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夜、柴真揚流の稽古/(古流柔術)

2019年 02月28日 01:21 (木)

 夜、柴真揚流の稽古。

 「左巴」、「右巴」、「左車」、「右車」、「両手捕」、「片胸捕」、「両胸捕」、「柄捌」、「横車」、「巌石」、「飛違」、「両羽捕」、「石火」、「袖車」、「御使者捕」、以上15本の居捕をおさらい。

 加えて補助的な鍛錬として、当身台への打ち込みを少々。

 稽古後、『天神真揚楊流柔術極意教授図解』をひもときつつ、柴真揚流の形との同一性あるいは差異などについて、つらつらと思いを致す。

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▲吉田千春・磯又右衛門著『天神真楊流柔術極意教授図解』


 ところで『天神真楊流柔術極意教授図解』には、形を打つ際の掛け声について解説する一文があるのだが、個人的にはこれがたいへんに興味深い。

 「武芸における(有声・無声の)掛け声は、実効性を持った“術”のひとつである」

 というのが、以前からの私の持論なのだが、同書の記述を読んで、その辺りについて改めて確信を深めた次第。


 (了)
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上をそそうに、下を律儀に/(武術・武道)

2019年 02月26日 03:33 (火)

 上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様にすべし
                      (山上宗二)




 山上宗二は、侘び茶の大成者であった千利休の高弟であり、その道統を最もよく体現した茶湯者のひとりである。

 彼が記した茶の湯の秘伝書である『山上宗二記』は、茶道は嗜まないが茶を喫することを日々の憩いとしている私の、大切な座右の書だ。

 この秘伝書の中で、宗二は茶湯者の心得ておくべき点を、「茶湯者の覚悟十体の事」としてまとめている。

 その最初の教えが、冒頭に記した「上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様にすべし」というものだ。



 この一文のうち、「上をそそうに、下を律儀に」というところの意味は、

・表面は粗相であっても、内面は丁寧にあるべし

・外見は粗末に、しかし心を大切にすること

・上位の人は適宜あしらい、下位の人に丁寧に心をくだくべし


 と解される。

 また、「物のはずのちがわぬ様にすべし」とは、

・ものごとの道理から外れないようにすること


 という意味だ。



 これは茶の湯に限らず、処世においても、あるいは武芸においても共通する真理のように、私は思う。

 ことに、武芸を含めた芸道において、弟子をとり他者に技芸を教える立場になった者、師範と呼ばれる者はすべからく、「上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様に」するべきではないだろうか。

 先師・先人や師を敬う、上位者や先輩を立てるというのは、日本の芸道においては当然のことである。

 その上であえて、「上をそそうに、下を律儀に、物のはずのちがわぬ様に」、己の身を処するのだと、宗二は教える。

 師や先輩、上位者へ敬意を払い礼を失することなく、しかし適宜粗略に、淡泊簡素に対するというのは、人として相当高度な立ち居振るまいであるといえよう。

 しかし、芸道において「師匠」「師範」「先生」「先輩」と呼ばれる立場にある者は、上位者への「そそう」な対応が出来なければならない。

 なぜなら、自らの上位者に対する過剰な律義さ・丁寧さは、往々にして「阿諛追従」となりがちであり、それはひいては彼我の人間関係に、「侮り」という害悪を生み出すからである。



 一方で宗二は、弟子や後輩、下位者や初学の者に対しては、より「律儀」に対さねばならぬのだと諭す。

 思うに、武術・武道を含めた芸道において、弟子を大切にしない者は、師範・師匠たる資格が無い事は言うまでもない。

 ここでいう「弟子を大切にする」ということ、山上宗二がいうところの「下を律儀に」というのは、稽古において弟子や後輩を甘やかすとか、下位者に上位者がへりくだるとか、そういったものではない。

 それらもまた、彼我の人間関係に「侮り」を生み出し、百害あって一利なしである。

 そうではなく、技芸の鍛練においてはあくまでも真摯に厳しく、しかし弟子や後輩の人間としての尊厳を大切にしながら、丁寧に接していくということなのだ。

 振り返って芸道の世界を眺めれば、それができない師範・先輩がいかに多いことか・・・。

 人形浄瑠璃文楽で言えば、いずれも現代の名人でありながら、その指導の様子が対照的であった、四代・竹本越路大夫と七代・竹本住大夫との違いとでもいうべきであろうか。

 私自身、片手に余るほどとはいえ門人を預かり育てる立場にある者として、「物のはずのちがわぬ様」に襟を正し、「上をそそうに、下を律儀に」稽古をしていかなければと、しみじみ思っている。


