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逝きし世の面影/(身辺雑記)

2019年 04月30日 10:59 (火)

 今日で「平成」が終わり、明日から「令和」が始まるそうな・・・。

 「そうな」などと他人事風なのは、実際に他人事だからである。

 今日も仕事をして稽古をして酒を呑んで本を読んで寝て、明日も仕事をして稽古をして酒を呑んで本を読んで寝てと、元号が変わっても私の日常は、特段何も変わらない。



 とはいえ、30年以上続いた平成の世が今日で終わると言われれば、いささかの感慨はある。

 平成元年に、私は20歳となった。

 そして今年、50歳になる。

 つまり平成という時代とともに、私は二十代、三十代、四十代の30年間を過ごしたというわけだ。

 ひとりの人間にとって、20歳から50歳までの30年間というのは、人生の中心的な時期だといっても過言ではあるまい。

 私個人の平成史を超ざっくりと振り返れば、二十代は出版業界の門を叩いてフリーランスとして独立、30代は古流武術を離れて空手道に打ち込み、40代は手裏剣術を研鑽しつつ再び古流武術の門へ還ってきた。



 日本人男性の平均寿命が81.09歳。

 しかし、私のふた親はいずれも73歳で死んでいることから、自分もおそらく長くとも70歳くらいが寿命だろうなと思っている。

 その上で、武芸の実践者として、ある程度身体が動くのは、あと10年くらいだろうか・・・?

 そう考えると、もうあまり時間はない。

 ま、身体が利かなくなったら、武芸については後進の育成に専念しつつ、卜占や東洋医学の勉強を楽しみながら、心静かに暮らしたいものだ。



 なにはともあれ来るべき令和の時代も、座右の銘である「潜竜」の教えを我が心に置きつつ、限られた時間を大切に、仙台藩角田伝柳剛流を中心とした伝統武道の研鑽と伝承に努めていこう。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
潜竜用いるなかれとは、何の謂ぞや。
子曰く、竜の徳あって隠るるものなり。
世に易(か)えず、名を成さず、世を遯れて悶(いきどお)るなく、是とせ見(ら)れざれども悶るなし。
楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。
確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり。
(『易』 文言伝より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 (了)
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4月の水月塾本部稽古~柳生心眼流、無双直伝流、柳剛流など/(武術・武道)

2019年 04月29日 09:52 (月)

 昨日は水月塾本部での稽古。

 今回、埼玉支部からは、私とY氏が参加した。

 午前中はまず、柳生心眼流の稽古。

 師に素振28ヶ条をみていただき、ひとつひとつ、丁寧に手直しをしていただく。

 次いで午前の部の後半は、5月18日(土曜)に行われる松代藩文武学校武道会・春の師範演武会で披露する、無双直伝流和を稽古。

 無双直伝流和は、かつて北信濃に伝播したものだが、残念ながら失伝。今回稽古した形は、師が複数の史料を付き合わせ、それに絵目録で矯正を施して復元したものである。

 実際に稽古してみると、古流の風格ある形=業の数々がたいへんに興味深い。

 午前の稽古のしめは、師に打太刀をとっていただき、柳剛流長刀(なぎなた)の形を打つ。

 翠月庵での稽古では、どうしても私が打太刀を執らねばならないので、本部稽古で師に打太刀を執っていただき、存分に仕太刀の稽古ができるのは、貴重なひと時である。

1705_柳剛流長刀_モノクロ
▲柳剛流長刀 「左首巻」



 昼食後、午後は甲陽水月流のステッキ術をご指導いただく。

 ちょうど先日、神保町の高山本店で、江連力一郎の『ステッキ術』をパラパラと立ち読みして、買おうか買うまいか迷って結局買わなかったのだけれど、なにか不思議な偶然である。

 思えば私も、今年でついに50歳・・・。

 右膝や股関節も悪いので、あと十何年かしたらステッキのお世話にもなるだろうから、ステッキ術もしっかり稽古しておかねばなるまい。

 Y氏と何度も、ステッキ術の形を繰り返し復習しているうちに、本日の稽古は終了。



 頂きに白雪をまとった富士山に見送られつつ、武州への帰途についた。


 (了)

