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あらまほしき姿/(武術・武道)

2019年 09月30日 14:10 (月)

 「人生は歩く影法師」といったのは、たしかシェイクスピアだったか。

 ある人物のイメージとは、その人を見る他者ごとに異なる。

 人の影法師が、それが映る地面の形によって、ある人にはでこぼこに、またある人には平らにとそれぞれ異なって見えるように、同じ人間でもある人にとっては善人であり、そしてまたある人にとっては悪人であったりするものだ。

 ・・・と35年ほど前に、北方センセイが『ホットドッグ・プレス』に書いていた気がする。



 過日、武術・武道関係者ではない知人のA氏と雑談をしていたところ、うちの稽古場の話になった。

 その際、A氏に、

「翠月庵さんのところの道場は、猛稽古なんですか?」

 と聞かれた。

「いやいや、ぬるいもんですヨ(笑)。ラジオ体操ができる程度の体力があれば、誰でもできますから」

 と答えると、

「う~ん、でも、そちらのブログを読んでいると、なんだか命がけの練習をするみたいな感じですよね。結構、おっかないイメージがありますよ・・・」

 と言われてしまった。

 まさに、人生は歩く影法師である。



 このブログは、たしかに稽古場の宣伝や、柳剛流をはじめとした私が稽古・伝承している武芸に関する情報発信のためのものであるのだけれど、それ以前に、極めて私的な公開日記でもある。

 だからこそ、しょうもない貧乏話や、趣味の文楽や歌舞伎の話などもつらつらと書いているわけだ。

 その延長線上で、武芸に関する話も翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部の公式見解というよりは、翠月庵主個人の私的見解であるというスタンスである。

 しかし、そんな筆者の思惑など読んでくださる皆さんにはどうでもよいことであろうし、ここでの私の言動は、少なくとも翠月庵という武芸の稽古会の公式な見解として受け止められるのは、致し方のないことであろう。

 ゆえに、

「夫剣術は敵を殺伐する事也」

 とか、

「なめられたら殺す(といった覚悟)」

 などと書いていると、多くの皆さんには、

「あ、ここは、そういうところなんだ・・・」

 と思われてしまうのだなあと、改めて実感し、そしてしみじみと反省している。



 実際のところ、自分で言うのもなんだが正直言ってうちの稽古は、武術・武道の稽古場としてはかなり「ぬるい」部類だと思う。

 ちょっと分かりにくいたとえかもしれないが、昔ながらの空手の町道場の稽古の身体的・精神的な厳しさやキツさを100としたら、翠月庵の稽古の厳しさやキツさは10くらいであろうか。

 間違っても、入門したての初心者を的の横に立たせて手裏剣をぶち込んだり、素面素手で木刀を使いめったやたらに打ち合ったりはしません(苦笑)。

 先に述べた通り、うちの稽古はラジオ体操ができる程度の体力があれば誰でもできるというのは、けして大げさな話ではない。

 これには理由(わけ)があって、

「稽古場は業や形、術を学ぶ所であって、鍛錬をする場所ではない」

 というのが、翠月庵の基本的な考えだからだ。

 学んだ業や形、術を磨くための鍛錬や反復練習などは、個々人が自分自身の稽古として日々積み重ねていくものである。

 そのような鍛錬や反復練習の方法については、稽古場で丁寧に指導はするけれど、鍛錬や反復練習そのものは自分でやってネ、ということである。

 こうした理由から、翠月庵ではことさら苦行・苦練を強いたり、あるいは体を傷めつけメンタルに圧を加えるような稽古は、ほとんど行っていないわけだ。

 一方で、武術・武道に「強さ」を求めるのであれば、時には体を傷めかねない厳しい稽古、あるいはメンタルに圧を加えるような鍛錬も必要になってくる。

 しかし、そのような鍛錬や稽古は、あくまでも学ぶ人の主体的な意思があってこそのものであり、師匠が弟子に無理やり押し付けるような事ではない。

 「厳しい稽古」というのは、それを望む弟子と、それを受け止める師との相互理解と信頼関係が前提であり、それを望まない人にあえて厳しい稽古を強いる必要はないのである。

 門人が望んでいないのに、師匠が厳しく過酷な稽古を強いるであれば、それは単なるイジメであろう。

 ゆえに当庵では、軽い気持ちで武術を学びたい人には、それに合わせた指導をする。

 一方で、生涯をかけて武芸に打ち込みたいという人には、その志に見合った教え方をする。

 はたまた、「来月に敵討ちの決闘があるのですが、やっとうは苦手です。どうしたらよいでしょう?」といった奇特な依頼があれば(ま、無いけどな・・・)、そのために必要な「術」を伝授することもやぶさかではない。