1902_山上宗二記



 (了)

2月の水月塾本部稽古(その2)~甲陽水月流、柴真揚流/(武術・武道)

2019年 02月24日 23:47 (日)

 本日は、水月塾本部での稽古。

 1月の本部稽古を風邪で休んでしまったため、2月は師にお願いして2回、本部稽古に参加させていただいた次第である。

 午前中は、甲陽水月流柔術の鎌の形を指導していただく。

 10本の形に、鎌を用いる武技の体動があまねく含まれているもので、たいへんに興味深い。

 これらの技法は、かつて師が東北で学ばれた、山本無辺流の業などがベースになっているのだという。

 また個人的に思うのは、短棒や鉄扇など比較的長さの短い武具の中でも、特に鎌は、技法の広がりの幅があるのが特徴の様に感じた。

 一方で、一見シンプルな技ながら、これを武技として使えるようにするには、相当の修練が必要に思う。

 まあ、難しいからこその、武芸の鍛練というものだ。



 昼食をはさみ、午後の稽古は柴真揚流柔術。

 師に受を執っていただき、居捕の「横車」、「飛違」、「両羽捕」、「石火」、「袖車」、「御使者捕」と、6本の形を伝授していただいた。

 「袖車」は天神真楊流の業としてよく知られており、私も今から30年以上も前の昭和時代終わり頃、天神真揚流の故久保田敏弘先生に直接ご指南いただいたことがあるのは、今となっては懐かしい思い出だ。

 しかし柴真揚流の「袖車」は、天神真楊流とはいささか趣の異なる取り口のもので、いかにも柴真揚流らしいところが、たいへんに興味深い。

 そして、「御使者捕」。

 師伝のため具体的な技法内容はここでは伏せるけれど、個人的にはこれはもう本当に、私はこういう形(業)が大好きだ(笑)。

 かつて、神道自然流空手術の開祖である小西康裕先生も、柴真揚流の稽古に勤しんだという逸話を聞いたことがあるが、たしかに柴真揚流は、ある意味で空手家好みの柔(やわら)だといえるだろう。

 なんといっても、当て殺し、蹴殺しのオンパレードなのである。

 その上で、「御使者捕」という形の、なんとえげつない・・・、じゃなくて興味深い事か(苦笑)。

 師と私とでの「御使者捕」の稽古を見ていた、水月塾本部会員で熟練の沖縄空手家でもあるB氏が、

 「これはひどい、ひどすぎる業だ・・・」

 と感嘆していたのが、印象的であった。

 気分はもう、「邪魔しやったら、蹴殺す!」と、恋敵の浅香姫に当身をぶち込んで猛り狂う、文楽人形浄瑠璃の名作『摂州合邦辻』に登場する玉手御前のようである。

 いやまったく、柴真揚流、私は大好きだよ。



 さてその上で、午後の稽古の後段は、柴真揚流で伝承されている口伝技法について、師よりご伝授をいただいた。

 「魔法」のような不思議な業に、流儀の先人方の工夫と研鑽の大きさをしみじみと実感。

 古流武術の奥深さを、あらためて感じることができた。



 柔の稽古は、アラフィフの体にはいささか堪えるが、しかし本当に楽しいものである。

 今後もさらに精進していかなければならぬと、気持ちを新たにした稽古であった。


 (了)

雨水多忙/(身辺雑記)

2019年 02月23日 23:47 (土)

 本日は生業多忙につき、行田稽古場での定例稽古は休み。

 日中は、机にかじりついて、ひたすら原稿を書く。

 夜、少々手裏剣を打ってから、柴真揚流の稽古。

 柔術の居捕から小太刀居合、棒、剣術をおさらい。

 シメは、当身台に拳、肘当、蹴当を打ち込んで、今晩の稽古は終了。

 さて、明日は本部稽古である。

 さっさと寝よう・・・。

 (了)

真夜中の柳剛流/(柳剛流)

2019年 02月22日 03:00 (金)

