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平成30年を振り返って/(武術・武道)

2018年 12月30日 01:01 (日)

 門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし(一休宗純)




 さてさて、今年もあとわずかとなった。

 来年5月で元号が変わるとかで、平成最後の年末年始である。

 1年を振り返ると、仕事も私生活も、そして武芸も比較的平穏であったかと思う。

 今年最も大きな出来事は、6月、翠月庵門人筆頭である吉松章、そして次席長峰浩二の両名が、国際水月塾武術協会最高師範・小佐野淳先生より柳剛流剣術切紙を賜り、私も両名の師匠として、伝授巻に押印・花押の署名をさせていただいたことだ。

 2人の門人に、柳剛流の道統の最初の門を通過してもらえたことは、柳剛流を愛する者として、これ以上の喜びはない。

 願わくば両名がさらに精進を重ね、目録、そして免許となり、後世に柳剛流を伝えてくれることを心から願う。
 
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▲平成30年5月5日、水月塾主催奉納演武会にて。師を囲み、埼玉支部/翠月庵門人一同で



 自分自身の稽古については、今年は柔術の稽古に大きな伸展があった1年であった。

 現在、水月塾で必修となっている甲陽水月流について、12月に師より初目録を賜ることができた。

 また柳生心眼流については、当庵の吉松氏が熱心に稽古をしてくれ、これにより私も心眼流の組形の稽古がこれまで以上にできるようになったのは、ありがたいことである。

 さらに今年からは、今や全国でも水月塾にしか伝承されていない貴重な古流柔術である、柴真揚流の稽古をさせていただけるようになり、私自身の柔術の稽古に対するモチベーションが、たいへんに高まっているところだ。

 思えば私の武術修行の始まりは、今から37年前、12歳で入門した八光流柔術伊豆道場からであり、高校時代にはわずかな期間ではあったが東京まで通い、故久保田敏弘先生から天神真楊流柔術のご指導をいただけたことも、強く記憶に残っている。

 そういう意味で、自分の武術修行の原点は柔術であり、今、「原点回帰」しているのだともいえるだろう。

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▲水月塾本部にて、甲陽水月流柔術の稽古



 来年の抱負については、引き続き仙台藩角田伝柳剛流兵法を自らの武術修行の根幹・土台に据えつつ、柳生心眼流、柴真揚流、甲陽水月流の各柔術について、今年以上に力をそそいでいきたいと思う。

 手裏剣術については、これもまた原点に立ち戻り、4~5間での打剣の威力と精度の向上に努めていく所存だ。

 空手道に関しては、来年は「松村ローハイ」を、もう少し高いレベルに仕上げていければと考えている。



  さて、平成30年も、たくさんの方々のお世話になりました。

 我が師である国際水月塾武術協会の小佐野淳先生には、各流の業はもとより、武芸に関する様々な有職故実について、今年も惜しむことなくご教授を賜り、本当にありがとうございました。来年も、変わらぬご指導をいただければと存じます。

 また、水月塾の各師範方および本部の皆さんにも、たいへんお世話になりました。来年も、共に清々しく稽古ができることを楽しみにしております。

 翠月庵の友好団体である、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会のO先生と同稽古会の皆さんには、今年も変わらぬお付き合いをいただきありがとうございました。次は4月の演武会で、またお会いしましょう。

 いつも存分に手裏剣を打つことができ、腹の底から掛け声が出せる貴重な「場」を提供してくださる、行田稽古場の家主様にも、心よりお礼申し上げます。

 そして、最近いささか内容がマンネリで先細り傾向ではありますが(苦笑)、私の主観あふれる本ブログを読んでくださる数少ない読者の皆さんにも、感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

 最後に、いつも笑顔で私を支えてくれる「S」へ、今年も1年間、本当にありがとう。


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 それでは平成31年も引き続き、武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部を、宜しくお願い申し上げます。

 皆さま、良いお年をお過ごしください。

 翠月庵主/国際水月塾武術協会埼玉支部代表
 瀬沼健司 謹識 

 (了)
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県立武道館での稽古納め/(武術・武道)

2018年 12月29日 00:01 (土)

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 翠月庵の第二のホームグラウンドである、県立武道館。

 年内は今晩が最終日であり、幸いなことに個人利用ができるということだったので、まだ仕事は山盛りなのであるが、夕方から出向いて一刻ほど稽古。

 まずは柳生心眼流の素振二十八ヶ条で体を温め、八戸藩伝神道無念流立居合十二剣と、荒木流抜剣の形を遣う。

 ついで、柳剛流。

 剣術、居合、突杖、そして長刀(なぎなた)の形を丁寧に、しっかりと打つ。

 稽古のしめは、柴真揚流。

 柔(やわら)の形の復習と、小太刀居合を抜く。

 板の間で、思い切り踏み込んで当身や蹴足、肘当てをガンガン入れる鍛練をしていたら、興に乗りすぎて、ちょっと膝を痛めちまった・・・(苦笑)。



 世の中はもう、年末休みムード満点だが、私は明日も明後日も引き続き仕事だ。

 今この瞬間も、街の片隅やひと気のない施設で、あるいは遠い国境の涯で、普段と変わらず日常通りに仕事をしている人たちが、全国にたくさんいるのだろう。

 サービス業の皆さんや公共交通機関の皆さん、警察官や海上保安官や入管職員や自衛官の皆さん、休日診療の医師や看護師の皆さん、訪問看護師や訪問介護士の方々、特養やショートステイなどの介護職の皆さん、動物園の職員や畜産業の人々、児童養護施設の職員の皆さん、民間警備業の職員、その他、いまこの瞬間も、使命感を持って真摯に業務に取り組んでいる、たくさんの人たち・・・。