 ・・・というのが、私=翠月庵のスタンスだ。



 そんなわけで、翠月庵では武術・武道の経験者はもとより、まったく武術・武道をやったことがないという未経験者の入門も歓迎している。

 また、流儀の蘊奥を極めたいという人だけでなく、「なんとなく古武道をやってみたいな」という人にも、広く門戸を開いている。

 他流との兼習もかまわないし(ただし稽古中は、当流のやり方に従ってもらうことは言うまでもない)、年に1~2回といった頻度での遠方からの通い稽古もO.K.だ。

 入門したものの「自分には合わないな・・・」と思ったら、いつでも自由に退会できるし、それで庵主が怒ったり、文句を言ったりもしない。

(ま、一度入門した人が門下を去るというのは、理由はどうであれ指導者としては寂しいもんですが・・・)

 12年前の開庵以来、教授料について月謝制ではなく1回ごとの参加費制としているのは、そういう「風通しのよさ」を担保しておきたいという、ささやか想いからでもある。


「来たらば即ち迎え、去らば即ち送る。対すれば和す。五、五は十なり。二、八は十なり。一、九は十なり。即ちこれをもってすべて和すべし」


 という古い兵法の教えは、単なる対敵動作の心得ではなく、人間の生き方における「あらまほしき姿」ではなかろうか。

 翠月庵の門戸はいつでも誰にでも広く開かれており、できるだけ風通しの良い稽古場でありたいと願っている。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門をはじめ、各流の先師・先人方も、そのような稽古場の在り様を喜んでくれるのではないかと、私は思う。

1909_柳剛流_流祖頌徳碑

 (了)

「右剣」を磨く/(柳剛流)

2019年 09月29日 19:31 (日)

 昨日の翠月庵定例稽古では、新人のAさんを相手に、柳剛流剣術で学ぶ最初の一手である「右剣」にじっくりと取り組んだ。

 柳剛流の真面目は、脚斬り(断脚之太刀)と跳び斬り(跳斬之術)にあるわけだが、この2つのすべてのエッセンスが、入門者が最初に学ぶ「右剣」の形に込められている。

 誤解を恐れずに言えば、柳剛流のすべての業=形=術は、いずれも「右剣」の応用変化であるといっても過言ではない。

 それだけに、この形をどれだけ己のものにできるかが、柳剛流の大成へ直結しているのである。

 このため昨日は、形稽古に入る前に「右剣」の形の中で要求される柳剛流独特のさまざまな動きを抽出し、それを反復鍛錬することから指導を開始。

 私個人としては、こうした近代武道的な部分強化の稽古から始めるアプローチよりも、初心からひたすら仕太刀と打太刀で形を打ち練り込んでいく昔ながらの稽古法の方が好みだし、実際、若いころはそのような指導を受けてきた。

 しかし、特に剣術の稽古経験のない現代の若者に対しては、まずは剣術における基礎鍛錬をしっかりと行った上で、形稽古に入っていくほうが効率的なのだろうなと考えている。

 というわけで私も指導しながら、ひたすら跳び斬りの素振りや折敷いての脚斬りを繰り返し、なかなかフィジカルに堪える稽古となった。

 我ながら、もっと柳剛流居合をやり込んで、下半身を強化しておかないとダメだなと、しみじみ実感した次第・・・(苦笑)。

190505_柳剛流_左剣
▲柳剛流剣術の真面目たる、折敷いての脚斬り(仕太刀:吉松章、打太刀:瀬沼健司)

  (了)

わらの犬/(時評)

2019年 09月27日 11:25 (金)

 翠月庵は天下御免の野天道場のため、稽古では地下足袋が必需品だ。

 私はもう10年以上、「力王 祭り足袋 エアーたびフィット 5枚 メンズ」を愛用している。

 新調してから大体2年くらいではきつぶしてしまい買い替えるのだが、ちょうど先の稽古で破れてしまったので、アマゾンで注文をした。

 ついでに、来月の松代の演武では、監獄長光で荒木流抜剣を遣うので、目釘も新しいものを(予備も含めて)購入した。

 これが私の、消費税増税前の「駆け込み購入」である。



 それにしても今回の大増税が、私の暮らしにどの程度の影響を与えるのか、いろいろと試算検討しているのだが、暗澹とした気持ちにしかならない。

 ざっと年収ベースでは、年間で約10万円以上の増税となる。

 シャレにならない負担増だ。

 加えて私は、キャッシュレス決済はJR東日本のスイカのみを利用しており、クレジットカードなるものは1枚も持っていないので、交通費以外のすべての消費行動は現金決済である。

 交通費といえば、ガソリン代や高速料金はどうしてるかって?

