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20年/(武術・武道)

2018年 08月29日 23:33 (水)

 本日は空手の稽古。

 昼間、あまり原稿がはかどらなかったので、本当はもう少し原稿を書かねばならなかったのだが、最近ちょっと夏バテ気味で体力が落ちているので、逆に鍛えなければいかんと思い、また締め切りも明日の夕方まで時間があることから、仕事は後回しにして県立武道館へ。

 その場基本から移動基本までみっちり1時間、こってりとしぼられる(苦笑)。

 この教室は、初心者や壮年の方が多いこともあり、基本稽古に当てる時間が長い。

 これは私のような、サイドワーク的に空手の稽古を続けているなまくらな人間にとっては、かえって基本が錆びないようにじっくりと鍛えてもらえるので、むしろありがたいともいえる。

 そういえば15年くらい前、全空連のナショナルチームの選手だった方にお話を伺う機会があったのだが、その際、ナショナルチームの稽古で何がつらいかとえば、「延々と続く基本稽古」とのことだった。

 基本の後は形稽古。

 糸東流のA先生に、バッサイ大と松村ローハイをご指導いただく。

 私は玄制流のローハイが得意形なので、指定形の松村ローハイも嫌いではない。

 ただ形が似ているだけに、運足や鷺足立の微妙な部分などが混じって混乱しがちだ・・・。

 

 考えてみれば、今年で空手の稽古を初めてちょうど20年である。

 12歳から学んできた古流武術の修行に行き詰まりを感じ、玄制流空手道の門を叩いたのは29歳の夏であった。

 玄制流武徳会東京本部で土佐邦彦先生のご薫陶をいただき、なまくらながらもなんとか黒帯をご印可いただいたのだが、流派の門は8年ほど前に離れてしまった。

 その後、空手道については特に流派に所属することなく、県連主催の教室で細々と稽古を続けているのは、これまでも本ブログで書いてきた通りだ。

 思うに、私の武術人生の本義は、少年時代から五十路を目の前にする現在まで、一貫して変わることなく古流武術である。

 しかし、武技に欠かすことのできない「肚(ハラ)」を練り上げてくれたのは、30代に打ち込んだ空手道での厳しい稽古や試合の経験であるし、自由攻防の難しさや厳しさを教えてくれたのも、やはり空手道であった。

 こうした空手道修行で得た経験や心法の数々は、現在、柳剛流をはじめとした私の古流武術修行において、本当にかけがえのない素養や地力となっている。

 講武実用流の平山子龍は、


夫剣術は敵を殺伐する事也。其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ(『剣説』より)



 と喝破した。

 こうした、武芸に欠かすことのできない覚悟=心法=肚については、私は若い頃に励んだ古流武術以上に、伝統派空手道の稽古を通じて学ぶことができたのだと思っている。



 今後も私の武術人生は、あくまでも古流武術が本義であるけれど、それと併せて空手道の稽古も、細く長く続けていきたいと思う。


1412_空手型試合
▲2005年、弐段となって臨んだ形試合で、「祝嶺のバッサイ」を打つ。形も組手も、
空手はこの頃が自分史上最強だったかな・・・(笑)

 (了)
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8月の水月塾本部稽古~柳剛流、荒木流/(武術・武道)

2018年 08月27日 10:47 (月)

 昨日の日曜は、朝から水月塾本部にて稽古。

 まず午前中は、柳剛流。

 師より「右剣」、「左剣」、「飛龍剣」、「青眼右足刀」まで、剣術を丁寧に手直ししていただく。

 細やかな口伝も伝授していただき、改めて多くの気づきを得る事ができた。

 続いては突杖。

 こちらも、「ハジキ」、「ハズシ」、そして「抜留」について、ご指導をいただいた。



 昼食後は、神道六合流の伝書を拝見。解説をしていただく。

 武芸の伝授が、古来の巻子本から一枚免状主流に映る過渡期の、貴重な史料である。

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 午後は、荒木流抜剣をご指導いただく。

 「落花」、「千鳥」、「折返」、「岸之浪」、「後詰」、「誘引」、「筏流」と、7本の形について、師が実際に相対してくださり組稽古も交えながら、理合と業を学ぶ。

 私は、この荒木流の居合が、(柳剛流とは違った意味で)、なんともいえなく好きだ。

 「なぜ」と、問われても、うまく説明ができないけれど・・・。



 稽古終了後は、いつもの通り師に同道させていただき、馬モツと馬刺し、そして極上の原酒が名物の店で小宴。

 その際、師より、時代の物の平型の手裏剣を譲っていただいた。

 心金にさらに鋼をかぶせて平型に打って鍛えた手の込んだもので、たいへんに鉄味の良いものである。

 追々、剣尾の巻物などもつけて、じっくりと打たせていただこうと思う。

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 (了)

最高気温/(身辺雑記)

2018年 08月25日 12:37 (土)

