖・岡田惣右衛門以来、令和の現在に至るまで、免許を受けた相伝者は師範として独立し、自ら門人を取り立て、弟子に対して伝位を自由に認可することができる。

 この点が、「不完全相伝」に基づいた、支配的かつ独善的な家元制との決定的な違いだ。

 特に柳剛流は、江戸の昔からこうした自由で独立的な気風が顕著であり、それは「師家の無制約」と評されている。

 しかし、こうした特徴を裏返して考えてみると、柳剛流の免許を受けた相伝者は、自らが柳剛流の士として、流儀に関わる全責任を負わねばならないのである。

 だからこそ、術技巧緻として「目録」までは容易に許しても、流儀の看板を背負う「免許」は、「容易ニ出サヌ」のだ。

 *  *  *  *  *

 柳剛流の免許を受けた者であるからには、武技に関して技量抜群なことは当然として、極意口伝である「一〇心(いちまるこころ)」を体現する、人格高潔な武人でなけばならない。

 己自身を顧みれば、師より柳剛流免許をお許しいただけたものの、はたして自分が、本当に流祖や先師・先人方に恥じぬ柳剛流免許者であるか?

 これを常に心に問いつつ稽古を続け、日々の暮らしを送っている。

 同様に私の門人に対しても、柳剛流を志すのであれば、武芸はもとより生き方そのものについても、「一〇心」の体現を目指してほしいと思う。

 では、「一〇心の体現」とは何か?

 それは柳剛流の免許極意口伝であり、ここにそれを記すことはできない。

 しかし、その本質をありていに言えば、

 「人としての心映えの美しさ」

 これに尽きると、私は思う。

 恥を知ること。

 そして、人に優しいこと。

 そんな、人間として当たり前のことが自然できる、心映えの美しい武人でありたいものだ。


1909_柳剛流_一〇心


「月は我れ我は月かと思うまで 隅なき月にすがる我かな」
(柳剛流剣術免許巻 武道歌)


 (了)
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晩秋夜話/(身辺雑記)

2019年 11月27日 02:33 (水)

 昨晩に引き続き、今晩も柳生心眼流の稽古。

 素振28ヶ条に加え、「表」、「中極」、「落」それぞれの向振り、取放と取返、小手返の各7ヶ条をおさらい。

 しかし、その前にペダルの負荷を最大に上げたエアロバイクでの有酸素運動30分と、SAS新兵ドリルの筋トレ(別名・腹筋地獄)で、すでに五十路の老体はヘロヘロである・・・。

 夜中の12時すぎに、PERSONZの『DEAR FRIENDS』をヘヴィーローテーションしながら、ツイスト・クランチやベントニー・シットアップでウンウン唸っていると、

「オレはなんで、こんなことをやっているんだろう・・・」

 と思わないでもないが、ま、しかたがない。

 下達しないために、苦練はさけることができないのである。

 明日は、柴真揚流をやろう。

 ・・・いやいや、明日は空手の定例稽古だ。

 *  *  *  *  *

 昼間、つらつらとSNSを見ていたら、

「柳剛流の二刀は、型名がわかんないな…」

 という、某氏のつぶやきあり。

 ・・・なんで、本ブログの「ブログ内検索」を、活用してくれないのであろうか?

 自分で言うのもなんだが、現在、世界で最も柳剛流に関する情報が充実しているwebサイトが本ブログであると、自負しているのだけれどもねえ。

 柳剛流二刀伝の形の名称や、その内容、伝承の経緯など、あくまでも公開できる範囲内でだが、すでに2年も前に本ブログで解説してるわけだが。

 これも、無名の悲しさである。

「柳剛流二刀伝」2017年 6月7日
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-1135.html

 *  *  *  *  *

 柴真揚流には「素抜」という小太刀の居合がある。

 この稽古に使う、頃合いの真剣の脇差が欲しいのだけれど、なにしろ手元不如意だ。

 先日、ヤフオクで、ちょうど稽古に使えそうな錆身の脇差が出ていたのだが、3万円とのことで断念。

 年末年始で物入りのこの時期、3万円など、とても貧乏武芸者の懐からは出せぬ。

 今は、東京2020以降に必ず来る大不況に備えて、千円でも1万円でも多く、貯金をしておかなければならない。

 とりあえず模造刀の脇差はあるのだから、「素抜」の稽古は、それで我慢するしかあるまいね。

 *  *  *  *  *

 それにしても、消費税増税の影響が確実に家計を圧迫している。

 業界の景気もさらに悪くなってきていて、多忙にもかかわらず月収は9月以降、前年比割れが続いている。

 これも、一部の富裕層と大企業のみを肥え太らせ、社会的に弱い人たちを踏みにじり、

「今だけ、カネだけ、自分だけ」

 という、嘘と私利私欲にまみれた長期「独裁」政権による、悪政のなせる業か。

 日本の夜明けは遠いな。

 ま、しゃあない。

 明日もツライお仕事だ(笑)。

 『ワルシャワ労働歌』でも聞いて寝よう。




  (おしまい)