神道無念流立居合十二剣/(武術・武道)

2019年 04月27日 02:31 (土)

 昨日は、再来週から始まる週刊誌の仕事の打ち合わせで神保町へ。

 この季節、雨の東京はなかなか風情がある。

 梅雨に入ると、蒸し暑いだけだが・・・。

 打ち合わせ後、高山本店と原書房に立ち寄るものの、これといったものはなし。

 帰宅後、スケジュール調整や経理、請求事務に追われる。

 世間様はこの週末から10連休だそうだが、私には関係なし。

 土曜は翠月庵の定例稽古、日曜は水月塾本部での稽古、週明け月曜からはゲラ校正や月刊誌の巻頭インタビュー原稿、インバウンド向けの観光記事など、引き続き仕事は山盛りだ。



 日付が変わって、深夜から稽古。

 5月の演武会が近いので、今週は柳剛流と柳生心眼流の稽古に専念しているのだが、今晩はちょっと思うところがあり、八戸藩伝の神道無念流立居合十二剣を抜く。

 仙台藩角田伝の柳剛流には、立合での抜刀を錬る形が無いので、神道無念流の立居合は、柳剛流を学ぶ者にとって併修するのによい。

 2尺4寸5分の差料を帯び、撞木足で一重身となりつつ、逆袈裟での抜き付けと袈裟斬りを多用する、ダイナミックで実践的な形を繰り返す。

 独特の逆手納刀、鎬を活かした特有の受け流し、冴えた手之内を生み出す口伝、古式ゆかしい刀礼なども、八戸藩伝の特長だ。



 私の武術修行は、柳剛流が本義であるのは言うまでもないが、この神道無念流立居合十二剣も、師より伝授していただいた大切な剣技として練磨を続け、後進に伝えていきたいと思う。


1805_神道無念流立居合
▲翠月庵門人による、神道無念流立居合十二剣

 
 (了)

とある休日/(身辺雑記)

2019年 04月24日 11:16 (水)

 昨日は約2カ月ぶりに、何も予定のない休日であった。

 午前中は、県立武道館で稽古。

 柳剛流居合と長刀(なぎなた)に集中する。

 昼過ぎに帰宅し、ホタルイカと焼きソラマメで昼酒。

 すべて世は、事もなし。

 ひと眠りしてから図書館へ行き、以前から読みたかった渡辺京二の『江戸という幻景』を借りる。

 帰宅後、長芋とオクラの素揚げをつまみに、赤霧島のお湯割りを飲みながら、つらつらと読み進める。

 いつの間にか、手枕で寝てしまい、目覚めればもう日付が変わっていた・・・。


 さて今日は、2カ月ぶりのインタビュー取材のため、これから築地の某新聞社へ。

 帰りはひさびさに、池袋の「うな鐵」にでも、寄ろうかねえ。


 (おしまい)

バラッドをお前に/(身辺雑記)

2019年 04月23日 01:19 (火)





 今しがた、7月に発行予定の、高齢者福祉に関する単行本の原稿205ページを、ようやく書き上げた。

 文字数にして、およそ10万字。

 おかげで3月から連日12時間机にかじりついてきて、心身ともに疲労の極みである。

 とはいえ、まだ初稿を終えたというだけで、これからゲラでの加筆修正、色校まで、作業は続くのだが、とりあえずひと段落というところだ。



 一方で、5月は演武が続く。

 5日は水月塾本部の演武会、18日には松代藩文武学校武道会の演武がある。

 もうあまり時間がないが、それぞれの演武で披露するために翠月庵の門人一同、柳剛流の剣術、居合、突杖、そして長刀(なぎなた)を、より高いレベルへ仕上げていく。

 その上で、もう次のインタビューや新しい雑誌の原稿のオファーも数件あり、しかもそのうちの1つはかなり大きく長期的な、そしてきつい仕事になりそうだ。



 ヘヴィーな日々が続くが、なんとかしのいで行くしかない。

 生きるために働き、カネを稼ぐ。

 そしてその合間に、可能な限り時間を作り、業を磨き鍛錬を続け、柳剛流師範として流祖や先師・先人方に恥じない業前を維持し、常に昨日よりも今日、上達していかなければならない。