 さて、本日は午後2時から翠月庵の定例稽古なわけだが、予想される当地の気温は37℃だそうな。
 
 たしか、日本体育協会の「スポーツ活動中の熱中症予防ガイドブック」(2013)の熱中症予防運動指針では、35℃以上は運動は原則中止だったような気がする。

 ちなみに野天道場である当庵には、日陰がまったくない・・・・・・。



 ということで今日は、甲陽水月流の柔術を徹底的にやるとするか。

 ふふふふっ・・・・・・。

 (おしまい) 

大道無門、千差路有り/(柳剛流)

2018年 08月23日 02:20 (木)

 昨日は都内で、医療関係の重いインタビュー&旅行雑誌の出張校正だったのだが、いずれも恙無く終了。

 これで今年の夏の仕事は一区切りつき、明日からは秋向けの仕事が始まる。

 夏の区切りの重たい仕事が順調に済んだことで心中も軽やかだからか、夜の稽古で手に執る木太刀もいささか軽く感じられる(苦笑)。

 ここ数日は、ちょっと思うところがあり荒木流抜剣の稽古を重点的に行っていたのだが、本日は柳剛流に専念。

 やはり、柳剛流の稽古は楽しい。

 備之伝、フセギ秘伝、剣術、突杖をじっくりと稽古する。

 突杖の「右留」と「左留」で、ちょっとした気づきがあったのだが、それが本当に適切なことなのか、今しばらく検討してみよう。



 柳剛流を学び受け継ぐ者のひとりとして、日々の鍛練で己の業前を磨くことは言うまでもないが、それに加えて50年後、100年後も、この素晴らしい武芸が伝承されているために、門下の育成を中心とした普及と啓発は、避けては通れない課題だ。

 一人でも多くの人に柳剛流を知ってもらい、学んでもらうために、どのような方策をとるべきかについては、日々、頭の片隅で考えてはいる。

 一方で、なまくらとはいえ「易学の徒」を自認している以上、

「我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む」(教育の理想は、我、すなわち師たる者から求めて童蒙に教えるのではなく、子弟・童蒙の方から進んで師に教えを求めることにある)/『易経』より



 ということで、 伝統武道としての品位を汚し、時代に媚びへつらってまで、門下を求めることもないという思いもある。

 本当に柳剛流を学びたいという有為の士は、自ずから現れ、門を叩くのであろう。

 実際に今、翠月庵で柳剛流を学んでいる門人たちは、皆、そのようにしてきたのだから。

 とはいえ、先のなぎなた連盟のツイートの件ではないが、存在を認知されていないというのはいかんともしがたいわけで、ある程度の広報は必要なのだろうし、現時点での広報活動(ホームページ、ブログ、webでの道場案内サイトへの登録)のみで十分なのかは、検討の余地があるのかもしれない。

 ま、結局は地道に稽古を続け、こうして駄文ながらも柳剛流についてのあれやこれやをブログで綴り発信すること。

 それが一番なのかもしれない。

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大道無門、千差路有り。此の関を透得せば、乾坤に独歩せん。(大道に入る門は無く、到る所が道なれば、無門の関を透過して、あとは天下の一人旅)/『無門関』より



 (了)

夏期休暇/(身辺雑記)

2018年 08月21日 23:12 (火)

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 遅ればせながらの夏季休暇が終了。

 そして明日からまた、修羅の巷を行く日々がはじまる・・・。


 (おしまい)
 

突之刀法/(柳剛流)

2018年 08月16日 01:03 (木)

 本日でお盆も終わり。

 すでに昨日からUターンラッシュになっているとのことだが、日曜から今日まで朝から晩まで机に座って原稿書きをしている私には、特段の影響はない。

 本来なら今頃は、私の銀行口座に7億円が入金されて、週明けにはドバイで豪遊している予定だったのだが、どういう手違いなのか6億9,999万9,700円ほど足りないのだけれど、これはいったいどういうことなのだろう?

 しかたがないので今日も、150文字1,500円の外国人向けの観光アプリの原稿を1時間に3本ペースでガリガリと書いて、日々の生活費を稼ぐわけだ。



 さて、柳剛流の突杖(杖術)は、別名・突之刀法とも呼ばれる。

 これは、柳剛流と天神真楊流を修め、足立郡安行村吉蔵新田(現在の埼玉県川口市吉蔵新田)で教線を張った、中山多七郎の子である幾之進が創始した中山柳剛流における突杖の呼称である。

 なお柳剛流の突杖は、「ハジキ(弾)」、「ハズシ(外)」、「右留」、「左留」、「抜留」の5本で構成されるのが一般的だが、中山柳剛流の突之刀法は、「弾」、「外」、「電光」、「切落」の4本となっている

 中山柳剛流の実技については、同流はすでに失伝してしまい、手控えや覚書なども私は見たことが無いので想像をするしかない。

 柳剛流の突杖は、その名の通り突きを多用する杖術なのであるが、中山柳剛流ではなぜこれを、あえて「突之刀法」としたのか?