高倉健と日本刀/(身辺雑記)

2019年 11月26日 00:51 (火)

1911_週刊日本刀


 来週12月3日(火曜)発売予定の週刊日本刀第27号にて、「美しさと縁を重んじた刀への審美眼 高倉健と日本刀」という原稿を執筆しました。

 この記事の取材では、無鑑査の宮入小左衛門行平刀匠に、高倉健さんに関する様々なエピソードを聞かせていただきました。

 伺ったお話のうち、記事に盛り込めたのは文字数の関係で、ほんの一部。

 健さんと宮入刀匠、お二人の温かいお人柄を感じながら、拙いながらも一生懸命原稿を書きました。
 
 よろしければ、ご笑覧ください。

 (おしまい)

柳剛流を伝えゆくために/(柳剛流)

2019年 11月25日 02:15 (月)

 土曜の定例稽古が雨で中止になってしまったため、日曜の晩はいつもよりも少し長く柳剛流の稽古。

 備之伝から始め、剣術、居合、突杖、長刀(なぎなた)の形を、すべておさらい。

 殺法の確認と当身台への打ち込みで、稽古をしめる。

 そんなこんなで日付が変わり、私は満50歳になってしまった・・・。



 つらつら思うに、私のふた親はいずれも70代前半で死んでしまったので、多分自分も、長くて70歳くらいが寿命であろうと思う。

 そうなると、あと20年しかない。

 さらに、武術・武道人としてある程度身体が動くのは、これから10年くらいが限界であろう。

 そのように考えると、いろいろと心に期するものがある。

 そこで、これからの20年で、一人でも多くの柳剛流の免許皆伝者を養成したい。

 さもなくば遠からず、柳剛流の伝承は途絶えてしまうだろう。



 流祖・岡田惣右衛門が心血を注いで編み出した、柳剛流というこの素晴らしい伝統武道を、50年、100年先にまで伝えていくために、何をなすべきか?

 まずなにより、私自身が仙台藩角田伝 柳剛流の免許皆伝者として、恥ずかしくない業前を磨いていくこと。

 その上で、教え惜しみをすることなく、一人ひとりの門人の資質に合わせ、丁寧に指導をしていくこと。

 今の私にできることは、この2つしかないと、改めて思い至った次第。

1709_松代演武_柳剛流長刀
▲柳剛流長刀の演武


「師と弟子の心に隔てあるならば 幾く世経るとも道に入るまじ」(柳剛流目録 武道歌)

 (了)

吉右衛門の「花」を堪能/(身辺雑記)

2019年 11月22日 21:30 (金)

1911_歌舞伎


 過日、親しい人と共に、三宅坂にて『通し狂言 孤高勇士嬢景清 ― 日向嶋 ―』を鑑賞。

 吉右衛門の名演を、心行くまで堪能した。

 9月の文楽公演で鑑賞した、浄瑠璃の『嬢景清八嶋日記』と同じ題材を、今回は歌舞伎で楽しませてもらったというわけだ。

 今年の観劇はほとんど文楽オンリーで、歌舞伎を見るのは久しぶりだった。

 思うに文楽に比べると、歌舞伎は技芸としての質の高さは一歩譲るが、お祭り的な雑っかけさ、「ハレ」の場感が心地よい。

 しかも最後列の3等席なら、なんと午前中から夕方まで、たっぷりと観劇を楽しんでわずか1,800円という手ごろな観劇料も魅力だ。

 文楽は、とにかくできるだけ前の席で鑑賞したいものだが、歌舞伎はむしろ最後列の3等席の方が舞台全体を俯瞰できるし、なにより気軽に芝居を楽しめるのがいい。

 居眠りしても、恥ずかしくないしね(笑)。



 今回、「四幕目 日向嶋浜辺の場」で、娘・糸滝の想いを知って悲嘆にくれる景清の姿や、同じく「四幕目 日向灘海上の場」のハッピーエンドな大団円では、思わず目頭が熱くなった。

 また、「二幕目 南都東大寺大仏供養の場」で、蛭巻の大薙刀を振るう吉右衛門の殺陣、若い演者の見事なトンボの数々も見ごたえがあった。

 それにしても、やっぱり吉右衛門の芝居は、「花」があっていいねえ。

 そして、もうひとつ。

 今回は期せずして、今年7月に歌舞伎義太夫としては2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に選ばれた、竹本葵太夫の語りを聞くことができた。

 かつて、文楽の義太夫からは「ちょぼ」という蔑称で見下された歌舞伎の義太夫であるが、葵太夫の語りは圧巻!

