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我、電光の殺で悶絶す/(武術・武道)

2019年 03月30日 23:56 (土)

 本日は、翠月庵の定例稽古。

 今回も私とY氏は、来月の演武に向けて、柳生心眼流の集中稽古。

 「表」、「中極」、「落」、「切」と、素振二十八ヶ条の相対稽古を繰り返す。

 それにしても、2時間以上、延々と素振の相対稽古を繰り返すのは、なかなかハードである。

 おまけに途中、Y氏の当身が私の電光(ちなみに、柳剛流殺活術では「右脇」という。ま、いわゆるひとつのレバー・ブロー)に最高の拍子で当たり、本気(マジ)で悶絶。

 いや、ちょっと久しぶりに、殺意を抱くほど効いたよ・・・(苦笑)。



 心眼流の稽古の合間には、S氏に刀法併用手裏剣術を指導。

 対敵を意識した想定で、1本目「先」と2本目「抜打」の形を繰り返す。

 「先」の形は手裏剣術の名流である知新流の形を元にしたもので、翠月庵の刀併用手裏剣術の初手であり極意でもある。

 練磨すべし!



 そして本日の〆は柳剛流剣術。

 今回は特に、「飛龍剣」をじっくりと稽古。

 この形は柳剛流剣術の中では地味なものだけれど、実は脚斬りと並ぶ当流の真面目である、跳び斬りのエッセンスが凝縮されている形でもある。

 またシンプルゆえに、非常に実践的な業である。

 各自、しっかりと鍛錬をして、身につけてもらいたいものだ。



 さて、私は明日は、本部稽古に参加。

 心眼流の稽古が効きすぎたのか、いささか古傷の右股関節が痛むけれど、とりあえずモーラステープを張って寝るとしよう。

 (了)
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不易たるもの/(身辺雑記)

2019年 03月30日 10:41 (土)

 昨夜は、向こう2年間のパソコンの全データ消失&予想外の出費で打ちひしがれ、さっさとふて寝をしてしまおうということに。

 さりとて、稽古はさぼれないので、気力を振り絞って稽古着に着替え、木太刀を執る。

 鏡に映る己の姿に、柳剛流の備十五ヶ条フセギ秘伝で対峙する。

 木太刀を振るいながら、ただその事だけに集中する。

 剣術をひとさらい繰り返し、続いては柴真揚流。

 虚空の相手に向かい、拳を突き、蹴足を入れ、肘を当て、投げ、拉ぎ、抑える。

 柳剛流も柴真揚流も、その形=業と、そこに込められた武芸のエッセンスは、150年あるいは200有余年前の流祖から変わらず、失われることなく伝えられてきたものだと思うと、その不易さに改めて深い感慨を覚える。

 伝承する者がいて、それを次代に伝えようという意思があり、受け継ぐ者がいれば、流儀の業=流祖の思想が失われることはない。

 そこが、ハードディスクに記憶されたデータとの違いということか・・・。

 などと、こじつけながら、心持ちを少し軽くして眠りについた次第。

1812_柳剛流_中段の構え
▲ハードディスクのデータは消失したが、画像などについては、
主なものはクラウド上にあるので無事である



「たしかに日本の桜花は、風に身を任せて片々と落ちる時これを誇るものであろう。吉野や嵐山のかおる雪崩の前に立ったことのある人は、だれでもきっとそう感じたであろう。宝石をちりばめた雲のごとく飛ぶことしばし、また水晶の流れの上に舞い、落ちては笑う波の上に身を浮かべて流れながら『いざさらば春よ、われらは永遠の旅に行く。』というようである」
(「茶の本」岡倉覚三著・村岡博訳/岩波書店)


 (了)

全データ消失/(身辺雑記)

2019年 03月29日 20:00 (金)

 昨夜24時、書きかけの単行本の原稿を進めようと、スリープ状態からパソコンを立ち上げると、ブラックアウト・・・。

 うんともすんとも言わない。

 明け方までいろいろいじったがどうにもならず。

 これでは、仕事が何もできない。

 しかたなく、専門の修理会社に連絡。

 プロのお兄さんに見てもらったところ、ハードディスクが破損そして全壊とのこと。

 「読み込みが遅くなったり、フリーズしたりとか、なにか予兆はなかったですか?」

 「まったく、何もありませんでした・・・」

 そもそもこのパソコン、まだ買って2年とちょっとしかたっていないんだぜ(涙)。

 結局、ハードディスクを丸ごと新品に取り換え。

 そして、失われたデータを復旧するには、専門の業者に出しておそらく15万円以上はかかるとか。

 それは金額的に無理だ。

 とても今、その額は出せない。

 ということは、この2年間の全データ消失!

 柳剛流関連の全画像、書き溜めてきたテキストや資料のPDFなども、すべて消失。

 当然ながら、このパソコンに変えて以来の仕事などのすべての原稿、すべての資料、すべての画像など、み~んな消失。

 まさかこんなに早く壊れると思っていなかったし、予兆もなにもなかったので、まったくバックアップを取っていなかったのである。

 嗚呼・・・・・・。

 そして、出張費や修理・部品代など、お代はしめて6万円。

 嗚呼・・・・・・・・・。



 明日から、1日1食かな。

 やっぱ翠月庵の月謝、1万円ぐらいに値上げしようかしら・・・(これは嘘です)。

 もうダメだ。

 稽古して寝よう。

 嗚呼・・・・・・・・・・・・・・・。


 (おしまい)
 

当て身を過信しない/(古流柔術)

2019年 03月28日 02:19 (木)

 私は柔(やわら)の殺法、いわゆる当て身について、幼少の頃から強い興味をもっていた。

 思えばそれは、何かそこに空手や拳法の打撃とは違った“魔術的なもの”を期待していたのかもしれない・・・。

 あれから幾年月。

 今も、柔術の当て身は私の武芸における大切な課題であり、柳生心眼流や柴真揚流など、当て身を重視・多様する古流柔術の鍛練を通じて、稽古・研究を続けている。

 が、しかしだ。

 当て身を過信してはならないということも、武術・武道人として日々、胆に銘じている。

 20代後半から30代後半までの約10年間、古流武術の稽古を中断して空手の稽古に専心した経験から実感するのは、小よく大を制し、寡をもって衆を制するために欠かせない武技である当て身(打撃)も、打つ時(拍子)と場所(位置)、そして打ち方(方法)が適切でなければ、その威力・効果を十分に発揮できないということだ。

 もっと有体に言えば、筋骨を鍛えあげたマッチョな相手やアドレナリン全開のバーサーカー状態の人には、中途半端な打撃は効かない。

 また、組業に熟練した相手には、容易に組みつかれねじ伏せられてしまうというのも、ブラジリアン柔術や総合格闘技が普及した今、改めて私が言うまでないことであろう。

 何しろ自分自身、空手を学ぶ前、10代の頃の得意技は裸締めや片羽締めで、半端な打撃は多少当たっても無視して、低い姿勢で一気に相手の懐に入って組み付き、そこから背後をとって裸締めや片羽締め+胴締めで極めるというのが、お得意のパターンであった。

