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点茶心指/(武術・武道)

2019年 10月11日 07:30 (金)

「点茶心指」

一フクマイラス

捨テ身ナル聖へ
僧堂ノ行者ヘ
心澄メル比丘尼ヘ
求道ノ居士ヘ
貧シキ道友ヘ
老イタル佳人ヘ
素直ナル若人ヘ
心篤キ娘子ヘ
媚ビザル主ヘ
ツマシキ田舎人ヘ


一フクマイラスナ

金ボコリニハ
エセ宗匠ニハ
青白キ茶坊主ニハ
巧者ブル小茶人ニハ
溺ルル茶数寄ニハ
物見エヌ物狂ヒニハ
高ブル学士ニハ
派手ナル女房ニハ
欲深キ商人ニハ
ヘツラヘル輩ニハ



 「点茶心指」は、権威主義と拝金主義に堕した既成の茶道を厳しく批判した思想家・柳宗悦の、座右の銘であった。

 この一連の警句は、私には武術・武道にも同様に当てはまるように思えてならない。

 「一フクマイラス」を「一手ノ指南ヲ」と、そして「一フクマイラスナ」を「一手ノ指南モ無用」と言い換えればどうだろう?

 茶の湯も武芸も、ともに歴史の中で術から道へ昇華したのであれば、その目指す境涯は同様だ。

 だからこそ、柳の筆鋒は鋭く斯界をえぐる。


「俗な人、欲深い人、卑しい人は、茶人には成りかねる。茶の道は、金や権力から解放されたものでなければならぬ。それゆえ、宗教の場合と変わる所は無い。ただ、茶の道においては、「聖」が「美」という言葉に代わるだけである」(『茶人の資格』より)


 おなじように武術・武道においても、俗な人、欲深い人、卑しい人は、真の武人には成りかねるし、武術・武道は金や権力から解放されたものでなければならぬと、私は強く思う。

 柔(やわら)であれば、この身ひとつ。

 剣術であれば、木太刀一口。

 そしてもうひとつ、人に優しく己に厳しい、清らかな心映え。

 この3つさえあれば、貧しい人も富める者も、老若男女、誰もが稽古を通じて先師・先人方の示した「道」を歩むことが出来る。

 古流武術=伝統武道とは、そのようにあるべきだ。

 秋の夜長、『柳宗悦茶道論集』を味読しながら、そんなふうにしみじみと想った次第。


1811_柳宗悦茶道論


 (了)
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