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秋夜想憂/(身辺雑記)

2018年 11月27日 23:58 (火)

 まだ11月だが、実際のところは年末進行となっており多忙である。

 そのわりに集中力に欠け、今一つ仕事が進まず・・・。

 なんとなく、「秋憂」という心持ちで、いささかセンチメンタルである。



 とりあえず、日付が変わる直前に、「京都でランチのおいしい店30選」というweb記事の原稿5本を書き上げて、本日の業務は終了。

 明日は、同原稿の残り15本を書き、加えて昨日インタビューした医療法人のテープ起こし、そして木曜に箱根で行うインタビュー取材の準備もしなければならぬ。

 明日も仕事は山盛りなので、とっととウイスキーでも引っ掛けて寝てしまいたいところであるが、昨晩は大阪出張で稽古ができなかったので、これからエアロバイク&筋トレの後、軽く稽古をしてから寝るとしよう。

 しかし晩秋・・・、いや初冬は物憂い季節だネ。


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 (おしまい)


 
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11月の水月塾本部稽古~柳生心眼流、柴真揚流/(武術・武道)

2018年 11月25日 17:02 (日)

 本日は水月塾本部での稽古。

 今回はY氏も一緒に参加のため、まずは師に柳生心眼流をみていただく。

 「返し」の拍子や運足などについて、細かくご指導をいただいた。

 次いで、柴真揚流。

 N氏に相手をしていただき、師より居捕の「両手捕」、「片胸捕」、「両胸捕」、「柄捌」、「巌石」の4手を伝授していただいた。

 それにしても、今回の形もやはり、当て殺しと蹴殺しのオンパレードであり、ほとんど柔術というより拳法である。

 実に、私好みだ。

 稽古後半は、前回ご指南いただいた「左巴」と「左車」も加えておさらい。

 さらに再びY氏に相手になってもらい、柳生心眼流の表・片衣の要点を復習した。



 明日は、朝イチから大阪で医療法人のインタビュー取材があるため、今日のうちに新大阪に前のりして前泊待機していなければならず、私は午前中の稽古のみとさせていただき、帰路に着く。

 そして今、いったん自宅に戻って支度を終え、この記事を書いて、これからスーツに着がえて大阪へ向かうところ。

 いよいよ年末進行が始まり、なんとも慌ただしいものだ。



 そういえば、今日で49歳になってしまったヨ。

 やれやれ・・・(苦笑)。

 (了)

「離れ」をおしまぬ事/(手裏剣術)

2018年 11月24日 21:43 (土)

 本日は翠月庵の定例稽古。

 久々に一刻の間、ひたすら打剣に専念する。

 ここのところ、手裏剣の稽古は柳剛流に比べて二の次だったこともあってか、最初は基本中の基本である3間直打で難渋する。

 これでは到底、手裏剣屋とは言えんね・・・(苦笑)。

 1時間ほど打っていると、ようよう感覚が戻ってきて、なんとか4間直打、板金を打つ心(フルパワー)で、尺的程度には集剣するようになった。



 しかし、何年やっていいても、手裏剣は難しい。

 そして打剣の要諦は、つまるところ「手離れ」、この一点であることを改めて実感する。

 首落ちするのは、すべからく、手離れを惜しむからだ。

 知新流の印可伝授書に、

剣の上より立つは離れを惜しむ故也。 手離れをおしまぬ様に心得打つ事専一なり。



 とある通りである。



 この冬は改めて、手裏剣術にも気を入れて稽古しなければ。

 板金を打つ心での、4~5間尺的と3間4寸的について、より精度を上げていきたいと考えている。

 また、飛刀術や刀法併用手裏剣術についても、この冬はみっちりと稽古していこう。

 なんといっても手裏剣術は、翠月庵にとっては12年来の表看板なのだから。

 精進せねばなるまい。

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 (了)

畳打ち/(身辺雑記)

2018年 11月22日 02:00 (木)