 また、「ハジキ(弾)」と「ハズシ(外)」はそのままで、なぜ「右留」、「左留」、「抜留」を廃して新たに「電光」と「切落」という形を加えたのか? またそれらの業は具体的にはどのようなものだったのか?

 興味は尽きない。



 昨晩の稽古では、そんなことが頭にあり、ひとしきり柳剛流剣術と突杖の稽古をした後、突杖の形=業を剣術に応用・展開できないかについて、木太刀を振るいながら検討した。

 結果として、「ハジキ(弾)」、「ハズシ(外)」、「右留」、「左留」、「抜留」のいずれも、剣術の技法に展開が可能であり、またそれらはいずれも突技で極めるかたち、つまり「突之刀法」とすることができた。

 とはいえ、これらは我ながらかなりのこじつけであり(苦笑)、あくまでも私的な鍛錬と研究の一環であることは言うまでもない。

1808_柳剛流_突杖
▲柳剛流突杖 「ハズシ」



 それにしても屋外で木太刀や杖を振るっていると、何やら夜風が少し秋めいてきたように感じられる。

 季節は確実に巡っているのだなあ・・・。

 (了) 

知られていないのは、存在しないのと同じこと?/(柳剛流)

2018年 08月14日 00:01 (火)

 上尾なぎなた連盟さんがツイッターで、「(なぎなたの)流派は今現在どのくらいの数が存在しますか?」という質問に対し、こんなツイートをしていた。
https://twitter.com/aya0628nagi1/status/1025613862446354433






 「埼玉県内では聞いたことはありません」

 ・・・・・・。

 「埼玉県内では聞いたことはありません」

 ・・・・・・。

 「埼玉県内では聞いたことはありません」

 ・・・・・・。



 「知られていないのは、存在しないのと同じ」ってやつですか(涙)。

 ぢゃあね、今回特別にコッソリと教えてあげるから、耳の穴かっぽじってよく聞いてネ♡。


武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部では、埼玉県内の稽古場にて、埼玉発祥の古武道であり、直心影流薙刀術の親流儀として若き日の園部秀雄刀自も学んだという、柳剛流兵法(剣術、突杖〔杖術〕、居合、そして長刀〔なぎなた〕を含む総合武術)を、毎週土曜日の14時から17時まで稽古・指導していますよー!!!

翠月庵ホームページ(https://suigetsuan.jimdo.com/



1805_柳剛流長刀
埼玉県内で! 毎週土曜日に稽古・指導が行われている柳剛流長刀



 ま、柳剛流長刀は免許秘伝なので、初学者には剣術の稽古から初めてもらうんだけどね。

 いずれにしても、やっぱツイッターとかでもっと、宣伝とかしないとダメかねえ(苦笑)。

 (了)

仕太刀の業を引き上げる/(柳剛流)

2018年 08月13日 02:08 (月)

 剣術の組太刀では、一般的には師や先輩などの上位者が打太刀=形において負ける役を務める。

 稀に打太刀が勝つことで終わる形もあり、柳剛流にもそのような形があるが、あくまでそれは特殊な例だ。

 このため私自身、師に打太刀を執っていただく際や自分自身の一人稽古では、仕太刀の業をもっぱらに磨くわけだが、一方で翠月庵での定例稽古の際は、門人に仕太刀を遣わせ自分は打太刀を執る。

 先週末の定例稽古では、門下のU氏に指導をするため打太刀を執っていたのだが、改めて「打太刀は難しいものだなあ・・・」としみじみと実感した。

 どうしても日々の自分の稽古では、剣術や突杖、長刀(なぎなた)の形については、勝口(かちくち)を学び体得するために仕太刀としての業の修練がメインとなるわけで、打太刀としての稽古は二の次になってしまう。

 このため恥ずかしいことに、打太刀を執っていて何度か動きを誤ったり、拍子を居着かせたり外してしまったのだ。



 そもそも打太刀を上位者や師匠が執るのは、仕太刀を務める下位者や弟子に形の理合=勝口を学ばせ、彼の「業」や「術」のレベルを引き上げてやるためである。

 にもかかわらず、打太刀が動きを誤ったり形の拍子を滞らせてしまうようでは、到底弟子への指導にはならない。

 大いに反省するところだ。

 さりとて打太刀の修練だけに偏っては、本来習得すべき流儀の勝口、すなわち剣なり杖なり長刀なりで勝つための「業」や「術」が上達しないどころか、むしろ下達してしまう。

 このため、たとえば神道無念流の中山博道師は、形稽古においては晩年まで徹底して、仕太刀を執ることにこだわったという。

 しかしそれでは己自身の業は上達しても、弟子を育て上達させることはままならないであろう。



 このように伝統武道を修行する者にとって、仕太刀と打太刀の修練のバランスというのはまことに悩ましいテーマなわけだが、それはまた、多くの先達の方々が歩んできた道でもある。