 文楽義太夫に勝るとも劣らない熱演に、素直に感動した次第。

 文楽もいいけれど、歌舞伎もいいなあと、しみじみ思った晩秋の夕暮れ。

 (おしまい)

柴真揚流と柳生心眼流、ふたつの柔術当身拳法/(古流柔術)

2019年 11月20日 00:00 (水)

 今晩の稽古は、先日の本部稽古のおさらい。

 まずは、柴真揚流柔術の組太刀。

 「無想」と「取先」、2本の形を繰り返す。

 ことに「無想」の形は、いかにも柔(やわら)の当身殺法を得意とする柴真揚流らしい組太刀の業であり、たいへんに興味深い。

 次いで柳生心眼流兵術。

 今回は特に、「中極」の素振を集中的に復習。

 「中極」での重当ては、「表」の時とは異なり飛び込んでの当てになるわけだが、先日の本部稽古では、その際の発力に欠かせない「気」の使い方について、重要な口伝を受けた。

 その口伝の通りに心身を使って重当てを当身台に打ち込むと、これまで以上に威力のある当身が打てるようになった。

 その後、思うところがあり、同じ取り口での柴真揚流と柳生心眼流、それぞれの業について比較しつつ、形を打ち、あるいは当身台に実際に拳足を打ち込んだ。

1908_柳生心眼流_当身
▲同じ重当てでも、「表」と「中極」、あるいは「落」とでは、それぞれ当身の入れ方が異なる



 柴真揚流も柳生心眼流も、日本の古流柔術としては珍しい当身拳法という点は同じだ。

 しかし、柴真揚流が真楊流系の柔術の基本的な構えである一文字の構えや平ノ一文字の構えに基づいた、腰の切れと全身の統一力で当身を加えるのに対し、柳生心眼流は上・中・下の各丹田から「気」を爆発的に発して当てる。

 つまり、当身の際の威力の発し方が、まったく異なるのだ。

 このため、一般的には同種の武芸を同時並行で稽古するのは、無意識のうちにも業=術が混同してしまうリスクがあるので避けるべきところなのだが、同じ柔術当身拳法でも柴真揚流と柳生心眼流とでは、当身の発し方=心身の使い方が全く異なるので、そういったリスクが少ないように感じる。

 とはいえ、本当に厳しい意味での武術修行を己に問うなら、柔の修行はどちらか1つの流派に専念するべきであろう。

 しかし、全国各地にたくさんの稽古者がいる柳生心眼流に比べると、柴真揚流は、いまや全国でも国際水月塾武術協会にしか伝承されていない、失伝寸前の貴重な流儀である。

 それだけに、私如きでは力量不足なのは十分に承知ながら、自分の武術人生の本義である柳剛流兵法、そして少年時代からのあこがれの流派であった柳生心眼流兵術の稽古と併せて、柴真揚流柔術もしっかりと鍛錬を重ね、その伝承を次代へつなげていきたいと思う。

1911_柴真揚流_一文字の構え
▲天神真楊流における一文字の構え。柴真揚流でも、この構えが重要となる


 (了)

週末の稽古/(武術・武道)

2019年 11月18日 11:56 (月)