 加えて後進への指導にも意を注ぎ、流儀の業を後世につなげていくことにも注力していかねばならぬ。

 武芸者としての己の業前の上達と、伝系の末席を汚す者として流儀を後世に伝えるという、この2つの使命は、柳剛流に関してはもちろん、柳生心眼流や柴真揚流についても同様であり、どれもひとつとして練磨と伝承に手を抜くことができない。

 ま、これくらいで、私の人生、いっぱいいっぱいだ(苦笑)。



 さて今晩も、もう25時を過ぎた。

 さすがに今日は稽古はさぼり、一杯ひっかけて眠るとするか。

 明日は、県立武道館で稽古だ。

 南無八幡大菩薩。


 (了)

おくやみ/(身辺雑記)

2019年 04月22日 14:24 (月)




 小池一夫先生の、ご冥福をお祈りいたします。


 (了)

礼法と「右剣」/(柳剛流)

2019年 04月21日 12:24 (日)

 昨日の午後は、翠月庵の定例稽古であった。

 先月末の入門後、定例稽古参加は今回で2回目のA氏のため、全員で柳剛流の備之伝から稽古を開始。

 柳剛流修行歴3年目、杖道師範でフルコンタクト空手・柔道・薙刀・抜刀道それぞれの有段者でもある、当庵門人きっての猛者S氏には、正面に出て「備」に対する備十五ケ条フセギ秘伝を執ってもらい、双方について私が検分、修正や指導、理合の解説を行う。

 新しい人が入ってくると、こうした多角的な稽古や指導もできるのがいい。



 全員での「備」の稽古の後、私はA氏にマンツーマンで礼法を指導。

 一般的な座礼の真行草、そして柳剛流の礼法について、何度も繰り返す。

 これまで翠月庵に入門して柳剛流を学んでいる門人は、いずれも他流の師範または有段者だったので、こういった基本的な所作や立ち居振る舞いについて指導することはあまりなかったのだが、今回は武術・武道未経験者ということで、基本のキからの指導である。

 思うに、私たち武術・武道の指導に携わる者は、毎日当たり前のように稽古着に袖を通し、礼法を行い、木太刀や剣を振るい、あるいは柔(やわら)をとっている。

 しかし今から38年前、12歳の時に初めて武芸の門を叩いたあの頃を思えば、私も初めは何も分からなかった。

 そういう意味で、「まったき初心者」への指導というのは新鮮なものだ。

 股立の取り方ひとつをとっても、初心者、ましてや21世紀を生きる平成生まれの若者にとっては未知の体験であろう。

 だからこそ、正しい所作とその意義や意味を、分かりやすく伝えていかねばと思う。

1804_柳剛流礼法2
▲柳剛流の礼法



 礼法の後は、いよいよ初めての形の教伝。

 柳剛流剣術の最初の一手であり、至極の形でもある「右剣」を指導する。

 この形には、柳剛流の真骨頂である「断脚の術」や「跳斬の術」に関する、すべてのエッセンスが凝縮されている。

 初学者がこの後に学ぶ形である「左剣」はもちろん、“当流極意柳剛刀”として目録で学ぶ一連の形や剣技、そして免許秘伝の長刀(なぎなた)に至るまで、すべてはこの剣術1本目「右剣」の応用変化であるといっても過言ではない。

 それだけに、柳剛流の「右剣」という形=業は、何年稽古をしても実に難しいものだなあと、私自身、しみじみ思う。

 武術・武道の初心者については、まずは2~3年の間じっくりと、「右剣」と「左剣」の2つの剣術形に腰を据えて取り組ませるのが、流祖以来の当流の流儀だ。

1706_柳剛流「右剣」
▲柳剛流剣術 「右剣」



 一方でこの2~3年の間に、2つの剣術形に加えて鍛錬形である居合5本、そして実践技法としての突杖(杖術)5本も学ばせることとなる。

 柳剛流は単なる剣術流派ではなく、総合武術なのだ。

 なにはともあれ、慌てず腰を据えて、形に込められた流祖や先師方の想いをかみしめつつ、地道に稽古を重ねてくれればと思う。



 「むら雨の柳の枝のふりかかり
       てまの心大事とそしれ」(柳剛流切紙 武道歌)