 つうか車やバイクは所有していないし、そもそも車の免許を持っていないので、そういう交通費は発生しないのだ。

 私のCO2排出量は、とても少ないのである。

 閑話休題。

 いずれにしても現金決済で生きている私は、アベ政権のこざかしいキャッシュレスによるポイント還元の恩恵は、ほとんど受けることができないのである。

 ま、そもそもこのポイント還元なるものは、そのしくみ上、ファミレスなどは対象外である一方で、客単価2万も3万もする銀座のすし店などといった高級店では還元されるという富裕層優遇のしくみであり、私のような低所得者にはなにも恩恵がないんだけどな。



 こうした情況から、私の消費税対策は節約と買い控え、そして貯蓄の3つしかない。

 節約といえば、日経の電子版に消費税対策にニンジンの皮まで食べろとかいう記事が掲載されて炎上しているそうだが、そんなことは言われるまでもない。

 ニンジンどころか、ダイコンやカブの皮も捨てずに、こちとら毎日自炊して暮らしてるんだっつうの(怒)。

 ま、年収800万や1000万といった上級国民の皆様には、100円、10円単位で家計をなんとかやりくりしている我々下級国民のリアルな生活など、まったく実感できないのだろう。

 先進国中最悪レベルといわれる7人に1人の子どもが相対的貧困にあり、働く人全体の約4割が非正規雇用とされる一方で、財務大臣は外食代に年間2000万円を使い、総理のオトモダチには100億円単位の補助金が交付される。

 格差社会どころか、すでに階級社会となっているのが今のこの国の現状であり、そこで搾取され踏みにじられる我々持たざる者は、所詮は「わらの犬」なのだ。

 そういう「世界」に、私は生きている。

 秩父困民党の闘士であった井上伝蔵は、没後100年が過ぎたこんな日本の惨状を、今どのようにみるだろうか・・・。



 今後も翠月庵の教授料は、できるだけ値上げしないように頑張るつもりだが、その分増税後、特に年が明けて来年以降は、武術関連の諸経費について、大幅に削減・節約しなければならないだろうなと、今から覚悟している次第。

 まずは柳剛流の長木刀にしっかりと油をひいて、少しでもささくれずに長く使えるようにしなければならんね(苦笑)。



1909_わらの犬


天地には仁愛などはない。万物をわらの犬として扱う。
聖人には仁愛などはない。人民をわらの犬として扱う。
(老子道徳経 第5章)



 (了)

気鬱を払う/(身辺雑記)

2019年 09月27日 01:48 (金)

 季節の変わり目だからか、はたまた仕事も稽古もちょっとバーンアウト気味だからか、少々気鬱である。

 おかげで、朝から机に座っても、なかなか仕事が手に付かず、手に付かないので作業が進まず、作業が進まないのでやる気が出ず、やる気が出ないので仕事が手に付かず、手に付かないので・・・という、負のスパイラルへとなだれ込んでしまう(苦笑)。

 結局、夜中まで机に座っていたのだが、仕事はあまりはかどらないまま、本日の業務は終了。

 ま、そんな時もある。



 稽古着に着替え木太刀を手に執り、深夜、柳剛流の稽古。

 備之伝、備十五ヶ条フセギ秘伝で気を整え、「右剣」から「相合剣」まで、剣術形にじっくりと取り組む。

 剣術の後は、突杖のおさらい。

 「ハジキ」から「抜留」まで、5本の形を打つ。

 ひとしきり木太刀と杖を振るっていると、いつのまにか気鬱も散じていき、改めて私の武術修行の「幹」は柳剛流であるのだなあと、しみじみと実感する秋の夜長。

1909_柳剛流_佐藤金三郎先師免許



 それでは、ひと風呂浴びて休むとしよう。

 (了)