 なにより、自分自身の武術・武道人生において、「弟子をとる」という在り方を選んだ以上、この相剋を避けて通るわけにはいかない・・・。

 そんなことをつらつらと考えながら、昨晩は柳剛流剣術の稽古の後、「右剣」と「左剣」における打太刀の動きの復習にも、改めて意を注いだ次第である。

1805_柳剛流_中合剣
▲柳剛流剣術 「中合剣」(仕太刀:宇田川浩二、打太刀:瀬沼健司)


打つ人も打たるる人も打太刀も
         心なとめず無念無心そ(柳剛流 武道歌)



 (了)

夏休みはありません/(身辺雑記)

2018年 08月12日 14:08 (日)

 全国のちびっ子&学生さん、そして勤め人の皆さんは、絶賛夏休み(お盆休み)真っ最中のようであるが、私は今日も朝から晩まで原稿書き。

 本日中に、外国人旅行者向けの観光アプリの原稿を18本、明日も18本、明後日から週末までは毎日12本と、締め切りが毎日続く。

 加えて明日からは、高齢者の解剖生理学に関する原稿の修正120ページ分の作業も開始しなければならないし、来週には某医療業界の大立者への単独インタビューや旅行雑誌の出張校正などがあるので、それらのための準備もしなければならぬ。

 私には、夏休みもお盆休みもない・・・。



 時代小説の大家・池波正太郎は、

「ひと様が休んでいる間に仕事をし、ひと様が仕事をしている時に遊ぶ」

 と書いていたが、私のような底辺の低賃金労働者は、

「ひと様が休んでいる間に仕事をし、ひと様が仕事をしている時にも仕事をする」

 わけだ。

 嗚呼、人生不可解。

 しかし、たとえば観光地の売店の売り子さんだとか、上野動物園の飼育員さんとか、東シナ海にいる海上保安官とか、アマゾンの代引きを運んできてくれるヤマトのドライバーさんとか、成田の税関職員とか、JR高崎線の運転手さんとか、朝日自動車のバスの運転手さんとか、アルソックの常駐警備隊員などなど、全国各地でたくさんの人が夏休みもお盆もなく、今日もあるいは今晩も、この国のどこかで仕事をしているわけで、そういう人たちが頑張っているからこそ、世の中は機能しているのだ。

 私も頑張ろう。

 モッズでも聞いて気合を入れてから、原稿の続きを書くとするか。




 (おしまい)

跳ばずに、跳ぶ/(柳剛流)

2018年 08月08日 00:30 (水)

 柳剛流の居合は実践のための運刀法というよりも、むしろ柳剛流独特の身体の使い方である跳び違い=「跳斬之術」を学ぶための、鍛錬形の意味合いが強い。

 このため形は、「向一文字」、「右行」、「左行」、「後詰」、「切上」のわずか5本であり、しかも「右行」、「左行」、「後詰」の3本は、1本目「向一文字」の応用変化であることから、武技としての実体は「向一文字」と「切上」のわずか2手に収れんされている。

 このため、数十本あるいは100本以上の形を学ぶような居合術専科の人からすれば、あっけないほど単純であり、面白みがないかもしれない。

 しかし、柳剛流兵法という大局的な視点からみると、実にシンプルでよくできた形だなあと、私は思う。

 また、鍛錬型とはいえ当然ながら、武技としての実践に耐えうる「術」=運刀法にもなっていることは言うまでもない。

 さらに、相手を両断して地の底まで斬り伏せるような気勢が求められる跳び違いながらの斬撃は、気・剣・体の一致を体得するのに最適であり、初歩的な剣術の心法(肚)の鍛練にもなっている。



 その上で柳剛流居合の5本の形を運足の違いからみると、「向一文字」と「右行」、「左行」と「後詰」、そして「切上」の3つに大別ができる。

 このうち「左行」と「後詰」の運足は、「向一文字」や「右行」、「切上」よりも、より難易度の高いものとなっている。

 具体的には、「向一文字」と「右行」がシンプルな跳び違いの繰り返しであるのに対し、「左行」と「後詰」は跳び違いに加え、さらに一歩の運足が加えられているのだ。

 この「さらに一歩の運足」は、跳び違いのように跳んではならないし、さりとて非常に厳しい姿勢からの運足なので、そのままの姿勢では容易に足を前に進めることはできない。

 ゆえにここで、「跳ばずに、跳ぶ」という、非常に高度な身体の使い方が求められるのである。

 この、「跳ばずに、跳ぶ」動きができるようになると、居合にしても剣術にしても、柳剛流特有の跳び違いの動きが、たいへんにスムーズかつ容易にできるようになる。

 加えて、跳び違いにおいて最も気を付けなければならない身体の上下動が少なくなり、むしろ沈むような動きでのより高度な跳び違いが可能になってくる。

 すると、剣術の切紙で学ぶ「右剣」や「左剣」、さらには目録で学ぶ当流極意柳剛刀の形=業のキレ味が、てきめんに変わってくるのだ。



 このように柳剛流居合は、柳剛流兵法というマクロな武術体系の中において、その役割(意義)が非常に明確であり、たいへんにシンプルかつシステマティックに作られていることが特長だ。

