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雨の日は、柴真揚流/(古流柔術)

2019年 06月30日 12:57 (日)

 昨日は定例稽古だったのだが、あいにくの雨。

 諸般の事情で結局武道館も使えず、3年ぶりの3週連続雨天中止である。

 まことに残念ですが、皆さん、自主鍛錬に励んでください。

 ま、これも野天で剣を振るう、農民剣法の宿命・・・。

 早く宝くじで7億円を当てて、屋根付きの稽古場がほしいとしみじみ思う。



 自主稽古ということで、私はいつも通り拙宅にて稽古。

 エアロバイク&筋トレでひと汗流したあと、柴真揚流の復習。

 まず、居捕17本を手控えを確認しながら丁寧におさらい。

 特に柴真揚流の象徴ともいえる「左巴」の形と、一方で楊心流系柔術の核心ともいえる「真之位」の形を、重点的に繰り返す。

 形の合間には、当身台へ拳足肘頭による当身の打ち込み稽古。当身の手ごたえや速度、力加減などを確認する。

 次いで立合は「馬手捕」から「両手捕」まで。

 さらに、柴真揚流特有の小太刀居合である「素抜」、剣術と棒の形をそれぞれ打つと、あっという間に2時間が過ぎた。

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▲こちらは、柴真揚流の親流儀のひとつである、天神真楊流の「真之位」



 さて来週は、晴れるかな・・・。

 (了)
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木刀術ではない/(柳剛流)

2019年 06月29日 02:25 (土)

 今晩は柳剛流の稽古。

 通常、備之伝やフセギ秘伝、剣術の形稽古は木刀で行うのだが、思うところあって本日は真剣を遣う。

 当たり前のことだが、柳剛流に限らず剣術は剣(刀)の術であり、木刀の術ではない。

 木刀を用いるのは、あくまでも稽古の方便である。

 だからこそ、柳剛流をはじめとした古流の総合武術には居合の鍛錬があるわけだが、備え(構え)や剣術の形稽古は通常、木刀を用いて行う。

 このため、ともすると稽古者は、組太刀の攻防において本来の刀としての在り様を忘れ、形而上下いずれにおいても木刀を「刀」としてではなく、「木刀」として扱ってしまうことになりかねない。

 こうなると、それはもう剣術ではなく、木刀術となってしまう。

 だからこそ普段は木刀で行っている稽古を、時には刀を用いて行うことは、剣術本来の在り方を術者に思い出させるための重要な鍛錬となる。

 備えの稽古ひとつとっても、木刀と刀ではまったく緊張感が異なるし、形稽古ではより厳密な太刀筋や刀勢のコントロールを要求される。



 なお、このように木刀ではなく刀を用いた剣術の稽古は、少なくとも柳剛流においては珍しいことではない。

 師の口伝によれば、仙台藩角田伝柳剛流の佐藤正敏先生は、時に刀で組太刀を行ったという。

 また、幸手剣友会柳剛流部の先生方も、演武では木刀ではなく刀を使用されていた。

 あるいは、『徳江正之写真集 剣道・伝説の京都大会(昭和)』(体育とスポーツ社)を紐解くと、紀州藩田丸伝柳剛流の三村幸夫先生も、木刀ではなく刀を用いて組太刀を披露されている。

 

 剣術はあくまでも剣術であり、木刀術ではない。

 剣術者はこのことを常に念頭に置いて、木刀あるいは撓を用いての普段の稽古に取り組むことが重要であろう。


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▲我が愛刀、監獄長光、二尺二寸一分


 (了)

週末雑感 ― 雨、空手、柳剛流「平法」/(身辺雑記)

2019年 06月28日 12:07 (金)

 梅雨なので、天気が悪い。

 しかもここしばらく、週末になるごとにしっかり雨が降るので、定例稽古は先週、先々週と2週続けて中止。

 どうやら明日も雨のようなのだが、夕方から県立武道館の第二道場の個人利用ができるようなので、そちらで行う予定だ。

 過去を振り返ってみると、最大で5週連続雨で中止というときがあったが、こうなると事実上1か月以上の開店休業である。

 ま、泣く子とお天気には勝てません・・・。

  *  *  *  *  *

 先日は空手の稽古。

 今の住まいに転居したこともあって、それまで所属していた流派を退会し、その後、県立武道館と埼玉県連が主催している近所の空手教室に参加するようになって、はや8年が過ぎた。

 基本稽古と形が中心で、多流派の先生方が指導に当たってくださるこの教室は、昇段や競技参加を目的としない空手道歴20年・万年二段のぬる~い空手人である私としては、ちょうどよいあんばいで稽古ができる場である。

 しかし、先にもブログでちょっと触れたが、この4月から指導陣が刷新され、稽古内容もかなり変わってしまった。

 以前は糸洲流の先生が古流の形を指導してくださったり、剛柔流の先生が試合では使いにくいが護身術的には有用な技の分解指導をしてくださったり、マスターズの組手チャンピオンである玄制流の先生がシニア向けの組手技の指導をしてくださったりと、たいへんに興味深いものであった。

 しかし、新しい先生方の方針はどうやら今風の競技空手スタイルのようで、しかも子どもたちへの指導が中心となり、形稽古でも私たちシニアのおっさんたちが、小学校低学年くらいの子どもたち用のメニューに合わせるような感じである・・・。

 ま、年間8,000円ちょっとで全52回の稽古に参加でき、競技会運営のお手伝いなどといった面倒なボランティア貢献も求められない気軽な教室なので、我がままは言えないか。

 今後は、あくまでもフィットネス感覚でやっていくしかあるまいね。

  *  *  *  *  *

 過日、映画『いぬやしき』をケーブルで鑑賞。

 最近、新作映画をめっきり見なくなったので、最新の特撮(笑)のすごさに驚く。

 またストーリーの根底に、ネット社会の悪意や弊害といったものがあり、実際、SNSや匿名掲示板などでの誹謗中傷やマウンティング合戦などを見ていると、さもあらんと思う。

 一方でネットというのは恐ろしいもので、知らず知らずのうちに自分自身もそういった悪意や弊害に取り込まれ、それを拡大再生産してしまいかねない。

 たとえば「着物警察」とか「弓道警察」などというのがあるけれど、私もある意味で、最近はすっかり「柳剛流警察」と化してしまっているようだ。

 ところが、こうした「●●警察」と言われるような、誤った正義感や押しつけの善意に基づいた上から目線の行為や言説は、本来、その領域の支持者になってくれるはずの人たちさえもパージしてしまい、結果として啓発や広報とは真逆の、排他的あるいはカルト的な状況を作ってしまう。