1902_ワイン


 夕方、先の本部稽古の際に師よりいただいた、舶来のワインを開けて晩酌。

 実に、美味である。

 ついつい呑み過ぎてしまい、そのまま気絶・・・・・・。

 目覚めると、すでに日付が変わって半刻が過ぎたところであった。



 思えば、今晩はまだ稽古をしていなかったので、顔を洗い、口をすすぎ、稽古着に着がえて柳剛流の稽古。

 まずは鏡に向かい備之伝、そして備十五ヶ条フセギ秘伝。

 次いで剣術は「右剣」から「相合剣」まで、8本をおさらい。

 剣術の後は突杖。

 「ハジキ」から「抜留」までを丁寧に繰り返す。

 突杖は、剣術に比べると、しっかりとした撞木足での半身がよりとりやすい。

 突杖の稽古は、こうした鍛練に資するという点も大きいのだなあと再認識する。

 次いで、長刀(なぎなた)。

 先日、直心影流・園部繁八師の著作『図解コーチ なぎなた』と、剣道対なぎなたの特集記事のある数年前の『剣道日本』を、それぞれヤフオクで入手したので、その辺りも念頭に置いて長刀を振るう。

 稽古のシメは、角田伝の殺法の確認。

 「天道」から「虎走」まで、十八の殺の部位を確認しつつ、当身台へ拳足を打ち込む。

 角田伝の殺法については、それなりに知見も重なってきたので、今後は武州・岡安伝等の殺法についても、もう少し突っ込んだ考察や実地検証を進めていきたいものだ。



 そうこうしているうちに、もう丑三つ時。

 明日も原稿書きが山盛りなので、とっとと入浴してやすむとしよう。


 夫れ剣柔は身を修め心を正すを以て本となす(柳剛流殺活免許巻)



 (了)

「泰穏日照」 - 心映えの清らかな武人/(柳剛流)

2019年 02月21日 11:59 (木)

 埼玉大学教授で『埼玉武芸帳』の著者としても知られる山本邦夫氏は、柳剛流の特徴のひとつとして「師家の無制約」という点を挙げている。

 流祖・岡田惣右衛門は、流儀の指導体系を「切紙」「目録」「免許」の3段階に整理することで修行を効率化し、門人たちの時間的・経済面な負担も大幅に軽減させた。

 また、免許を得た弟子には独立を促し、独立した各師範家に対する規制や制約もほとんどなかった。

 こうした流祖の身の処し方をみると、岡田惣右衛門という人は、門人の自律を積極的に促す、弟子への執着のない、心映えの清らかな武人であったのだろう。

 流祖から数えて9代目の柳剛流師範を拝命している私も、こうした流祖の身の処し方を拝し、できることなら「心映えの清らかな武人」でありたいと思う。


1902_柳剛流_流祖墓石
▲「智光院泰穏日照居士」という法名が記された流祖の墓石。
「泰穏日照」という4文字が、流祖の人となりを感じさせる


■参考文献
「浦和における柳剛流」『浦和市史研究』第2号、132-158、1987年/山本邦夫

 (了)

花も嵐も踏み越えて/(武術・武道)

2019年 02月16日 22:57 (土)

 本日は、翠月庵の定例稽古。

 花も嵐も踏み越えて、行田稽古場での鍛錬は、創庵以来12年間で400回目を迎えた。

 12年で400回というのは、けして多い回数ではないけれど、それはそれで重みのある数字だ。

 「継続は力なり」ということは、稽古会を続けることにも当てはまるのではないかと思う。



 本日の稽古、まずは手裏剣術。

 2間から5間までの間合での鍛錬が、翠月庵流の基本である。

1902_手裏剣
▲2間から5間での手裏剣術の基本打ち。5間直打がしっかりとできるからこそ、3間4寸的6割以上が確実となる


 手裏剣の後は、水月塾制定日本柔術である、甲陽水月流の稽古。

 Y氏が捕、私が受となり、初伝逆取10本を1手ずつ区切ることなく連続的に取る、「段取」を鍛錬する。

 ひとつひとつの動作を確認しながら、1時間ほど段取を繰り返した。



 次は柳生心眼流の稽古。

 まずは私が受、Y氏が捕となり、「表」を片衣から大搦まで行う。

1902_柳生心眼流_1


1902_柳生心眼流_2


1902_柳生心眼流_3
▲柳生心眼流 「表」 捕:吉松章、受:瀬沼健司



 次いでY氏に、受としての「返し」(ムクリ・マクリなどともいう)のとり方を指導。

 「返し」において受は、後方回転をしながら、捕の投げを逃れなければならない。

 まずは補助者も加えた状態で、返しでの後方回転を覚えてもらうが、思った以上に早くコツを掴んでくれたようで、4~5回ほど補助付きで受をとった後は、補助者無しで、受と取だけで自然に返しができるようになった。