 こうした点からも、流祖・岡田惣右衛門の剣客としての天才を、しみじみと感じることができる。

 さらに、柳剛流剣術や突杖、長刀に比べると、柳剛流居合は畳1畳の広さがあれば、いつでもどこでも稽古ができるという点も、修行者にとってたいへんありがたいものだ。

 というわけで今晩もしばし、柳剛流居合を抜いてから休むとしよう。


171014_柳剛流居合
▲柳剛流居合「向一文字」での跳び違い。けして、高く跳んではならない


 (了)

久しぶりの空手稽古/(身辺雑記)

2018年 08月07日 02:33 (火)

 昨晩は空手の稽古。

 ここしばらく、仕事の関係で稽古日に時間が取れなかったので、久々に空手着に袖を通し、たっぷりと汗を流す。

 本日は子供たちが参加しない一般のみの月例稽古で、糸東流のA先生とB先生のご指導の元、その場基本、移動基本、打ち込み、形(バッサイ大)、分解というメニュー。

 分解の組手では、この教室では初めてお会いする有段者のC氏に相手をしてもらった。

 この教室は、年配の有段者や初心者が多く、壮年の有段者があまりいないこともあり、また初めて相対する人というのは技量が分からないので、Cさんとの組手は緊張感が普段とは異なり、実に心地よい。

 やはり「ど突き合い」の稽古も、定期的にやっとかないとダメだね(笑)。



 休憩の際、この教室ではすでに7年来の顔見知りであるDさんと世間話をしていると、2年ほど前から古流の剣術も稽古してるのだという。

 流儀はS流とのこと。

 「実は私も、剣術をやっているんですよ」と話すと、Dさんは驚いていた。

 こちらの空手教室では、私は空手道以外の自分の武歴などは公にしていないのでしかたがないが、古流の剣術にも興味があるなら、柳剛流を初手からみっちり教えてあげたのになあ。

 といっても、そもそもそれぞれの人に、自分が学びたい流派があるものだし、これもまた「縁」というものだろう。

 (長年武芸をやっていると、だんだんと「運命論者」になってくる)

 聞いた話では、S流の稽古会は普段でも、10数人の稽古者がいるのだとか。

 うらやましい限りである。

 翠月庵も、常時稽古に参加する門人がそれくらいいたら、稽古場の維持費とか武具の減価償却とか、いろいろと助かるのだがねえ・・・(苦笑)。

 ことに最近、長刀(なぎなた)がすぐに折れるので、金がかかってしょうがない。

 先日もまた、門人に貸し出していた白樫の長刀(革鍔付で2万5000円ナリ!)に、稽古中、ひびが入ってしまった(涙)。

 今年に入って、長刀の折損はこれで2本目である。

 木太刀に比べて高額な稽古用の長刀が、こう度々折れてしまうと、なかなか経済的にきつい。

 そういう意味でも、、一定の門人数を維持するということは、稽古場の運営にとって重要な課題だ。

 とはいえ、むやみやたらと営業活動のように門人募集をするというのも、私の性には合わないので、困ったもんである。

 ま、柳剛流は、少数精鋭ですから(キリッ。

 ・・・っと、話がすっかり脱線してしまったが、いずれにしてもDさんには、空手道と合わせてS流の剣術も、末永く稽古してもらいたいものである。



 帰宅後、ひと風呂浴びてから鯨の大和煮を肴に晩酌をしていてそのまま寝てしまい、目覚めると深夜2時。

 なんとなくそのまま寝付けず、こんな時間に駄文を書いている次第である。

 さて、本日は午後から都内で、旅行雑誌の記事の出張校正だ。

 暑そうであんまり出かけたくないのだが、長刀代を稼ぐためにも頑張らなきゃネ。

 (おしまい)

ネットにある柳剛流への中傷について/(柳剛流)

2018年 08月05日 16:00 (日)

 昨日の翠月庵の最高気温は36℃超であった。

 炎天下の屋外で、2時間にわたってひたすら4~5間での打剣を繰り返したためか、いまだにいささか右肩が張り、アキレス腱の古傷が痛む。

 歳は取りたくないものだな・・・。

 そんな日曜の午後、つらつらとネットを見ていたら、ヤフー知恵袋で柳剛流に対する誹謗中傷をみつけた。

 そもそも、信憑性の低い情報の多いネットの中でも、ヤフー知恵袋はその最たるもののひとつなわけで、そんなものに腹を立ててもしかたがないというのは百も承知であるが、ま、むかつくものはしかたがない(苦笑)。