 思うに、なんの配慮もなく批判的・攻撃的に他者の誤りを糾弾し、高圧的に論破するばかりでは、いたずらに己の「世界」を狭くし、敵対者や批判者を増やすばかりであろう。

 先日の、私自身による岡田十内の出自を巡る一連のやり取りを振り返って、もっと違う物言いもあったなと、改めて己の不徳を反省している。

 兵法は「平法」であり、柳剛流についても、かつてこれを「柳剛流平法」と称した師範家もあったほどだ。

 そのような先師・先人の志を忘れて、いささか高圧的な言説に走ってしまったのは、私の未熟さの現れである。

 我ながら、まだまだ修行が足りないと実感し、深く自省している次第。



 「何の道にあらずして弁舌博覧に勝るを意に信とするにあらず」
                       (柳剛流剣術免許巻より)



 (了)

痩せ尾根をゆく/(柳剛流)

2019年 06月25日 12:13 (火)

 とあるネットの一文に、

 「柳剛流って、まだ失伝せずに残っていたんですね」

 とあった。

 ま、令和元年における、世間様の柳剛流に対する認知というのは、そんなもんであろう。

 私自身、師について学び始める前は、三重以外ではもう柳剛流を教えているところは無いと思っていたくらいだしねえ・・・。



 地元埼玉を見ても、たとえば天自流や真之真石川流、奥山念流、真之神道流など、幕末から明治初期に盛んに行われた流派の多くが失われ、その実技と思想は永遠に失われてしまった。

 どんなに豊富に史料や手付けが残っていたとしても、実伝が途絶えればそれは失伝であり、復元はどんなに見事で精緻なものでも、やはり復元である。

 まことに残念なことだ。

 しかし、ある流儀について、一人の伝承者も残らず業も教えも失われてしまったということは、その流儀を取り巻く世間の人々はもとより、流儀を継承した人々や学んでいた人々自身も、「失伝もやむをえない」、「それでもよい」と、考えた結果であるといえよう。

 そういう意味では柳剛流も、たとえば江戸府内や武州、房州に伝播した数多くの伝系はすべて断絶・失伝しているし、あるいは仙台藩伝でも仙北の登米の系統は失伝してしまった。



 このままでは遠からず柳剛流も、失伝してしまう蓋然性が高い。

 令和の時代の今、流祖・岡田惣右衛門の業を受け継ぐ者のひとりとして、流儀の失伝をどう防ぐべきなのか?

 それをいつも、考えている。

 一方で安易に「術」を公開し、あるいは形や技を切り売りし、質の悪い伝承者を粗製乱造してまで、流儀の命脈をつなぐこともあるまい。

 流祖もそれは、望んでいないだろう。

 かつて滅んだ数多くの武芸諸流派と同様に、我々も今、そんな厳しい「痩せ尾根」を歩いている。


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▲柳剛流突杖 「ハジキ」(打太刀:吉松章 仕杖:長峰浩二)



==============================
 夫れ武は仁義の具、暴を誅し乱を救う。
 皆民を保つの所以にして、仁義の用に非ざるなし。
 是を以て之を用うるに仁・孝・忠なれば、即ち天下の至宝なり。
 之を用うるに私怨奸慝(かんとく)なれば、即ち天下の凶器なり。
 故に剣法を知り至誠偽り無きの道、以て謹まざるべけん哉。
                 (「柳剛流免許之巻」より)
===============================


 (了)

「岡田十内はもともとは百姓」ではない/(柳剛流)

2019年 06月24日 00:13 (月)

※本文の一部を加筆修正、文末に補遺を加えた(2019.6.25)。



 ツイッターを見ていたら、G氏という小説家の方が、

「柳剛流の岡田十内はもともとは百姓だが江戸牢人と称していると、公然とそのようなことがまかり通っていたことが同時代人の日記にあります」

 と書いていた。

 この中で、

「柳剛流の岡田十内はもともとは百姓だが」

 という一文があるが、これは間違いである。

 岡田十内は、もともと百姓ではない。



 岡田十内の父親である岡田静安寅吉(号・華陽)は、武蔵国足立郡下戸田村元蕨(現在の埼玉県戸田市下戸田)で開業した漢方医・国学者で、『脈式』や『分量考』などの医術書を著した、当時としても高名な医師であった。

 その業績は、たとえば昭和7年に発表された『埼玉史談』など、さまざまな史料に記されており、

 「彼は医師的地位として東武の最高峰の一であった」
 (『埼玉史談 第3集 第6号』 「岡田静安 岡田十内」/鈴木券太郎)

 とまで、高く評されている。
 
 このように岡田十内は、江戸後期における武州を代表する医師・国学者であった静安の嫡子であり、いわゆる江戸期における百姓=農民の出自ではないという事実を、ここに明確に記しておく。


 今回の件については、無名や匿名の人のツイッターであれば、黙殺すればよいだけのことだが、G氏はフォロアーが3,000人以上もいるという作家さんであり、そのような方の公に向けてのツイートということで、あえて間違いを指摘させていただいた次第。

 なお、岡田十内の事績については、本ブログの過去記事も参照されたし。


「遅咲きの剣客、柳剛流・岡田十内」
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-950.html


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▲岡田十内の肖像画( 『埼玉の剣術-神道無念流・甲源一刀流・柳剛流-』より)



 ところで蛇足ながら、上記のG氏は、同じツイートの中で、

「農民が武術を学べるはずもない、というのは誤り」

 と記述していたのだが、これは正しい。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門は、武州惣新田の農家の生まれである。

 また当時の柳剛流では、武士はもとより多くの百姓=農民たちも、こぞって当流の武技を学んでいた。

 柳剛流は流祖以来、神君血筋の家柄の武士(松平主税助)から、地方の10石取りの微禄の侍(一條[岡田]左馬輔)、さらには無名の百姓町人まで、あらゆる階層の人々が学ぶことのできる、

 「万人に開かれた武芸」

 であった。

 私はこのことに強い誇りを持って、令和の今、流儀発祥の地である武州・埼玉にて、流祖・岡田惣右衛門伝来の柳剛流を修行し、門人を育てている。



 「平日に咄しするとも真剣と
          思うて言葉大事とそしれ」(柳剛流 武道歌)




■引用・参考文献
『雑誌并見聞録』/小林雅助/明治40年前後
『埼玉史談 第3集 第6号』-「岡田静安 岡田十内」/鈴木券太郎/昭和7年
『戸田剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会/平成25年
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/南部修哉/平成28年


※補遺(2019.6.24)

 先ほどツイッターを確認したところ、G氏が本ブログを拝見してくださったようで、さっそく訂正をしてくださいました。

 ありがとう存じます。

 また今回の、「柳剛流の岡田十内はもともとは百姓だが、云々」という誤記の典拠は、牟田文之助の『諸国廻歴日録』だとのこと。

 実は私も、牟田の日録あたりが話しの出所なのだろうなと推察していました。

 牟田の記述は、柳剛流には結構否定的だからね・・・(苦笑)。


 (了)

日曜雑感 ― 雨、年金、武芸の門/(身辺雑記)

2019年 06月23日 20:45 (日)