 当時の私は、八光流柔術を稽古していたのだけれど、ああいった上品な技は、10代の血気盛んな男子にはけして遣いやすいものではなく、それに比べると殴る・蹴る・締めるといったシンプルな技は、ある種即物的というか原初的というか、まあ野良犬のような少年にはとっつきやすく、使いやすいものであったわけだ。

 裸締めと片羽締めは、おじい様が戦前の講道館有段者で自身も柔道の黒帯であった、部活のO先輩に教えて貰ったもので、当時の「子どものケンカ」では、実によく効いたものである(苦笑)。

 ま、UWFもリングスもなく、ブラジリアン柔術もまだ日本に上陸していなかった遠い昔、昭和50年代末~60年代初めの、田舎の裏町でのお話だ・・・。

1903_柔術生理書_裸締め
▲「この手は、充分に掛かりたる時は抜け難きものゆえ、
早く降参の手をうつべし」(『柔術生理書』井ノ口松之助)


 閑話休題。


 当て身というのは、適切な拍子(タイミング)で適切な場所(急所)に当たるから効くものである。

 しかし自由に動き回り、意思をもって我を攻撃し、あるいは防御をする相手には、簡単に当たるものではないということも、自由攻防の稽古をしている人たちからすれば、当たり前のことだろう。

 そういう意味で、時折、「目突きや金的を狙えば・・・」などと簡単にいう人がいるのも、どうかと思う。

 そもそも、相手はボーっと突っ立ってるわけじゃあなし、こちらの攻撃を避け、スキあらば我を攻撃してこようとするのだから、そんなに簡単に目突きや金的など、当たらないものだ。

  *  *  *  *  *

 こうしたことを念頭に置きながら、日々、古流柔術の稽古をしていると、そこに含まれている当身は、

 当てるべき時に、当てるべき場所へ、当てるべき方法で当てる

 ということが、「形」というスキームで明確に示されていることが実感できる。

 いつ、どこへ、どのように当身を当てるのが、最も効果的であるのか?

 それについての「公式」が、流祖や先師方が編み出した「形」に、しっかりと示されているわけだ。

 その「公式」を用いて、どのように活きた「解」を導き出すのか?

 これこそが研究者ではない、実践者としての武術・武道人に課された使命であろう。

 当て身を過信することなく、しかしその大なる効力を侮ることなく、日々、稽古と研究を重ねていかなければならない。

1903_長谷川派新海流
▲長谷川派新海流柔術の当て身秘伝書


  *  *  *  *  *

 では今晩も、柴真揚流の稽古をしてから就寝するとしよう。


 (了)

今夜も、柴真揚流/(古流柔術)

2019年 03月27日 07:03 (水)

 深夜24時、原稿書きを終えたあと稽古着に着がえ、昨晩に引き続き今晩も柴真揚流の稽古。

 「左巴」から「御使者捕」まで居捕15本、小太刀居合である素抜、そして剣術と棒術までをおさらい。

 稽古のシメに、当身台へ拳足肘を繰り返し打ち込む。

 爽快だ(笑)。

1903_柴真揚流_棒
▲柴真揚流 棒


 当て殺し・蹴殺しの多い柴真揚流は、素振がある柳生心眼流ほどではないが、相対形の稽古が中心となる日本の柔術にしては、比較的ひとり稽古がしやすい。

 そうはいってもやはり、実際に相手に受をとってもらう相対稽古をしないと、対人攻防での間合や拍子、当て具合や外し具合、締め具合などを感得することができない。

 しかたがないので、試みに自分で自分に袖車の締めを掛けてみたら、本当に落ちそうになった。

 びっくりたなあ、もう・・・(爆)。



 今週末の定例稽古では、柴真揚流もみっちりやりたいものだ。

 (了) 

天網恢恢/(時評)

2019年 03月26日 06:27 (火)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
朝日新聞デジタル

匿名で差別的ツイート、世田谷年金事務所の所長を更迭
(2019年3月25日11時11分)

 ツイッターで差別的な書き込みをしたとして、日本年金機構は25日、世田谷年金事務所(東京都)の男性所長を本部人事部付へ異動し、更迭したと明らかにした。所長本人から詳しく事情を聴くなどして、「処分を検討する」という。(以下略)。
https://www.asahi.com/articles/ASM3T339FM3TUTIL002.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ちょっと出典は忘れてしまったけれど、いわゆるネトウヨといわれる、排外主義的・人種差別的な人々について、なんとなく「ニートの20~30代・男性」みたいなイメージがあるのとは裏腹に、実際には40~50代の社会的にもそれなりの立場で働いているオジサンたちが中心であった・・・、といった調査結果があった。

 この年金事務所の所長も、まさにその階層のネトウヨであり、勤務中に、せっせとツイッターに、ヘイトを書き込んでいたのだという。

 つらつら思うに、このネトウヨな所長さんにも、たぶん奥さんや子どもさんがいるのだろう。

 50代なら、子どもさんは大学生か新社会人くらいだろうか?

 自分がそのくらいの歳だとして、みなし公務員で管理職の立派な父親が、勤務中にせっせとツイッターに、読むこともはばかられるような差別的な書き込みや口ぎたない罵詈雑言を、何年にもわたって匿名で書き込んでいたことを知ったら、いったいどんな気持ちになるだろうか?
 
 残念ながら、「天網恢恢疎にしてダダ漏れ」なのが浮世の現実なのであるが、時にはこのように「疎にして漏らさず」てなこともあるので、悪い事はできないものだ。

 ひとりの老荘の徒としては、

 「道の道とす可きは常の道に非ず」

 だなあと、しみじみ思う。

  *  *  *  *  *

 私には息子も娘もいないけれど、芸道における門人が何人かいる。

 そして、芸道の師弟関係というのは、疑似的な親子関係でもある。

 ことに伝統武道の修行において、師弟として盃を交わしたり、あるいは誓詞血判をしたのなら、その疑似的親子関係は形而上下いずれにおいても、さらに重いものとなるのは言うまでもない。

 故に、たとえば「オヤ」である私が、ツイッターやフェイスブック、ブログやホームページなどで、無害な他者を嬉々として攻撃していたり、ヘイトスピーチをせっせと書き込んでいたら、それを知ってしまった「コ」である門人たちは、さぞかし落胆することであろう。

 当然だ。

 自分の「親」が、ヘイトなクズ野郎(女郎でもいいが)だったと、明らかになってしまうのだから・・・。

 ところが、(私の周りには、そのような人はいないけれど)、SNSなどをみていると武術・武道関係者の中にも、読むに堪えないヘイトスピーチを繰り返す人、非常に偏った差別的・排外主義的な思想を標ぼうしてはばからない人、医療ネグレクトに繋がるニセ医療にどっぷりはまっている人、セクハラやDVを繰り返す人などが、まことに残念ながら、けして皆無ではない。

 そんな人たちの発言や行動を期せずしてみてしまった時は、仮にその人の武技にみるべき点があったとしても、

 「この人は、社会人として“アカン人”や。ボクに近寄らんといて!」

 (なぜ、ここだけ関西弁?)