 これで柳生心眼流については、当庵では私もY氏も、お互いに捕も受も取れるようになったというわけだ。

 以後は互いに受と捕を交代しながら、「表」の7カ条を繰り返し稽古した。

 一方でS氏には、刀法併用手裏剣術を指導。

 2本目「抜付」の際の運足と間合について、丁寧に説明をした。

 本日の稽古では、さらに柳剛流と柴真揚流も行いたかったのだが、甲陽水月流の段取と柳生心眼流の相対稽古で思いのほか時間がかかってしまい、残念ながら本日は時間切れ。

 今回は、柔(やわら)三昧の充実した定例稽古となった。



 さて、こうして行田稽古場での定例稽古は400回目を無事終え、次回からは500回を目指す。

 千里の道も一歩から。

 武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部は、今後も日本の伝統的な古流武術の錬成を、粛々と続けていく所存である。


 神国に生まれ来たりて生まれ来て
           それ吹き返す天の神風(柳剛流 武道歌)




 (了)

柔術(やわら)当身を稽古して・・・/(古流柔術)

2019年 02月15日 02:12 (金)

 ・・・という、近松作『大経師昔暦』の台詞ではないが、今晩は柴真揚流の稽古。

 昨晩は柳生心眼流の稽古をしたのだが、心眼流を稽古すると柴真揚流を復習したくなり、柴真揚流をおさらいすると心眼流の稽古がしたくなる。

 ま、どちらも柔術当身拳法だしな(笑)。



 まずは居捕を「左巴」から「巌石」までおさらい。

 一般的に柔(やわら)の稽古はどうしてもひとり稽古がしにくいものだが、柴真揚流の場合、多くの形が当て極め・当て殺しなので、心眼流の素振りほどではないけれど、ひとり稽古がしやすい。

 ひと通り形を繰り返した後は、形の動きに従って当身台へ拳足を実際に打ち込む。

 私の場合、20代後半から30代後半まで伝統派空手道を中心に稽古をしていたこともあり、当身の際の拳の形については、これまでは空手式の握り(いわゆる正拳)の方が体になじんでいた。

 しかしここ数か月は、柴真揚流の当身の拳形(親指を握り込む日本柔術でよくみられる拳)での当身台への打ち込み稽古に専念してきたこともあり、ようやく咄嗟に拳を打ち込む際にも、違和感なく親指を握り込んだ拳でしっかりと当てられるようになった。

 逆に、ふと試みに空手の組手構えからのワン・ツー(刻み突き→逆突き)などをやってみると、親指を握り込まない空手式の正拳にかなりの違和感を感じるようになってしまった・・・。

 あちらを立てれば、こちらが立たずというやつである(苦笑)。

 また最近は、当身台への打ち込み稽古をしているうちに、柔らかな柔術式の当身の握りでも、威力を効かせてしっかりと打ち込む手ごたえが、十分に感じられるようになってきた。

 これは、柴真揚流の居捕の形にある拳の当て方とその口伝、想定や体の使い方が非常に理にかなったものであり、そのような形稽古を反復している効果でもあるのだと、個人的に考察している。

 肘当や蹴当についても、最近では柴真揚流あるいは柳生心眼流の当て方・使い方の方が、より体になじむようになってきたように思う。

 こうした感覚をさらに、無意識レベルにまでしっかりと刷り込んで、柔の当身を「武技」として磨いていかなければならぬ。

161030_楊心流殺活伝書
▲楊心流殺活伝書



 柔術に続いて、柴真揚流の小太刀居合、棒、そして剣術の形をおさらい。

 柴真揚流の剣術は、柳剛流とはまったく違う理合と体の使い方であり、形(業)そのものはシンプルかつ剣術技法としてはごく基本的なものだ。

 それだけに、柳剛流剣術が体に染みついた私にとっては、むしろとても新鮮である。



 結局、小半刻ほどの稽古のつもりが、半刻ほどになってしまった。

 それにしても柔術当身拳法の稽古は、実に愉しい。

 (了)

文楽三昧/(身辺雑記)

2019年 02月14日 02:50 (木)