 雨が好きなので、10年以上も前から「翠雨」を雅号にしている。

 一方で翠月庵の稽古場は野天なので、雨が降ると稽古ができない・・・。

 タイミングよく近くにある武道館の個人使用ができれば、そちらに代替するのだけれど、そんなことはなかなかにない。

 おかげで先週、先々週と2週続けて、土曜の定例稽古は雨天中止となってしまった。

 しかたがないが、そういう時は皆さん、家で居合でも抜いておいてください。

 別に家で手裏剣を打ってもらってもかまいませんが、家具の破損とご家人の皆さんへのフォローをお忘れなく。

 武芸に関心の無い家人の皆さんからすれば、穏やかな土曜の午後に部屋で刀を引っこ抜いたり、とがった鉄の棒を畳に突き刺したり、狭い畳の上でひとりで見えない何かと取っ組み合いをして喜んでいる人は、ただの変人ですよ・・・・・(笑)。

 *  *  *  *  *

 世の中では、老後に必要な2000万円問題で盛り上がっているようだが、これは医療・介護業界ではすでに何年も前から指摘されていたことである。

 また、後出しじゃんけん的で恐縮だが、私もちょうど今年のお正月頃に、

 「今の年金制度では、老後は3000万円以上の貯蓄が必要ですよ」

 という記事を、とある書籍に執筆したところだ。

 それが今回の件で突如、「年金と老後の資金」問題が世間様の注目を浴びることになったわけだが、個人的には、

 「何を、いまさら・・・・・・」

 という感である。

 しかも、この2000万とか3000万とかいうのは厚生年金を夫婦で満額もらう世帯の試算なので、私のように国民年金だけの人の場合、老後の経済はさらに悲惨である。

 なんてったって今の給付水準では、国民年金は満額でも月に6万円ちょっとしかもらえないのだ。

 それでも夫婦者であれば2人合わせて月12万円で、なんとか生活保護レベルギリギリの暮らしは送れるのだが、私のような独り者は、それも無理である。

 1か月6万円で、現代の日本人は生きていけませんね。

 だからこそ日々の暮らしの中、100円単位で節約をしながら、千円、一万円といった少額でもコツコツ貯蓄し、来るべき悲惨な老後に備えるしかないわけです。

 おかげで、10年以上も前に買った袴の破れを自分でチクチクと繕い、木太刀のささくれは丁寧に補修しながらできるだけ長く使えるように気をつけ、手裏剣は剣尾を打って切先がチビないようできるだけ正確に刺すなど、爪の先に火をともすようなつつましい暮らしの中で、なんとか武芸の稽古を続け、励んでいるわけだ。

 *  *  *  *  *

 武術・武道の稽古を続けていくには、まことに残念なことだが金がかかる。

 習う人であれば、武具の費用、月謝や謝礼、昇級・昇段のための費用、試合や演武に参加するための経費などなど。

 さらに教える立場になれば、稽古会や稽古場の維持費、的や武具等の消耗品費もかかる。

 富裕層の皆さんからすればなんということもないのだろうが、我々のような庶民にとっては厳しい出費だ。

 一方で武術・武道が痛快だなと思うのは、お金をかければ必ず上達するわけではないし、金持ちというだけでア・プリオリに強くなれるわけでもないということだ。

 貧しくてもきちんと稽古をすれば必ず上達するし、所得が低い人でも工夫してしっかりと鍛錬をすれば必ず強くなれる。

 それは試合中心の競技武道でも、形稽古が中心の古武道でも同じである。

 貧富の差に関わりなく、稽古を積み、工夫をした人たちだけが上達し、強くなり、見事な業前を習得できる。

 こうした清々しい下剋上、明快な実力主義が、私のような「持たざる者」からすると、武術・武道の大きな魅力のひとつだ。

 これからの時代、ますます貧富の差が拡大し、格差が露わな社会になっていくのだろうが、

 「武芸の門は貧富の差に関わりなく、すべての人に開かれている」

 べきものだと、私は想う。

 そんな、ささやかな理想実現のために、自分自身、先師・先人に恥じない業前が得られるよう、日々稽古に励んでいく所存だ。


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▲柳剛流長刀 「上段右足」


「秘伝の長刀(なぎなた)を伝授の上は、諸流剣術多しと言えども負くること之有るまじく候」(柳剛流剣術免許巻より)


 (了)

なにも足さない、なにも引かない/(柳剛流)

2019年 06月22日 01:16 (土)

 仙台藩角田伝 柳剛流兵法は総合武術であるけれど、柔術や殺法は失伝してしまい、今に伝わっていない。

 手元の史料を紐解いてみると、昭和15年に記された柳剛流殺活免許巻があるので、昭和時代までは殺法が伝わっていたことがわかるが、少なくとも私たちが伝承している角田・丸森の系統の柳剛流では、

「撃剣の稽古の際、倒されて昏倒した時などに用いるために、活法は現在まで伝承されたが、殺法は伝えられなかった」(小佐野淳先生談)

 まことに残念なことであるが、やむを得ないことでもある。

 このため翠月庵では、門人諸子に対して、私が伝書等をもとに独自に調査・研究した柳剛流の殺法について、修行上の参考として解説をしているけれど、これはあくまでも独自研究であり、復元である。

 ゆえに稽古場でも、あるいは本ブログでも、この仙台藩角田伝柳剛流の殺法については、くどいほど繰り返し、

 「これは私の独自研究であり、復元である」

 ということを明言し、強調している。

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▲文久2(1862)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている穴所図



 古武道の継承において、もっとも忌むべきことのひとつが、創作や復元を、古来から伝承されてきた実伝だと偽ることだ。

 師より直接伝授されなかった技や形を、師伝と偽り公開したり、それを後進に指導するなどというのは、絶対にあってはならない事であり、武術・武道人として許されない行為である。

 しかし、37年間もこの世界に関わっていると、悲しいことに時折、そういった曲事を見聞することがある。

 たとえば、それまで「復元」と公表されていたものが、何年か経つうちにいつのまにか「伝来」のものとされていたり・・・。

 以前は「失われた」とされていた技が、いつのまにか「実は伝承されていた」ことになっていたり・・・。

 こうした行為は、伝統文化としての古武道の価値を棄損することはもちろん、古流の武芸を学び伝承していこうという、高い志を持った人々のモチベーションを、著しく低下させる。

 流祖以来の伝来と教えられ、それをひとえに信じて心血を注ぎ学んだ業や形が、実は近年の復元や創作であったと知ったときに、修行者はいったいどんな気持ちになるのか・・・?