 師走に向けて、忙しくなってきた。

 本日も朝から机にかじりつき、午前中はインバウンド向けのグルメ原稿。ワインのうまい東京のレストランの原稿を10本執筆。

 原稿料1万2千円なり。

 午後からは、流通系の組合の季刊誌に掲載する、介護や保険制度のコラム2本分の電話取材。

 そしてすぐに、その原稿を執筆。

 原稿料は2本で1万円なり。

 夕方からは、来週月曜に大阪で行う医療法人でのインタビュー取材の予習と準備。

 予習と準備なので、原稿料は本日のところは0円。

 そして再び、インバウンド向けの高級グルメ原稿を5本執筆。

 原稿料6,000円なり。

 我ながら今日1日、八面六臂の仕事っぷりであったが、これだけやっても本日の売り上げは、3万円に届かず。

 この程度の稼ぎではとても、銀座の「L’OSIER」で「黒鮑のバターポッシェ 花紫蘇添え 岩海苔入りブルグールのリゾット 生雲丹のブイヨンソース」など食べることはできない。

 しかし来月の末には、10億円が入金される予定なので、そしたら「L’OSIER」を貸切にして、藤原紀香ばりの妙齢の美女を何人も侍らせながら、好きなだけ食べてやろうかと思う。

 ま、個人的には、「黒鮑のバターポッシェ 花紫蘇添え 岩海苔入りブルグールのリゾット 生雲丹のブイヨンソース」よりも、「サッポロ一番塩ラーメン」とか「ペヤングソース焼きそば」の方が好みなのであるが・・・。



 メンタル的にはヘトヘトなのだが、業務終了後、『時間ですよ』の再放送を見ながら晩酌を済ませ、ひと休みしてから気力を奮い立たせ、日課である30分間のエアロバイクと15分間の筋トレ。

 その後、今晩の稽古。

 本日は、柳生心眼流の素振り28ヶ条と応用実践技法。

 稽古のしめは、ミット打ちならぬ畳打ち。

 壁に立てかけた手裏剣の稽古用の畳(軽量畳2枚重ね+ウレタンマット2枚重ね)に、肘当てや重ね当て、下段の当てなどをバンバン打ち込んでいたら、掌底部分のひび割れがパックリ裂けて出血。

 皮膚が弱いうえに乾燥肌のため、10代の頃からずっと、冬になると必ず掌や指にひび割れができ、これが稽古で裂けてしまい、そこら中が血まみれになってしまうというのが、私の冬の風物詩である。

 ・・・やれやれ。

 それにしても、ひとしきり畳をボカスカひっぱたいていると、仕事のストレスが消えていく。

 むしゃくしゃしたら人間・・・、じゃなくて畳をひっぱたくに限るね。

 その後PCに向かい、こんな駄文をつらつらと書いていたら、もう魑魅魍魎たちが跋扈する丑三つ時、深夜2時過ぎである。

 朝つらいのは分かっているのに、夜更かしのクセは治らない。

 さて、明日もつらいお仕事だ。

 ARBの『野良犬』を聞いてから、とりあえず風呂入って寝よう。





 (おしまい) 

ノブレス・オブリージュ /(武術・武道)

2018年 11月21日 09:48 (水)

 日産のカリスマ経営者であった、カルロス・ゴーン氏が逮捕されたとのこと。

 もはや「氏」ではなく「容疑者」である。

 倒産寸前の巨大自動車会社の経営を、V字回復させた手腕は産業史にその名を刻む偉業といって過言ではないのだろうが、今回の事件はまさに、「晩節を汚す」というものだ。

 一説では、今回の逮捕劇は、経営権を巡ってのクーデターだという話もあるようだが、会社の経費でベルサイユ宮殿で結婚式を挙げたり、仕事とは関係のない高級観光地の別荘の家賃を会社につけまわしたり、何十億もの報酬を虚偽記載していたというのが事実であれば、ゴーン容疑者には良き社会人としての「規範意識」が欠落していたということだろう。

  *  *  *  *  *

 思うに、企業に限らず、何らかの集団のトップやリーダーには、そうではない人たち以上に高い規範意識が求めらる。

 いわゆる「ノブレス・オブリージュ(身分の高い者は、それに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという道徳観)」である。

 翻って武術・武道の世界を見渡してみると、どうであろうか?