 と、心から思う。

 また、そういった点で己を振り返ると、弟子など誰もいなかった頃に比べて、門人をとり、「仙台藩角田伝 柳剛流」という流儀や「国際水月塾武術協会埼玉支部」という団体の看板を背負うようになった今は、ブログでも実生活でも、己の発言や立ち居振る舞いについても、随分と慎重になった。

 それが「大人の分別」というものであろう。

 「当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すを以て要と為すべし」

 という、柳剛流の教えの深さが身に染みる・・・。

  *  *  *  *  *

 ま、ようするに何が言いたいかというと、

 「ヘイトはダメ、絶対!」

 と、いうことデス。


 南無八幡大菩薩。

 (了)

柳生心眼流の集中稽古/(古流柔術)

2019年 03月24日 12:19 (日)

 翠月庵の春は、演武の季節である。

 4月の苗木城、5月は水月塾本部や松代藩文武学校武道会の演武が続く。

 今年の演武では、師より柳生心眼流を行うご許可がいただけたので、柔(やわら)の稽古に熱心な翠月庵門人筆頭のY氏と共に、先月から素振二十八ヶ条の相対稽古に力を入れている。

 このため昨日の定例稽古でも、3時間にわたって素振二十八ヶ条を徹底的に稽古した。

 「表」、「中極」、「落」、「切」と、4段に渡って互いに捕と受を交代しながら、繰り返し形を打つ。

1902_柳生心眼流_2



 柳生心眼流の素振も、一人で形を打つだけでなく相手をたてて受をとってもらうことで、彼我の間合や位置のとり方、外し方や当身の入れ方、投げの打ち方などについて、より具体的で質の高い実践的な稽古を行うことができるのだなあと、改めて実感。

 個人的には、周転山勢巌による拳の当てについて、また「切」での当て身について、今回の集中稽古でいささか得ることがあったのは、多きな収穫であった。

 今年最初の演武である、苗木城の演武会まで、あと3週間。

 さらに集中して、心眼流の素振を、少しでも高いレベルへ仕上げていこうと思う。

 (了)

柳剛流の士として/(柳剛流)

2019年 03月22日 23:20 (金)

 剛(つよ)くあることは、自由になることなのだと思う。

 12歳で初めて武芸の門を叩いた時から、ずっとそう思っている。

 古武道に幻滅し、29歳で入門した空手道の厳しく激しい稽古で、年下の若者たちに組手で殴られ蹴られ転がされながらも、そう思って歯を食いしばって鍛練を続けた。

 厳しくも優しく指導をしてくださった土佐邦彦先生の、

 「瀬沼さん、青白きインテリではダメだ!」

 というお言葉、そして、

~~~~~~~~~~~~~~~~~
一、大いなる勇気を養うこと
一、礼儀を大切にすること
一、恥を知ること
一、努力の精神を養うこと
一、誠実を旨とすること
~~~~~~~~~~~~~~~~~

 という、玄制流武徳会の道場訓は、同会を退会して久しい今も、私の武道人生における大切な座右の銘だ。



 その後、再び古流の門に還って幾年月。

 今、柳剛流をはじめとした古流武術の師範として、門人たちの指導をしていても、こうした思いは変わらない。

 武芸を学ぶ人は皆、心優しくありたい。

 大切な人たちを守り、弱きを助け強きを挫く、心正しい人であってほしい。

 そしてその魂は、いつも自由でありたい。

 私は強者に踏みにじられたくはないし、弱者を踏みにじりたくもない。

 無害な他者を攻撃したくはないし、他者から攻撃をされたくもない。

 しかし、もし理不尽かつ不当な侵害や攻撃があるのなら、全力をもってそれを邀撃殲滅する知恵と力、業と覚悟を持ち続けたい。

 そのために、今もこれからも武技を錬り心を磨き、柳の如く剛い人でありたいと思う。

 そして叶う事ならば、己の臨終の際には流祖・岡田惣右衛門や岡田左馬輔の御霊から、

 「21世紀の人間にしては、お前さんもそれなりにがんばったね」

 と、ほめられて、愛する人たちの待つ西方浄土へ旅立てれば、それで十分に満足である。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 夫れ剣柔は身を修め心を正すを以て本となす。

 心正しくば則ち視る物明らか也。

 或は此の術を以て輙(たやす)く闘争に及ぶ者有り。

 此れ吾が党の深く戒むる所也。

 当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すを以て要と為すべし。

 仮に稽古試合の如きも亦、戦場に向うが如くして、

 必ず忽(ゆるがせ)にするべからず。

       (柳剛流殺活免許巻より)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 (了)

初学の門/(武術・武道)

2019年 03月21日 16:00 (木)

 着装、立ち方、座り方、立礼、坐礼、礼の真・行・草、武具の扱い方・・・。

 昨夜の稽古では、これらをひと通り見直した。

 翠月庵で柳剛流を学ぶ門人は、これまでは全員、何らかの武術・武道の師範あるいは有段者であった。

 このため、彼らに柳剛流を指導するに当たっては、基本的な礼法や立ち居振る舞いなどを改めて教える必要はなく、いきなり流儀の形稽古から指導を開始してきた。

 しかしこの春から、初学者への指導をすることになったため、流派の礼法以前の、さらに基本的な所作や立ち居振る舞いについて再確認した次第である。

  *  *  *  *  *

 つらつら思うに、当然の事ながら武術・武道に関してまったくの初学だという人には、武人としての基本的なたしなみと立ち居振る舞いから教えはじめなければならない。

 「正しく座り、正しく立ち上がり、正しく歩く」

 「置いてある道具をまたがない」

 「床の道具をとるには、まず着座し、(基本的には)両手で取り上げる」

 「武具の手入れ、特に真剣は、面壁して行う」

 「模造刀では、絶対に打ち合いや叩き合いをしてはならない」

 「稽古場では、人の前をなるべく横切らない」

 「刀を持っている人の真後ろには近づかない」

 「稽古以外で、他者の太刀筋の線上には、なるべく立たない」

 「目釘や鍔の緩みは、絶対に見逃さない」

 などなど・・・。

 こうした所作やたしなみを身につけた上で、流儀独自の礼法から備え(構)、そして剣術の形稽古へと進めていかなければならないわけだ。

  *  *  *  *  *
 
 考えてみると、かつてのように和装での生活が当たり前だった時代であれば、たとえばちょっと手水を使う際にも、さっと袖を払う動作が自然に身についただろう。

 着座の際の裾捌きなどについても、毎日の暮らしの中で何百、何千回と無意識に繰り返すのだから、ごくごく自然な所作となっていただろうし、角袖の着物であれば必要に応じて手早く襷を掛けることなども、ごく日常的なふるまいだったろう。

 しかし、こうした生活習慣がほぼ失われた今、初学の者には伝統的な着方・立ち方・座り方から再構築して指導する必要があるのは、やむを得ないことである。

 私自身も幼少の頃、師や先輩方から、そのようにして教わってきたのだから。

 一方で、礼法や基本動作(着座・起立・歩行等)ができるようになるまで、技や形を一切教えないというのも、稽古者のモチベーションの維持という点で、立ちゆかないであろう。

 それじゃあ今の若い子たちは、みんな辞めちゃうだろうしな。

 初学の者に対して、単なる武技ではなく古(いにしえ)の身体文化・生活文化、さらには行動科学であり哲学でもある伝統武道を指導するに当たっては、このあたりのサジ加減が悩ましいところである。

 ま、とはいえ、彼ら彼女らが、明日の明け六つに10年越しで見つけた親の仇と、真剣で果し合いをするというわけでもなし。

 教わる人も教える者も、お互い気長にボチボチと、快活爽快に学んでいくのが、今の時代では一番大切なのかもしらんね。


1903_近藤勇
▲江戸時代後期の武人による、着座の一例
(『珍しい写真』永見徳太郎 編/粋古堂, 昭和7年)



 「むら雨の柳の枝にふりかかり
            てまの心大事とそしれ」(柳剛流武道歌)



 (了)

Johnny I hardly knew ye/(武術・武道)

2019年 03月20日 04:18 (水)





 深夜、真剣で柳剛流居合を遣う。

 稽古後、沈思。

 今、この時代に、この国で、いにしえの剣技を磨く意味とは、いったい何だろう?



 兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。
 已むを得ずして之を用いば、恬惔なるを上と為す。
 勝つも美とせず。
 而し之を美とせば、是れ人を殺すを楽しむなり。
 夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち以て志を天下に得可からず。
 (『老子』 第31章)



 一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。
 しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。
 是等誠に、人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや。
 (『兵法家伝書』 殺人刀)




 夫れ武は仁義の具、暴を誅し乱を救う。
 皆民を保つの所以にして、仁義の用に非ざるなし。
 是を以て之を用うるに仁、孝、忠なれば、即ち天下の至宝なり。
 之を用うるに私怨奸慝(かんとく)なれば、即ち天下の凶器なり。
 故に剣法を知り至誠偽り無きの道、以て謹まざるべけん哉。
 (『柳剛流免許之巻』より)



 それを自らに問い続けることもまた、この道をゆく者の使命であろう。


 (了)

みっちりと、柳剛流の稽古/(柳剛流)

2019年 03月16日 23:54 (土)

 本日は翠月庵の定例稽古。

 春風薫る荒川沿いの田園にて、存分に手裏剣を打ち、長木刀を振るう。

 ここしばらく、定例稽古では柔術が中心となる日が多かったのだが、今日はみっちりと柳剛流を稽古。



 一昨年入門したS氏の仕太刀は、かなり鋭くなってきた。

 柳剛流ならではの跳び違いながらの斬撃が、力任せのものではなく、手之内の締った「カツ、カツ」という手応えのものになってきたのは、本人の精進の賜物であろう。

 稽古すれば、稽古しただけの成果が、必ずその人の業前に現れる。

 これこそが、伝統武道の醍醐味だ。

 居合では、胴造りのための足の位置について、丁寧に指導。

 突杖は、弾き受けることと、留受けることの違いについて、じっくりと形を繰り返しながら解説した。



 門人たちと共に一刻あまり、柳剛流の稽古に専念して想う。

 やはり、柳剛流こそ翠月庵の本義であると。

171012_柳剛流構え


 「打つ人も打たるる人も打太刀も
               心なとめず無念無心そ」(柳剛流武道歌)



 (了)

跳斬之妙術/(柳剛流)

2019年 03月15日 00:01 (金)

 単行本の執筆が、なかなかはかどらず。

 手慰みに易に問えば、答えは「習坎」・・・(涙)。

 なるほど、とにかく死に物狂いでやるしかないということか。

 周易の略筮は、いつでも一刀両断だ。

  *  *  *  *  *

 本当は深夜まで、原稿を書きすすめなければならないのだけれど、どうにも気が乗らないので、本日は少し早めに業務終了。

 屋外で存分に、柳剛流の長木刀を振るう。

 ひとしきり素振りをし、呼吸を整えながら備之伝、そして備十五ヶ条フセギ秘伝を錬る。

 その後は、剣術、突杖、そして長刀の形を打つ。

 形を遣いながら、跳び違いについて少し思うところがあり、部屋に戻って居合を確認。

 少し胴造りが乱れていたので修正する。

  *  *  *  *  *

 昨年の秋、松代での演武で居合を行って以来、柳剛流の稽古では居合の比重が少し軽くなっていたのだけれど、居合をしっかり錬っておかないと、剣術での跳び斬りがどうも甘くなってしまう。

 やはり柳剛流において、鍛練の基礎となるのは居合であるなと、改めて実感した次第。

 かつて、不世出の女武芸者・園部ひでを刀自が、柳剛流を讃えて評した「跳斬之妙術」への道は、遥か遠い。


1810_柳剛流居合_演武1
▲折敷いた姿勢で跳び違いながら、2尺8寸の刀を振るう。この鍛練が、柳剛流の真面目たる跳び斬りのための地力を育む


 (了)
 

夜、転がりまわる/(古流柔術)

2019年 03月13日 01:01 (水)

 深夜、私は一人で、転がりまわっている。

 傍から見たら、気がふれていると思われるかもしれない。

 五十路の中年男が夜中に一人、誰もいない台所で声をあげながら七転八倒しているのだ・・・。



 ・・・今晩は、柴真揚流の稽古である。

 居捕の捨て身業で床を転がりまわりつつ、掛け声と共に床に置いたミットに肘当てをガンガンと入れ、あるいは立ち上がって当身台に拳の当てや蹴足をぶち込む。

 気持ちイイ。

 今月は社会福祉関連の単行本の締め切りがあり、月末までにあと200ページほど原稿を書かねばならないので、日中は連日ず~っと机にかじりついている。

 このため、その日の仕事がようやく終わった深夜、わずかな時間ではあるが存分に形をおさらいし、ミットや当身台に拳足をぶち込むのは、なによりの気分転換だ。

 「左巴」から「御使者捕」まで、居捕15本をおさらいした後は、素抜(小太刀居合)の形、さらに棒と剣術の形も復習する。



 さて、明日も朝から原稿三昧だ。

 今晩は書庫から発掘した、柴真揚流の親流儀のひとつである、真之神道流の手組控でも読みながら就寝するとしよう。

 オヤスミナサイ。

 *  *  *  *  *

「当流は敵を怪我無く制するの妙あり。敵また恐慎するときは、仁をもって助免する事大一也。是によって流名を真之神道流と号す」(『真之神道流 初段之巻』より)


 (了)

稽古後の一服/(身辺雑記)

2019年 03月12日 01:17 (火)

 どういう訳か昨日は、突然、本ブログへのアクセス数がひとケタ多くなっていた。

 アクセス解析やらなにやらでいろいろ調べてみたところ、これは記事がバズったとかそういうことではなく、どうも機械的なアクセス増加が原因のようである。

 しかもそのほとんどが、愛知県からのものというのが謎だ。

 ま、どうでもいいんですけどね(苦笑)。



 今晩は業務終了後、柳生心眼流の素振二十八ヶ条を稽古。

 ずいぶん温かくなってきたせいか、稽古を始めてから汗ばむまでの時間も、あっという間になった。

 ひとしきり形を打った後、稽古のシメは当身台に拳足肘肩を存分に打ち込む。

 そしてクールダウンに、自室で茶を一服。

 お気に入りの雲鶴青磁塩笥茶碗だが、もうこの茶碗の季節も終わりだ。

 ひと雨ごとに、春が近づいてくるねえ・・・。


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 (おしまい)