 私自身も若いころ、国際水月塾武術協会の門人となる以前に、そういう苦く悲しい経験をしたことが何度かあるので、そのような時の武術・武道人としての悲しみや怒りは、骨身に染みるほどに分かる。

 だからこそ21世紀の今、伝統武道を学び継承しようという我々は、実伝は実伝、復元は復元、創作(工夫伝)は創作と、必ず明記・明言をして門人を育成し、師より直接伝授していただいた正しい流儀の形=業=思想を、次代に伝えていかなければならない。



 ひとりの武芸者として、独自に調査・研究をして失われた流儀の業=形を復元したり、独自の創作・工夫をするということは、実学としての武芸の修行に欠かすことのできないことである

 しかし、「古武道の伝承」という行為そのものについては、師より学んだことに、

 「なにも足さない、なにも引かない」

 のが大原則だ。

 人々を欺き、私利私欲や権威付けのために創作や復元を実伝と偽る行為は、古武道の存在意義そのものの否定であり、流祖や先師・先人に対する最大の冒涜である。

 そのような事をする者は必ず、

「梵天帝釈四天王総而日本国中六十余州大小之神祇、殊伊豆箱根両所権現、三嶋大明神、八幡武大神、天満大自在天神、摩利支尊天部類眷属神罰冥罰可蒙」(天保七年に記された、柳剛流の起請文より)


 であろう。

 老子曰く、天網は恢恢にして疏にして失せず。

 南無八幡大菩薩。

 (了)

兵法の勝口/(柳剛流)

2019年 06月21日 01:28 (金)

1805_柳剛流_剣術_レトロ1


 今晩は、柳剛流剣術の稽古。

 備之伝とフセギ秘伝からはじめ、「右剣」から「相合剣」まで剣術形をひと通りおさらい。

 その後は思うところがあり、地稽古的に4尺4寸2分の木太刀を縦横に振るう。

 すると意図しないにも関わらず、相手に合わせて自然にフセギ秘伝の構えを取り、そこから打突斬撃を加えるようになるのが、我ながら興味深い。

 兵法の勝口(かちくち)とは、こういうものなのだと、改めて実感する次第。
  

 (了)

エアロバイクと筋トレと警視流/(武術・武道)

2019年 06月20日 02:02 (木)

 先月の松代での演武以降、毎日の稽古の前に行う有酸素運動と筋トレをさぼっていたのだが、今晩からおよそ1カ月ぶりに再開。

 なにしろ、これ以上体重が増えると、心眼流の素振の返しや取返がとれなくなってしまうどころか、柳剛流の命である跳び斬りができなくなってしまう・・・(苦笑)。

 というわけで、まずはエアロバイクを最大負荷で30分間。

 次いで、

・プレスアップ(横)×20
・クランチ×20
・ランジ×20
・レッグレイズ×20
・小太刀片手素振り×60
・ベントニーシットアップ×20
・カーフレイズ×100
・サイハンドスライド×20
・プレスアップ(縦)×20
・レッグレイズ×20
・リアシザーズ×50
・ツイストクランチ×20

 以上のメニューを、15分以内で行う。

 それにしても、1か月もさぼっていただけに、この程度の軽い有酸素運動と筋トレでも汗だくである。

 まあ、これからからぼちぼち、体を慣らしていこう。



 その後、警視流居合を小半刻ほど抜く。

 警視流の立居合は、なんというか小難しいことを考えずに、ただ無心で抜けるのがいい(笑)。

 もっとも私の場合、以前稽古していた警視流がすべて片手での抜付けだったのに対し、水月塾伝の警視流は両手抜付なので、そのあたりの感覚がまだ、十分に体に沁みていない。

 ま、あと1万回くらい抜けば、違和感も無くなってくるだろう。



 それではシャワーを浴びて、芳雄ちゃんでも聴きながらやすむとするかね。




  (了)

本物の柳剛流/(柳剛流)

2019年 06月19日 18:20 (水)

 柳剛流は、流派の名前と「脚を斬る」という技の特長だけが世間に流布し、そのイメージだけが独り歩きしている感が否めない。

 このためweb上では、漫画由来の奇妙奇天烈な行為や、流儀を学んだことのない人々が妄想をたくましくした頓珍漢な脚斬り技が拡大再生産されている・・・。

  *  *  *  *  *

 最近になって新たに、「柳剛流」と題した動画をネットで公開している人が現れた。

 しかし、その人物は仙台藩角田伝 柳剛流の関係者ではない。

 また、同じ角田伝の系統だが流祖生誕の地である幸手で長年指導に当たられている先生方、あるいは紀州藩田丸伝の柳剛流を伝えていらっしゃる先生方などの関係者でもないだろう。

 そういう人物が、己の想像した脚斬り技を「柳剛流」と称して世界へ発信するのは、地道に伝承活動をしている者のひとりとしてまことに心外であり、流派の末席を汚す者として静かな、しかし強い憤りを禁じえない。

 これまでも何度か記しているが、令和元年6月現在、日本国内において流祖・岡田惣右衛門伝来の柳剛流剣術を伝承・指導しているのは、三重の養心館道場(三村幸夫先生)、埼玉の幸手剣友会柳剛流部(千葉仁先生・持田征男先生)、そして我々国際水月塾武術協会の3団体のみである。

(柳剛流突杖については、「柳剛流杖術」として、塩川寶祥先生の系統の師範方により、各地で伝承されている)

 その上で、これもまた本ブログで何度も記してきたことだが、柳剛流師範として明言しておきたいのは、

「すでに上段や青眼に構えている相手に対し、なんの対策もなく自分の頭や背中を無防備にさらしながら脚を打ちに行くような技は、真の柳剛流にはひとつも無い」

 ということだ。

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▲柳剛流剣術 「青眼右足刀」(打太刀:小佐野淳師 仕太刀:瀬沼健司)



 嘉納師範の柔道原理における「崩しの理」を持ち出すまでもなく、柔術(やわら)にせよ剣術にせよ、武術の技には「作り」と「掛け」が必須である。

 それらの伴わない、単なる反射神経と腕力に頼った粗雑な足打ちなどは、柳剛流の「業」ではない。

 それは、カウンターの刻み突きや右逆突き、あるいは下段蹴りなどで簡単に合わせられてしまう、フェイントもステップワークもない素人の未熟で雑なローキックのようなものだ。
 
 流祖・岡田惣右衛門伝来の柳剛流においては、脚を打つ(斬る)には脚を打つにたる、彼我の「間積り」、「拍子」、「位」が必須となる。

 それは「形」においてはもちろん、撓を用いた地稽古や試合稽古においても、なにひとつ変わることのない柳剛流の真面目だ。

 逆に言えば、「作り」も「掛け」もない粗雑な脚斬り・足打ちは真実の「断脚之術」ではないし、そのような技を標榜するのは本物の柳剛流ではない。

  *  *  *  *  *

「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜」

 と啖呵を切るのは、弁天小僧菊之助。

 しかし流祖・岡田惣右衛門が編み出して以来、200年以上にわたって伝承されてきた柳剛流兵法については、浜の真砂のような悪貨が良貨を駆逐するようなことは、けしてあってはならない。