 40年近くもこの世界に関わっていると、たいへん高潔で心技ともに尊敬に値する先生方や先輩方がいらっしゃる一方で、師範や先生、先輩などとは到底言えないような人々の存在も見聞きしてきた。

 暴力沙汰、金銭トラブル、道場内での不適切な異性関係、いじめ、パワハラなどといった行為は、まことに残念ながら武術・武道の世界でも皆無ではない。

 だからこそ武術・武道の世界において、「師範」や「先生」と呼ばれる人には、門人とされる一般の武術・武道人以上に、高い規範意識=ノブレス・オブリージュが求められる。

 逆に言えば、そのような高い規範意識を遵守できない者は、「師範」や「先生」などと呼ばれる資格はないし、「師範」や「先生」と呼ばれるような立場にたってはならない。

  *  *  *  *  *

 己自身を振り返っても、国際水月塾武術協会の一門に加えていただき、未熟ながらも支部長を拝命し、柳剛流師範として門人への指導を許されるようになって以降は、それまでよりもより高い規範意識を自らに課し、日々の生活の中でそれを守るよう強く自戒するようになった。

 (おかげで、自宅外で泥酔することが無くなった・・・)

 なぜなら万が一、私が不祥事を犯してしまった場合、それは柳剛流の名誉を汚すことになり、国際水月塾武術協会の名に泥を塗ることになるからだ。

 流儀や会派の師範を拝命し、弟子をとって指導をするというのは、ことほどさように責任の重いことなのだと私は思う。

 カルロス・ゴーン容疑者逮捕の報を聞いて、改めてそんなことに思いを致した次第。


一、 武者身を脩るの儀なけは聊も争心可有事なかれ、争心有者は必喧嘩口論に及へは亦刃傷に至らんも難計、武道を学ぶ人は心の和平なるを要とす、去は短気我儘なる人は却而武道を知らさるをよしとす、大抵人之行ひ正敷して其上に武有はよし、行い正しあらさる時武有は人をも害あるのみならず、己をも害する事出来者也
~柳剛流起証文より~



 (了)

平成30年度 流祖墓参/(柳剛流)

2018年 11月18日 16:20 (日)

 旧暦9月24日(新暦10月25日)の祥月命日から少し時間が過ぎてしまったが、本日、埼玉県幸手市にある流祖のご実家にお邪魔し、墓参をした。

 少し早く幸手に着いたので、墓参りの前に、先月オープンしたばかりの幸手市郷土資料館に立ち寄る。

 柳剛流や流祖・岡田惣右衛門に関する情報は、パネル展示1点のみであったが、なにもないよりはいいか(苦笑)。

 ただ、「りゅうこうりゅう」ではなく「りゅうごうりゅう」とルビがふられているのは、まことに残念である。

1811_柳剛流_幸手市郷土資料館


 ひと通り資料館を見学した後、流祖のご実家であるAさん宅へ。

 挨拶をした後、流祖の墓に線香を供え、Aさんが用意しておいてくださった花を手向けて合掌黙祷。

1811_柳剛流_流祖墓参


 その後、Aさん宅で昨年の墓参以来の近況報告をしながら、お茶をいただく。

 しばし歓談の後、また来年の墓参の約束をさせていただき、Aさん宅を後に、江戸川沿いの堤防の上を小半刻ほど歩いて、幸手市西関宿の浅間神社へ。

 社に参拝後、境内にある「柳剛流祖岡田先生之碑」を拝見。

 柳剛流錬成への想いを新たにして、帰路についた。

1811_柳剛流_浅間神社頌徳碑


  (了)

柳生心眼流・素振の組形、「返し」の鍛練/(古流柔術)

2018年 11月17日 23:54 (土)

 本日は翠月庵の定例稽古。

 前半は皆に手裏剣術の自主練をしてもらい、私は所用のため1時間遅れて稽古場に到着。

 早速、刀法併用手裏剣術の形7本を手直ししながら私も稽古。

 打剣と抜刀、その後の斬撃の拍子の位に留意するように指導する。

 稽古中盤は、柳生心眼流。

 今回は素振二十八ヶ条のうち、表の片衣から大搦までを稽古・指導。

 私はY氏を相手に受方となり、「返し(ムクリ、マクリともいう)」をできるだけたくさんとることに留意する。

 野外で「返し」をとるのは初めてであったが、前回の県立武道館での稽古で、Y氏を捕方にした素振の組形の稽古にある程度の手ごたえを感じていたので、思い切ってやってみる。