蘇る「赤羽刀」/(身辺雑記)

2019年 09月26日 10:38 (木)

1909_週刊日本刀


 10月1日(火曜)発売予定の週刊日本刀第18号にて、「受難を乗り越えた名刀群 蘇る『赤羽刀』」という原稿を執筆しました。

 よろしければ、ご笑覧ください。

 
 (了)

素振二十八ヶ条・「落」/(古流柔術)

2019年 09月24日 02:14 (火)

 先日の定例稽古では、柳生心眼流の素振二十八ヶ条のうち、「落」の七ヶ条(片衣・両衣・袖突・打込・折取・襟取・大搦)を一時間ほどかけて、集中して取った。

 当庵では、柳生心眼流の素振の返し(後方転回)が取れるのが、私とY氏しかいないので、Y氏が定例稽古に参加した際には、できるだけ心眼流の組形を稽古するように心がけている。

 今回、集中して稽古した「落」は、


「敵の虚をつく最高技法である。敵に返し技の隙を与えず、上段、下段と目まぐるしく打突を繰り出す。気の上下動の運用法も落で至極となる」(『日本柔術当身拳法』より)


 と、師の著作に記されている。

 「落」では、返しを打つ際に「表」や「中極」、「切」とは異なる取口となるため、その辺りも十分に留意しつつ、Y氏と私とで受と捕を交代しながら、丁寧に形を繰り返した。

 個人的には、心眼流の「落」については「表」や「中極」とは違った使い方での肘での受け外しや、上段への突きから入り身しての下段の当て、そこからの返しなど、たいへんに実践的な技法群だと感じている。

1902_柳生心眼流_3
▲柳生心眼流の素振では、受けは自ら地を蹴って、後方転回して立つ(捕:吉松章、受:瀬沼健司)



 また、これは以前にもブログで触れたが、師の教えによれば、素振での返しは後方に転回することで気の巡りを整える、養生の効用もあるとのこと。

 実際に心眼流の組形を稽古すると、そうでない稽古日に比べて、翌日の疲労感が少ないように思える。

 ま、これはプラセボかもしれないが・・・(笑)。

 いずれにしても、柔術の中でも当身拳法が大好きな私としては、柴真揚流と併せて柳生心眼流もしっかりと稽古し、自分の「術」としていきたいと考えている。

 (了) 

簑助の至芸に酔う/(身辺雑記)

2019年 09月23日 18:41 (月)

1909_文楽



 本日で、令和元年9月の国立劇場文楽公演は千秋楽。

 私は9月中旬の某日、親しい人と連れ立って第一部の『心中天網島』から、第二部の『嬢景清八嶋日記』、『艶容女舞衣』までを通しで鑑賞した。

 近松の最高傑作と言われる『心中天網島』では、人間国宝・吉田和生とその次代を担う桐竹勘十郎による、小春と治兵衛の美しくもはかない道行、そして「闘う三味線」こと人間国宝・鶴澤清治の磨き上げられた太棹の音色を存分に楽しむことができた。

 『艶容女舞衣』では、吉田一輔のあやつる美濃屋三勝のしとやかな動きが目をひいた。

 そしてなにより、『嬢景清八嶋日記』である。

 人形浄瑠璃文楽の生けるレジェンド、人間国宝・吉田簑助の至芸を、最前列1列目ほぼ真ん中の席から、じっくりと堪能することができた。

 昨年は、明らかに体調がすぐれないように見える公演もあったが、今回はヒロイン糸滝を最初から最後まであやつり、その可憐でしなやかな、情感あふれる芝居を心ゆくまで楽しませていただいた。

 また、昭和最後の名人・竹本越路大夫の直弟子である竹本千歳太夫の奥行のある語り、鶴澤清介の冴えた三味線も実に聞きごたえがあった。

 そして今回感じたのは、簑助の名演によって相手役である悪七兵衛景清を操る吉田玉男の演技が、目に見えて引き立てられていたことである。

 玉男は第一部の『心中天網島』でも、粉屋孫右衛門を遣っていたが、その時よりも『嬢景清八嶋日記』で蓑助操る糸滝と絡んでいるときの方が、明らかに生き生きと、情感あふれる見事な人形捌きになっていた。