H31-2bunraku-hon-omote.jpg



 3か月に1度のお楽しみである、文楽人形浄瑠璃。

 国立劇場にて、『桂川連理柵』と『大経師昔暦』を鑑賞する。

 今回は特に、桂川の「帯屋の段」を楽しみに、越路大夫や住大夫といったかつての大名人たちの名演を、YouTubeでたっぷりと予習して鑑賞に臨んだ。

 今回の「帯屋の段」、「前」の部分の大夫は豊竹呂勢大夫、三味線は人間国宝・鶴澤清治である。

 呂勢大夫は、上方の文楽通の人々にはさんざんな言われようであるらしいけれど、東京出身の大夫で歳も近いので、私は以前から応援している。

 ま、たしかにこれまでの呂勢大夫は口跡悪く、声がひっくり返ることが多く、役ごとの声音の使い分けも今一つであった。

 ところが、今回の「帯屋の段」では口跡もよく、声も安定しており、役ごとの声の変え方もしっかりとしていた。

 なにより(名人・越路大夫には遠く及ばないながらも)、今回の呂勢大夫の語りはいきいきとしており、聴いていて心から愉しむことができた。

 その後の「切」を担当した咲大夫(人間国宝)や、次の「道行朧の桂川」を務めた織太夫などと比較しても、今回の呂勢大夫の語りは出色の出来栄えであり、まさに「ひと皮むけた」という気がする。

 嫌味や当てこすりではなく、本当に素直な意味で、

 「人は何歳(いくつ)になっても、芸道において、上達ができるのだなあ」

 と、しみじみ思った次第。

 また、この「帯屋の段」では、“闘う三味線”こと名人・清治の、磨き抜かれて澄み、そして枯れた、冬木のような美しい太棹の音色に酔いしれたことも、言うまでもない。

 
 
 次の『大経師昔暦』では、吉田和生の柔らかな人形遣いを満喫。

 大詰めの「奥丹波隠れ家の段」では、捕方に対する主人公・茂兵衛の台詞に、ほほぅ・・・と思った。

 この作品の初演は、今から304年前の正徳5(1715)年。作者はいわずと知れた近松門左衛門なのだが、その近松が書いたセリフに、「柔術当身を稽古して・・・」というくだりがある。

見苦しいお侍、合口一本さゝぬ町人、手向かいは致さぬ、倅の時より柔術(やわら)当身(あてみ)を稽古して、スハといはゞ腕は細くとも、お侍の五人や七人は慮外ながら、ぎやつと言はせてのめらせやうも知つたれども・・・(近松門左衛門作『大経師昔暦』床本より)



 これを聞くと、

・武士ではなく、商家の手代である茂兵衛が、子どもの頃から柔術を稽古していた

・柔術と書いて「やわら」と読んでいる

・単なる柔術ではなく、「柔術当身」と、わざわざ「当身」を強調している

 といったことが、流れ武芸者たる私としては、たいへんに興味深く感じたところ。

 物語自体は、近松らしく誤解や行き違い、そして不運が次々と重なり、真面目な男女が次第に追い詰められ、最終的にはにっちもさっちもいかなくなる悲劇が叙情的に描かれており、「大経師内の段」での愕然として柱に寄り掛かる茂兵衛の動き、また「岡崎村梅龍内の段」での影を活かした磔・獄門を暗示させる演出も、たいへんに印象的であった。
 


 帰路、黒塀横丁の飲み屋で、親しい人と文楽談義に花が咲く。

 舞台を楽しんだ後の、この語らいのひと時も、欠かすことのできない愉しみだ。

 ああ、やっぱり文楽は、いいねえ・・・。


 (おしまい)

跳斬之術を錬る/(柳剛流)

2019年 02月08日 23:50 (金)