パワハラ被害者に「反省文」を書かせるトンチキたち/(時評)

2019年 03月11日 11:05 (月)

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体操協会、宮川選手に反省文要求 池谷幸雄氏に厳重注意
3/9(土) 17:25配信/朝日新聞デジタル

 日本体操協会は9日、理事会を開き、リオデジャネイロ五輪女子代表の宮川紗江選手(19)が「パワーハラスメントを受けた」と塚原光男副会長(71)と塚原千恵子・女子強化本部長(71)を告発した問題で、宮川選手の一部の言動が千恵子強化本部長の名誉を傷つけたなどとして、宮川選手に反省文の提出を求めることを決めた。反省文はすでに提出されているという。
(以下略)

■出典元
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190309-00000045-asahi-soci
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 未成年の女の子が、勇気をもってパワハラを訴えた。

 そこには子ども特有の思い込みや、事実誤認もあったかもしれない。

 しかし、それも含めて、周囲の大人たちは大きな度量で、本人の感じた苦しみや辛さを受け止め、ハラスメントを無くしていく。

 そのようにしてアスリートとしての「力」を伸ばし、人としての「心」を育てていかなければならない。

 にも関わらずだ。

 パワハラを訴えた本人に対して、

 「反省文を書け」

 という、さらなるパワハラを加える。

 日本体操協会ってのは、馬鹿なの?

 つうか、なんだい「反省文」ってのは。

 小学校かよ、ってんだ(怒)。

 器量のちっちぇヤツらだぜ、まったく・・・・・・。

  *  *  *  *  *
 
 まことにもって、この世の中でパワハラやモラハラほど、低俗で下劣で、くだらなくバカバカしいものはない。

 しかし社会には、そういう低俗で下劣でくだらなくバカバカしいことをするアホウが結構いるということも、まことに残念なことながら渡世の現実である。

 幸いなことに、私はこの道の師や先輩に恵まれてきたこともあり、これまで37年間の武術・武道人生で、パワハラやモラハラをされたことは、一度もない。

 一方で若いころのバイトや、大人になってからの職場などでは、これまで何回か、そのようなハラスメントを受けた経験はある。

 つらつら思うに、会社やスポーツ団体とは異なり、武術・武道の世界では、万が一、理不尽なパワハラやモラハラを受けた場合でも、最終的にはてめえが腹をくくった上で、

 「ぶん殴って、辞めちまう」

 という、たいへん男らしい(女らしいでもよいが・・・)解決法がある(笑)。

 「舐められたら●す!」というのも古くからの武人の本懐であり、やられたらあらゆる手段をとってでも倍返しが武芸者のならいだ。

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▲『バンデット -偽伝太平記-』(河部真道/講談社)より



 こうした武術・武道の世界ならではの清々しさが、私はとても好きである。

 ま、場合によっては、パワハラ野郎に返り討ちにされちゃうかもしれないけどな・・・(苦笑)。

 だからみんな、頑張って稽古して勁(つよ)くなろう!

 ココロとカラダが共に「勁い」ということは、人生においてとても大切なことなのだ。

  *  *  *  *  *

 パワハラやモラハラというのは、上位者のたんなる気分で、下位者の「魂」を破壊してしまいかねない、人としてもっとも忌むべき、恥ずべき行為である。

 そこには、

 「人を慈しみ、育てる」

 という、上位者としての愛情や思いやりが、決定的に欠如している。

 そういう意味で、私自身、少ないながらも弟子を持つ身であり、自分の立ち居振る舞いや言葉が弟子にとってパワハラやモラハラになっていないか、平素から注意するよう心がけている。





 とまあ、朝から冒頭のニュースを読んで、街の片隅を這いずり回る酔っ払いのオッサンも、久々に怒り心頭といった心持ちになってしまったゆえ、こんな駄文を書き散らした次第。

 とりあえず、日本体操協会のお偉方連中に言いたいのは、

 「選手をもっと大切にしろよ、このトンチキ!」

 ということである。


 どっとはらい。

 (了)

手裏剣と柔と/(武術・武道)

2019年 03月11日 01:04 (月)

 先日、こちら武州にも春一番が吹いたとか。

 そんななか、先の翠月庵の定例稽古は、前回に引き続き柔(やわら)が中心となった。

 まず、最初の1時間は手裏剣術の稽古。

 私は翠月剣で、2~4間の基本打ちをじっくりと。

 その後、N氏に手裏剣術運用形(順体・逆体各7本)と、2間での前後打ちと左右打ち(表・裏各8本)を指導。

 順体・逆体・歩み足と、3種の運足、そして前後左右へ体を転換しながらの複数的への打剣を練磨する。

 定置で3間程度を通せる者も、こうした運足と体動を伴った複数標的への打剣をやらせると、1間半程度の超至近距離でもなかなか手裏剣が刺さらないものだ。

 何ごとも鍛練、「万打自得」である。


▲こちらは、2間弱ほどの近距離での四方打ちの例。定置から打ち始めるのではなく、まずはじめに数歩、歩んでから方向を変えて打ち始めるのも、この鍛錬のポイントのひとつ。手裏剣の稽古は多くの場合、定置での打剣だけに偏りがちだが、中級者以上に関しては、こうした「動きながら」の多方向への打剣の鍛練も欠かすことができない



 手裏剣の後は、甲陽水月流柔術の稽古。

 N氏と私とで、捕と受を交代しながら、初伝の段取を繰り返す。

 10本の逆取の技を途切れることなく続けてとる段取は、特に一人ではどうにも稽古のしようがないので、ここでみっちりと復習する。

 甲陽水月流の初伝の段取は、技を連続してとることから稽古時間の効率化にもなり、また一手ごとに受を地に制することなく連続して技をかけてゆくため野天でも稽古しやすいという利点もある。


 次いで、柳生心眼流の稽古。

 向い振りにて、「表」の素振を丁寧に指導する。

 柳生心眼流の素振は、単独での素振の動きが、そのまま相対しての技となることが大きな魅力だ。

 一人で行う素振そのままの動きで、相手をつけた相対形での「使える」技になるのがいい。

 今回は特に、周転山勢巌の際の収気と、周転の振りと降周転の振りについて、丁寧に解説・指導をした。


 結局、定例稽古は、ここまでで時間切れ。

 さらに、柳剛流と柴真揚流をみっちりと稽古したかったのであるが、ま、しかたがない。

 その分は、来週の定例稽古までの自主稽古で補うしかあるまいね(苦笑)。

 (了)

A Prayer for the Dying/(手裏剣術)

2019年 03月09日 23:50 (土)

 思えばもう、3月も上旬が終わる。

 振り返れば先の2月は、無冥流・鈴木崩残氏の祥月であった。

 まことに残念なことだが、彼の晩年、私たちは袂を分かつこととなった。

 しかし、そうであっても、2006年から2015年まで約10年間に渡って、共に手裏剣術の可能性を模索してきたことは、私にとって終生忘れる事の無い記憶である。

 そして、無冥流投剣術の核となる「重心理論」と、手裏剣に関するさまざまな実験や考証の成果は、今も翠月庵流の手裏剣術に脈々と受け継がれている。

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▲鈴木崩残作 円明流手裏剣 写し


 (了)