 上位者が下位の者の業を引き立てる。

 これは武芸の修練にも通じることであり、私もひとりの武術師範として、常にそのようにありたいものだと思う・・・。

 ま、そんな武張った話はさておき、まる一日、たっぷりと文楽を楽しむことができた至福の時であった。

 文楽は本当にいいね。


 (了)

武技としての手裏剣術/(手裏剣術)

2019年 09月22日 23:59 (日)

 柳剛流と手裏剣術が翠月庵の表看板なわけだが、ここしばらく、手裏剣の稽古はどうしても片手間になりがちであった。

 このため先日の翠月庵の定例稽古では、久しぶりに1時間ほどかけて手裏剣をじっくり打った。

 それにしても、久々の打剣のため、たかが3間程度の近距離にもかかわらず、最初は尺的すら外す始末・・・。

 手裏剣は、稽古不足が如実に現れる武芸だなあと、しみじみ思う。

 小半刻ほど3間強(的から10歩の間合い)の基本打ちに集中して、ようやく「板金を打つ心」(フルパワーで殺しに行く気勢)での打剣で、4寸的に集剣するようになった。

 やれやれ。

160206_155609.jpg
▲3間強から「板金を打つ心」での打剣例。5打中3本は寸的にまとまっているが、1本は右にそれ、1本は的に刺さっている手裏剣の剣尾に当たってはじかれた



 剣術では昔から、刀を殺し、技を殺し、気を殺すという3つの留意点を「三殺法」と呼ぶ。

 それになぞらえて、手裏剣術の打剣における三殺法は、手首を殺し、力を殺し、心を殺すことである。

 「手首を殺す」というのは、手首のスナップを絶対にかけないこと(スナップをかけると、剣尾を叩いて首落ちする)。

 「力を殺す」とは、力んで腕を振らないこと(力を入れて腕を振ると、手離れが遅れて首落ちする)。

 「心を殺す」とは、平常心で的=敵に向かうこと(手裏剣の打剣=刺中の結果は、驚くほどメンタルの影響を受ける)。

 この3つの要点が1つでも欠けていると、手裏剣は刺さらない。

 では、具体的に、手首をどう殺すのか?

 力を殺しながら一打必倒の打剣の威力をどう担保するのか?

 どのようにして平常心を保つのか?

 これらはすべて、当庵の口伝である。



 手裏剣の稽古というのは、なかなか上達しない一方で、下達するのは目に見えて分かるものだ。

 かつては私も、直打で7間まで通したのだけれど、最近は稽古不足で5間が限界である。

 もっともここ数年は、距離を延ばすよりも精度や威力を重視しているので、5間を超える中・長距離はまったく稽古していない。

 いずれにしても、武芸として手裏剣術を標榜するのであれば、3間尺的への集剣・的中は必要最低条件だ。

 これは、もう10年以上も前から指摘していることだが、太刀合における手裏剣の実践間合は1間半~2間半である。

 私の記憶が確かなら、旧ソ連の特殊部隊におけるナイフ投げの訓練距離も約2間であった。

 彼我、相対する勝負の場においては、手裏剣術者にとって1間は近すぎ、3間では遠すぎるのである。

 だからこそ普段の稽古では、必ず3間以上、4間までは通さなければならない。

 なぜなら、固定されて動かず、反撃もしてこない的に対して3~4間が通せないレベルの術者が、2間半以内の間合いで、しかも動き回りあるいは我に向かって突進し反撃をしてくる殺意を持った剣術者を相手に、一打必倒の手裏剣を打つことなど、できるわけがないからだ。

 こうした「厳しさ」を己に課して稽古に臨まなければ、手裏剣術は単なる見世物やパフォーマンス、あるいは的当て遊びの手慰みとなってしまう。

 最近は行っていないけれど、4~5年前まで当庵では、3~4間間合で的の横に打太刀を立たせて打剣をする相対稽古をしていた。

 この間合で、しかも「板金を打つ心」で、防具をつけていない生身の人間を的横に立たせて手裏剣打つ稽古は、本当に命がけである。

 これは、十分に稽古を積んだ手裏剣術者同士(手裏剣を打つ者は3~4間で4寸的必中、的横に立つ打太刀は相対稽古で2間から打たれた手裏剣を完璧に避けることができる技量が必要)だからこそできる稽古だ。