 私の記すこの拙いブログが、そのための「情報戦」の、ささやかな武器のひとつになればと考えている。


「思ひ々々さまざまの事をたくみ出し、古伝にちがいたること、いくらと云数を知らず。十年を過ぎず、茶の本道捨たるべし。すたる時、世間にては却つて茶の湯繁昌と思べきなり。ことごとく俗世の遊事に成りてあさましき成りはて、今見るがごとし」( 南坊宗啓 『南方録』より)



 (了)

流祖伝来の「術」と「思想」/(柳剛流)

2019年 06月19日 02:58 (水)

 ここしばらく、初学者への柳剛流の指南として、「右剣」をゆっくりと丁寧に指導している。

 たびたび指摘しているように、柳剛流兵法の修行において最初に学ぶ剣術形である「右剣」と「左剣」は、柳剛流における初学の門であり、極意でもある。

 そこには、流祖・岡田惣右衛門が厳しい修行の中で感得した、戦いのエッセンスが凝縮されている。



 元陸上幕僚監部情報幕僚で陸将補であった松村劭氏は、軍事学における「戦いの9原則」として、

・目標の確立
・主導の獲得
・機動の発揮
・戦力の結集
・奇襲
・不断の警戒
・指揮の統一
・簡明な計画
・戦力の節約

 の9つを挙げ、

「名将と凡将の分かれ目は、この戦いの原則を現実の状況にいかに適用するかによっている。ただ、戦史の教訓として確かなことは、この原則のいずれかに反した戦いは『必敗』することである」

 と指摘している。



 『兵法家伝書』や『五輪書』を挙げるまでもなく、大の兵法(軍略)と小の兵法(個人戦闘)に共通の解を見出そうとするのは、古今を問わず兵法者の性(さが)である。

 そういう意味で、この「戦いの9原則」という視点から柳剛流兵法を検証すると、初学の門である剣術の「右剣」の形に、9つすべての原則をみてとることができる。

 「目標の確立」は一身の斬り合いに勝つことであり、「主導の獲得」と「機動の発揮」は仕太刀による跳び斬りにある。「戦力の結集」と「奇襲」はこの形の中心的な勝口となる脚斬りにあり、「不断の警戒」は脚斬りの後の最終的な勝口に示されている。

 また、形の流れにおけるそれぞれの局面において、「指揮の統一」と「簡明な計画」、そして「戦力の節約」という点が重要になっている。



 兵法の形というものが、勝つための彼我の攻防を極限まで記号化した「遺伝子情報」のようなものだとすれば、柳剛流剣術における「右剣」の形には、岡田惣右衛門が感得した戦いに勝つための術技と心法のすべてが、そこに含まれているといえよう。

 ゆえに、柳剛流における「右剣」という形=業は、その後に学ぶ「左剣」はもとより、剣術、居合、そして免許秘伝の長刀(なぎなた)に至るまでの、すべての業=術の雛型となっている※。

 だからこそ、そこに「戦いの9原則」がすべて含まれていても、不思議ではない。

 深夜、ひとしきり柳剛流の稽古を行い、稽古後、つらつらとそんなことに想いを致した次第。



 私の「武」の根幹であり幹となるのは、あくまでも柳剛流兵法である。

 だからこそ、さらに柳剛流の業前を磨き上げ、事績の調査を深くすすめ、流祖伝来の「術」と「思想」を、正しく余すことなく門人たちに伝えていかなければならない。

 それが、私の武術・武道人生における、後半生の大きな使命のひとつなのだと、強く自負している。


※)三和無敵流から取り入れたと思われる「突杖」の形に関して、こうした柳剛流の一貫した術理から外れる技法体系となっていることについては、すでに本ブログでたびたび指摘してきた通りである。


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▲柳剛流剣術 「青眼左足頭」(仕太刀:吉松章 打太刀:瀬沼健司)


 (了)

柴真揚流の蹴込み/(古流柔術)

2019年 06月15日 03:53 (土)

 本日締め切りの、とある社会福祉法人に関するルポルタージュ記事、4,500文字を脱稿。

 心身ともにヘトヘトだが、それでもいそいそと稽古着に着替え、今晩も稽古。

 柳剛流の備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝から始め、剣術をひと通りおさらい。

 次いで、柴真揚流。

 「左巴」から「二人捕」まで居捕17本、そして立合は「馬手捕」から「両手捕」までを繰り返す。

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▲柴真揚流の稽古に欠かせない道具のひとつである茶碗。何に使うのかは、実伝で学ぶべし



 その後はひとしきり、形の動作に則って当身台に拳足を打ち込む。

 柴真揚流では、蹴込みを多用する。

 その際、特に蹴足に習熟していない初学者は、中足(足の指の付け根部分)をしっかりと返し、上足底を正しく相手に当てることを学ばねばならない。

 これは柔術(やわら)に限ったことではなく、空手道の稽古でもそうだが、初学者はもとよりそこそこ稽古に習熟してきた中級者でも、中足を返した状態でしっかりと上足底を当てられない者がいる。

 中足をしっかり返せずに、中途半端な踵蹴り、あるいは崩れたつま先蹴りのようになってしまう者が少なくないのである。

 靴を履かない状態が前提である、日本の伝統武道における蹴当てでは、中足を返した正しい当て方を習得しなければならない。

 そのために特に初学の者は、形を行ずるだけではなく当身台などに対し、上足底で的の「身の内1~2寸」を目当てに、しっかりと中足を返して当てることを学ぶ必要がある。

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▲柴真揚流で多用される、下段への蹴込み。指をしっかりと反らして上足底部分を確実に、相手の「身の内1~2寸」を目あてに当てることが重要だ



 また、当身台などに実際に当てることに習熟したら、形稽古においても「受」に対して、実際に拳足を当てながら形を打つべきであろう。

 もちろん、当て放しの当身にせよ、電撃的な引き重視の当てにせよ、全力で当身を入れながら稽古をしていたら、当てられる側である「受」の体が持たないことはいうまでもない。

 そのたびに悶絶してしまう。

 そこで私の場合、柔術の指導で「受」を執る際には、当てる部位や当身の種類にもよるが、必要に応じて1~3割くらいの力の感覚で当てるように「捕」に促し、実際に「人体へ当てる感覚」を覚えてもらうよう心がけている。

 おかげで時折、弟子の当身が効きすぎて、自分が本当に悶絶してしまうという、なんともこっぱずかしいこともあるわけだが・・・・(苦笑)。

 ま、それもまた己の鍛錬であり、「やわらの当身は、よく効くなあ・・・」と、しみじみ実感するのである。



 なお蛇足ながら、眼球をはじめとした顔面部や金的など危険な部位への当身は、形稽古では必ず寸止めにするのは言うまでもない。

 これらの部位に対する当て具合は、当身台等への加撃で習熟するべきである。

 また、まだ体のできてない初学者や下位者に対して、指導者や上位者の側が実際に当身を当てるなどというのは言語道断である。

 弟子や下位者に正しい鍛錬の段階を踏まさせず、稽古や指導の名のもとに不条理な苦痛を強制するのは、武芸の稽古や指導ではなく、サディスティックな「暴力」にすぎない。

 当身の鍛錬や指導に限らず、武術・武道を教える立場にある者は、常にこうした点に留意するべきであろう。

 (了)