 明日は武州も雪だとか・・・。

 夜10時、今晩の稽古は屋外で存分に柳剛流の長木刀を振るおうと思い、外にでると気温はマイナス0.4度。

 とりあえず、長刀(なぎなた)の素振りで体を温める。

 昨年、師より譲っていただいた7尺超の時代のものの男長刀で、真向正面、袈裟、脚と打ち分けつつ、歩みながらの素振りを繰り返しているうちに、薄っすらと汗ばんでくる。

 次いで、長刀の形をおさらい。

 そして剣術。

 重い長刀を存分に振った後なので、4尺4寸2分の柳剛流の長木刀も、心持ち軽い。

 まずは跳び斬りでの素振り。

 足で蹴るのではなく、「太刀の道」に従い、蹴らずに跳び違いながら、木刀を振るう。

 実は先月下旬に風邪をひいて以来、いまひとつ体調がすぐれず、翠月庵の定例稽古や水月塾本部での稽古以外の、日々の自分の稽古は全体的に軽く控えめにしていた。

 同時に、昨年秋から続けてきた有酸素運動と筋トレも、半月ほど休んでいる。

 そのためなのか、どうも跳び斬りの後の体勢に、若干ぐらつきがあるように感じる。

 そこで今晩は、「右剣」と「左剣」の形をいつも以上に丹念に、何度も繰り返す。

 この2つの形は、柳剛流の基礎であり、極意であり、鍛錬形でもある。

 柳剛流兵法の全てのエッセンスが、「右剣」と「左剣」という2つの剣術形に凝縮されているといっても過言ではない。

 小半刻ほど、この2つを繰り返し、ようやく跳び違いの際の下半身のぶれを修正することができた。

1706_柳剛流「右剣」
▲柳剛流剣術 「右剣」



 その後は、”極意柳剛刀”とも称される、「飛龍剣」、「青眼右足頭」、「青眼左足頭」、「無心剣」、「中合剣」、「相合剣」の形をおさらい。

 半刻ほどで今晩の稽古を終えると、気温はマイナス0.6度であった。

 やはり明日は、雪かな・・・・・・。


 寒き冬に雷遠聞へき心地こそ
             敵に逢ての勝を取べし(柳剛流武道歌)




 (了)

旅の宿で・・・・・・/(身辺雑記)

2019年 02月06日 11:34 (水)

 私は、旅先の宿で、チェックインをしようとしている。

 宿は、昭和時代によく見られた鉄筋の学校の校舎を利用したもので、不思議と懐かしい。

 書類に記入をしていてふと視線を移すと、レセプションカウンターの横にある小さな応接セットに、数年前から疎遠になってしまった武友のA氏が座っていた。

 ああ、あの時のことは、ここで謝っておかなければなあと思い、チェックインの手続きを止めて声を掛ける。

 「今思えば、私も大人げなかった。申し訳ない」

 と謝ると、

 「いやいや、こちらも気づかいが足らなかったですよ。ま、水に流しましょう」

 と笑う。

 それにしても彼の髪が、真っ白い総白髪になっているのはちょっと驚きだ。



 チェックインをすまし、部屋で旅装を解いて外に出る。

 元は学校だった建物だけに、玄関にしても校庭にしても、なんというか郷愁に満ちた雰囲気だ。

 誰もいない体育館で稽古着に着がえ、しばし柳剛流の稽古。

 剣術の「右剣」「左剣」から、突杖、居合、長刀(なぎなた)、そして殺法の当身までをおさらいをする。

 次いで、受を執ってくれる相手はいないのだが、柴真揚流柔術も復習。

 しかし、いくら探しても脇差が見つからず、結局、柔(やわら)の稽古だけで、小太刀居合ができなかったのが残念だ。



 ひと汗かいた後、体育館の外に出た。

 建物の裏にまわると、柳剛流祖・岡田惣右衛門の頌徳碑がある。

 ああ、なんでか分からないが、こんなところにも流祖の頌徳碑があるのだなあと感動をするも、なぜか石碑の横が粗雑な廃材置き場になっており、それはちょっと不謹慎というか、廃材なんかはもっと別の場所に置けよと、いささか立腹する。

 それにしても、この風景、昔、私が通っていた小学校の体育館裏にそっくりなんだが、なんでそんなところに流祖の頌徳碑があるのだろうか?

 まことに不思議なことである・・・・・・。

  OKAYAMA_ICHINOMIYA_HIGH_SCHOOL.jpg




 ・・・・・・、という夢を見た。

 なにか、いろんなことが、いろんな意味で示唆的な気がするが、とりあえず今日も締め切りが2つある。

 郷愁や思索にひたる前に、まずは慌ただしい日常をしのがねばなるまい。

 南無八幡大菩薩。


 (おしまい)

ココロの叫び/(身辺雑記)

2019年 02月05日 18:52 (火)

via GIFMAGAZINE


松平主税助の流儀は「制剛流」じゃなくて、「柳剛流」なんですってば・・・。



 (どっとはらい)

2月の水月塾本部稽古~柴真揚流、花押講習、座学、甲陽水月流/(武術・武道)

2019年 02月04日 11:03 (月)