 そういう人たちに心を寄せて、私も頑張っていこう。






 (了)

ロングフックと周転山勢巌/(古流柔術)

2018年 12月28日 03:06 (金)

 今年最後の原稿の締め切りが終了。

 台湾の医療介護法人グループの理事長インタビュー6000文字の原稿を仕上げ、メールで送信したところで日付が変わる。

 これで年内に書き上げなければならない原稿は全て終わったのだが、年明け4日に医療雑誌のインタビュー原稿の締め切りがあり、温泉旅館のガイドブックの原稿も年明け10日までにあと12軒分を書き上げねばならず、また3月発行の首都圏の旅行雑誌の編集作業もある。

 結局年内は、最後の週末の土日も含め30日までみっちり仕事であり、年明けも2日から執筆開始だ。

 ・・・ま、例年通りだネ。



 昨晩、そして今晩は、いずれも柳生心眼流の稽古。

 ここしばらく、相手の右のロングフック、あるいは左のボディフックに対して、どう対応するべきかをつらつらと考えていた。

 どう対応するのか? 

 といっても、競技空手の組手的に考えれば、単にバックステップで見切るなり左の刻突き(リード・ジャブ)で合わすなり、ダッキングやウイービングなどのボディワークでかわすなり、左のボディフックなら右肘でカバーするか打ち落とせばいいだけなのであるが、そうではなくて、

 「柳生心眼流の技で、どう対応するか?」

 ということを、考えていたのである。

 昼の間も、仕事場で原稿書きの合間にあーだこーだと考えたり、ふと思いついて畳の的に拳足を打ち込んでみたりしていたのだが、いまいちパッとしない。

 (そんなことばっかりしているから、原稿がちっとも進まないのである)

 そんなこんなで、今晩も原稿を書き終わった後の深夜、表から始めて中極、落、切と、心眼流の素振の稽古を繰り返し、取放と取返、小手返の復習まで進んだところではたと、

 「ああ、右のロングフックには、周転山勢巌で一気に寄り身してぶち当たればいいのか!」

 と、ストンと腑に落ちた。

 また左のボディフックには、インサイドポジションからやはり寄り身して、右拳での下段当てを合わせればいいのかと、これもまた腑に落ちた次第。

 もちろん、それらが実際にできるようになるには、相対稽古や地稽古を何度も繰り返さなければならないのは言うまでもないが、1つのシミュレーションとして、どうすればよいのかの方法論を考える訓練としては、なかなか頭と体の両方を使った2日間であった。

 なお、これらの対応については、私の35年来の愛読書であるドイツ・アマチュア・ボクシング連盟の名著『最新ボクシング教室』(ベースボール・マガジン社/1961年)が、たいへんに参考になった。

 以前もブログで少し書いたけれど、この本は打撃の攻防について、非常にシンプルだがたいへん示唆に富んだ内容が豊富であり、空手の試合に出ていた当時も、組手で悩んだ時には、この本から随分有益な気づきを得たものである。

 今回も昨晩、この本を読みながら寝落ちしたのが良かったのかもしれない(笑)。

 打撃もまた、奥が深い。


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・左または右のフックに対しては左ストレートが最善の防御である。
・ロング・フックに対しては肘を軽く上げた短いフックを用いるべきである。
・ロング・フックは下膊でブロックしうるが、ブロックした腕の拳はただちに相手のあごを打たねばならない。左フックは右の下膊で、右のフックは左腕でブロックされる。
 (『最新ボクシング教室』 P72 頭へのフックの防御)



 (了)

まだ見ぬ未来の君へ/(武術・武道)

2018年 12月27日 00:00 (木)

 実はこの秋から翠月庵の教授料について、これまでの1回3時間1,000円の会費制を改め、月々3,000円の月謝制に値上げしようと考えていた。

 その理由は、まあ端的に言えば、経済的な問題である。

 ざっと1年間の、翠月庵の武術・武道に関する金銭のバランスシートをみると、いうまでもないが赤字だ。

 利益を上げるために武術・武道をやっているわけではないので、儲けようとはまったく考えていないのだけれど、勤め人のようなボーナスもなく、富裕層のような資産も持たない私にとって、今年の赤字額は家計としてかなり限界に近いものだった。

 そこで、今後の翠月庵の持続可能性を考え、赤字を多少なりとも改善できないかということで、教授料の値上げを検討したわけだ。



 その後、門人諸子には値上げ開始予定の半年ほど前に、事前に状況を説明して合意を得ていたのだけれど、さらに熟慮をした上で、やはり値上げは中止にすることとした。

 当面の間、引き続き稽古1回3時間1,000円の参加費制を継続していこうと思う。

 その理由は、こんな時代で門人たちも厳しい生活を送るなか、東京や千葉といった遠方から埼玉のはずれまで、安くはない交通費を使って稽古に来てくれているわけで、彼らにとっても月謝制になることでの経済的な負担は、軽いものではないだろうと考えたからだ。