『柔術生理書』を読む/(古流柔術)

2019年 03月08日 17:02 (金)

 最近、柴真揚流の稽古に力を入れていることもあって、久しぶりに書架から井ノ口松之助の『殺活自在・接骨療法 柔術生理書』を取り出し、寝る前などにつらつらと再読している。

 この書物の中心となるのが、「当身の解」という天神真楊流における殺法の詳細な解説である。

 この「当身の解」は、小佐野淳先生の名著であり、私の長年の座右の書でもある『日本柔術当身拳法』(愛隆堂)において、師が平易な現代語に訳して掲載されているので、そちらを読めば誰でも同流の殺法のキモを理解することができる。

 師の著作に平易な抄訳があるので、あえて難解な明治期の文語でまとめられた原著を読むこともないのであるが、時には往時の時代がかった重々しい言葉で、当身について読むのも良いものだ。

 また、『柔術生理書』のもう1つの大きなテーマとなっているのが、蘇生法や接骨法、薬用法などの、いわゆる活法である。

 これらをみると、たとえば蘇生のための活法には、仙台藩角田伝柳剛流の免許で伝えられる、口伝の「法活」と同様の方法がいくつか見られるのが、とても興味深い。

 流儀の秘伝であったろう、こうした殺活の秘術を、公刊の書物で惜しげもなく公開した明治後半の柔術家たちの想いとは、いったいどのようものであったろうか・・・。



 ところで、本書の薬用法の中に、「腋下狐臭ヲ去法」というのがある。

 これについて筆者の井ノ口が、

 「是ハ柔術剣術ノ稽古ヲナスニハ實失敬ノ至リ故ニ去ルベシ」

 と書いてあるのが、なんとも微笑ましい。

 おそらく著者の井ノ口も、不潔で臭い相手との稽古で苦労したのだろう。

 やっとうでも柔でも、疾患としての腋臭症の人はしかたがないが、単なる本人の無精で稽古着が臭かったり体臭がひどい者というのは、本当に迷惑だ。

 その昔、某稽古会の同門で、稽古着がいつもたいへんに臭いヤツがいて、何度注意してもいっこうに改善しようとしないので閉口したことがある。

 無精・不衛生で臭い奴というのは、実に迷惑なものだ。

 武術・武道に専念するなら、稽古着は最低でも4~5着は用意して、稽古の後は必ず毎回、部屋干しトップでキレイに洗えよなと思う・・・、ま、あの当時、部屋干しトップはなかったけれども。

 ちなみに翠月庵では、稽古着が不潔で臭い者は、出入り禁止である。

 ま、幸いなことに、そんな門人はいまのところ、一人もいないけどね(笑)。



 もう1つ、『柔術生理書』で興味深いのは、後半部分に掲載されている乱取り技法の解説だ。

 たとえばその中では、「足シギ捕」という名前で、今でいうところのアキレス腱固めが解説されたりしているのも面白い。

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▲その昔、虎と鬼とのアキレス腱固め合戦というのがありましてな・・・



 『柔術生理書』は、以前は高額な古書か、7,000円ちょっとの壮神社版しかなかったが、最近では八幡書店から2,800円の廉価版が発行されており、アマゾンでぽちっとすれば誰でも気軽に入手して読むことができる。

 古流をたしなむ者は、柔術家はもちろん剣術や居合が専修の者も、一度は目を通しておいて損のない名著だといえるだろう。

 「河豚ノ毒当ル時ノ法」もあるぞ!

 とりあえず、桜の木を齧れだと。

 ほんとかよ・・・・・・。

 (了)

柳剛流二代・岡田左馬輔の「氏(本姓)」について/(柳剛流)

2019年 03月07日 10:25 (木)

 ここのところ、日々の稽古では柴真揚流に集中しているのだが、昨晩は思うところあって柳剛流の稽古。

 剣術から居合、突杖、長刀、そして殺のおさらいまでを、ひとしきり行い、

 「ああ、やはり私の武芸の根幹は、柳剛流なのだよなあ・・・」

 と強く実感。

 そんなこんなで稽古後、つらつらと柳剛流の資料を読んでいて、岡田(一條)左馬輔の「氏(本姓)」と「諱(実名)」の組み合わせが気になった。

 私の手元には、左馬輔直筆という5つの伝書の資料があるのだが、そこには、

 「甲斐源信忠」

 「甲源信忠」

 「甲斐信忠」

 と、3パターンの「氏」と「諱」の組み合わせが記されている。

 具体的には、「甲斐源信忠」というのが2つ、「甲源信忠」というのが2つ、そして「甲斐信忠」が1つである。

 また、昭和14(1939)年に記された仙台藩角田伝柳剛流の免許には、左馬輔の「氏」は「甲源」となっていた。

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▲岡田左馬輔が、嘉永元(1848)年に戸田泰助に出した免許の署名。「氏」は甲源となっている



 「氏」というと源・平・藤・橘が有名であり、たとえば伊豆の田舎の百姓であったうちの実家は、どういうわけか家紋は下がり藤で、本姓は「藤原」。

 ま、実際のところどう考えても、我が一党は藤原氏の血脈ではないだろうよ(苦笑)。

 つうか、うちの祖父は、

 「我が一族は、北条得宗家最後の執権である高時公の遺児である、北条時行の末裔なのであ~る!」

 と、いうのが自慢だったらしい。

 今だったら、

 「おじいちゃん! だったらうちの家紋は三つ鱗で、本姓は平なんじゃねえの?」

 っと、突っ込みを入れるところだ(笑)。

 しかし、何しろ祖父は、もう40年も前に鬼籍に入ってしまったので、しかたがあるまいね・・・。

 話を左馬輔の「氏」」に戻すと、彼はたんなる源氏ではなく、

 「甲斐源氏」

 というところに、強いこだわりがあったであろうことが、伝書に記された「甲斐源」や「甲源」という本姓から強く感じられる。

 ちなみに左馬輔の家系は、実際に甲斐武田家二十四将のひとりである、一條右衛門大夫信達(信龍)にまで、さかのぼるのだという。



 ところで、私が以前から個人的に気になっているのが、左馬輔の名前(仮名:けみょう)の表記である。

 本人の直筆伝書では全てが、

 「左馬輔」

 となっている。

 また左馬輔が建立した、石巻にある流祖・岡田惣右衛門の頌徳碑でも、石巻にある左馬輔本人の墓石の碑文も、いずれの表記も、

 「左馬輔」

 である。

 これに対して、近代の角田伝の伝書やその他の文献や資料には、

 「左馬之輔」

 「左馬助」

 「左馬之介」

 「作馬之助」

 などと書かれているものがあり、表記の混乱が見られる。

 これについて、柳剛流研究の大先達である森田栄先生は、墓碑や伝書の記載を調査した上で、

 「左馬輔で一定したい」

 としている。

 私もこれに同感で、自分で記述をする際には、左馬輔の名前は必ず、

 「左馬輔」

 という表記で統一している次第である。

 同様に左馬輔の「名字」であるが、流祖・岡田惣右衛門から「岡田」の名字を譲られる以前は、「一條」であった。

 この「一條」という名字についても、資料や文献によって「一条」と表記されているものがあったりするが、左馬輔のご子孫が現在、「一條」と名乗られている事からも、私は「一條」で表記を統一するように心がけている。