 土曜は、翠月庵の定例稽古。

 まずは一同、警視流立居合で肩慣らし。

 そしてA氏とI氏の初学者2名には、柳剛流剣術の備之伝を指導。

 柳剛流の15の構えについて、ひとつひとつ丁寧に手直しをし、その意味や理合いを解説した。

 一方で、庵主と当庵師範代のY氏は、備15ヶ条フセギ秘伝を稽古。

 構えとその対応を学ぶ一連の体系からも、柳剛流という武術の奥深さが感じられる。

 次いで庵主とY氏は、柴真揚流柔術のおさらい。

 形の理合はもとより特に拍子の位に留意しつつ、表早業居捕の「石火」、「袖車」、「真之位」の形を取る。

 ことに、「真之位」は柴真揚流の根幹をなす重要な形=業=術のひとつだけに、丁寧に理合と実技を一致させるよう心がけた。

 その後、A・I両氏の備之伝を随時修正しつつ、次は庵主とY氏とで、柳生心眼流の稽古。

 「表」、「中極」、「落」の素振21ヶ条を、それぞれ捕と受を交代しながら組形で取る。

 晩秋の午後の風を感じながらマクリを打つのは、なんとも心地よい。

1902_柳生心眼流_2


 稽古のしめは、柳剛流剣術の初手であり極意でもある「右剣」の形を全員で。

 A氏にはY氏が、I氏には庵主が打太刀となって形を打つ。

 運足や運刀など、細かい部分を丁寧に指導するうちに日が暮れ、本日の定例稽古は終了した。



 帰路、有名女優の薬物事案による逮捕の報が、スマホのニュース速報で入り、ちょっと驚き。

 何に驚いたのかというと、なんでいち女優の逮捕が公営放送のニュース速報になるの? という驚きである。

 一国の首相による公職選挙法および政治資金規正法違反、なにより権力者による税金の私物化という「巨悪」の疑いがたいへんに色濃い「桜を見る会問題」をはじめ、もっと報道・追求するべきテーマがあるだろうに。

 「上級国民」と呼ばれる新自由主義的な強者たちのみを肥え太らし、社会的に弱い人たちを踏みにじり続ける、この戦後最悪の「独裁」政権は、いったいいつまで続くのだろうか・・・。



 日曜は、本部稽古のため甲州へ。

 埼玉支部からは、庵主、Y氏、N氏の3名が参加。

 午前中は水月塾制定柔術。

 庵主はルーマニア支部長のC氏と組んで、奥伝の逆取と逆投の形を取り、師の指導を受ける。

 午後は、庵主とY氏とで柳生心眼流の組形を取り、「表」、「中極」、「落」までの素振21ヶ条について、師に細かな手直しをしていただく。

 なかでも、中極の重当ての際、どこに「気」を上げて、どのように当てるのかについての口伝は、たいへんに貴重なものであった。

 午後の稽古後半は、柴真揚流柔術の組太刀。

 師より、「無想」と「取先」の2本の形を伝授していただく。

 その後、庵主が打太刀となってY・N両氏に、柴真揚流の組太刀、「陽炎」、「破軍」、「武意」、そして伝授していただいたばかりの「無想」と「取先」、以上全5本について、師に検分をしていただきながら稽古をつける。

 Y氏もN氏も、柳剛流剣術切紙の腕前なので、柴真揚流の組太刀についても飲み込みが早く、打太刀を執る庵主としても稽古のつけがいがある。

 ほどなくして、本日の本部稽古は終了。

 ルーマニア支部の方々との小宴の後、武州への帰路についた。

 (了)

鏡は悟りの具ならず/(箴言集)

2019年 11月16日 02:06 (土)

1911_タロット


「鏡を看よといふは、反省を促すの語也。されどまことに反省し得るもの、幾人ぞ。人は鏡の前に、自ら恃み、自ら負ふことありとも、遂に反省することなかるべし。鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり。一たび見て悟らんも、二たび見、三たび見るに及びて、少しづゝ、少しづゝ、迷はされ行くなり」(斎藤緑雨)

 (了)

彰義隊とその武術/(柳剛流)

2019年 11月14日 09:00 (木)

 先日、所用で上野へ行った。

 そして上野といえば、彰義隊である。

 これまで本ブログでも何度か書いたけれど、彰義隊には、その幹部であった頭取の伴門五郎や、黒門前での16人斬りで名を馳せ西南戦争では警視庁抜刀隊にも参加した小川重助など、数多くの柳剛流の剣士たちが参加。

 ある者は若い命を散らし、またある者はその後の世を生き延びた。

『彰義隊と柳剛流』(2017/10/12)
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-1212.html

『柳剛流剣士ゆかりの古刹・三学院~岡田十内と伴門五郎(その1)』(2016/12/2)
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-1020.html

 これら、彰義隊と柳剛流との関係を示す事績については、

・柳剛流研究の原典資料のひとつである、小林雅助著/明治40(1907)年発行の『雑誌并見聞録』
・彰義隊研究の一次史料である明治44(1911)年発行の『彰義隊戦史』
・彰義隊の生き残りである寺沢正明の回顧録『幕末秘録』
・『戸田市史・通史編上』
・『新修・蕨市史』
・研究誌『彰義隊の主唱者伴門五郎』
・埼玉県・三学院内の頌徳碑『伴門五郎之碑』
・岡田十内の門人帳である『神文帳』
・彰義隊士であった小川興郷の調査による『彰義隊士名簿』

 など、さまざまな史料に記されている。

 さらに、それらを網羅した研究成果として、関東近辺の柳剛流研究の第一人者である辻淳先生のご労作である、『戸田剣術古武道史』に、たいへん詳しくまとめられている。

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▲幕末における柳剛流の大師範家・岡田十内の神文帳(門弟帳)に記された、後の彰義隊頭取・伴門五郎の署名。安政2(1855)年正月17日に、16歳で柳剛流に入門したことが分かる。(『戸田剣術古武道史』より)