 翠月庵は、貧しい者にも裕福な者にも、若者にも壮年者にも、全ての人に等しく門戸を開いた、だれもが本物の武芸を学ぶことができる「場」でありたい。

 そんなわけで今しばらくは、道場主である私が少々痩せ我慢をして赤字を補填し、教授料金は据え置きにしようと考え直したのである。

 とはいえ、本日集計したところ、2018年の私の生業(著述業)の年間売上は、恒常的な出版不況の影響もあって、前年割れであった。

 この調子で、来年以降も年収が下がっていくなら、改めて教授料の値上げ、あるいは武芸にかかる経費の抜本的な見直しも、考えなければなるまい・・・・・・。

 富める者はますます富み、貧しい者はさらに貧する「格差社会」である、現在の日本で生きていくのは、まことに厳しいことだ。

  *  *  *  *  *  *  *  *

 武術修行を続けていくためには、どうしてもお金がかかる。

 資産家や富裕層、冬のボーナスが90万円や100万円になるような大企業の勤め人といった「上級市民」であれば、それは取るに足らない問題であろう。

 しかし、社会における格差がますます広がるなか、不安定な雇用の中で必死に仕事を続け、家族や大切な人との生活を守り、税や公共料金をきちんと納め、先の見えない将来に備えて5,000円や1万円といったささやかな金額を貯蓄にまわすだけで精いっぱいの、私たち「庶民」には、武術・武道を続けていくための金銭の負担は、けして軽いものではない。

 だからこそ、もし、まだ見ぬ未来の門人に、

 「お金が無いと、武術はできませんか?」

 と問われたなら、私は、

 「お金が無いからといって、武術修行をあきらめなくてもいいんだよ」

 と伝えたい。

 武術・武道とは、貧富の差にかかわりなく、だれもが厳しく真摯な鍛錬によって自己実現できる、全ての人に開かれた「門」であるべきだ。



 幸か不幸か、私は養うべき子供も親もおらず、家も車も持たない、無一物の「流れ武芸者」である。

 だからこそ、生活費を切り詰めながら稽古会を維持し、歳を重ねてもできるだけ「下達」せず、わずかずつでも「上達」をし、己自身の出処進退で、“それ”を証明していかなければならぬ。

 シングルマザーの貧しい家庭で育ち、少年時代から稽古着ひとつ、木刀一口買うのにも苦労をしてきて、おそらくこの先も「富裕層」にはならないであろう私は、そのように強く決意している。


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▲今から32年前。
 学業の合間、毎日の新聞配達に加えて、鉄工所や道路工事、スーパーマーケットでの夜勤のアルバイト代で、月謝や武具の費用などを賄い、旧師のもとで必死に剣術や柔術を学んでいた17歳の時。
 親のお金で稽古をしているような「ぬるい奴ら」にだけは、絶対に負けるものかと思っていた、猛々しくも痛々しい、若かりしあの頃・・・

  *  *  *  *  *  *  *  *

 民藝運動の提唱者であり、思想家・宗教哲学者でもあった柳宗悦は、金と俗にまみれて堕落しきった現代の茶道と茶道人を、厳しく批判した。

 柳が執筆した、「茶人の資格」という以下の一文。

 「茶人」という呼び名を「武人」に、「茶」という文字を「武」という字に、「茶事」という言葉を「武芸」に、それぞれ置き換えて読むと、いかがであろうか?


茶人と呼ばれる人の中には、金持が多く幅をきかせたり、道具屋が茶人を気取ったり、また十徳などを着て、幇間のようなふるまいをする者をよく見かけるが、凡て、茶人と呼ばれる資格はあるまい。金持や商人が茶人になれぬとはいえぬが、非常にむずかしいのである。私欲を離れた生活がしにくく、脱俗の心からは、とかく遠のくからである。茶人であるから、金銭にも、名誉にも淡泊でありたい。今の「茶」が、とかく金銭に隷属しがちなのは、「茶」を濁している大きな原因であろう。この頃は道具屋の介入が目立つのも、「茶」を浄めない所以であろう。俗界への執心が強くては、茶事を深めぬ。いわんや、免許も金次第となっては、もう泥海と違いはあるまい。(「茶人の資格」/柳宗悦)




 (了)

打太刀の拍子と先、間合、そして位/(柳剛流)

2018年 12月26日 01:25 (水)

 日付が変わるころに、今日の仕事を終える。

 クリスマスを過ぎて、世の中はすっかり年末ムードだが、今週いっぱいは毎日原稿の締め切りがあり、気を抜くことができないのは例年の通りだ。

 エアロバイクをこぎ、筋トレをこなしてから稽古着に着がえ、木太刀を執る。

 深夜の稽古ゆえ、あまり激しいことはできない。

 まずは柳剛流剣術、備十五ヶ条フセギ秘伝を遣う。

 夜の静けさの中、鏡に写った自分の構えを防ぎ、破ることに務めていると、なにやら不思議な気分になる。


 その後は、剣術形を復習。

 切紙の「右剣」、「左剣」、目録で学ぶ柳剛刀と総称される、「飛龍剣」、「青眼右足頭(刀)」、「青眼左足頭(刀)」、「無心剣」、「中合剣(刀)」、「相合剣(刀)」、以上8本の形を丁寧に繰り返す。

 ここ数か月、これらの剣術形における、打太刀の拍子と先、間合などについて、改めて検討をしつつ稽古を進めてきたのだが、最近になってようやく、一つの「在り様」が見えてきた。

 結局のところ、彼我の「位」をどう捉え、感じ、そして感じさせるかということなのであろう。

 流祖伝来の形が示す、剣の理合は深い。

 そして私は、心の底から柳剛流が好きなのだなあと、改めてしみじみと思った次第。


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▲柳剛流剣術 「中合剣(刀)」(仕太刀:長峰浩二、打太刀:瀬沼健司)


 (了)

聖夜/(身辺雑記)

2018年 12月25日 00:00 (火)

Tonight, people living with their families and lovers, lonely people who are drunk alone like me, soldiers on the battlefield, doctors and nurses in the examination room, people fighting diseases, children at the nursing home They. May all people be yourself and be happy tomorrow.




