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ハワイに柳剛流を伝えた、古山伴右衛門の伝系が判明!/(柳剛流)

2019年 08月03日 00:03 (土)

 柳剛流剣術師範であった古山伴右衛門(1857~1924)は、大正5(1916)年にハワイの日本人移民に対する剣道指南役として宮城県庁から派遣され、ハワイ島で400人におよぶ日系移民を指導をした。

 古山伴右衛門については、2018年4月10日に本ブログにて、

「柳剛流、海を渡る ― ハワイの柳剛流剣術師範・古山伴右衛門」
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-1336.html

 という簡単な記事をまとめた。

 その記事において私は、少ない史料から、

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 古山伴右衛門の出身である刈田郡白石は、同じ仙南の伊具郡角田に隣接しており、伴右衛門が12歳のときには仙台藩の分割によって、白石も角田も共に白石藩(県)となっている。

 こうしたことから想像の翼を広げると、古山伴右衛門が学んだのは仙台藩に伝わった柳剛流の中でも、仙北で興隆した登米伝ではなく、伊達家筆頭家老である石川家に伝わり成教書院(石川家の師弟を教育する文武学校)で代々稽古されてきた、岡田(一條)左馬輔直系である仙南の角田伝柳剛流だったのではないだろうか?

 だとすれば、この時期であればおそらく、泉冨次師範やその高弟たちの薫陶を受けた可能性が高い。
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 と推測した。



 金田一耕助は、さんざん人が死んだ後になって、犯人を明らかにする決定的な証拠がとっくに示されていたことに気づき、

 「しまったあ!」

 などといって頭をかきむしるわけだが、昨晩の私が、まさにそんな状態であった・・・。

 今年の春、パソコンのハードディスクが突然全損してしまい、これまで集めてきた柳剛流に関する画像や資料の多くを消失してしまった。

 しかし、一部の画像資料は、本ブログにアップしてあったため、それらを確認しようとFC2のクラウド上のアルバムをつらつらとみていると、2017年12月に武術家で伝書収集もしている知人のKさんから見せていただいた柳剛流の切紙と目録の画像があった。

 これ幸いと、改めてダウンロードしてみると、その目録は明治38(1905)年に古山伴右衛門が笹谷源四郎に出したものだったのである!

(名前の表記について、古山伴右衛門は、『半右衛門』とも表記する。伝書の記載は半右衛門である)

 私が本ブログで古山伴右衛門について書いたのは2018年の4月10日だが、Kさんからこの目録を拝見させていただきその内容を本ブログにまとめたのは2017年の12月25日。古山伴右衛門について記事を書く3か月ほど前である。

 これはまったく、うかつであった・・・。



 さて、古山伴右衛門がハワイに渡ったのは大正5(1916)年なので、この目録が記されたのは渡米の11年前となる。

 そして、巻末の伝系を見ると、古山の師は「日下●(重?)司」となっており、日下の師は今井亀太郎、そして亀太郎の師は当然ながら、今井右膳である!

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▲古山伴右衛門は、今井右膳系の柳剛流剣士であった



 今井右膳(林右膳と同一人物)といえば、柳剛流祖・岡田惣右衛門の直弟子であり、江戸府内の内神田白壁町(現在の東京都千代田区神田紺屋町付近)で稽古場を開き、数多くの門人を輩出した、柳剛流第二世代の師範中でも筆頭に数えられる大師範家である。

 今井右膳の弟子には、幕末の江戸を代表する柳剛流師範家である岡田十内や、柳剛流と天神真楊流を合わせた新流派である中山柳剛流を開いた中山幾之進の父・中山多七郎などがいる。

 今井亀太郎は、その右膳の後嗣であり、柳剛流今井派の二代目として、江戸府内から武州、上総までも足跡を残し、父と同様に数多くの門人を育てた。

 その今井亀太郎の弟子である「日下●(重?)司」が、古山伴右衛門の師であった。

 つまり古山伴右衛門の柳剛流は、(幼少期に地元で、ある程度角田伝を稽古していたとしても)、その伝系は過去記事で私が推測した仙台藩角田伝ではなく、江戸の大師範家である今井右膳系の柳剛流だということが、この伝書の存在によって明らかになったのである。

 私が古山伴右衛門の柳剛流を「仙台藩角田伝ではないか?」と推測したのは、彼の出生地が角田に隣接した刈田郡白石だったからなのだが、本人が記した伝書に記載されている伝系という「動かぬ証拠」によって、その推測の誤りが正されたというわけだ。

古山伴衛門
▲『図説ハワイ日本人史』に掲載されている、古山伴右衛門の写真と履歴



 それにしても、謎に関する動かぬ証拠が、はなから自分の手元にあったとは・・・。

 頭の中で、すでにあった史料の伝書と、古山伴右衛門の存在という両者が、つながっていなかったのである。

 これでは金田一さんの、「殺人防御率」の高さを笑えませんな。


※殺人防御率とは、「探偵が事件に関与してから解決するまでにおきた殺人件数を、作品数で割ったもの」(『本の雑誌』より) 。ちなみにエラリー・クイーンの防御率0.7に対して、金田一耕助の防御率は4.2と実に高い(苦笑)。映画『金田一耕助の冒険』では、「もうあと4~5人は死にそう」「どこまで殺人が行われるか見守りたい」などと、自らの防御率の高さを自嘲ぎみに語っている。


■参考文献
『図説ハワイ日本人史』ビショップ博物館/1985年
ブログ『楽園ハワイ島in2019/柳剛流剣道指南』
(https://blogs.yahoo.co.jp/aiexem/45318911.html)
ブログ『楽園ハワイ島in2019/柳剛流 剣道師範 「古山半右衛門」さん-100年前の足跡を求めて-』
(https://blogs.yahoo.co.jp/aiexem/48253118.html)
『幸手剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
『戸田剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』辻淳/剣術流派調査研究会
『金田一耕助』Wikipediaより


 (了)
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