過ぎ去りし旅の記憶/(旅)

2019年 06月14日 02:10 (金)

 ちょっと重たい原稿を書き終え、ひとしきり柴真揚流の稽古。

 風呂で汗を流した後、寝酒に白霧島の水道水割りを飲みながら、過ぎ去りし旅の日々に想いを致す・・・。






「わたしが考えていることを表現するには、高尚すぎる言葉かもしれん。約束をしたら必ず守る、とか、いかなることがあろうと友人を助ける、といった単純なことだ。それらを合わせたものを、名誉といえないだろうか?」
            (クルト・シュタイナ空軍降下猟兵中佐)



 (おしまい)

安心できる未来のために/(時評)

2019年 06月13日 10:34 (木)



 第25回参議院議員通常選挙の投票日は、来る7月21日の予定だとか。


「圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」
(秩父事件を記録した、貴布祢神社の神官で国学者の田中千弥の日記より)


 (了)

警視流居合を抜く/(武術・武道)

2019年 06月12日 08:40 (水)

 昨夜の稽古では、先の本部稽古で師より手ほどきをいただいた、国際水月塾武術協会伝の警視流居合を抜く。

 警視流については、ある時期、わりあい根を詰めて稽古したことがあるので、なんとはなしに懐かしい。

 基本的には、

「警視流は、洋装帯剣の警察官に対する統一的訓練の必要から、警視庁が明治19年に『立居合』及び『木太刀』の形を制定したことをもって嚆矢とする」(「警視流立居合に関する研究」中井憲治/仙台大学紀要Vol44.No.1:43-58.2012)

 というものだけに、立居合にて前後左右の敵に対する抜付と二之太刀以降の正面斬りという、たいへんにシンプルな構成だ。

 このため、何らかの流派の居合や剣術に習熟した者であれば、速習的に容易に習得することができる。

 一方で、 ご存じの通り警視流の立居合は、浅山一伝流、神道無念流、田宮流、鏡心明智流、立身流から1本ずつ形を採用しているため、全体を包括する統一感や体系だった術理といったものは、あまり感じられない。

 ただし納刀動作などを見ると、全体的に神道無念流立居合の影響が強い内容となっている。

 いずれにしても警視流居合は、その後の日本における軍刀術、そして戦後に編纂された全日本居合道刀法や全日本剣道連盟居合までに連なる、近・現代日本における刀法変遷の一端を今に伝える、貴重な“レガシー”のひとつといえるだろう。



 水月塾伝の警視流居合は、現在、警視庁居合同好会およびその系統である広島県などで稽古されている警視流立居合と比べると、

・抜付
・二之太刀以降の正面斬り
・礼法          

 などについて、若干だが異なる点があるのも興味深い。

 これらの相違点については、その伝系をたどって調べてみるのも面白いかと思う。

 また今後、翠月庵での教習において刀法の初学者に対しては、まず警視流から指導していくというやり方もよいかなとも考えている。


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 (了)

6月の水月塾本部稽古~警視流、柳剛流、甲陽水月流/(武術・武道)

2019年 06月10日 08:05 (月)

 昨日は午後から、水月塾本部での稽古。

 この春から本部に入会したAさんとともに、師より警視流立居合の手ほどきをしていただく。

 水月塾本部が伝承している警視流の立居合は、抜き付けや納刀動作について、私が以前稽古していた警視流立居合と若干異なる点があるものの、形の大意は同じなので比較的スムーズに抜くことができた。

 ちょうど最近、まったくの武道初心者に対して、刀法に習熟させるための指導をどのようにしようか思案しているところだったので、(柳剛流の居合は、これまで一度も刀の抜き差しをしたことがないという、まったくの刀術初心者には、いささか難易度が高い)、まず警視流で刀の抜き差しに慣れさせるというのも、ひとつの方法かもしれない。



 続いて師に打太刀を執っていただき、柳剛流の備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古。

 そして最後は、甲陽水月流の二丁十手。

 師のご指導のもとで、本部のO師範代に打太刀を執っていただき形を繰り返す。

1906_十手


 こうして稽古はあっという間に終了。今回も充実した稽古ができた。

 すっかり長くなった日暮れの中、師に同道させていただき馬モツと馬刺しで軽く飲んだ後、帰路についた。


 (了)

柴真揚流の稽古‐居捕から素抜まで/(古流柔術)

2019年 06月08日 00:46 (土)

 今夜も柴真揚流の稽古。

 居捕では「真之位」と「袖車」、「御使者捕」を重点的に繰り返す。

 次いで立合は、「馬手捕」から「両手捕」までを復習。

 そして、当身台への実打の稽古。

 水月や電光、雁下や後電光など、「殺」の位置を十分に意識しながら、拳足を当身台に打ち込む。

 しかし頭突は、あまりやりすぎるとクラクラしていかんね(苦笑)。

 その後、棒の型と剣術の形、そして素抜(小太刀居合)で今晩の稽古は終了。

 夜が明けて、本日午後からの翠月庵の定例稽古でも、みっちりと柴真揚流を稽古する予定だ。

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▲柴真揚流柔術 棒の型


 (了)

「坐す」こと/(武術・武道)

2019年 06月07日 02:08 (金)

 今夜は柴真揚流の稽古。

 「左巴」から「二人捕」まで、居捕17本を丁寧に繰り返す。

 柔術(やわら)の稽古を実用の雛型、ありていに言えば「制敵護身」と捉えるのなら、居捕よりも立合の方がより今日的な意義があろう。

 一方で、それを伝統文化の保存・継承と捉えた場合、立合よりも居捕の方が、より「坐の文化」という日本固有の行動哲学を、術者に感じさせてくれるはずだ。



 私はもともと、柔術にしても居合にしても、あるいは手裏剣術についても座業が好きだ。

 なんというか、「坐す」という行為そのものに、この国の身体文化の古いDNAを感じるのである。

 また座技があるゆえ、柔術や居合は畳一畳のスペースがあれば稽古をすることができる。

 これは私のような、長屋暮らしの貧乏武芸者には、たいへん大きなメリットだ(苦笑)。

 たった一畳の茣蓙の上で、思う存分、柔術や居合の稽古ができのも、座技・居捕があってこそである。

1905_柳剛流_居合刀礼
▲跪座で行う、柳剛流居合の刀礼



 小半刻ほど稽古をしていると、すでに稽古着が汗で重い。

 考えてみれば、もう麦秋の盛りなのだ。

 そろそろ武州も、梅雨入りかねえ・・・・・・。


 (了) 

過ちては改むるに憚ること勿れ/(武術・武道)