 (おしまい)

いろいろと辛いこともあるけど、ま、一杯やろう/(身辺雑記)

2018年 12月24日 15:09 (月)


 クリスマス 大吟醸も宙を舞う(翠雨)



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 そして肴は、香川県の珍味・最高級の姫貝!

 こいつを焜炉で軽く炙って齧りながら、銀河系で最も旨い日本酒である久保田の萬壽を、ごくごく呑んでいると、

 「ああ、生きていてよかったなあ」

 と、しみじみ思う。



 そういえば香川県といえば、うどん県? ・・・つうか、柴真揚流のふるさとではないか!

 柴真揚流、最高!!!!

 ウェーイwww

 (ただいま、絶賛泥酔中)

 しかし考えてみると、私は生まれてから1度も、香川県に行ったことがない。

 ついでに言うと、徳島県へも行ったことがない。

 高知には15年ぐらい前に難病の少年の同行取材で、愛媛には10年ぐらい前に在宅腹膜透析の患者さんの取材で行ったことがある。

 そういえば、宮崎と大分にも行ったことがないな。

 そして香川といえば、放哉終焉の地。

 一度旅をしてみたいものだが、交通費が高くて無理だ。

 おまけに来年は増税で、さらに生活が苦しくなりそうだしねえ。

 私の場合、年間で約4万円の負担増だそうな。

 おまけに、クレジットカードというものを1枚も持っていないので、景気対策のポイント還元は、1円ももらえない(涙)。

 年が明けたら家計を見直して、来年はさらに出費を押さえねばならんのう・・・。



 ま、クリスマスなんだから、いいや。

 呑んで、ケーキ食べて、風呂入って、寝よう!


 (おしまい)

翠月庵稽古納め、そして特別な柚子湯/(武術・武道)

2018年 12月23日 00:40 (日)

 昨日は、翠月庵の稽古納め。

 まず手裏剣術は、5間打ちに集中。

 また当庵では、重量剣での最大7~8間の直打や、短刀型手裏剣(翠月剣)による5間までの直打を基本に、立合抜刀と打剣を組み合わせた刀法併用手裏剣術や脇差を手裏剣に打つ飛刀術の鍛練を重しているため、本日、S氏には刀法併用手裏剣術と飛刀術を集中的に指導。

 S氏の手裏剣の業前が、今年は急激に良くなってきており、指導する者としてもたいへんにうれしい。


▲脇差や小太刀、打刀を「手裏剣に打つ」形=技は、古流にはよくみられる。しかし口伝と形稽古だけでは、実際に脇差や打刀を打って刺すことはできない。必ず実打の鍛練が必要である



 そしてY氏とは、柳生心眼流の稽古。

 向振で「落」をおさらいした後、「表」の七か条を相対で打つ。

 Y氏と私との柳生心眼流の稽古も、少しずつかたちになってきたので、引き続き来年も稽古を進めていきたい。

 さらに私は、Y氏に相手になってもらい、柴真揚流の稽古。

 「左巴」、「右巴」、「左車」、「右車」、「両手捕」、「片胸捕」、「両胸捕」、「柄捌」、「巌石」と、9本の居捕の形を打つ。

 当身を多用する柔術である柴真揚流だが、やはり相手をたてて相対で稽古をした方がよりよいなあと実感。

 そして、翠月庵での今年の稽古のしめは、柳剛流長刀(なぎなた)。

 私は打太刀を執り、Y氏とS氏が仕方となって、長刀を振るう。

 冬の夕暮れ時、武蔵野の空のもと、寒風を遮るように裂帛の掛け声が響き渡った。



 帰宅後、門人からお歳暮にともらった純米酒での晩酌の後、本日は冬至ということで柚子湯に入る。

 しかも、ただの柚子湯ではない。

 柳剛流祖・岡田惣右衛門のご実家で育ち、収穫された柚子を使った柚子湯なのであ~る!

 本邦広しといえども、柳剛流祖の実家の庭で獲れた柚子のお湯につかって冬至を迎える武芸者は、私くらいであろう(笑)。

 今年一年、門人一同大きな事故やケガもなく、快活に清々しく稽古ができたことについて、流祖の御霊に御礼申し上げた。

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 さて、いよいよ今年も押しつまってきた。

 とはいえ私は、例年通り30日まではみっちり仕事、歳明けも締め切りが山盛りである。

 また、自分自身の稽古は、これもまた例年通り、12月31日が稽古納め、1月1日が稽古始めであり、いつも通り粛々と錬成を続けていくのみ。

 あとは31日に、10億円が当たったという知らせを待つのみだ。

 元日以降、ブログの更新が止まり、音信不通になったとしたら、多分、ドバイあたりのカジノで泥酔していると思うので、どうぞ探さないでください・・・・・・。

 南無八幡大菩薩。

 (了)