 (了)

向一文字/(柳剛流)

2019年 04月20日 10:02 (土)

 深夜2時、原稿を書き終えた後、稽古着に着替えてしばし柳剛流の稽古。

 今晩も、居合に専念する。

 室内にて、「向一文字」と「切上」の形を抜く。

 部屋の狭さと刀の長さゆえ、左右後への体捌きを伴う「右行」、「左行」、「後詰」の形は抜き難い。

 しかし、柳剛流居合の真面目は、あくまでも1本目の「向一文字」にある。

 低く跳び違いながら、ひたすら抜き差しを繰り返す。

 深夜故、跳び違いの際、大きな音が立てられないことも、よい鍛錬だ。

 そしてこの鍛錬が、柳剛流剣術や免許秘伝の長刀の眼目となる、「跳斬之妙術」につながるのだ。

 武芸の上達に“魔法”はない。

 ひたすらこの一剣を、磨きぬかねばならぬ。


171014_柳剛流居合
▲柳剛流居合 「向一文字」での跳び違い



「敵と我二人と見るは愚かなれ
         一体一気溜りなければ」(柳剛流剣術免許巻 武道歌)


 
 (了)

次の「場」へ/(柳剛流)

2019年 04月19日 11:16 (金)

 締め切りが迫っているにも関わらず、高齢者介護に関する単行本の仕事がなかなか思うようにはかどらない。

 そのせいか、昨晩からいささか迷走気味の翠月庵である・・・。



 先の苗木城での演武から、すでに一週間。

 いまだ、柳生心眼流演武の確かな手ごたえが強く心身に残っているのだが、もはやそれは過ぎ去ったこと。

 このため今週は、もっぱら柳剛流の稽古に専念。昨晩も二尺八寸八分の差料で、柳剛流居合に集中した。

 私の体格では、この刃長の差料での抜き差しはなかなか難儀なのであるが、柳剛流居合は本質的に「鍛錬形」なので、こうした負荷の高い長さの刀を使い、自分の体を最大限に大きく使わなければならない。

 ゆえに、現実的にはあり得ないことだが、もし刀をもって戦わなければならないようなことがあったとしたら、私はこの長すぎる二尺八寸超の差料は選ばない。

 二尺二寸一分の市原長光を選ぶ。

 重ね厚く、身幅広く、猪首気味の切先で、打刀としてはやや短く取り回しがよいこの差料であれば、戦塵の場でも己を託せるかと思う。

市原長光



 「居合は鍛錬形である」

 という、流祖・岡田惣右衛門の思想が明確に示されていることが、柳剛流居合の大きな特徴だ。

 長い差料を用い(先師の中には、三尺を超える刀を用いていた方もいる)、身体を最大限にまで大きく使い、座位にて刀の抜き差しと斬撃、そして跳び違いを徹底的に練る。

 これによって柳剛流ならではの、跳斬之妙術を我が物とするのである。



 今しばらく心身両面で過酷な仕事が続くが、倦まず弛まずコツコツと流祖の剣を磨きながら、次の「場」へと向かうとしよう。

1810_松代演武_柳剛流居合


「脚を斫る之術、是より先の諸家未だ嘗て講ぜざる所にして、先生意を以て之を剏め、特に其妙を極む」(「柳剛流祖岡田先生之碑」石巻市大門崎)


 (了)

平成最後の演武/(武術・武道)

2019年 04月16日 09:37 (火)

 先の土曜は、岐阜県中津川市の史跡・苗木城跡で開催された「苗木城桜まつり武術演武会」に参加した。

 武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部として、私とY氏で、柳剛流剣術と突杖、そして柳生心眼流の素振二十八ヶ条の組形から十本を披露した。