 しかも、グーグルで「柳剛流」という言葉で検索すると、そのページが結構な割合で上位に出てくるので、ここで改めてひとこと書いておこうかと思う。



 当該の記事は、「日本の剣術は柳剛流を除いて足を狙いませんがこれはなぜでしょうか」といった素人っぽい質問で、これに対するベストアンサーも、特段当たり障りのない常識的なものである。

 しかし、ベストアンサー以外の回答の中に、柳剛流を揶揄し中傷するようなものがあった。

 あまりにレベルの低いコメントなので、ここにリンクや全文の引用はしないけれど、その趣旨は、

・柳剛流の脚斬りは、当てるだけの竹刀試合用の技

・柳剛流は、農家の娯楽用である



 というものだ。

 司馬遼太郎や高野佐三郎の与太話を真に受けたか、あるいはネットに転がっている質の悪い情報で柳剛流のことを知ったふうな気になっているのだろうが、たいがいにしてもらいたいものである。

 そもそもこのコメントを書いた者は、柳剛流の実技を知らず、見たことすら無いであろう。

 そのような半可通な素人が、見てきたように当流の技を誹謗中傷しているわけで、まったく失礼極まりない。



 さらに、柳剛流を「農家の娯楽用」などと侮辱しているのには、強い憤りを感じる。

 私は、往時の日本における武芸の娯楽性について特に否定するつもりはない。

 また現在の古流武術の修行においても、こうした「娯楽」という面は十分にあり、私自身もそれを認識・肯定して稽古に励んでいる。

 しかし、このコメントの文脈での「農家の娯楽用」という言葉からは、好意的なニュアンスはまったく感じられず、柳剛流という流儀そのものと、その剣技に一命をかけてきた数多くの先人に対する辱めや悪意のニュアンスしかない。

 たとえばこのコメントを書いた者は、幕末の上野戦争で数多くの柳剛流剣士たちが秋水を振るって奮戦し、武運拙く討ち死にをしたり、寛永寺陥落後に生家の墓前で自刃した人もいるという事実は知らないか、知っていても何とも思わないのであろう。

 柳剛流の小川重助は、上野戦争の最激戦地である黒門前で敵兵16名を斬り伏せて生還し、後には西南戦争にも警視庁抜刀隊の一員として従軍している。

 彼は柳剛流師範として、埼玉県内で数多くの百姓・町人に柳剛流を指南しているのだが、その剣は単なる「農家の娯楽用」なのだろうか。

 あるいは彰義隊八番隊長であった柳剛流の寺沢正明は、上野戦争後も公儀への節義を貫き通して遠く函館まで転戦、最後まで徹底的に官軍と戦い続けた。

 彼の剣を、「農家の娯楽用」と断じえるのか。

 このコメントを書いた者は、上野公園にある彰義隊士の墓前で、彼ら柳剛流剣士たちの剣技を、「農家の娯楽用」と揶揄できるのだろうか?

 それができるような品性だからこそ、このような無礼極まりないコメントを、公に匿名で発信できるのだろう。

 恥を知れと思う。

 柳剛流はよく「農民剣法」と評されるが、私はむしろこの「農民剣法」という言葉に誇りと好感を持って、日々稽古をしている。

 しかし、上記コメントの「農家の娯楽用」と言う言葉からは、その文脈上、悪意と揶揄しか感じられない。



 司馬遼太郎や高野佐三郎のデマや誹謗中傷の影響もあってか、柳剛流を修行する私たちはいまだに、こうした無知な誹謗中傷にさらされることがある。

 そのような妄言に、いちいち腹を立てるのもバカバカしい。

 常識的には、黙殺するだけで十分である。

 けれどもネット上においては、デマや誹謗中傷を黙殺するだけでは、そのような誤った情報が未来永劫、全世界に向けて発信され続けてしまうのが困ったところだ。

 ゆえに、事実に基づいて「それはウソだ」「それは間違いだ」「それは根拠なき中傷だ」と、必ずどこかで一度、指摘しておくことが必要だと思う。

1705_松代演武_柳剛流左剣
▲柳剛流剣術における「断脚之術」


平日に咄しするとも真剣と
       思うて言葉大事とそしれ(柳剛流 武道歌)



 (了)

一條(岡田)左馬輔伝書に関する記事の訂正/(柳剛流)

2018年 08月04日 11:25 (土)

 私は、今年2月17日に本ブログに掲載した「夫れ武は仁義の具、暴を誅し乱を救う/(柳剛流)」(http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-1302.html)という記事において、