リスペクト・ザ・ナイト/(武術・武道)

2018年 12月22日 00:16 (土)

 武道とは、武技の練磨を通じて人格を陶冶するものである。

 ・・・・・・と、武道憲章には記されている。

 37年間、武道に関わってきて、さて自分自身を振り返ってみて、「オレの人格は陶冶されてきたのだろうか?」・・・・・・と、不安になる。



 ここ数日、いささか心にわだかまることがあり、我ながら気持ちがとげとげしく荒れていた。

 そんな私をみて、武術にも武道にも関わった事の無い、しかし若かりし頃、厳しいを鍛錬を積んで素晴らしい成績を残してきたアスリートである親しい人から、

 「ちょっと、とらわれ過ぎなんじゃない?」

 と諭され、はたと自分の心の居着きに気が付いた。



 人はだれでも、それが百戦錬磨の武人だとても、老兵も、まだくちばしの黄色いヒヨコの若者も、みな等しく、斬られれば赤い血が流れる生身の身体と、傷つけばいたむ心を持っている。

 己がよりよき武人でありたいと望むなら、そういう他者のいたみに想いを致す、想像力を忘れてはならない。

 オレはそれを、ここ数日、見失っていたのだなあと。

 武術・武道を通じて、自分自身の人格が陶冶されてきたかどうか定かでないが、少なくともそういった人としての「心映え」は、磨いていけるのではないかと思う。



 さて、さっぱりと気持ちを切り替えて、今晩も柴真揚流の稽古をしてから、やすむとしよう!




 (了)

潜みたる竜/(箴言集)

2018年 12月21日 00:07 (金)

 潜竜用いるなかれとは、何の謂ぞや。
 子曰く、竜の徳あって隠るるものなり。
 世に易(か)えず、名を成さず、世を遯れて悶(いきどお)るなく、是とせ見(ら)れざれども悶るなし。
 楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。
 確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり。

 (『易』より)



 潜竜を用いるなかれとは、いかなる意味か?

 孔子は言う。竜のごとき徳、聖人の徳がありながら、最下層に隠れている人のことである。

 世の中の移り変わりによって主義を変えることもなく、世間に名を出そうともしない。

 世に用いられずに隠遁していても、むしゃくしゃすることはないし、だれにも正しいとされなくても、不平を抱くことがない。

 世に道あって、社会的活動がこころよく感じられるときは、その道を世に行い、乱世で、わが身が汚される憂いのあるときは、ただちに世間に背を向けて去る。

 そのようにしっかりとして、その志を奪えないもの、それが潜竜である。



 「楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり」

 そのように、ありたいものだと、しみじみ思う。

 (了)

座右の銘/(箴言集)

2018年 12月20日 00:40 (木)

 毎月連載している雑誌の巻頭インタビューでは、インタビュー対象者に必ず「座右の銘」を聞くことになっている。

 相手は医療や介護、福祉の世界で名を成した経営者や、斯界の重鎮、大学教授などだけに、皆さんそれぞれ含蓄のある座右の銘を持っていらっしゃる。

 たとえば、この秋にインタビューをした日本医師会のY会長の座右の銘は「和して同ぜず」であり、先月インタビューをした関西の巨大医療・福祉グループの理事長であるN医師のそれは「神は細部に宿る」であった。



 私ごとき街の片隅の流れ武芸者が、座右の銘などというのはいささかこっぱずかしいけれど、くちばしの黄色いヒヨコだった10代の頃から、くたびれて世の中を斜めに見るようなオッサンとなった現在まで、いつも心に留めてきた言葉がある。


  卑怯なまねはしない。友達を裏切らない。




 これは、作家・北方謙三の言葉で、ブラディドールシリーズに出て来るものだが、作者自身の人生信条でもあるのだという。

「嗜好と文化「私のポリシー」:第77回 北方謙三さん「友達を裏切らない 」(毎日新聞)
https://mainichi.jp/sp/shikou/77/03.html


 多感な十代の頃、挑戦シリーズやブラディドールシリーズなど、一連の北方ハードボイルドに完全に洗脳されていた私は、上記の言葉に出会い、「この2つだけは、死ぬまで守っていこう」と、固く誓ったものである。

 以来、30有余年。

 生き馬の目を抜くような渡世の中で、それを守るのは、なかなかにしんどいことでもある。

 おかげで厄介な出来事にあえて巻き込まれたり、しないでいいケガをしたり、時には上った梯子を外されたりと、我ながらなかなかに苦労をしてきたものだなあと思う(苦笑)。

 それでもこれまでの人生で、この2つの言葉を守ってこられたかどうかについては、多少の自負はある。

 そんなある種のやせ我慢が、人の「心映え」というものを磨いていくのではないだろうか。


 (おしまい)

今夜も、柴真揚流の独習/(古流柔術)

2018年 12月19日 01:20 (水)

 お盆前と並んで、出版業界が一年で最も忙しい12月。

 いわゆる「年末進行」というやつで、我々フリーランスの「兵隊」は、年末どころか正月休み明けまで、延々と原稿ラッシュが続く。

 昨日も、日中は某人材派遣会社の採用支援システムに関するインタビューのテープ起こし、夕方からは全国のご当地ラーメンの紹介原稿の執筆で、結局仕事が終わったのは日付が変わる直前。