 初めはいささか緊張を感じたが、繰り返し2人で形を打っているうちに、ごく自然に回転して逃れることができるようになってきた。

 そうなると、むしろこうした心眼流の受け方(逃れ方)は、屋外においては、地面に転がり羽打ちをするような受け身よりも、はるかに安全で合理的であることに気づく。

 往時、野天の稽古場で形を打っていたであろう先人たちの知恵に、改めて頭の下がる思いだ。

 素振の組形をたっぷりと繰り返した後は、稽古者全員で相手をかえながら、「応用簡易護身法」の業を反復練習。

 実際に、相手の腕を諸手落で当て外し、重ね当てを打ち込む。

 これを繰り返す。

 武芸、特に体術は、このように実際に当て合い、互いに「痛い思いをする稽古」をしなければダメだ。

 そして、このように実際に相手をたてて当てる稽古をしていると改めて、「柳生心眼流は、当身一撃だなあ」と、しみじみ実感できる。

 稽古後半は、柳剛流長刀(なぎなた)。

 S氏は、柳剛流とも縁深い直心影流薙刀の有段者なので、指導もしやすく飲み込みも早い。

 Y氏も長柄の武器は柳剛流が初めてであったが、数年来の稽古でかなり動きがこなれてきた。

 これも剣術や居合の稽古で、跳違いを何百、何千、何万回と繰り返してきたからこそだ。

 私も打太刀を執るだけでなく、薙刀を手にとり、皆と一緒に仕太刀も稽古する。

 稽古場のお隣のおばあさんとお孫さんや、家主さんの友人のご家族など、多彩な皆さんが我々の稽古を見守るアットホームな雰囲気のなか(笑)、晩秋の武蔵野の空に、一同の勇ましい掛け声が響き渡った。


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 この季節、野外稽古場での稽古は本当に爽快で心地よい。

 自分で言うのもなんだが、翠月庵は、なかなかに良い稽古場を持っているなあと、心から思った次第。

 (了)

「じかに見る」心/(身辺雑記)

2018年 11月16日 10:02 (金)

 柳剛流の稽古後、茶を服してまったりしていたら、久々に『柳宗悦茶道論集』が読みたくなった。

 そこで書架を探したのだが、どうにも見つからない。

 気になって押入れの奥まで探したが、遂に発見することができず。

 どこかで無くしてしまったのだろうか・・・。

 しかたないが、どうしても読みたいので、アマゾンで購入。

 通常配達を選択したのだが、本日中に届くという。

 いや、そんなに慌てて届けてくれなくてもいいんだけどな。



 本書は、民藝運動の推進者であった柳宗悦が、茶道について批判を加えた論考集である。

 その批判は、「茶道」を「武道」に置き換えると、そのまま現在の武術・武道の世界に当てはまる点が少なくない。

 拝金主義や権威主義、硬直化した宗家制度など、芸の本質を見失った茶道の宗匠や道具商、それらに踊らされる茶道人たちに対し、柳は平易に、そして冷静な言葉で、その矛盾や逸脱を指摘する。

 こうした柳の茶道批判は、結果として当時の茶道人たちには黙殺されたようだ。

 しかし、その清冽な批判と論考の数々は、今もその価値を失わずにいる。



 まことに残念なことだが、捏造や剽窃、歴史や伝系の背乗り、パワハラ、拝金主義と権威主義、武人の品位を穢すような不道徳な行いが、武術・武道の世界にも蔓延している。

 しかし柳が思索したような、道そのもの、器物そのものを、「じかに見る」心を失わなければ、「形」=「術」そのものが、稽古者たる我々の心技を止揚してくれるのだと信じて、今日も稽古に励もうと思う。


1811_柳宗悦茶道論


「点茶心指」 柳宗悦

一フクマイラス
捨テ身ナル聖へ 僧堂ノ行者ヘ 心澄メル比丘尼ヘ 求道ノ居士ヘ 貧シキ道友ヘ 老イタル佳人ヘ 素直ナル若人ヘ 心篤キ娘子ヘ 媚ビザル主ヘ ツマシキ田舎人ヘ

一フクマイラスナ
金ボコリニハ エセ宗匠ニハ 青白キ茶坊主ニハ 巧者ブル小茶人ニハ 溺ルル茶数寄ニハ 物見エヌ物狂ヒニハ 高ブル学士ニハ 派手ナル女房ニハ 欲深キ商人ニハ ヘツラヘル輩ニハ




 (了)

「武術修行心得」/(武術・武道)

2018年 11月15日 12:02 (木)