 柳剛流の伝書は、流祖・岡田惣右衛門が学んだ心形刀流の影響が強く、たとえば柳剛流目録の前文などは、その多くが心形刀流の伝書の文言とほとんど同じである。

 一方で角田伝の祖であり柳剛流2代目である一條(岡田)左馬輔直筆の伝書に限っては、切紙、目録、免許のいずれの伝書の文言も、すべて心形刀流のものとは異なる。

 それどころか岡田惣右衛門筆の伝書とも、また武州系の中心である岡安系や江戸で最大の勢力を誇った岡田十内系とも、その内容は異なっている。



 と書いたのだけれど、これはいずれも不正確かつ、思い込みからの間違った記述であった。

 昨夜、稽古後に柳剛流伝書を読んでいた際、はたとこの記述の誤りに気づいた次第である。

 正しくは、私が確認している複数の一條左馬輔直筆伝書の前文の文言は、

・切紙は小川重助系
・目録は岡安貞輔系

 と、同じ文言であった。

 一方で、一條左馬輔筆の免許巻の前文については、(今のところ確認している限りでは)他の系統の伝書に似たような文言が見られない、独自性の高いものである。



 以前の記事を読んでくださった皆さんには、謹んで誤りを訂正させていただきます。

 たいへん失礼しました。

 いやはや全く、思い込みというか、過剰な思い入れというか、そういうものは真実を見る目を曇らすものだなと、いい歳をして実感した次第です。

 なお、上記2月17日の過去記事も、訂正しておきます。

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 (了)

12年目の手裏剣術/(手裏剣術)

2018年 08月03日 02:05 (金)

 多忙であるにも関わらず、今週は何となく集中力がなく、仕事がはかどらない。

 夏バテだろうか。

 ま、来週からは否が応でも締め切りが押し迫ってくるから、しょうがないか。



 今晩は久々に手裏剣を打つ。

 まず立打ちから始めたのだが、拙宅では最大でも間合いが2間しかとれず、この間合いでの立打ちでは「鍛練」にならないので、すぐに座打ちに切り替える。

 それにしても、ここしばらく手裏剣を打っていなかったので、実に精度が悪い・・・。

 そこで小半刻ほど、基本中の基本である「一本打ち」に集中し、ようやく打剣が多少安定してきた。

 稽古後半は、刀法併用手裏剣術の1本目「先」にじっくりと取り組む。

 この形は、古流を代表する手裏剣術流派である知新流の一手を元にしたもので、翠月庵における刀法併用手裏剣術の基礎であり極意でもある。

 具体的には、帯刀し右手に手裏剣を持って自然体で相手に対した上で、

敵、刀の柄に手を掛けると見るや、右足を敵の目を目当てに踏み出すとともに手裏剣を打ち、手は直ちに柄にかけ、敵がひるむところを踏み込んで切る。(『図解手裏剣術』藤田西湖/名著刊行会)


 というものだ。

 実にシンプルで、一見どうということのない形=業であるが、刀法併用手裏剣術のあらゆる理合と用法が、この一手に凝縮されているといっても過言ではない。

 翠月庵の手裏剣術では、まず無冥流の長剣を用いて重心理論と三間間合いでの基本的な打剣を学び、次いで長剣と翠月剣を用いての五間打ちまでを会得、併せて武技としての刀法併用手裏剣術を鍛錬する。

 その上で最終的には、

「生死一重の至近の間合からの、渾身の一打」

 を会得することを目的としている。



 現在、私は柳剛流をはじめとした伝統武道の鍛練を主としているため、どうしても手裏剣術の稽古は二義的になりがちだ。

 しかし、この8月末で翠月庵は開設から丸11年、そして9月からは12年目を迎えるわけで、節目のこの時期、稽古会の原点である手裏剣術の稽古にも改めて意を注がねばと思った次第である。


1603_香取演武
▲今から11年前、香取神宮における演武で、約50名の居合
術家を前に刀法併用手裏剣術を披露した時のスナップ。ただ
し今とは、打ち方も構えも手裏剣も異なっている

 (了)

柳剛流について学ぶ/(柳剛流)

2018年 08月02日 12:21 (木)

 例題。以下の問いに答えよ。

【切紙】
問1.柳剛流の流祖の氏名について、諱も含めて正確に記述せよ。


問2.柳剛流流祖の生誕地について、旧国名および現在の地名を記せ。


問3.柳剛流の技術上の2つの特長とは何か?


【目録】
問4.流祖が柳剛流創始以前に稽古した流儀名を、2つ以上挙げよ。


問5.仙台藩角田伝柳剛流の祖となった2代宗家について、諱を含めた氏名を正確に記せ。


問6.幕末期、江戸府内本郷駒込の加賀藩邸前に道場を開き、1200人以上の門人に指南をした、柳剛流を代表する剣客は誰か。


問7.現在、仙台藩角田伝以外に実技が伝承されている柳剛流は、何藩伝か述べよ。


問8.現存する流祖の頌徳碑について、全ての所在地を記せ。


【免許】
問9.仙台藩角田伝柳剛流に関し、自系統の直系歴代師範について、流祖から9代までの全ての氏名と諱を記せ。


問10.現在伝承されている仙台藩角田伝柳剛流の全実技(形名)および口伝の名称について、列挙せよ。


問11.柳剛流殺活術について、昭和時代まで角田伝に伝承されていた18の殺および岡安伝の「5ケ所大当」について、それぞれの殺の名称と具体的な部位・当て方について述べよ。