 明日は締め切りが2つも重なっているので、できればこのままアードベッグでも引っかけて寝てしまいたいのだが・・・、稽古はさぼれない。

 いつも通り、30分間のエアロバイク&イギリス軍空挺部隊の新兵プログラム用筋トレ(別名・腹筋地獄)で体を温めたあと、今晩は柴真揚流の復習。

 まずは「左巴」から「巌石」まで、これまで習った居捕の形を繰り返す。

 柔(やわら)の稽古にも関わらず、とにかく当身のオンパレードなので、まるで拳法の稽古をしているようでさえあり、実に楽しい(笑)。

 形の復習のしめに、手裏剣用の畳の的に水月・電光の当と蹴足を2~3発ぶち込み、丸めた座布団の的にブッチャーの毒針殺法の如く肘当てをやはり2~3発落とした後、先日の本部稽古で師よりご指南いただいたばかりの、柴真揚流の小太刀居合である「素抜」の復習。

 1尺5寸6分の脇差を帯に手挟み、形を繰り返す。

 拙宅の稽古場は4畳半ほどの広さのキッチンなのだが、食器棚や流しなどがあるので、さらに狭い。

 実際には、1畳敷の井草カーペットが一枚敷ける程度である。

 普段はここで、2尺2~4寸の刀を使って柳剛流居合や荒木流抜剣を稽古し、座業で試物(大根・人参など)を斬ったり、2尺8寸8分の長寸刀でも柳剛流居合の「切上」の稽古ならできる。

 ・・・できるのだが、なにしろ周囲にはキッチンの什器や台所用品に加え、各種の武具やエアロバイク、愛用のタコ焼き機や家伝の漬物桶などが置いてあるので、まあ、端的にいうと大変に狭いのである。

 しかし、柴真揚流の小太刀居合なら、実に動きよい!

 やはり、屋内戦闘は脇差に限るということか。

 夢中になって四半刻ほど抜き差しを繰り返し、今晩の稽古は終了。

 柴真揚流の稽古、実に楽しい。

 (了)

「死に時」に向けて/(身辺雑記)

2018年 12月18日 11:04 (火)

私がお勧めする死に時は60歳です。これは何も60歳で死ねというのではなく、自分の人生は60歳ぐらいで終わるものとして生きるということです。そうしておけば、たとえば70歳で死ぬとしても、「10年得した」と思えるでしょう。死に時は80歳などと思っていると、10年損したと嘆かなければなりません。

さらに、80歳を死に時にしていると、50代になってもまだ30年近くあると油断して、時間を無駄にしてしまう可能性もあります。60歳を死に時にしていると、あと10年しかない、こうしてはいられないと、人生に真剣になるでしょう。だから死に時は早めに設定するに限るのです。

「上手な死と下手な死ーーある医師の死生観」(久坂部羊/DRESS)
https://p-dress.jp/articles/8118




 私は、数えでは今年で50歳、満年齢では来年50歳となる。

 母も父も、共に73歳で病死したので、なんとなく「オレも70くらいが寿命かな・・・」と漠然と考えていた。

 しかし、両親に比べると、フリーライターなどという無頼で不健康な商売を25年以上も続けており、30代後半までラッキーストライクを1日60本吸い、ほぼ毎日泥酔していたことを考えると、到底、70を過ぎてまで健康でいられるとは思えない。

 そういう意味で、「死に時は60歳」というのは、しっくりとくる。



 死に時を60歳とすると、私に残された時間は、あと10年。

 たった10年である。

 無駄に過ごしたり、ぼーっとしていると、あっという間に過ぎてしまう年月だ。

 (なにしろ10年前の自分のことは、つい昨日のようだ)

 ならば残りの人生10年は、なるべくやりたい事をやり、やりたくない事はやらずに生きていきたいものだとしみじみ思う。

 そうはいっても、日々のつらい生業は避けて通れないわけだが、そんな暮らしの中でも、できるだけ楽しい事を多くし、嫌な事ややりたくない事は、できるだけ少なくしたいものである。



 では、自分にとって楽しい事とは何か?

 まず第一に、親しい人と文楽や歌舞伎、落語などを鑑賞しながら、あるいは家で一緒に酒でも呑みながら旨い肴をつまみつつのんびりと過ごす・・・、そんな穏やかなひと時であることは、言うまでもない。

 そして、武芸の稽古と研究である。

 あと10年というのは「死に時」だけでなく、武芸をたしなむ者として「ある程度、体が動く」最後の時期でもあろうから、この10年を無駄にすることなく、存分に学び、稽古し、研究を深めていきたい。

 加えて、稽古という「行為そのもの」についても、できるだけ快活に、爽快に、清々しく行いたい。

 なにしろ、12歳で八光流柔術伊豆道場の門をたたいて以来、足掛け37年も武術・武道に関わってきたので、私自身、武芸に係るなかで不快な思いをしたり、あるいは悲しい決別も何度か経験してきた。

 また、現在私が所属している国際水月塾武術協会や、自分が庵主である翠月庵では、そのような不適切・不道徳な事案は無いけれど、まことに残念なことだが武術・武道の世界における体罰やシゴキ、組織内での人間関係の軋轢や金銭トラブル、パワハラ、不道徳な異性関係といった不祥事を、少なからず見聞きしてきた。