 昨夜、柳剛流の稽古の後、一服茶を喫して気息を整え、秋の夜長につらつらと、園部ひでを刀自の『学校薙刀道』(昭和11年/成美堂書店)を読んでいた。

 そこで「武術修行心得」として、以下のような点に目が留まった。


一、技は大業なるべし、振り冠つて真向よりの斬撃に非れば敵を倒すこと能わざるべし。
一、刺突は捨身諸手突たるべし、深く踏み込みて強く刺すに非ざれば実戦に用を為さず。
一、胴は元来上膊斬撃の変化なり、大様に切り抜くべし、打ち胴の如きは実戦に用なし。
一、真の武術者には受太刀といふ事なし、古来受太刀して刀折られ銃身さへ切断せられし例多し。敵の撃込は必ず拂ひ落とすべきものなり。
一、白兵実戦の勝敗は唯一撃の成敗に依って決するものなり、機を慎密にして見切り懸引を誤らず、意気を旺にして敵の気先を制すること最も修練を要すべし。

  (以上、一部抜粋)




 なかでも、

 「胴は元来上膊斬撃の変化なり」

 という一文については、

「身體四肢無一所不斬突也」(身体四肢において、斬撃・打突しない部位は無い)『奉献御寶前』/文政3(1820)年



 ことを旨とする、柳剛流を稽古する者としては、多いに納得できる部分であるし、なるほどと思った次第。

  *  *  *  *  *  *

 本書は、戦時色が濃くなってきた昭和10年代の著作だけに、大陸等での軍事的実戦経験から、術技としてある種、一撃必殺の気勢を過分に強調している点には、注意が必要だろう。

 一方で、刀剣が最後に実戦に供された時代の祖述として興味深いものであり、平和な21世紀に武術をたしなむ我々も、こうした前世紀の戦訓を頭の片隅に置いて武芸の稽古をしていくことは、無駄にはなるまいと思う。


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▲園部ひでを・園部繁八著『学校薙刀道』(昭和11年/成美堂書店)

 (了)

柳剛流の「殺」と、田宮流の「殺」/(柳剛流)

2018年 11月13日 16:37 (火)

 Twitterで、武術関係の興味深い記述を拝見した。





 私は、田宮流については明るくないのだけれど、上記のツイートに記されている7つの殺(穴所)の名称は、柳剛流殺活術の18の殺の中に、全て同じものが見られる。

 ちなみに柳剛流の殺活では、

・「天道」=前頭骨と左右頭頂骨との結合部分。

・「虎一点」=左右上顎骨の結合部分、いわゆる人中。

・「松風」=左乳下部、第5肋骨と第6肋骨の間。

・「村雨」=右乳下部、第5肋骨と第6肋骨の間。

・「鴈下」=上腕後中央部、上腕二頭筋と上腕三頭筋の間。

・「水月」=胸部剣状突起

・「虎走」=下腿後面中央部、いわゆるふくらはぎ。

 となっている。


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▲文久2(1862)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている穴所図


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▲昭和14(1939)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている穴所図



 田宮流の「當り十七ヶ条の内七ヶ条」における殺の部位は、一次史料を確認していないので具体的には分からないけれど、それらの位置は名称と同様、柳剛流の「殺」と同じなのだろうか?

 ここは、たいへんに興味意深いところだ。

 また、柳剛流殺活術の「殺」は合計十八ヶ条であるが、上記、田宮流の「殺」は十七ヶ条と記されている。

 この辺りの異動や、上記七ヶ条以外の「殺」の名称や位置がどのようになっているのかも、大いに気になる点である。



 古流における「殺」は、人体の生理・解剖学上、概ね似たような部位になるものだが、柳剛流と田宮流において、「殺」の名称や位置がほぼ同じだとすると、両流に何らかの関係性や交流があったのだろうか・・・、などとうがった見方をしたくなるところだ。

 柔(やわら)における殺活については数多くの先行研究があるが、私の浅学ゆえか、剣術や居合を主とする流派における殺活については、まとまった論文や資料などを拝見したことがない。

 この領域についても、今後の個人的な考察テーマに加えていこうかなどと、つらつら考えている。

 (了)

行田稽古場/(武術・武道)

2018年 11月11日 00:05 (日)