問12.「虚実品別縦屈伸」とは何か、具体的に述べよ。


問13.武州・江戸・房州の各地で教線を張った柳剛流師範家名について、3つ以上記せ。


問14.幕末、柳剛流の剣士が多く参加して官軍と上野で戦った集団について、その組織名と参加した柳剛流剣士の名前を3人以上挙げよ。


問15.流祖の生年月日および没年月日を記せ。


        *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 


 翠月庵は野天稽古場のため、これまでは雨天の場合、稽古は中止であった。

 しかし9月からは、雨や荒天で行田稽古場やその他の場所が使えない場合は、座学を実施したいと考えている。

 座学では、

1.柳剛流史
2.伝書釈義
3.柳剛流殺活術の研究

 等について、適宜、講義を行っていこうかと思う。

 その上で、切紙、目録、免許の各受領者には、最低限、上記の各設問に答えられる程度の知識を涵養してもらいたいものだ。



 本来、武芸はあくまでも実技あってのものであり、流儀の歴史や故実には興味がない者も少なくないかもしれない。

 しかしまことに残念ながら、現在の柳剛流は事実上失伝寸前の状況であり、数少ない現役修行者については、実技の継承は当然ながら、正しい史実の伝承も重要な使命と考えてもらいたい。

 ま、そうはいっても、とりあえずは肩の凝らない講義で、流儀の歴史等から学んでもらえればと思う。

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▲昭和14年に記された柳剛流殺活術免許巻


 (了)

『刀の明治維新 「帯刀」は武士の特権か?』/(書評)

2018年 08月01日 12:20 (水)

 8月1日である。

 世のちびっ子たちは、夏休み真っ盛りであろうが、街の片隅でひっそりと生きる貧しい中年男(私のことである)には、当然ながらそんなものはない。

 おぢさんは、ず~~~~~~~~~~~っと仕事をしている。

 おまけに今月は、定期ものの取材や原稿に加えて、6日から20日までにインバウンド向けの観光記事を100本(!)も書かねばならず、お盆休みも無し。

 ひたすら机にかじりついて、仕事をしなければならぬ。

 「人生は過酷だ。生きていくためには金がいる(S・ペキンパー)」のである。

 そんな毎日なので、稽古と晩酌以外の気晴らしは、寝る前の読書くらいしかない。

 (映画は最近、ほんとにつまらない作品ばかりで見たい新作もないしネ)



 月曜日、鎌倉で外国人観光客向けの印鑑作りの体験取材の帰り、鎌倉駅前の書店で、尾脇秀和著『刀の明治維新 「帯刀」は武士の特権か?』(吉川弘文館)を購入、一気に読了した。

 表4の惹句によれば、

「帯刀」=武士の特権という今日の“常識”は、はたして正しいのか。江戸~明治初年まで、武器からファッション・身分標識・旧弊のシンボルへと移り変わる姿と維新で消えゆくまでを追い、「帯刀」の本当の意味に迫る

 という本書。

 平成の今、剣術や居合をたしなむ者として、非常に興味深く読むことができた。

 帯刀=武士の特権というのが、実は江戸も中頃を過ぎた辺りでようやく確定された認識であり、しかもそれは極めてあやふやであいまいなものであったということ。

 二本差しと一本差しの意味や、その変遷、武士や百姓・町人それぞれの帯刀への感覚や想いなどについて、著者は史料や図版を用いて、とても分かりやすい文体で、その実相を解き明かしてくれる。

1808_刀の明治維新



 読了して思ったのは、ある行為の意味や意義を、一言で、あるいは短い文章で断言することの「危うさ」である。

 「帯刀」という言葉で了解されている現代的な意味・内容というのは、実は江戸時代どころか明治の廃刀令によって最終的に固定された極めて限定的な認識であり、実際の江戸期における「帯刀」の意味や認識は、極めてあいまいで流動的・多角的であったという事実は、武術・武道の事績を考える上でも、たいへん示唆に富んでいるといえよう。

 一知半解での「断言」や、「でかい主語」での雑な主張には、私も十分に気を付けなければなあと、しみじみ思った次第。

 なお本書の論旨とは逸脱した意味合いでだけれど、古流武術をたしなむ者としてたいへん意味深長だなあと感じた一文があったので、自戒も込めて末尾に引用をしておこう。


この嘘だらけの由緒改変は、帯刀を正当化したいという、強い気持ちがよく表れている。彼らは刀を振り回したいのでも、それで人を殺傷したいのでもない。帯刀した姿を他人に見せて、偉い人間だと思われたい。しかもそれを「由緒」で正当化したいのである。人は「刀」そのものや、それを使うことではなく、「帯刀」に魅せられていた。(同書P128)




 (了)