 「氏」、「姓」、「名字(苗字)」、「諱(実名)」、「仮名」というのは、なかなかにややこしいものだ。

 ちなみに私は、氏は「藤原」、名字が「瀬沼」、諱は「信良」で、仮名が「健司」、そして「姓」はないので、伝書等の署名には、

 「瀬沼健司藤原信良」

 と記すことになる。

 またこれの読み方は、

 「せぬまたけしふじわらののぶよし」

 である。

 「氏」や「姓」、「諱」といったものは、現代社会ではすでにその意味を失っているものだろうが、古流武術の伝承や日本の伝統文化に対する知的好奇心という観点からみると、これらもまた重要で興味深いものであるといるだろう。


 ■参考文献
 『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/私家版 
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所
 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/
  南部修哉/私家版 

 (了)

居捕好き/(古流柔術)

2019年 03月06日 15:41 (水)

 ここしばらく、拙宅での稽古ではもっぱら柴真揚流を中心に稽古をしている。

 我が家の稽古場は台所に敷いた茣蓙の上なわけだが、このような狭い場所でも、居捕の稽古であれば存分にできる。

 自分ひとりでの形のおさらいであれば畳一畳、実際に相手をつけて相対しての形稽古でも二畳もあればそれなりに稽古ができるのが、居捕=座業のメリットだ。

 子どもの頃からの団地住まいで、狭い屋内で稽古スペースを確保してきたこともあってか、私は柔術に限らず刀でも手裏剣でも、座業での稽古が、けっこう好きだ。

 20代後半から30代後半までの10年間、空手道の稽古に専念していた頃も、正座をした状態からの前蹴りや足先蹴り、突きや打ち込みなどを個人的によく稽古していた。

 その経験が今、柴真揚流における多彩な当身殺法に活きているのだから、武術・武道人生というのは面白いものである。


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▲対座した状態から水月へ蹴り込む、天神真楊流の中段居捕「両手詰」
(吉田千春・磯又右衛門著『天神真楊流柔術極意教授図解』より)



 こうした実技面だけでなく、座した状態で彼我の攻防が展開されるという想定そのものが、いかにも座敷文化に育まれた日本武道らしいものだ。

 そこでは、なにかこう中世から受け継がれてきた日本人としてのDNAがワクワクするのである・・・などというのは、いささか大げさかもしらんね。

 なにしろ普段の翠月庵の稽古が、武蔵野の風吹きすさぶ野天稽古場でなので、その分、屋内での座技の稽古が新鮮かつ興味深く感じられるというのも、あるのかもしれない・・・。



 ま、とりあえずそこに、お座んなさい。

 (了)

柳の精/(身辺雑記)

2019年 03月05日 12:00 (火)

 「柳」と言えば・・・、

 やっとうならば、柳剛流。

 柔(やわら)であれば、楊心流や天神真楊流。

 その末流である柴真揚流は、伝書によって「揚」(あげる)と「楊」(やなぎ)が混在しているとか、いないとか・・・。

 人形浄瑠璃文楽で「柳」といえば、柳の精と人間の親子との情愛をリリカルに描いた名作『卅三間堂棟由来』。

 原稿書きのBGMに、朝から越路大夫と呂勢大夫の音源を聴き比べている。

 喜左衛門と清治の太棹の違いもまた、聴きどころだ。

 「柳の枝に雪折れなし」というけれど、人の生き方もそのように、柳の如く剛(つよ)くしなやかでありたいものだと、しみじみ思う。



         1903_卅三間堂棟由来


 振り向けば はや美女過ぎる 柳かな(一茶)



  (おしまい)

高陽の一酒徒/(身辺雑記)

2019年 03月04日 23:50 (月)

 拙宅のある団地の向いには小さな川が流れていて、毎年春になると岸辺一面に菜の花が咲く。

 今月は守礼堂に、稽古で使う古武道用の鎌(受注生産)を注文してしまったので、もう酒の肴の材料を買う金さえ無い。

 しかたがないので、散歩のついでに水際に降りて、試みにいくつかの菜の花を手折り、流しできれいに洗ってから、おひたしにしてみた。

 ちょっと、排気ガスの味がした・・・・・・。

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 ・・・・・・というのは、真っ赤な嘘だ。

 ブログに書いてあることが、何もかも事実であるとは限らない。

 「注意したまえ、関口君」と、京極堂なら言うであろう。

 ちゃんと、うちの向かいにある馴染みの八百屋さんで、二把90円で買ってきた、食用に栽培された菜の花で作ったおひたしである。

 ちょっと苦い、春の味がした。


高適 「田家春望」

門を出でて何の見る所ぞ
春色平蕪に満つ
嘆ず可し知己無きを
高陽の一酒徒

(門を出て何が見えるかって? 春の景色が一面に広がってるぜ。それにしても情けないことに、オレのことを知るヤツは、ここには誰もいねえ。高陽の大酒飲みである、このオレ様のことをな・・・)



 さて今夜も、柴真揚流を稽古してから、とっとと寝よう。


 (おしまい)

「両非」の形で、当身の使い方を考える/(古流柔術)

2019年 03月02日 02:40 (土)

 仕事場からトイレに行く途中のスペースに、当身台が置いてある。

 このため日中は、トイレにいくたびに2~3発、当身台に当身を入れるのが習慣となっている。

 稽古の日常化である(爆)。

 ここ数日は、ちょっと思うところがあって、試みに天神真楊流や真之神道流の「両非」の当てを意識的に行っているのだが、これは意外に使える技だなと感じている次第。

 その上で、実際に当身台に打撃を加えてみると、この形(業)のキモは当身そのもの以上に、当てで使っていない方の手による「作り(崩し)」にあるのが分かる。

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▲『天神真楊流柔術極意教授図解』より


 同様の当て方は、鶴山晃瑞著『図解コーチ 合気道』にも示されている。

 この本は、「合気道」という書名とは裏腹に、内容はいわゆる日本伝の大東流の解説書なのだが、「応用技法」として26ページにわたり当身に関する実技解説があり、私は昔から稽古の参考として重宝している。

 その中で、「両非」と似た当身技が示されているのである。

 天神真楊流や真之神道流の「両非」は、手刀での鳥兎の当てと陰嚢への蹴当ての同時打ちであるのに対し、鶴山氏の示す同時打ちは手刀での頸動脈あるいは鎖骨打ちと膝蹴りによる陰嚢への当てと、使い方の細部は異なるが、技の本質は同一であろう。

 鶴山氏はこの技について、「対柔道しか効果がない」としているが、この点は意味深長である。

 つまりこの技は、我と組まんとする相手に対して用いることで、その有効性を最大限に発揮できるものということだ。

 一方で、我を打撃で打ち倒さんとしている相手には、こうした同時当てはほとんど効かない・・・というか、よっぽど油断している相手か、奇襲とならないかぎり、このような打突はまず当たらないだろう。