 土曜の午後は、行田稽古場で定例稽古。

 ここしばらく、松代での演武や県立武道館での稽古、所用での休みなどがあっため、行田稽古場での稽古はおよそ1カ月ぶりであった。

 まずは手裏剣術の稽古。

 門下のS氏もだいぶ良い打剣ができるようになってきた。

 継続は力なりである

 稽古後半は柳剛流。

 備之伝からフセギ秘伝の相対稽古をみっちりと。

 そして剣術の形を一手ずつ、丁寧に指導する。

 次いで長刀(なぎなた)。

 こちらは打太刀を執るだけでなく、私も長刀を手にとって共に稽古をした。



 秋の武蔵野の清々しい空気の中、あっという間に3時間が過ぎ、爽快な気分で稽古を終えることができた。

 この季節、野天道場での稽古は最も心地よい。

 きっと昔の柳剛流の先達たちも、このように蒼穹の下で、武蔵野の風に吹かれながら稽古をしたのではないだろうか・・・。


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▲行田稽古場から見上げた秋の空


 (了)

手裏剣日和/(身辺雑記)

2018年 11月10日 10:15 (土)

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▲間合い2間から、脇差を抜打ちに手裏剣に打つ、飛刀術の一手。射撃で云うところの「キルゾーン」(手裏剣術では「三学」という)に、しっかりと刺さることが重要だ



 ここ数日、こちら武州はどんよりとした曇り空と、しとしと降る秋の雨が続いていた・・・。

 しかし今日は、朝から爽やかな秋晴れ。

 最近、曇りがちだった気分も晴れる。

 絶好の手裏剣日和だ!

 インバウンド向けの観光記事をあと5本、昼までに書き上げたら、午後からは翠月庵で清々と手裏剣を打とう!


 (おしまい)

「力(ちから)」をコントロールする/(武術・武道)

2018年 11月09日 09:59 (金)

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 ここに一枚の絵札がある。

 獅子に象徴されるのは、怒り、衝動、暴力、あるいは支配欲や権力欲などといった、原初的な「力(ちから)」である。

 その獅子を、女性が柔らかな「花輪の鎖」で優しく制している。

 つまり、原初的な「力」の衝動を、柔和な女性に象徴される「理知的な精神」がコントロールしているのだ。

 そして女性の頭上には、無限の持続性を象徴する数学記号である、「レムニスカート」が示されている。

 秘教的な示唆に富んだタロットの中でも、特にこの一枚が私は好きだ。

 「力」のコントロールは武術・武道における重要な心法であり、『三略』に云うところの、「柔能制剛、弱能制強」という兵法に通ずるところでもある。



 武術・武道に関わる者は、己の暴力的な衝動や、力(ちから)に基づいた支配欲・権力欲などを、武芸の道理、そして理性や倫理、社会人としての規範意識といった「花輪の鎖」で、常に正しくコントロールしていかなければならない。

 それができないのであれば、武術・武道の世界は、パワハラやモラハラ、肉体的・精神的ないじめがはびこるだけの、弱肉強食・下剋上が横行する修羅の道となってしまうだろう。

 私は自分の愛する武術・武道を、そのような獣性に満ちた世界に貶(おとし)めたくはない。


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 かつて、当身の名手として知られた合気道の西尾昭二師範は、自らの業を「許す武道」と表現した。

 武術・武道の修行とは、厳しくとも清廉かつ公明正大であり、特に指導をする者はその指導方針の根底に、門人への(一歩ひいた)慈愛や思いやりが無ければならない。

 そして稽古の「場」は、物理的にも精神的にも、清々しくあるべきだ。

 権威や金銭、支配や愛欲などといった俗事で、修行の場を穢(けが)してはならない。



 片手で数えるほどしか弟子のいない、地方の小道場のいち武術師範である私だが、常に「清き明き心」を旨に師や門人に接し、武術・武道人として恥ずかしくないよう自らを律し、己の心技を昨日よりも今日、少しでも高めていきたいと思う。

 ひいてはそれが、流儀を開いた流祖や代々の先人たちへの恩返しになるのだと信じている。


夫れ武は仁義の具。暴を誅し乱を救う。
皆民を保つの所以にして仁義の用に非ざるなし。
是を以て之を用うるに仁・孝・忠なれば即ち天下の至宝なり。
之を用うるに私怨奸慝(かんとく:よこしまな隠れた悪事)なれば即ち天下の凶器なり。
故に剣法を知り至誠偽り無きの道、以て謹まざるべけん哉。
(岡田左馬輔筆「柳剛流免許之巻」より)



 (了)

引き手が・・・心眼流/(武術・武道)

2018年 11月07日 22:16 (水)