 さて、去る11月10日、上野恩賜公園の彰義隊墓前で、江戸柳生天心流兵法(以下、天心流)という団体による奉納演武が行われたという。

 天心流の公式ブログによれば、

「彰義隊には、天心流兵法を学んでいた士林団の子孫(天心流を修めていた)が参加し、上野戦争で命を散らしたそうです」
http://tenshinryu.blog.fc2.com/blog-entry-237.html

 とのことであり、またこの彰義隊墓前での天心流による奉納演武は、今年で4回目になるのだとか。

 さらにネットを検索してみると、昨年12月1日に開催された、任意団体彰義隊子孫の会の創立記念シンポジウムの最後に、天心流が演武奉納を行ったとのこと。
https://blog.goo.ne.jp/uemura1048/e/c201f32b21f2210f88fd068a9af918bd

 
 ここで不思議なのは、彰義隊と「江戸柳生天心流兵法」という武術の関係を示すファクト(事実)や史料について、私は寡聞にして知らないということだ。

 彰義隊のいったい誰が、天心流なる武術を修めていたのだろうか?

 もっとも、私は彰義隊研究の専門家ではなくあまり詳しくはないので、関東における柳剛流の事績を調べるなかで、柳剛流とたいへんに関係の深い彰義隊に関連する史料について、いくつか目にしてきたにすぎない。

 このため、きっと私の知らない日本のどこかに、彰義隊と天心流の深い関係を示す、動かぬ証拠となる質の高い史料つまりファクトがあり、それを天心流関係者の方々が所有、あるいは確認しているのだろう。

 だからこそ、戦死した200名以上もの彰義隊隊士の方々の御霊を祀った、たいへんに神聖な墓前にて、無念のうちに亡くなった数多くの先人を慰めるべく、演武を奉納しているのであろう。

 となると、同じく彰義隊と非常に所縁の深い流派である柳剛流を継承・修行している者のひとりとして、機会があればぜひ後学のために、彰義隊と天心流という武術流派との関係を示す史料を、確認してみたいものだと思う。

 上記の天心流公式ブログにある口承以外に、彰義隊と天心流の関係を示す文献や古文書、頌徳碑など、検証可能な質の高い一次史料は、いったいどこに、どのようなものがあるのだろう?

 天心流関係者の方に直接問い合わせれば、史料の所在や彰義隊と同流との関係を示す根拠などについて、教えてくれるだろうか。

 しかし、武道団体間における他流他会派への質疑や調査というのは、いろいろな意味で難しいことが少なくないし、トラブルの元にもなりかねない。

 ならば、任意団体である彰義隊子孫の会に、取材を申し込んでみようかしら。

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▲柳剛流と彰義隊との関係を示す貴重な史料のひとつである、『雑誌并見聞録』(明治40年)の翻刻



 ・・・などとも考えるのだが、まことに残念ながら、私は自分の稽古と門人への指導、流儀の事績研究、そしてなにより生業が忙しいので、他流派の事跡検証にまでは、なかなか手が回らないのが現状だ。

 けれど、そのうちヒマができたら、彰義隊と天心流の関係について、もう少し気を入れて調べ、その結果を公表してみようかなあと、思わないでもない次第。


「神国に生まれ来たりて生まれ来て それ吹き返す天の神風」
(柳剛流剣術免許巻 武道歌) 



 (了)

数稽古/(武術・武道)

2019年 11月10日 08:30 (日)

 昨日は翠月庵の定例稽古。

 所用で稽古場への到着が1時間ほど遅れたこともあり、今回は15時から17時まで、柴真揚流中心の稽古となった。

 当庵では現在、庵主に加えY氏とN氏の2名が、柴真揚流の稽古を行っている。

 本日、N氏に表早業居捕の「飛違」から「二人捕」までの7本を伝授し、これでY・N両名とも、表早業の居捕・立合投捨、合計32本の教伝が済んだ。

 あとはひたすら、徹底的に数稽古である。

図真の位2




 古流武術を嗜む者の中には、ただ単に己の知っている形の手数や知識をのみ誇る人が散見される。

 それどころか、復元あるいは創作した形を勝手に師伝の体系につけ足して、手数の多さを誇る者さえいるという・・・。

 そのような破廉恥な者には、必ず厳しい神罰が下されることだろう。

 「天網恢恢、疎にして而も失わず」、である。

 いずれにしても、手数や知識のみを誇るというのは、単なるコレクターにすぎず、到底、真摯な武術修行者とは言えまい。

 なにより、手数と知識だけの自称・精妙な技など、朝鍛夕練した当身一発で容易に粉砕されてしまう。



 武術修行を志すのであれば、学んだ形を徹底的に反復鍛錬し、その事理を一致させ、己の肉体に染みこませ、さまざまな相手と何度も何度も形を取り、時には乱稽古も行わねばならない。