 昨日は、水月塾本部での稽古。

 午前中は師のご指導の元、兄弟子である関西支部長Y師範に打方を執っていただきながら、柴真揚流柔術の棒の型と剣術の型を稽古。

 柴真揚流の棒は、シンプルで飾り気がなく、棒術や杖術を専科とする人からすると、地味で面白みがないかもしれない。

 しかし、私のように棒や杖を専科としてこなかった者からすると、これは柳剛流の突杖もそうだが、むしろ質実剛健でたいへんに実践的なものと感じられ、好ましく思う。

 また、柴真揚流における剣術の組太刀は、袋竹刀による「当て止め」で行うものだ。

 久しぶりに袋竹刀を手にし、手の内を締めながら打ち込む稽古は、木刀を使った組太刀とはまたひと味違った爽快感がある。

1901_柴真揚流棒の型
▲柴真揚柔術 棒の型「返し当」 (打方:山根章師範、仕方:瀬沼健司)



 午前の稽古のシメは、師より花押の書き方についてご指導をいただく。

 私は、なにしろ子供の頃からの筋金入りの悪筆なものだから悪戦苦闘(苦笑)。しかし、これもまた修行なり。

1901_花押の稽古
▲師に手直しをしていただきながら、自分の花押を丁寧に書く



 食事の後は、座学。

 今回は師より、「武術における丹田の動き」について、ご講義をいただいた。

 丹田に対する理解・感覚は、武術修行には欠かすことのできないものであるが、一方で我々は武芸の実践者として、あまりにも日常的に「丹田」というものを捉えがちなので、このように改めて言語化・視覚化してその事理をご解説していただけるのは、修行者として、また武術の指導に携わる者としても、たいへんに貴重な学びの機会であった。



 座学の後、午後の稽古は、甲陽水月流柔術(水月塾制定日本柔術)の稽古。

 午前に引き続き、Y師範に受を執っていただき、初伝段取と中伝段取を行う。

 それぞれ10手の業を連続的に掛け、外し、防ぎ、再び掛けることを続ける段取の稽古は、技術的に非常に高度で、フィジカル的にも負荷の高いものだが、それだけに鍛練となる。

 午後の稽古のシメは、渋川流柔術の鍛錬法である外物の「胸押し」。

 私は初めてこの鍛練を行ったのだが、これは非常に合理的かつ安全に、柔術に必須の腰の据わりや粘り、体幹の強さ、股関節などの柔軟性が養えるとともに、統一的な柔らかい体の使い方を錬ることができる、たいへん有意義な鍛錬であることが実感できた。

 これはぜひ、普段の稽古でも取り入れようと思う。

 朝の9時から夕方5時まで、実技、手習い、座学、鍛錬と、今回も武芸三昧の充実した時を過ごすことができた。



 稽古後は、いつもの通り、師に同道させていただき、皆さんと共に小宴。

 日本で一番旨い馬刺しと馬モツ、そしてここでしか呑めない跳び斬り・・・、じゃなくて、とびきりの旨酒を堪能。

 私は久々に呑んだので、結構酔っ払ってしまったようである。

 ちょっと宴席での記憶があいまいだが、多分、粗相はなかったかと思う。

 多分・・・。

 ・・・。

 (了)

一打必倒の打剣/(手裏剣術)

2019年 02月02日 22:12 (土)

 本日は翠月庵の定例稽古。

 今回は手裏剣術の稽古を中心に。

 私は5間直打でゆっくりと肩を慣らした後、2間~3間~4間~5間と移動しながらの連続打ちを稽古。

 その後、門人に手裏剣術運用形を指導する。

 翠月庵流の手裏剣術では、長剣と翠月剣(短刀型手裏剣)による3間直打(順体、逆体、歩み足の運足3種)という基本ができるようになると、次に「手裏剣術運用形」を学ぶ。

 これは、「前敵」、「左敵」、「右敵、「後敵」、「前後敵」、「左右敵」、「突進」の7本の形で構成され、それらがさらに順体と逆体の2パターンあるので、合計14本の形となる。

 「前敵」から「左右敵」までの形は、前後左右各方向への打剣を錬るための形であり、最後の「突進」は正面への打剣から手裏剣を馬手差し(鎧通し)として用い刺突する動作の基本を錬るためのものだ。

 これら運用形は、3間間合で行うのが基本だが、特に初学者については2間間合からの打剣でもよい。

20160409_演武打剣
▲苗木城武術演武会での、翠月庵主による演武。手裏剣術運用形「前敵」を披露。
3間直打・歩み足で、翠月剣を打つ(2016年4月)