 本日は空手の稽古。

 いつもの如く、約1時間に渡るその場基本と移動基本で、こってりと絞られる。


A先生「稽古はねえ、その場基本から移動基本に入って、追い突き・前足蹴離し辺りが、一番きついんじゃない?」
私   「はい、もう死にそうです・・・」
A先生「ははは、ま、頑張って」


 基本稽古に次いで形稽古をざっと行い、本日は組手の稽古が中心となった。

 私は、有段者のBさんを相手に、打ち込みや受け・捌きを繰り返す。

 思い切り突き、蹴り、それを受け、捌く稽古は爽快だ。

 Bさんは一昨年黒帯となり、歳も若いので、私も気兼ねなく存分に突きを入れ、蹴り込むことができ、またAさんにも存分に突いてもらい、蹴ってもらうことができる。

 当たればケガをする緊張感の中、生身の体と体がぶつかり合い、打ち合う腕や脚がきしみあう。

 ど突き合いの稽古は、本当に楽しいねえ(笑)。

 がしかし・・・、

 ともすると、私の引き手が空手式ではなく、柳生心眼流の中勢厳構の後ろ手の構えになっていたりだとか、内受けで捌いて逆突きで返す際、時折こっそりと心眼流の中勢厳内流しから寄り身して下段当てを入れるなどしていたのは、ここだけの秘密である(苦笑)。

 本当は、個人的に重点的に稽古している、山勢厳外流しや内流しからの技も、空手有段者の突きを相手に試したかったのだが・・・。

 この「場」はあくまでも、空手道の稽古の場であり、そこまでやってしまっては、ここで指導してくださるA先生や稽古相手のBさんにも失礼である。

 また私自身、ここでは「空手道」を稽古しているのだから、そこまでやるのは武芸の稽古に向かう姿勢として宜しくない事なのだと思い、自粛した次第。

 変な業使って、すんませんm(_)m。

  *  *  *  *  *  *  *

 帰宅後、日本人初のサンビストであり、「史上最も美しいサンボの英雄」とたたえられたビクトル古賀氏が、11月3日に逝去されたことを知った。

 思えば、氏の著作である『秘密の自己防衛術』(青春出版社/1982年)を読んだのは、13歳の時だった。

 当時、私は地元の八光流柔術伊豆道場で、八光流の柔(やわら)を中心にT流剣術やK流抜刀術などを学んでいた。

 そんななか、UWFなどでメジャーになるはるか前に、上記のビクトル古賀氏の本で「アキレス腱固め」という不思議な技を知り、それを覚えた。

 この技で、それまで乱取りでまったく歯が立たなかった、身長も体重も私よりもはるかに大きな柔道有段者のO先輩に勝てたことは、今となっては少年時代の懐かしく、ちょっと誇らしい思い出である。

 また少年なりに、

 「八光流よりサンボの方が、強くなれるのかな・・・」

 という素朴な疑問が心に芽生えたのも、この時であった。

 後年、対人攻防や自由攻防に関する古流武術への疑問がつのり、29歳にしていったん古流の稽古から離れ、伝統派空手道の門を叩いたのも、思えばこの時の出来事がきっかけだったのかもしれない。



 謹んで、ビクトル古賀氏のご冥福をお祈りいたします。

 (了)

モチベーション/(身辺雑記)

2018年 11月06日 23:57 (火)

 先月下旬の演武に向けて開始した、稽古前の有酸素運動と筋トレは、引き続き継続している。

 糖質制限による体重コントロールは、アルコホルの誘惑で、いささか滞りがちであるが・・・(苦笑)。

 本日も30分間のエアロバイクに20分間の筋トレを行い、その後に、柳生心眼流の素振二十八ヶ条、単独素振り十三ヶ条、実践応用、打ち込み稽古などで、たっぷりと汗をかいた。

 おかげで先日、病院で血圧を測ったところ、ここ1年ほどずっと高く、ぎりぎり正常高値か1度高血圧だった数値が、なんと正常血圧どころか、至適血圧にまで下がっていた。

 恐るべし、有酸素運動&筋トレ!