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▲鶴山晃瑞著『図解コーチ 合気道』より


 また、鶴山氏の示す同時打ちでひとつ気になるのは、相手に対する「作り(崩し)」がなく、いきなり手刀と膝蹴りを施していることだ。

 この点で、天神真楊流や真之神道流の「両非」では、手刀と蹴当ての同時打ちを加える前に、相手の襟をとって引き崩す動作、つまり当身の同時打ちをより効果的に施すための、「作り(崩し)」があるというのが、たいへんに重要だ。

 このような「作り(崩し)」の動作がない場合、フェイントで相手を居着かせるか、あるいは拍子を活かして当身を施さねばならないわけだが、それにはより高度な、対人攻防での「読み」が必要となってくる。

 こうした意味で、技をより施しやすくするために、「作り(崩し)」の動作を加えている「両非」の形(業)は、たいへんに合理的だなあと実感するのである。

  *  *  *  *

 当身というものは、ただ闇雲に当てようとすれば良いというものではない。

 当てるべき「間」と、当てるべき「時」と、当てるべき「拍子」、そして当てるべき「状況」があって初めて、「自由な意思を持って動き回り、抵抗をし、我を攻撃しようとする相手」に当てることができ、その効果を発揮するものなのである。

 自由攻防において当身というものは、思っているほど簡単に当てられるものではないということは、十分に理解しておかなければならない。

 その上で、こうした複雑で高度な業の使い方を、だれもが学べる方程式=「形」として体系化した先人方の見識の高さには、頭が下がるばかりである。

 (了)

袖車、いろいろ/(古流柔術)

2019年 03月01日 02:00 (金)

 柴真揚流の稽古をしつつ、思うところがあって「袖車」について、資料をつらつらとみていて、ちょっと驚いた。

 私は10代の頃、天神真楊流の「袖車」を習ったので、「袖車」あるいは「袖車締め」というのは、相手の側面から左手で相手の左襟をとり、背後に回りつつ右手で相手の左袖の付け根(肩口)辺りをつかんで締め上げる技だと思っていた。

 先日の本部稽古で師より伝授していただいた柴真揚流の「袖車」も、技の作りや掛けは天神真楊流とは異なるものの、極め方の大意は同様である。

 また、手元にある真蔭流柔術の教本を見ると、「後襟締め」という名称で、天神真楊流や柴真揚流の「袖車」と同様の技がある。

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▲『実戦古武道 柔術入門』(菅野久著/愛隆堂/1983年)
掲載の、真蔭流の「後襟締め」


 一方で、昭和43(1968)年に発行された『柔道の学び方』(松柴辰治郎著)を見ると「袖車締」として、

「左手は相手の右肩上から右手は相手の左肩上から前へ回し、親指を外側にして、それぞれ右手で左横襟を、左手で右にある襟を握り、一歩退いて相手を後方へ引き倒しながら、左手は引き上げぎみにし、右手も引いて締める」

 と記されている。

 ここでは、天神真楊流や柴真揚流、真蔭流の「袖車」とは異なり、背後から我の左手で相手の右襟をとり、右手で左襟をとるという形に変化している。

 また襟のつかみ方も、「親指を外側に」出すかたちとなり、古流のとり方とは逆になっている。

 このとり方は、先述した3つの古流柔術の「袖車」よりもより強烈に締めが効くと思われるが、一方で技のとり口としては、右手の動き(襟のとり方)が煩雑で、個人的には対人攻防の中では少々使いにくいように思う。

 それでも、この柔道式の「袖車締」は、上記古流の「袖車」の変化ということで理解できる範囲のものといえよう。

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▲『柔道の学び方』(松柴辰治郎著/金園社/1968年)より


 ところが、どうも最近の柔道やブラジリアン柔術でいうところ「袖車締め」というのは、これら伝統的な「袖車締め」とは全く異なる技のようなのである。

 たとえば、ある柔道の技の解説ページでは、相手の前からとる「袖車締」として、以下のように解説している。


柔道の袖車絞は、自分の袖口を使って相手の喉を絞めます。

一方の手で相手の首を抱え込み、もう一方の手の袖口を握ります。

握られた袖口の手を相手の頸部に押し込み、両手で頸部をはさみ込むように圧迫して絞めます。

 (袖車絞めのやり方とコツ | 柔道の絞め技の上達法)
 http://judopractice.click/solidify/fasten/sleeve-tightening/



 あるいは、相手の背後からとる場合は、次のようになるという。


相手の首に腕を回し、その袖を反対側の手でしっかりとつかみます。相手の首を抱え込むような体勢から、つかんだ袖を離さないようにしっかり持ったまま、相手の首に回している腕を、相手の咽喉元に移動します。このとき、袖口と腕が、相手の首に回っているような格好になります。 相手を絞めるときには、両手首を使い相手の咽喉元を押し、自分の上体は相手から遠のくように後ろに引きます。腕と体の反作用を使うことで、より強く絞めることができます。

(袖車締 | 柔道武道館-柔道辞典)
http://www.judo-ch.jp/dictionary/technique/katame/sime/sodeguruma/



 ウィキペディアに記載されている「袖車締め」も、その他の柔道の技法解説のwebページなどを見ても、いずれも現在の柔道やブラジリアン柔術の「袖車締め」というのは、「自分の袖口を使って相手の喉を絞める」技とされているようだ。

1903_現代柔道の袖車締め
▲現代の柔道などでいうところの「袖車締め」。相手の頭の後ろに片腕を回し
て土台にし、反対側の腕の袖口を掴み、反対側の手は、相手の頭の前で手
刀を作り、相手の喉元に当て、気管を絞める
©807th Medical Command (Deployment Support)


 これはちょっと、個人的には驚きであった。

 私はかれこれ30年以上、「袖車」あるいは「袖車締め」という技は、先に挙げた古流柔術3流派の、あるいはその変形としての『柔道の学び方』にあるようなとり口での締め技だと、認識してきたわけだ。

 このため、現代柔道やブラジリアン柔術における「袖車締め」は、私の感覚では、自分の袖口をとった形での変形の「裸締め」とでもいったほうが、しっくりとくる。

 すると、現代の柔道やブラジリアン柔術をやっている人と私が、たとえば酒場で意気投合し、「袖車締め」について会話を始めた場合、実はお互いが認識している「袖車締め」という技はまったく異なっており、話がまったくかみ合わないことになりかねないだろう。



 以前本ブログで、伝統派空手の「三日月蹴り」とフルコンタクト空手の「三日月蹴り」が、名前は同じでも技としては全く異なるという点についてふれた。

「三日月蹴り、いろいろ/(武術・武道)」
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-572.html



 空手道における、伝統派とフルコンとでの三日月蹴りの違いと同じように、古流柔術と現代柔道やブラジリアン柔術では、同じ「袖車」(袖車締め)でも、両者はまったく異なる技なのだということを、私は今さらながら認識したというわけだ・・・。

  *  *  *  *

 たとえ同じ「言葉」を使っていても、その言葉の定義を明確にして、あらかじめ共有しておかないと、互いに全く異なるものをイメージしながら、トンチンカンな話していることになりかねないというお話である。

 (了)