 しかも万が一の場合、ケガや障害を負っても自分で責任をとる「覚悟」のある者だけができる稽古である。

 ゆえに、こうした稽古は一般の武術・武道人には推奨しないし、打剣未熟な者は絶対にまねをしてはならない。

 しかし、見世物やパフォーマンスではなく、手裏剣術を「武技」として鍛錬しようという人には、意義の深い稽古であろう。

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▲刀法併用手裏剣術の組稽古。間合3間で、打太刀の横の的に、実際に手裏剣を打つ(平成26年度翠月庵秋季合宿にて/仕太刀:吉松章、打太刀:瀬沼健司)



 最近は、こうした厳しい手裏剣術の稽古をしていない・・・。

 知命の歳を前にして、私もいささか「ぬるく」なってしまったのかなあと、遠い目になる今日この頃である。

 (了)

柳剛流突杖を錬る/(柳剛流)

2019年 09月20日 02:29 (金)

 深夜、柳剛流突杖の稽古。

 「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」と、5本の形を丁寧に繰り返す。

 柳剛流の突杖(杖術)は、流祖・岡田惣右衛門が廻国修行のおりに常陸国で学んだ総合武術・三和無敵流から取り入れたものといわれ、別名「三尺棒」と称される。

1609_三和無敵流伝書
▲『三和無敵流和力目録 全』に記されている突杖術。「乳切」という添え書きがある



 突杖は、房州に伝わった古川貢伝の柳剛流では「乳根木」と称し、柳剛流と天神真楊流を合わせた分派である中山柳剛流では「突之刀法」という。

 乳切程度の比較的短い杖を遣う太刀合の形は、いずれもシンプルで即応的ながら、激しく鋭い。

 一瞬で勝敗を決する飾り気のない業だけに、地味ながら形を打つ術者の練度が如実に現れるともいえよう。

 この秋は、突杖をじっくりと練っていこうと思う。

1909_柳剛流_突杖
▲翠月庵門下による柳剛流突杖の演武(仕杖:長峰浩二、打太刀:吉松章)


 (了)

一〇心/(柳剛流)

2019年 09月14日 11:00 (土)

 柳剛流の免許の階梯で伝授される極意には、長刀(なぎなた)をはじめ、組打や活法などさまざまな実技・口伝がある。

 それらの中でも、重要なもののひとつが、「一〇心(いちまるこころ)」の口伝だ。

 その内容をここで明かすことはできないが、古流武術にある程度達した人であれば、その図象から意味する内容について、ある程度の推測がつくであろう。

1909_柳剛流_一〇心
▲佐藤金三郎先師が受領した柳剛流剣術免許巻に記されている「一〇心」口伝



 宮城県内における、仙台藩角田伝柳剛流最後の伝承者である佐藤正敏先生は、かつて、ご自身が指導する少年剣道の稽古会の旗に、この「一〇心」の図案を入れて掲げていたのだと、聞かせてくださった。

 柳剛流の剣を志し、それを極めようとする人は、数多くの先師先人方が受け継いできた「一〇心」の教えを、常に胸においておかねばならない。



「敵と我二人と見るは愚かなれ
 一体一気溜りなければ」(柳剛流武道歌)



 (了)

語り得ぬものについては沈黙しなければならない/(身辺雑記)

2019年 09月12日 12:00 (木)

地蔵菩薩


 ネットやSNSからは、少し距離を置いた方が良いかなあと思う、今日この頃。

 『青色本』でも、読み直すか・・・。
 

 (了)

柳剛流兵法 免許/(柳剛流)

2019年 09月09日 12:00 (月)

1909_柳剛流_免許


 昨日の本部稽古にて、師より柳剛流兵法免許の免状と、柳剛流剣術免許巻を拝受した。

 これでひとつ、自分の武道人生に大きな区切りをつけることができたように思う。



 流祖・岡田惣右衛門の創流から200有余年。

 柳剛流という、かけがえのない武芸の業と心を、今後も磨き、高め、次代につないでいかなければならない。

 今、喜びとともに、責任の大きさを強く感じている次第。



 打つ人も打たるる人も打太刀も
 心なとめず無念無心そ
         (柳剛流武道歌)



 (了)

12年周年に想う/(武術・武道)

2019年 09月08日 01:00 (日)