 こうして「形」を「業」に、そして「術」にまで止揚するのだ。

 そのために、まずなによりも何千何万何十万回と、徹底的に形を取ること。

 質量転化、つまり数稽古である。 
 
 その境地を目指し、我々は今後も粛々と稽古を続けていこう。

 (了)

柴真揚流の「真之位」/(古流柔術)

2019年 11月08日 01:59 (金)

 深夜、業務終了後、有酸素運動と筋トレのメニューをこなし、その後、半刻ほど柴真揚流の稽古。

 「馬手捕」から「三人捕」まで、表早業立合投捨15本をおさらい。

 さらに、今週末の翠月庵で指導する予定の、表早業居捕の「袖車」と「真之位」を丁寧に繰り返し、その要諦を確認する。



 「真之位」は、柴真揚流の親流儀である天神真楊流や真之神道流にもある、この系統の柔術の代表的な業だ。

 試みに、手元にある『天神真楊流柔術極意教授図解』や『真之神道流初段之巻』に目を通し、両流の「真之位」と柴真揚流の「真之位」を比較してみると、それぞれの微妙な違いが興味深い。

 たとえば、天神真楊流における初段居捕の「真之位」と、柴真揚流の表早業居捕の「真之位」とでは、霞(当身)の掛け方が異なり、真之神道流の初段居形の「真之位」には霞をかける動作がない。

 さらに真之神道流、天神真揚流、柴真揚流では、形の最後の極め方がそれぞれ異なっている。

 柴真揚流の「真之位」は、当身、締め、逆の三手が一体となった複合業であり、真之神道流の「真之位」よりも、天神真楊流の「真之位」により近いものとなっている。



 『天神真楊流柔術極意教授図解』をひも解くと、「真之位」という形=業について、

「此形ノ基本ハ始メヨリ終リ迄実ニ能ク位ヲ取ルヲ以テ真ノ位ト名ル者ナリ」

 と解説している。

 また同書では、「真之位崩之事三手」として、3パターンの返し業の解説が記されているのも見逃せない。

1911_天神真楊流_真之位
▲天神真楊流における初段居捕の「真之位」

 (了)

無事之名馬/(武術・武道)

2019年 11月07日 00:19 (木)

 ここしばらく多忙ゆえ、毎日の稽古前に行っている筋トレと有酸素運動をさぼっていたのだが、昨日から再開。

 昨夜は柳剛流の稽古の前に、ペダルの負荷を最大にしたエアロバイク30分&SASの新兵向けドリル(別名・腹筋地獄)を行った。

 おかげで今日は朝からひどい筋肉痛だったのだが、夕方から空手の稽古へ。

 筋肉痛を解消するには、さらに筋肉に負荷をかけるにかぎると、いつもよりも深い前屈立ちで、自分をいじめながら稽古に精を出した(苦笑)。

 

 柳剛流の命ともいえる跳斬之術=跳び斬りは、単純に筋力で跳躍するのではなく、「太刀の道」に従って跳び違う「術」である。

 が、しかし、そういった「術」の質を担保するために、より強靭な下半身の筋力は、無いよりも有るに越したことはない。

 実際、下半身の鍛錬をしばらく怠っていると、剣術や居合の形を打つ際に、「ちょっと跳べなくなってきたな・・・」と実感することが少なくないのである。

 一方で柳剛流では、こうした跳び斬りの鍛錬のために居合があるわけで、

「筋トレなどせずとも、ひたすら居合を抜けばよい」

 というのも、ひとつの考え方である。

 しかし私個人としては、そういった鍛錬としての居合の稽古をさらに下支えするものとして、ある程度の筋トレをすることも効果的であろうと考えている。

 古流武術をたしなむ人の中には、こうした筋トレやスポーツ的トレーニングを否定する人もいる。

 それはそれで個人の自由だけれど、私は「術」を下支えする筋力や心肺機能はある程度は必要だと思うし、それさえも否定するのは、単にキツイ鍛錬や厳しいトレーニングを嫌がっているだけのようにも思える。

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▲柳剛流の居合は、低く跳躍しながらの受けや斬撃で、跳び斬りの業を錬る



 また最近、「古流武術には、昔から準備運動はない」とか、「常在戦場」とか、ちょっと令和の時代を生きる健全な社会人としては、いささかどうかと思えるような理由から、稽古の際の事前のストレッチや準備運動を否定して行わない人がいるそうな・・・。

 「常在戦場」は論外だけれど、「古流武術には準備運動はない」というのも、相当偏ったモノの見方ではなかろうか?