 このような、武術・武道における不適切・不道徳な出来事は、その「場」を共有する修行者全員の意欲をとことん損ね、集団の士気を壊滅的に低下させる。

 だからこそ、稽古は厳しくとも常に明るくいきいきと快活に行われ、稽古場は凛として穢れなく清々しい「場」でなければならない。

 これから自分の「死に時」までの10年間、私は可能な限りそういった「穢れ」や「不純」からは距離を置いて、清き明き心(清明心)をもって純粋に武芸を学びたい。

 稽古によって己の業前を高め、人としての心映えを磨き、師より伝授していただいた技芸を余すところなく後進に伝えていきたいと思う。

1812_柳剛流_流祖墓誌
▲流祖の名に恥じぬ、「心」と「技」を磨かねばならぬ


 それにしても、あと10年。

 あまり時間は無いな・・・・・・。


 (おしまい)

12月の水月塾本部稽古~甲陽水月流、柴真揚流/(武術・武道)

2018年 12月17日 10:18 (月)

 昨日は水月塾本部にて稽古。

 午前中は師に受をとっていただき、日本柔術(甲陽水月流)の初伝逆捕の「裏」(返し技)を、ご指導いただく。

 裏の形ということで、身体的にも技法的にも、高度な技量が要求されるものであり、今後もしっかりと稽古していかねばならないと実感。

 昼食後、甲陽水月流初目録を受領。

 さらなる練磨への、思いを新たにした。



 午後の稽古は、柴真揚流。

 今回は「素抜(すぬき)」と呼ばれる、柴真揚流ならではの小太刀を用いた居合を指南していただいた。

 わずか3本のシンプルな形であるが、独特の居合腰から発する柴真揚流ならではの実践的な技法、そして3つの形がそれぞれ一貫した状況の中での変化に対応しているという体系だった構成が、たいへんに興味深い。

 小太刀での居合ということで、長尺刀を用いた「鍛練としての居合」とは対極にある、「実践用法としての居合」であり、また「当て殺し」を旨とする柴真揚流らしい技法に、思わず夢中になって抜き差しを繰り返した。

 また、形の想定理解のための鍛練のひとつとして、実際に師が相対してくださり、その状態で形を遣う。

 するとなるほど、脇差を用いた戦闘法として、いかに柴真揚流の「素抜」が実践的であるかを、さらに深く理解することができた。

 この3本の形、今後も大切に練磨・伝承してきたいと思う。



 稽古終了後は、水月塾の忘年会。

 馬刺しや串焼きに舌鼓を打ち、よい頃加減で武州への帰路についた。

 いよいよ年の瀬も、押し詰まってきた・・・・・・。

 (了)

シンプルゆえの、実践性と即応性~柳剛流突杖/(柳剛流)

2018年 12月13日 11:55 (木)

 昨晩は柳剛流の稽古。

 ここしばらく拙宅での稽古では、柴真揚流や柳生心眼流など柔(やわら)の稽古を重点的に行ってきたので、改めて柳剛流剣術と突杖を、じっくりとおさらいする。

 そのうちに興が乗ってしまい、工夫伝としての突杖の体術への展開技法についても思うところがあり、あっという間に半刻ほどが過ぎてしまった。

 これまで何度も述べてきたが、柳剛流突杖というのは、柳剛流の術技全体の基盤となる「跳斬之術」を含まない、流儀内においても特異的な技法群である。

 構造としても、太刀合の形がわずか5本で、別名「突之刀法」と呼ばれるように、突きでの極めを基本とした、たいへんシンプルなものだ。

 このため杖術や棒術を専科として稽古をしている方々から見れば、面白みのない初歩的な術技ですらあろうかと思う。

 しかしシンプルゆえに、柳剛流突杖は実践的だ。

 杖の術として、また体術に展開をしても、突杖は非常に即応性が高い。

 「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」のいずれも、その体動のままに打撃での極め、あるいは打撃からの固めにつなげることができ、徒手の組手でも「実際に使える業だな」というのは、直近の経験でも強く、そして改めて実感した次第。

 また「突之刀法」の異名の通り、その体動は剣術における突技への展開も可能であろうかと思っている。



 こうした工夫伝は、その行為が師伝や伝来の「形」を崩すことになってはならないのは、言うまでもない。

 一方で、武技練磨の一環として、個々人がこうした研鑽・工夫をしていくことも、武芸者には必須のたしなみであろうと強く思う次第である。


1805_柳剛流突杖
▲柳剛流突杖


 (了)

旅から帰って/(武術・武道)

2018年 12月12日 01:20 (水)

 週末からの旅を無事終え、今日からまた生業に追われる日々。

 振り返ると今回も、当身が軽く顔をかすって唇を切った程度で、粛々と稽古・交流をすることができた。

 他流の皆さんとの稽古を通じて、改めて実感するのは、

 ・業も心も、「居着かない」ことが大切

 ・当身は、柔よく剛を制し、小よく大を制する妙技

 ということである。

 それにしても、普段、剣を交えたことのない相手と次々と立ち合い、自分よりもはるかにガタイの大きな相手と取っ組み合いをするというのは、実に楽しいものである(笑)。


 まけてのく人を弱しと思うなよ 智恵の力の強き人なり
 (中山柳剛流 中山多七郎満足) 



 (了)

北へ、西へ、そして東へ/(身辺雑記)

2018年 12月07日 16:02 (金)

1812_柳剛流_中段の構え
▲柳剛流剣術 備之伝「中段」


 この週末から、しばらく武者修行の旅に出ます。

 それでは皆さん、ごきげんよう。


 敵は剣身をば柳江修行して心せかづに勝を取るべし(柳剛流道歌)