 当初、桜の開花が予想以上に早そうだという話であったが、数日前からの冷え込みもあり、当日は満開の桜の下で、存分に演武を披露することができた。

 なかでも柳生心眼流については、私もY氏も演武での披露は初めてであったが、この日に向けてここ数カ月、徹底的に稽古をしてきたゆえ、演武者としては、まずまず満足のいくものになったかと思う。

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▲演武本番前のリハーサルにて、Y氏による素振り・「表」


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▲こちらもリハーサルにて、私の素振り・「中極」



 さて、次の演武は、元号も変わって令和元年5月5日の、水月塾本部の演武会である。

 引き続き気を引き締めて、当日に臨みたいと思う。

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▲桜の森の満開の下で


 (了)

挑む者に勝利あり/(武術・武道)

2019年 04月13日 00:40 (土)

 さて、準備すべきことは準備をし、備えるべきことはすべて備えた。

 それでは西へ、向かうとしよう。

 南無八幡大菩薩。


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「敵の盈虧(えいき)を察し、必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ。何を以てか之を譬えん。其の際に髪を容れるべからず」(柳剛流剣術目録巻より)

 (了)

稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ/(武術・武道)

2019年 04月12日 00:24 (金)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
問。能に位の差別を知る事、如何。

答。これ、目利きの眼には、やすく見ゆるなり。およそ、位の上がるとは能の重々の事なれども、不思議に、十ばかりの能者にも、この位自れと上る風體あり。ただし、稽古なからんは、自れと位ありとも、徒ら事なり。先づ、稽古の却入りて、位のあらんは、常の事なり。また、生得の位とは、長なり。かさと申すは、ものものしく、勢のある形なり。また云はく、かさは一切に亙る儀なり。位・長は別の物なり。例へば生得幽玄なる所あり。これ、位なり。しかれども、さらに幽玄にはなき爲手の、長のあるもあり。これは、幽玄ならぬ長なり。
 また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の却入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。
 よくよく公案して思ふに、幽玄の位は生得のものか。長けたる位は却入りたる所か。心中に案を廻らすべし。

 (『風姿花伝』第三 問答條々より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 世阿弥の『風姿花伝』は、芸道を歩む者であれば、必ず読んでおくべき古典である。

 なかでも、「第三 問答條々」にある上記の問いと答えは、私の最も好きな一節だ。

 技芸における「位」とは、それをめざして稽古をして、得られるものではない。

 稽古を積み重ねた結果、おのずから身につき、自然とにじみ出るものである。

 また「位」には、生得のものである「幽玄の位」と、修練を重ねた結果として得られる「長けたる位」があり、両者は異なるものなのだと、世阿弥は言う。

風姿花伝


 私のような凡俗は武芸において、生来のものであるという「幽玄の位」など、あろうはずもない。

 しかし、稽古を積み重ねたその先にある「長けたる位」であれば、もしかしたらそれを得られるかもしれない・・・・・・。

 そんな想いで未熟者なりに、流れ流れてもう37年も、武芸の稽古を続けている。

 さて、今晩も木太刀を執り、拳足を当身台へ打ち込むとするか。


 (了)

新入門、そして演武に向けて/(武術・武道)

2019年 04月07日 01:28 (日)

 本日(というか、もう昨日だが・・・)は、翠月庵の定例稽古。

 本日から新たにA氏が入門。柳剛流の稽古を始める。

 まずは着装から。

 帯の締め方、袴のつけ方などを指導。

 我々のように、もう40年近く、しかもほぼ毎日稽古着を着ていると、それは完全に日常生活動作になっている。

 しかし、21世紀の標準的な生活を送っている若い武道初心者にとっては、袴に足を通すこと自体、未知の体験なわけで、私とY氏の2人がかりで、手取り足取り着装の指導となる(笑)。