 素振りや運足の稽古、あるいは流儀に伝わる独自の基礎鍛錬法(柳剛流における「備之伝」や、柳生心眼流における「卍」「巴」など)は、本格的な稽古の前のストレッチや準備運動、あるいは整理体操的な意味合いも持つわけなのだが。

 そういうことすら、やらないのだろうかね、その手の人たちは・・・。

 いずれにしても、格闘技や競技武道など激しい接触を伴う格技はもとより、剣術や居合、あるいは古流の柔(やわら)でも、稽古中のケガの予防や古傷の悪化防止のために、稽古の前には必ず、しっかりと準備運動やストレッチを行うべきだ。

 武術・武道人のケガ自慢ほど子供っぽいことはないのだけれども、私もこれまでの稽古でいろいろとケガをしてきたこともあり、それらがみな五十路を目の前にした今、古傷となっている。

 このため、筋肉や靭帯、関節などを傷めやすい冬場はもとより、夏でも入念なストレッチや準備運動が欠かせない。

 また、稽古で筋肉・靭帯や関節に違和感を感じた際には、軽ければ灸や漢方でセルフメンテナンスを、重い場合は速やかにかかりつけの接骨院を受診するようにしている。



 古傷の悪化防止はもちろん、新たなケガの予防という意味でも、稽古前のストレッチや準備運動は必ず行うべきだ。

 稽古前のストレッチや準備運動を怠り、その結果ケガをしたり古傷を悪くさせたりして、あたら大切な武術人生を縮めるようなことは、自分自身に対してはもちろん、門人に対してもしてはならない。

 私の空手道の師であった、G流のT先生はつねづね、

「無事之名馬(ぶじ、これめいば)」

 と、おっしゃっていた。

 この箴言は、今も私の大切な座右の銘であり、門人に対する指導の要諦のひとつとなっている。

 (了)

「斬ること」に居着かない/(武術・武道)

2019年 11月05日 01:55 (火)

 過日、本部稽古にて、久々に試物を斬った。

 以前は、ほぼ毎週、試し斬りの稽古をしていた時期もあったけれど、ここ数年は、竹のような硬物も、あるいは広げた新聞紙のような柔く軽い物も、試し斬りの稽古はまったくしていない。

 それでもなんとか、初手から抜き打ちで一刀両断することができた。

 いずれにしても試物というのは、なかなかに難しいものだ。

斬り
▲10年ほど前、試斬の稽古で斬った竹
 


 手裏剣術と同様に、試し斬りもまた、斬れたか斬れないかが一目瞭然であることから、ついつい「試物を両断すること」に執着しがちとなる。

 しかし刀を用いた対人攻防では、必ずしも対象を両断する必要はない。

 いわゆる「浅く勝つ」というやつで、鬢や頸などは切先でさっと薙ぐだけでも十分だ。

 裏小手なら軽い引き斬りでよいし、強めの斬撃でも小手を落とせる程度で事足りる。

 剣術家は、試刀家のように二ツ胴や三ツ胴を一刀で両断する必要はない。

 もちろん、できるのに越したことはないけれども。

 また、刃筋を通すということに関しても、実際の対人攻防ではそれほど厳密にこだわる必要はない。

 なにしろ重さ1キログラム前後の鉄の塊で、相手の脳天なり横面なり小手なりを思いっきりひっぱたくのだ。

 多少刃筋が狂っていても、十分に相手を殺傷できる。

 無住心剣術の針ヶ谷夕雲が、

「わざと刃引きにして、これで相手をたたき殺す」(甲野善紀著『剣の精神誌』より)

 と喝破したのは、まことにもって意味深長だ。

 一方で、剣術が刃(やいば)のついた「刀」という武具を用いる武術である以上、「斬れる」に越したことはない。

 また、刃筋が通っているほうがより殺傷力が増すと同時に、刃筋を立てることで刀そのものの強度が増し、曲がったり壊れたりしにくくなることから、それが攻防に有益であるのは言うまでもない。

 ゆえに剣術家たるもの、必要最低限の「斬り」の実力、また刃筋を通すための業前が必要となる。

 剣術はあくまでも剣の術であり、木刀の術や棒の術ではないのだから。


 もう1つ。

 試斬の際に、あらかじめ抜刀した刀を試物の斬り込む部位に当てて、間合をはかってから改めて斬りつける人がいる。

 これは、武術家の所作・立ち居振る舞いとして、たいへんに見苦しいのでするべきではないし、指導者は門人に、そのような試斬をさせてはならない。

 武芸の鍛錬として試物を斬る以上、抜き打ちにしろ何らかの構えから斬るにしろ、あくまでも間合は目測ではかり、形の所作通りに斬るべきであろう。
 


 試刀家ではなく剣術家であるなら、「斬ること」に執着する=居着く必要はないが、さりとて最低限の「斬り」もできないようでは、それもまた、ひとかどの剣術遣いとは言えまい。

 このあたりのさじ加減をどのようにして、己の、あるいは門人の剣術修行に反映させるか?