 運用形に続いては、動作線上の前後に的を立て、前後打ちと左右打ちを指導する。

 前後打ちについては、1.順体から順体、2.順体から逆体、3.逆体から順体、4.逆体から逆体の4種の打ち方があり、これら4種がさらに、転身の方向によって表(左回り)と裏(右回り)に分かれるので、合計8パターンの打ち方に変化する。

 左右打ちも同様に、合計8パターンの打ち方に変化するので、前後・左右打ちで総計16パターンの運足・体勢から、3間4寸的への的中(単なる刺中ではない)を鍛錬する。

 こうした多様な運足と体の転換を伴う打剣の稽古をしていると、初学者の場合、「何が何だか分からなくなる・・・」ようである(笑)。

 いずれにしても翠月庵流の手裏剣術では、武術としての手裏剣術を習得するために、順体でも逆体でも、歩み足でも送り足でも、前後左右、あらゆる方向にあらゆる体勢で、あらゆる運足を用いながらあらゆる拍子で、一打必倒の打剣ができることを目指すのである。

 ただし、打剣の前に的の前で宙返りをしたり、前転・後転・側転をしてから手裏剣を打つなど、見世物的あるいはパフォーマンス主体のいわゆる「華法」は、身体能力の表現や狭義の打剣技術としては見事であっても、対人攻防としては武術における拍子の位や間積りを無視し、動作そのものに居着いた無駄で不必要な動き、いわば「死気体」であり、そのような打剣は当庵では是としない。

 翠月庵流の手裏剣術の極意は、ただスタスタと無心に相手に歩み寄り、踏み込んで剣を放ち、一撃で相手の死命を制する、

 「生死一重の至近の間合からの、渾身の一打」

 である。

1603_香取演武
▲香取神宮境内での奉納演武にて、50名以上の居合道家を前に、
「刀法併用手裏剣術」の形を披露する(2007年5月)



 本日の稽古のシメは、柳剛流長刀(なぎなた)の指導。

 柳剛流の長刀は免許秘伝の業であるが、その体動はあくまでも、修行者が最初に学ぶ柳剛流剣術の「右剣」や「左剣」の延長線上にある。

 この2つの剣術形に習熟してこその、極意の長刀なのだ。

 こうした点をしっかりと門人に説明しながら、みっちりと打太刀を務めた。



 さて本日の稽古で、武術伝習所 翠月庵の行田稽古場での稽古は、通算399回となった。

 来週で400回である。

 開庵から、足かけ12年。

 当庵で手裏剣術の稽古をした人の数は、延べ人数で300人以上となる。

 「延べ」人数でね(苦笑)。

 そのうち7間以上を直打で通したのは、私と翠月庵師範代の吉松章氏を含め、計3名。

 翠月庵流手裏剣術の「目録」を受領した門人は2名。

 花も嵐も踏み越えて、たかが400回、されど400回・・・・・・。

 (了)

月刊『秘伝』2月号の記事について/(柳剛流)

2019年 02月01日 10:12 (金)

 前回のブログでは、月刊『秘伝』2月号に掲載された松代文藩武学校での演武会レポートにおける、柳剛流居合に関する誤記等を指摘しました。

 これについて昨日、同誌編集部のO氏より、たいへんに丁寧なお詫びと経緯説明のご連絡をいただきました。

 O氏によれば、本ブログ読者のどなたかが、同誌編集部に誤記の件について伝えてくれたとのこと。

 その上で、同誌次号およびwebサイトにて、訂正を掲載してくださるとのことです。



 ここに改めて、月刊『秘伝』編集部の迅速かつ真摯なご対応に、謹んで御礼申し上げます。

 ありがとうございました。

 また、どなたかは存じ上げませんが、本件につきまして同誌編集部へお知らせをしてくださったという方にも、御礼申し上げます。

 ありがとうございました。



 流儀における文章上の表記の問題というのは、考えようによっては些細なことかもしれません。

 しかし、流祖・岡田惣右衛門が心血を注いで創始した「柳剛流兵法」というかけがえのない身体文化を、後世にできるだけ誤りなく伝えていくという意味では、あだやおろそかにはできないことであると、私は考えています。

 こうした想いゆえ、時に語気荒くなってしまうこともありますが、その点、皆さまにはご寛恕いただければと存じます。


1810_柳剛流浅間神社頌徳碑


 武術伝習所 翠月庵主/国際水月塾武術協会埼玉支部代表
 瀬沼健司 謹識

 (了)