 (了)

アウトローの箴言/(箴言集)

2018年 12月06日 11:28 (木)

 近著である『サカナとヤクザ: 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)が好評を博している、ジャーナリストの鈴木智彦氏。

 同氏がツイッターで書いていたのが、下記の言葉。


俺がヤクザから学んだこと…
人の悪口を言わない。自分の悪口もよそで言ってると思われるから。
年下を君付けしない。人間の器量は年齢に関係ないから。
遅刻をしない。自ら不利な状況になることはない。
してあげたと思わない。見返りを求めると苦しい。
必ず報復する。それが一番割り切れる。
(鈴木智彦 TOMOHIKO SUZUKI @yonakiishi・2014年7月31日)




 これはある種の「兵法」であり、あるいは戦闘者の哲学=「あたらしい武士道」のひとつだなあと、しみじみ思った次第。


 (了)

屋内で・・・/(武術・武道)

2018年 12月05日 09:55 (水)

1712_柳剛流居合「切上」
▲二尺七寸での、柳剛流居合「切上」


 昨晩は居合の稽古。

 天井が低く周囲も狭い拙宅の稽古場(一般的には「台所」という)で二尺八寸八分を抜くには、柳剛流なら「切上」に限る。

 神道無念流立居合の最初の抜付も、切り上げなのでできる。

 荒木流抜剣では、「千鳥」、「折返」、「岸之浪」、「後詰」、「誘引」の5本は抜ける。「筏流」も抜刀まではできる。

 しかし、「落花」は難しい。

 卍抜きにしても、鐺が床に当たって容易には抜けない。

 これからの課題だ。

 (了)

ツイスト・クランチに悶える夜/(身辺雑記)

2018年 12月04日 01:54 (火)

 10月から稽古前のアップとしてやっている筋トレ。

 当初のメニューが軽くできるようになってしまったので、今日から負荷を増やしたら、もう虫の息だ(爆)。

 それにしても、筋トレ回数はちゃくちゃくと増えるのだが、体重はいっこうに減らない。

 謎は深まるばかりである・・・。

 ツイスト・クランチでひーひーいいながら腹筋をいじめた後、今晩は柳生心眼流の稽古。

 ちょっと思うところがあり、30分ほどの予定が1時間以上も素振28ヶ条の稽古をしていた。

 稽古のしめは、畳への打ち込み。

 山勢巌での肘当てと拳による下段当て、そして重ね当てを特に念入りに行う。

 また、扇構えや諸手落としの使い方などについても、打ち込みながら考察をした。

 柳生心眼流は、稽古をすればするほど面白くなる。

 (おしまい)

流祖の庭の柿/(柳剛流)

2018年 12月02日 10:20 (日)

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 柳剛流の稽古の後、茶を一服。

 甘味は、先日の墓参の際に、流祖のご実家であるAさん宅でいただいた柿。

 現在、日本国内におそらく10数人しかいないであろう柳剛流の稽古者のなかでも、流祖の生家の庭に実った柿を味わっているのは、私だけだろう。

 ちょっと、「中二病的」な優越感である・・・(笑)。


 そんな事につらつらと思いを致す、一人の草庵の夜。


   見渡せば花ももみぢもなかりけり
         浦のとまやの秋のゆふぐれ(藤原定家)



 (了)

柔(やわら)の独習/(古流柔術)

2018年 12月01日 03:30 (土)

 今週は思うところあって、拙宅での稽古はもっぱら柴真揚流の復習に取り組んだ。

 これまで師より伝授いただいた、「左巴」、「右巴」、「左車」、「右車」、「両手捕」、「片胸捕」、「両胸捕」、「柄捌」、「巌石」、以上9本の居捕の形を独習。

 当身については、畳を仮標に水月の当てと蹴当てを、肘当ては丸めた座布団を仮標として鍛錬する。

 柔(やわら)の形=業は、あくまでも受と捕が組んで鍛練することが大前提であり、そこにこそ日本柔術の真面目があるわけだが、自宅での稽古では、どうしても独習が中心となる。

 このような場合、「素振」で業を錬ることができる柳生心眼流は、たいへん稽古しやすいわけだが、相対形を鍛錬の中心とした柔術でも、工夫次第で独習ができるものだ。

  *  *  *  *  *  *  *

 私の武術修行の事始めは、12歳で入門した八光流柔術だった。

 あの頃も自宅での独習では、旧師より教わった木太刀を使っての3段技の「雅勲」や4段技の小腸経を制する技(名前は失念)の鍛練を、一生懸命行ったものだ。

中学B
▲中学生の頃、八光流柔術伊豆道場での新年会演武


 その割には雅勲はあまり上手にならず、当時の私の得意技は、たしか「唐手破り」という技法名だった八光流独特の手刀当てと、親指一本の当身だった。

 雅勲も熟練すれば素早い捕手技になるのだけれど、

 「当身の方が、もっと手っ取り早いじゃん!」

 と、子供心に思っていたからである。

 よく鶴山晃瑞氏の『図解コーチ 合気道』にある当身技法十四本を手本に、八光流の当身の独習をしたものだ。



 あれからもう、40年近い歳月が流れたわけだが・・・・・・、やっていることに変りがないということか(苦笑)。

1712_柔術_2
▲時は流れて37年・・・。水月塾本部での柔術の稽古

 (了)