 剣術を修行する者は、よくよく吟味する必要があるだろう。

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▲山田流試斬秘伝図巻


 (了)

打太刀での気づきと、6人目の修行人/(柳剛流)

2019年 11月03日 12:22 (日)

 昨日は、翠月庵の定例稽古。

 今回は見学・体験希望者があったため、たっぷりと3時間、解説や説明を交えながら柳剛流の稽古を行った。

 当庵に入門して2年半、来春頃には切紙を与えようかと考えているS氏に仕太刀を務めてもらい、剣術や突杖の形を繰り返した。

 剣術の「右剣」や「左剣」では、S氏の跳び斬りや、脚斬りでの踏み込みと斬撃が深く鋭くなってきたため、それを受ける打太刀の私も気を抜くことができない。

 この辺りの攻防において、今回の稽古では彼我の拍子について感じるところがあったので、今後の稽古でさらに検討していこうと思う。

 仕太刀を務める門人が上達することで、打太刀を執る私にも、新たな課題が提示される。

 彼と我とが実際に木太刀を交えて打ち合う、剣術稽古ならではの貴重な学びである。



 稽古終了後、見学者のIさんが正式に入門することに。

 気負うことなく、自らの人生と暮らしに合わせて、粛々と末永く稽古を続けてもらえればと思う。

 これで翠月庵では、私を含めて6人目の柳剛流修行人の誕生である。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門をはじめ、流儀の先師先人方も、草葉の陰できっと喜んでくださることだろう。

1911_柳剛流_切紙


 (了)

二尺一寸/(柳剛流)

2019年 11月02日 01:40 (土)

 今晩は、明日の定例稽古で指導する内容を念頭に、柳剛流のおさらい。

 備之伝から剣術、そして突杖の形を打ち、居合を抜く。

 本日、居合では二尺一寸の無銘刀を使用。

 拙宅の稽古場(台所)で居合を抜くには、実はこの差料が最も使い勝手が良い。

 二尺一寸といえば、ぎりぎり脇差ではないという寸法だが、一畳ほどしかない狭い屋内の稽古場でも、跳び違いを交えながら気持ちよく抜き差しができる。



 仙台藩角田伝柳剛流の居合では、鍛錬として長尺の刀を使うことが推奨される。

 このため平素は、二尺八寸八分の差料を使って柳剛流居合の稽古をしている。

 しかし個人的な好みでいえば、私はどちらかというと二尺一~二寸の短めのもので、肉置厚く、先幅と元幅の差が少ない、猪首切先のような刀が好きだ。

 これはまあ、愛刀である市原“監獄”長光が、まさにそういう体配なのだけれども・・・(苦笑)。

 たしか香取神道流の大竹利典先生は、二尺ちょっとの短い了戒で居合を遣っていたと記憶している。

 いずれにしても、差料が長くとも短くとも、流祖の示した理合の通りに、きちんと抜き差しができるようになることが大切だ。

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▲二尺一寸の無銘刀。試斬用に錆身を格安で購入したのだが、意外に使い勝手が良く、居合の稽古でも愛用している

 (了)

君子は輿を得、小人は廬を剝す/(身辺雑記)

2019年 11月01日 01:28 (金)

1911_易


 今夜は、柳剛流居合を小半刻ほど抜く。

 その後、翠月庵における門人への指導について、いささか思うところあり。

 しばし易経を読み、試みに疑義を易神に問う。

 曰く。

「剥は往くところあるに利あらず。上九。碩(おお)いなる果(このみ)にして食われず。君子は輿(よ)を得、小人は廬(ろ)を剝す」

 なるほど。

 同じ四書五経のひとつでも、世間知的で説教臭い論語に比べ、易経は古代の呪(まじない)ゆえ、言葉のひとつひとつに凄みと迫力がある。

 ま、私は私の「道」を往こう。


「易にいうところの神とは何であるか。(略)。天地間における陰陽の現象の至妙至幽にして測るべからざる作用を指して神というのである」(高田真治)


 (了)