170827_10周年


 千鶴が思い切りよく葉に鋏を入れるのを見て源五は思わず、
「花というものは自然に咲いておってきれいなものだと思いますが、やはり葉は切らねばならぬものですか」
 と聞いた。千鶴はにこりと笑って、
「源五殿は、人は皆、生まれたままで美しい心を持っているとお思いですか」
「いや、それは……」
 源五が頭をかくと、
「人も花も同じです。生まれ持ったものは尊いでしょうが、それを美しくするためにはおのずと切らねばならないものがあります。花は鋏を入れますが、人は勉学や武術で鍛錬して自分の心を美しくするのです」
 千鶴は静かに石蕗に鋏を入れながら、
「花の美しさは形にありますが、人の美しさは覚悟と心映えではないでしょうか」
 と言うのだった。
 (葉室麟/『銀漢の賦』より)




 小さくささやかな稽古の場ながら、翠月庵を開いて昨日の稽古でまる12年となった。 

 そこで想うのは、結局のところ武芸の修練とは、

「人としての、覚悟と心映えを磨くこと」

 ではないだろうか。

 翠月庵で学ぶ人は、まずなにより覚悟と心映えのある武人であってほしいと想う。


  (了)

今晩は、柴真揚流を中心に/(古流柔術)

2019年 09月07日 02:49 (土)

 今晩の稽古は、定例稽古で指導する予定の内容をおさらい。

 まずは警視流立居合を、「前腰」から「四方」まで、礼法も含めて丁寧に抜く。

 次いで柴真揚流は、 「飛違」から「二人捕」まで居捕を確認。

 〆は当身台へ、柴真揚流の立合投捨の形の動きで当身の打ち込み。

 ただやみくもに拳足を打ち込むのではなく、形の動きにしたがい、電光や雁下、水月や後電光など、適切な「殺」の部位に正しく当てることを心がける。

 できれば近いうちに防具を購入し、相対の形でもしっかりと当身を入れて稽古をしたいものだ。

 特に蹴足は、実際にしっかりと当てないと、なかなか技として「効かせる当身」の習得が難しいので、防具での稽古が欠かせないと感じている。

 また柔(やわら)特有の親指を握り込んだ拳での当身も、実際に当てて拳の握り具合と手ごたえをしっかりと養わないと、武技として通用するレベルにならない。

 一方で頭突きの打ち込み稽古は、首や脳にくるのでほどほどに・・・(爆)。


1909_柔術_当身
▲『極意図解柔道新教範』(菅原定基著/大正14年)より


 (了)

覚悟のススメ/(武術・武道)

2019年 09月05日 12:08 (木)

 今週末の定例稽古で、翠月庵は結庵から丸12年となる。

 干支が一回りしたわけだ。

 未だ片手に余るほどの門人しかいない貧乏道場ながら、我ながらよく続いたものだと思う。



 12年も武芸の道場をやっていると、まあ、それなりにいろんなことがある。

 最近はあまりそういうことはないけれど、開設初期には道場破りまがいの見学者が来たり、敵意を持った他団体の代表者が稽古場におしかけてきたりしたこともあった。

 あるいは講習会で、挑戦的な態度で挑んでくる者がいたり、こちらの指示を守らず不意打ちをしてくる者もいた。

 まったく、野蛮な連中ばかりで、困ったもんである(苦笑)。

 結果としてそれらのケースにおいて、それぞれの状況の中で、

 「武人として処すべき、最適の対応」

 がとれたからこそ、12年が過ぎた今も、翠月庵の看板を下ろさずにいられるわけだ。

 ささやかながらも、こうした経験から実感してきた教訓を、いくぶん粗野な言葉で表現すれば、

 「武芸者は、なめられたら終わり」

 であり、ゆえに、

 「なめられたら、殺す」

 という覚悟がなければ、己の名を名乗り、天下の往来に道場の看板を掲げてなどいられない。

 ま、あくまでも、「覚悟」ということですよ、覚悟・・・(笑)。



 良いことか悪いことかは別として、令和の時代の今も、武術・武道の世界というのは、それが闘争のための武技である以上、本質的には弱肉強食そして適者生存の世界である。

 ゆえに、公に看板を掲げて稽古場を開き、そこで門人を集める以上、指導者にある程度の実力とそれなりの覚悟がなければ、あっという間に悪意や害意を持った相手に「喰われて」しまう。

 ゆるふわのオトモダチばかりではないというのが、厳しい世間の現実なのだ。

 さらに、これはなにも道場破りや講習会荒らしといった手合いだけではなく、誓詞をとった弟子ですら潜在的にはそういう気持ちを秘めているという、武術・武道という芸事の宿命を、指導者は心の隅に置いておくべきだろう。

 だからこそ武芸の師範を名乗るのなら、必要な場合には悪意や害意を持った他者を適切に邀撃制圧できる「業」と「術」、そして「心法」を、常に担保しておかなければならない。

 一方で当然ながら、この広い世の中には、自分よりも強い武術・武道人は、何千何万人といる。

(形武道しかやっていない人には、この点を実感していない者が少なくない)

 そのような相手が、悪意や害意を持って我に向かってきたらどうするか?