 ついで、真行草の立礼の仕方、立ち方、木刀の持ち方の指導。

 そしていよいよ、柳剛流の備之伝を伝授する。

 「伝授する・・・」などと書くといかにも大仰であるが、ま、ようするに構え方を教えるわけデス。

 上段から左車まで、柳剛流の15の構えを、ひとつひとつ指導。

 Y氏がお手本になってくれるので、たいへんに解説と指導がしやすい。

 A氏の入門初日の稽古はここまで。

 次回は、柳剛流剣術の「右剣」をやりましょう。



 そして私とY氏は、5月にある水月塾本部の演武に向けて、柳剛流突杖をおさらい。

 次いで1週間後に迫った岐阜での演武に向けて、柳生心眼流の素振を「表」から「切」まで、相対で徹底的に繰り返す。

 形を打てば打つほど、心眼流の武術としての魅力を強く感じる。

 今年は素振の演武だが、いずれはぜひ「取返」を披露したいものだ。

 しかし、コンクリート打ちっぱなしの床の上での「取返」は、いささかかハードかな・・・?

 膝にサポーターをつければ、なんとかなるかねえ。

 一昨年は、コンクリの床の上で、仕太刀が打太刀を地面に叩きつける、柳剛流剣術の「相合剣」をやったしなあ。

 もちろん、打太刀を執ったのは私なんだけどもね。

 コンクリの上で受け身をとると、腰が痛いんだよ・・・(苦笑)。

1805_柳剛流_相合剣
▲打太刀を地面に叩きつけ、さらに倒れている相手に止めの斬撃を加える、柳剛流剣術「相合剣」。打太刀として、これをコンクリの床の上でやるのはいささか難儀であるが、柳剛流の打太刀たるもの、それくらいできて当然でもある



 稽古場から帰宅後、いつもなら自室で心静かに晩酌となるのだが、介護関係の単行本の執筆が大幅に遅れていて、もうにっちもさっちもいかないので、やむなく簡単に夕食を済まして机につき、原稿執筆に集中。

 とりあえず、25時までに6ページを書き上げて、編集者に送信した。

 しかし、あと89ページか・・・。

 ま、ちょっと寝よう。


 (了)

清明/(身辺雑記)

2019年 04月06日 09:32 (土)

「清明」(王禹偁)

 無花無酒過清明
 興味蕭然似野僧
 昨日隣家乞新火
 暁窓分与読書燈

 花無く酒無くして 清明を過ぐ
 興味 蕭然として野僧に似たり
 昨日 隣家 新火を乞う
 暁窓に分与す 読書の燈


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 (了)

丸森の先師方に学ぶ「剣柔一如」/(柳剛流)

2019年 04月05日 12:36 (金)

 宮城県伊具郡丸森町は、隣接する角田市と並んで、私たちが伝承・稽古している仙台藩角田伝柳剛流のふるさとである。

 幕末から明治・大正にかけて、丸森では集落ごとに柳剛流の師範が居り、地域の人々はこぞって柳剛流の稽古にいそしんだという。

 このような、柳剛流興隆の史実を今に伝えるのが、丸森町各地に点在する、柳剛流師範家6名の頌徳碑である。

 以前、これらの頌徳碑について、役場や地元教育委員会に問い合わせたところ、残念ながら碑文の翻刻などはまったくなされていないということであった。

 これについて、現地を調査された小佐野淳先生が、自らが主催する日本総合武道研究所発行の『日本武芸新聞 水月』(https://japanbujut.exblog.jp/20285792/)の最新号(第179号)の一面で、確認できる限りすべての頌徳碑の文面を翻刻・掲載された。

 その具体的な内容については、ぜひ同紙で直接ご確認いただきたいのだが、これは柳剛流研究にとってたいへんに大きな足跡であり、非常に価値のある発表である。

 本来、自らの師の業績を、末席の弟子である私がこのように評するのは、長幼の序や、伝統的な芸道における子弟としてのたしなみに反する、はしたないことである。

 しかし、柳剛流を愛する者として、師の研究成果の価値の大きさと貴重さに思わず興奮して、このように書いてしまった次第。

  *  *  *  *  *

 さて今回、師の調査結果をじっくりと拝読させていただき、角田伝(より正確には、角田・丸森伝というべきか・・・)の柳剛流を学び受け継ぐ者のひとりとして、実に様々な示唆や学びがあった。