2019年 06月06日 11:50 (木)

 過日、久々に県立武道館での空手の稽古に出席。

 この教室は県連主催で、各流派の先生方が指導に来られるのだが、4月の年度替わりの際、それまで長年にわたって指導されていた先生方が勇退され、指導陣が新しい先生方に変わったとのこと。

 知らなかった・・・。

(それだけの期間、私が空手の稽古をサボっていたということですな。ま、古流の稽古で忙しくってネ・・・)

 この稽古会では、特に糸洲流のN先生から古流の空手の技法などを教えていただくことができ、学びの多いご指導をいただいていただけに、個人的にはたいへん残念だがしかたがない。



 いつも通り、基本稽古の後は形稽古。

 この時期は初心者が多いこともあり、平安二段と三段の稽古となった。

 こちらの教室で教えている平安の形は、A流の平安なのだけれど、三段の最後の挙動、背後の相手への猿臂と顔面突きの同時打ちについて、今回指導に立った先生の動作がちょっと違っていた。

 そこで、稽古の最後に「今日の稽古で、何か質問は?」と聞かれたので、

 「平安三段最後の挙動は、猿臂と顔面突きの同時打ちではないのですか?」

 と聞いてみた。

 すると、

 「猿臂と顔面突きの背後への同時打ちではなく、猿臂で当てない方の拳は、自分の胸に着けるようにしてください」

 とのこと。

 う~ん、そうだったっけ?

 と疑問に思ったのだが、この先生の流派はA流とのこと。

 またなにより、私はあと数か月で知命の歳を迎える、“足るを知るオトコ”である。

 あえて場の空気を乱す必要もあるまいと思い、

 「分かりました。ありがとうございます!」

 とにっこり笑顔でお礼を言って、稽古を終えた次第。

 そして・・・、

 自宅に帰ったら速攻で空手の教則本やら資料やらを5~6冊取り出して確認し、さらにyoutubeにあるA流公式の形の動画なども複数確認する。

(疑問を感じたらチェック・ダブル・チェックをするのはジャーナリストのイロハのイであり、お袋が自分に愛しているよと言っても真に受けないで証言のウラをとるのが取材記者の基本である)

 するとやはり、A流の平安三段の最後の挙動は、どの教本でも公式動画を見ても、猿臂と顔面突きの同時打ちであった。

 ・・・・・・。

 はて、A流の平安三段の形は、最近になって最後の動作が変わったのかしら?



 ま、これも他山の石である。

 私も翠月庵で、

 「先生、その青眼右足頭、動きが違ってるんじゃないですか?」

 などと言われないよう、気をつけねばならない。

 ちなみに私は、初めて師から柳剛流の手ほどきをいただいて以来、今日に至るまで、備之伝から剣術、居合、突杖、長刀などすべての形、そして小太刀や二刀、組打や活法などの口伝について、動作の一挙手一投足、口伝の教えの一言半句も漏らすことなく、詳細かつ時系列ごとに稽古ノートにまとめて記しており、さらに基本的な形の動作については、可能な限りテキスト(言語)化してレジュメにしてある。

 これらの資料は、私にとって最も大切な宝であり、火事が起きたら真っ先に持ち出すべき財産だ。

 柳剛流の稽古の前後には必ずこれらの資料を確認し、あるいは日々折に触れて目を通し、知らず知らずのうちに自分の動きが違っていたり、誤った動作を教えるようなことが無いように心がけている。

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▲柳剛流の形の動作や口伝をまとめたノートと、形の動きを言語化したレジュメ。これまで私が学んできた仙台藩角田伝柳剛流のすべての動作と口伝は、このように可能な限り詳細にまとめてある。なお、私は壊滅的に「絵心」がないので、図解が悲惨なのは、ま、気にしない気にしない・・・


 仙台藩角田伝 柳剛流の師範として、弟子に教える動きがいつのまにか変わっていたり、知らず知らずのうちに間違った動作を教えるようなことはあってはならない。

 一方で人間というのは、私のような凡俗はもとより、名人・達人と言われるような高名な先生方でも、時には間違えもし、忘れもするし、勘違いもしてしまうものだ。

 だからこそ、はからずも何かの勘違いで弟子に間違ったことを教えてしまい、それを指摘されるようなことがあったとしたら、武人としてどう身を処すべきか?

 私は、素直に自らの誤りを認め、あらためて正しい動きを教えることのできる指導者でありたいと思う。

 「過ちては改むるに憚ること勿れ」

 とういう心映えの美しさは、何歳(いくつ)になっても忘れたくないものだ。



 で、平安三段の挙動の誤りを、次の稽古の際に指摘するかって?

 いやいやいや、しない、しない、しない(苦笑)。

 柳剛流と違って空手道については、私は師範ではなく市井のいち有段者にすぎませんからね。

 そこはそれ、大人のたしなみってやつですわ。


 (了)

地獄は一定すみかぞかし/(身辺雑記)

2019年 06月05日 22:50 (水)

 深夜24時。

 先週インタビューしたAIと医療に関するグラビア用の原稿を脱稿。

 いつもなら、ここで着替えて稽古なのだが、今晩はどうにもメンタル的な疲労感が強く、脳がワクワクするようなので稽古はサボり。

 さっと入浴をすませ、黒じょかに赤霧島の水道水割りをなみなみと満たし、ぬか床から上げたばかりのナスの漬けものを器に盛り寝酒。

 会津塗りの杯を傾けながら、しばし越路大夫の『加賀見山旧錦絵』の、長局の段を鑑賞する。

 酒精と昭和最後の名人である越路大夫の声が、原稿書きで亢進しすぎた脳を穏やかに鎮めてくれるようだ・・・。



 それにしても、『加賀見山旧錦絵』の悪役である岩藤は悪相だ。

 そして、こういう顔の人というのは、結構世の中にいる。

 ちなみに易者として言わせてもらうと、人形浄瑠璃の「頭」というのは、人相学的にも理にかなってるのである。

 私は卜占では「卜」が専門で、「相」はあんまりみないのだけれども、その人の心根の悪さだとか、秘めた悪行、ルサンチマンややましい思いというのは、本人の気づかないうちに必ずその人の顔に出るものであり、私程度の画相も読めないなまくら易者でも、その程度のことは分かるものだ。

 また、これは余談だが、房事過多は必ず顔に出る。

 これは一発で分かるので、気をつけた方がいい(苦笑)。



 いずれにしても、悪相はさらなる悪因縁を呼び込むので、40を過ぎたら男も女も、自分の顔つき(顔だちではない)には十分に気をつけるべきであろう。

 ま、因果は巡る小車の、地獄は一定すみかぞかし、ということだ。

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 (どっとはらい)

やわら三昧/(古流柔術)

2019年 06月03日 11:00 (月)

 先日の定例稽古。

 当初は柳剛流を中心にする予定であったのだが、出席者の変動の関係で、柔術(やわら)の稽古が中心となった。

 まずは、ウォ―ミングアップ代わりに手裏剣から。

 私は初心に還って、3間間合での順体と逆体の打剣に集中する。

 それにしても、最近手裏剣の稽古はサボりがちだったので、的中が安定しない・・・。

 精進すべし!