     *  *  *  *  *  *

 有酸素運動や筋トレがいいなあと思うのは、比較的短期間で成果が目に見えることだ。

 たとえば、最初は30回しかできなかったツイスティング・クランチが、50回できるようになる。

 あるいは、30分で7キロしか走れなかったエアロバイクが、同じ時間で9キロ走れるようになる。

 このように成果が目に見えるので、非常にモチベーションが上がる。

 おまけに久しぶりに彼女と食事に行ったら、「なんだか少し、体が引き締まった?」などと言われたりした日には、さらにやる気100倍というものである。

 一方で、武芸の稽古というのは、自分がどれくらい上達したかというのが、なんとも分かりにくい。

 ことに古武道の場合、現代武道のように試合がないので、上達や下達を自覚しにくいのである。

 だからこそ、上達できずとも、せめて下達はしないよう、日々、必死に稽古に励むしかない。

     *  *  *  *  *  *

 柳生心眼流では、「素振り三年刃の如し」と言うそうだが、私の素振りも、「秋水の刃」とまではいかなくとも、「切り出し小刀」くらいにはなってきただろうか・・・?

 サンドバック代わりに壁に立てかけた畳に、山勢厳の肘当てをバンバンぶち込みながら、今晩はそんなことをつらつらと考えた次第。

 (了)

恥を知る心/(武術・武道)

2018年 11月03日 08:48 (土)

 私が生まれた1969年は、太平洋戦争が終わってから24年後である。

 当然ながら、戦争というものを知らずに育った。

 後年、フリーの従軍記者を志して中東を取材していたこともあり、(結果的に戦場ジャーナリストとしては芽が出なかったけれど)、クルド・ゲリラとトルコ治安軍との10年間に渡る紛争の一端を垣間見ることはできた。

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▲上空のトルコ治安軍武装ヘリに、無言で抵抗のVサインを上げるクルドの人々(1996年/ディヤルバクル Ⓒ瀬沼健司)



 こうした経験から言えるのは、戦争などというのは、ろくなもんじゃあないということだ。

 「垣間見た」だけでもそう思うのだから、実際に戦争に直面した我々の祖父や祖母の世代は、最前線の兵士も、銃後の市民も、さぞかし過酷でつらかっただろうなというのは、容易に想像できる。

 そこでつらつら思うのだけれど、たとえば近年、靖国神社の境内で旧軍の軍服を着てうろうろしている人々がいるけれど、彼らはいったい、どういうメンタリティをしているのだろうかということだ。

 まず前提として、趣味で軍服を着る行為は否定しない。

 私も、フライトジャケットやフィールドコートなどのミリタリークロージングは大好きだから、そういうファッションへの憧れという気持ちは分かる。

 しかし、わざわざ旧軍兵士や将校の軍服を着て、実際に戦闘で亡くなった人たちの御霊が祀られている、鎮魂の場である神社の境内をうろつくという神経は、私にはまったく理解できない。

 そういう行為からは戦没者への敬意はまったく感じられないし、軍人ではない民間人が、そのような恰好で戦士たちの魂が眠る神社の境内を徘徊するなどというのは、冒涜だとさえ思える。



 これらと同様の違和感を、一部の武術関係者にも強く感じる。

 たとえば、実際には所縁(ゆかり)がないであろう、故人の墓前や戦没者の慰霊碑等の前でのパフォーマンスを、自流の宣伝や広報の手段とするような行為は、はたしていかがなものだろうか?

 そういうことを、良心の呵責無しにできる人の精神構造が、私には理解できない。

 彼らは、亡くなった人たちの御霊に対して、「恥ずかしい」と思わないのだろうか?

 無関係な先人の事績を、己の承認欲求を満たすために利用する行為について、「これは人として、いけないことだ」と感じないのだろうか?



 「恥を知る」=廉恥(れんち)の心というのは、日本の武人が古くから育んできた、美しい精神のひとつだ。

 一方で「恥知らず」というのは、古来、廉恥の心を破るという意味から、「破廉恥(はれんち)」という。

 その行為は、先人たちが身命をかけて育んできた「廉恥心」にかなっているか?

 故人の御霊を穢すような、「破廉恥」な行為になっていないか?

 歴史や故人への敬意と、人としての良心、そしてなにより武人としての覚悟と心映えがあるのなら、自らの行いを正しく律してほしいと願う。

 (了)

秋日山陽行~錦帯橋・岩国城/(旅)

2018年 11月02日 23:52 (金)

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 錦帯橋を渡って岩国城へ。

 錦川は、たいへん美しい川だった。


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 城内には加州清光など、日本刀が多数展示されていたのだが、分刻みのスケジュールの取材旅行ゆえ、じっくりと見学すことはかなわず。

 山口には、プライベートでもう1度、旅行にきたいものだ。

 しかし、武州からは遠い・・・・・・。

 (つづく)