 なかでも、ひとつ私の印象に強く残ったのが、丸森で活躍された6名の柳剛流師範家の多くが、心極流柔術も修めていたということだ。

 心極流(真極流)は、仙台藩で広く普及していた柔術であり、丸森の6名の柳剛流師範家のうち、佐藤金三郎先師、佐藤留四郎先師、佐藤善四郎先師、佐藤新治先師、以上の4名が、いずれも心極流の柔(やわら)も極めていたと記されている。

 (佐藤右膳先師については現時点で写真から碑文の判読ができず、大槻弥四郎先師の碑文には心極流に関する記載はなし)

 また、仙北で興隆した登米伝柳剛流の代表的剣客の一人である沼倉清八師範は、柳生心眼流の免許皆伝者でもあったと伝えられている。

 こうした柳剛流の先師方の足跡を知ると、あらためて剣術者は柔(やわら)についても学ばねばならないということを実感する。

 つまり、「剣柔一如」ということだ。

  *  *  *  *  *

 平成そして令和となる今、流儀の末席を汚す私も、柳剛流の研鑽と並行し、師より柳生心眼流や柴真揚流、さらに甲陽水月流などの柔術を学んでいる。

 複数流派の併習というのは、功もあれば罪もあり、特に初学の者にはすすめられない。

 しかし、ある程度の素養や技量のある者については、自己にとっての武芸の本義を見失わない範囲で、節度を持って取り組むのは、武術・武道人としてたいへんに意義のあることだ。

 ありていに言えば、今も昔も、ひとかどの剣客を自認するのであれば、やっとうはもちろん柔もある程度遣えて当然である。

 「刀が無いと闘えません」では、とうてい武人とは言えまい。

 剣柔一如の境地を目指し、私たちも日々、錬成を続けていこうと思う。

1902_柳生心眼流_1
▲翠月庵では柳剛流の錬成と併せて、柳生心眼流や柴真揚流など柔術の稽古も行う


 (了)

頭突きの鍛錬は・・・/(古流柔術)

2019年 04月03日 00:10 (水)

 ・・・あまりやりすぎたらいかんね。

 柴真揚流の稽古で、当身台に形の動きでバンバン頭突きを入れていたら、なんだかクラクラしてきたよ(苦笑)。

 実際のところ頭突きについては、当身台に実際に当てて鍛錬することよりも、至適の間合と拍子で相手に寄り身し、当てるべき位置に正しく当てることができるよう、相対形をみっちり稽古することのほうが重要である。

 このため当身台への打ち込みでも、形で示されている当てるべき「殺」の部位に、正確に当てているのかを実打で確認することが、鍛錬の第一目的となるわけだ。


1904_図解コーチ合気道_頭突き
▲鶴山晃瑞著『図解コーチ合気道』(成美堂出版)より


 (了)

CHIVAS REGAL MIZUNARA/(身辺雑記)

2019年 04月02日 00:37 (火)

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 ありがとうございます。

 師の慈愛が身に沁みる、深夜24時・・・・・・。


 (了)

3月の水月塾本部稽古~柴真揚流/(武術・武道)

2019年 04月01日 09:44 (月)

 昨日は水月塾本部での稽古。

 埼玉支部からは、私とN氏が参加した。

 私は午前中から柴真揚流の稽古。

 Y関西支部長に受をとっていただき、居捕を復習しながら、師より形の手直しをしていただく。

 昼は武芸の「備え」についての座学。

 午後も引き続き、柴真揚流。

 NS氏も交え、Y氏と私と3人で、受と捕を交代しつつ、師のご指導をいただきながら、繰り返し形を打つ。

 今回は特に、柴真揚流特有の拍子の位と当身の入れ方について、師よりご指摘をいただき得るものが大きかった。



 こうして、朝から夕方まで、柴真揚流三昧の一日は終了。

 たいへんに充実した、本部稽古となった。


 (了)