 1時間ほど打剣に集中した後は、柳生心眼流の稽古。

 向い振りで体をほぐした後、捕と受を交代しながら「切」の組形を丁寧に繰り返す。

 無声の気合いをもって体内で気を燃焼させ、爆発する気を一気に相手にぶつける「切」の素振は、難易度が高く心身にかかる負荷も高い。

 また、この日は気温こそ27度ほどであったが湿度が高く、あまり風も吹いていないことから、若干熱中症気味なのだろうか、倦怠感も強かった。

 それでも組形の「返し」で後方転回を繰り返していると、心身を集中させるためか、意識がピリッとして心地よい。

 師の教えによれば、心眼流の「返し」は身体技法的な面に加え、転回することで「気」を巡らして心身を調整する「養生」的な面もあるのだという。

 たしかに「返し」の受をとっていると、なんとなく心身が爽快になるから不思議だ。

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▲柳生心眼流の素振の組形では、受は自ら後方に回転して逃れる



 「切」の組形の後は、「取放」の稽古。

 「取放」は、その後に学ぶ「取返」につながる重要な稽古だ。

 片衣から大搦まで、何度も何度も繰り返すのだが、これは捕より受の方がフィジカル的にキツイ。

 何しろ業をかけられるたびに、受はたいへんに負荷の高いプッシュアップ(腕立て伏せ)を繰り返すのである・・・(苦笑)。

 しかし受も捕も、次に学ぶ「取返」の形を確実にとれるようになるためには、この「取放」にしっかりと習熟しなければならぬ。



 1時間半ほどで柳生心眼流を終え、続いて柴真揚流の稽古。

 居捕の1本目「左巴」、2本目「右巴」を丁寧に繰り返す。

 古流の武芸では多くの場合、最初に学ぶ形=業が、初学の門であり極意でもあるという。

 柴真揚流の「左巴」「右巴」も、「これぞまさに、柴真揚流!」という趣たっぷりの形だ。

 ありていに言えば、「とにかく蹴殺し、当て殺す」、というものである。

 かつて、神道自然流空手術の創始者である小西康裕先生も柴真揚流を学び、その影響を受けたというが、さもありなんと思う。

 受身と捕手を交代しながら形を繰り返し打った後は、当身台へ実際に当身を打ち込ませる。

 当身に習熟していない者については、特に蹴足の際、十分に上足底を対象に当てることができず、多くの場合、足底をかすり上げるような当てになってしまう傾向がある。

 このため、当身台なりサンドバックなりを使い(もちろん人体でも構わない)、実際に拳足を当てる稽古をさせることが重要だ。

 また、「当てるよりも早く引く」というやわら特有の電撃的な当身の感覚を身につけるためにも、こうした実打の稽古は欠かすことができない。

 当身台にしっかりと上足底を蹴り込み、しかも当て放しではなく当てるよりも早く引く。

 その上で、

 「的は身の内一・二寸」

 という感覚を、体で会得しなければならない。



 そこうするうちに、定例稽古の時間は終了。

 柳剛流のおさらいもやりたかったのだが、やむをえまい。

 次週、たっぷり稽古するとしよう。

 (了)

活殺自在/(古流柔術)

2019年 06月01日 22:33 (土)

 8年前ほど前から、コツコツと東洋医学について勉強をしている。

 漢方治療については、親しい医療関係者に教えを受けたりしながら、素人なりにいろいろと知見も積み重なってきた。

 食養生(薬膳)については、基本的に3食自炊なので、その時の体調に合った食材をできるだけ取り入れるようにしている。

 というか、まあ、旬の食材を肴にしているだけのことだ(爆)。

 今時分は、蚕豆とホタルイカが旨いねえ。



 そして去年からは、灸の勉強に重点的に取り組んでいる。

 もともと、稽古などで体を痛めた際、かかりつけの接骨院で鍼や灸をしてもらい、特に灸がよく効いた。

 そこで灸についても、ちょっとした痛みや不調くらいなら、ある程度のセルフケアはできるかなと思ったのである。

 とはいえ、所詮は素人療治ゆえ、直接灸をやるテクニックとガッツはまだないので(焼き切るとアザになるしね・・・)、もっぱらお手軽な間接灸(台座灸)を愛用している。

 私の場合、長患いの右手の手根幹症候群やら、手裏剣の打ちすぎで痛めてしまった右肘の上腕骨外側上顆炎(いわゆるテニス肘)、右の股関節や右膝の脱臼、左右のアキレス腱断裂など、身体に抱えている爆弾が結構ある。

 このため、軽い痛みやしびれがを感じた段階で、早めに灸でリカバリーをするわけだ。

 また、若いころはベッドに横になるとすぐに眠れたのだが、最近は寝つきが悪く、あるいは夜中に目覚めたり眠りが浅くなってしまったのだが(加齢ですな・・・)、この手の症状にも灸はよく効く。

 寝る前に、足の甲の親指と人さし指の骨が交わるところから、やや指先よりのへこみにある「太衝」や、手首の曲がりジワを小指側へなでてゆき、骨の出っぱりの手前で指が止まるところの「神門」に灸をすえると、スーっと眠れるから不思議だ。

 ま、多分にプラセボも入っているのだろうけれども、効果があればプラセボでもいいんだよ、セルフケアなんだから(苦笑)。



 ちなみに、上記の快眠によく効く「太衝」というツボは、楊心流系の柔術(やわら)の殺でいうと「高利足」である。

 大搦や後捕などの際によく足で踏み当てる穴所であり、たとえば柴真揚流でもこの殺を用いる。

 このように、鍼灸で用いるツボ(経穴)と柔術の殺は、いずれも同じ東洋医学の経絡理論に基づいていることから、当然ながら重複してるのだが、一方で名称は系統や流儀によって異なっている。

 たとえば、柳剛流殺活術の「雁下」(楊心流系の「雁下」とは異なる)は、鍼灸の経穴では「臂臑」にあたり手根幹症候群や肩の痛みなどに効果がある。

 あるいは、やはり柳剛流殺活術の「水月」は鍼灸の「巨闕」、「心中」は「中脘」、「明星」は「関元」などとなる。

 このように同じ経穴でも、拳足で電撃的に当身を加えれば「殺」となり、温熱や刺激を適度に加えればケガや病いを癒す「活」となる。

 まさに活殺自在とは、言ったものだ。

 東洋医学の奥は深い。

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▲柔術の殺活を学ぶなら、必ず精読しておきたい基本資料である井ノ口松之助の『柔術整理書』。今は、復刻版が安価で手に入るのがありがたい


 (了)