 『兵法三十六計』に曰く、「走為上」(走(に)ぐるを上と為す:万策尽きたときは、逃げるのが最善の策である)というのも、兵法の一手ではある。

 しかし、必ずしも逃げることができない場合があるし、逃げてはならない状況もあろう。

 ならば大星由良之助のごとく、すみやかにその場で覚悟を決めるしかない。

 かなわないながらも、

 「一死一殺」

 の心法で、ただひたすらに相討ちを目指すのみだ。

 その覚悟を、「威」とし、「業」とし、「術」としていく。

 これしか、あるまい。

 平山子龍に私淑する者としては、それこそが究極的な意味での、武術稽古の本質であろうと考えている。



 初秋の夜、これまでの12年間を振り返って、しみじみとそんなことを思った次第。

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「自立心だ。自分自身を頼りにする気持だ。自分以外の物事に必要以上に影響されないことだ。お前はまだそれだけの年になっていない。お前のような子供に自主独立を説くのは早すぎる。しかし、お前にはそれ以外に救いはないのだ」(ロバート・B・パーカー『初秋』より)


 (了)

空手道月例稽古、柳剛流『日本竹苞雑誌』/(武術・武道)

2019年 09月03日 12:41 (火)

 昨日は夕方早めに仕事がひと段落ついたので、「県立武道館に空きがあるかな・・・」と公式サイトを見ると、折よく剣道場が開いていた。

 では、せいせいと2尺8寸の差料で柳剛流居合でも抜こうか(拙宅の稽古場は狭くて、2尺8寸は自在に振るえない・・・)と思ったのだが、なんと本日は空手の月例稽古の日であるという。

 ・・・忘れてたヨ。

 そこで、風呂敷に稽古着を包んで空手の稽古へ。

 毎週水曜の定例稽古とは異なり、毎月1回の月例稽古参加者は、大人がほとんどだ。

 とはいえ、師範方以外、有段者は私を含めても3~4人しかおらず、また年齢層も非常に高いので、普段は定例の稽古と同様、基本稽古と形稽古が中心である。

 しかし本日は打ち込み稽古がみっちりと行われ、ワン・ツー(刻み突き→逆突き)や、蹴込追い突き逆突き、刻み突きからの追い蹴りなどなど、組手の基本技中心の稽古でみっちりと絞られる。

 稽古後半は、第一指定形のセイエンチン。

 呼吸に留意して形を打つ。



 1時間半、たっぷりと汗をかいて帰宅すると、先日、紀州藩田丸伝柳剛流の森島先師について記事を書いた際に、ネットの古書肆で見つけた『日本竹苞雑誌』の第一号が到着していた。

 今から126年前の明治26(1893)年発行の小冊子だけに、虫食いだらけでひどい状態だが、読むことはできる。

 ざっと目を通すと、日本竹苞館の道場開設報告で、森島先師や村林先師が、柳剛流の居合、杖、二刀、小太刀、剣術では「右剣」と「左剣」を演武し、さらに盛大に撃剣の稽古にいそしんだなどと書かれていた。

 なお、「右剣」と「左剣」の形の演武は、真剣で行われたとのこと。

 また、

「伊勢新聞に、日本竹苞館の剣客が某氏の用心棒役に雇われた云々という記事があるが、それは真っ赤な嘘である」

 など、流言やデマに関する訂正記事が、巻末にいくつか記されているのも興味深い。

 さらに、森島楠平先師の子息である貞三氏が柳剛流の居合を披露した云々という記述もあり、少なくとも森島家では、楠平先師から二代にわたって柳剛流が継承されていたことが分かる。

 この『日本竹苞雑誌』の第一号の内容については、精読の上、項を改めて記述する予定。


1909_柳剛流_日本竹苞雑誌
▲明治26(1893)年発行の『日本竹苞雑誌』


 (了)