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あらまほしき古流の一党として/(柳剛流)

2018年 03月27日 03:39 (火)

 柳剛流という流儀を鍛錬し伝承していく上で、“普及”という点は常に考えている課題である。

 願わくば50年後、100年後も、柳剛流が受け継がれていくためには、1人でも多くの人に稽古をしてもらうことが重要であることは言うまでもない。

 なにしろ今、この地球上で柳剛流を伝承する者は、数えるほどしかいないのだから。

 以前も本ブログで書いたが、現在、柳剛流の稽古をしている人は、私たち仙台藩角田伝だけでなく、幸手や三重の先生方やその門下の方々を含めても、おそらく最大でも30人以下であり、剣術から居合、突杖、長刀、そして各種口伝までを伝承している人は、10人にも満たないであろう。

 幕末から明治にかけて、関東だけでも数千人が稽古をしていた柳剛流だが、いまや失伝寸前なのである。

 ゆえに流儀の普及は喫緊の課題なのだが、一方で流祖・岡田惣右衛門以来、二百有余年に渡って伝えられてきた「業」と「術」を、安易に公開し教えるべきとは思わない。

 普及を理由に流儀の掟を破り、流祖伝来の形をゆがめたり、口伝を公開するというのは、古流武術の在り様として本末転倒であろう。

 そういう意味で、伝統を墨守するがゆえに流儀が滅ぶのであれば、柳剛流を愛する者としてまことに残念であるけれど、それはそれで大きな時代の流れの中では、やむを得ないのかもしれない。

 とはいえ、私たち現役の修行者が生きている限り、流儀の失伝までには今しばらく時がある。

 柳剛流を学び継承していきたいと志す、まだ見ぬ有為の士の登場に期待したい。


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 (了)
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今月の三宅坂/(身辺雑記)

2018年 03月26日 11:55 (月)

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 国立劇場の3月歌舞伎公演、「増補忠臣蔵」と「梅雨小袖昔八丈」を鑑賞。

 菊之助の髪結新三は、なかなかイナセでよかった。

 また“長屋好き”の私としては、二幕目「冨吉町新三内の場」や「元の新三内の場」の、新三が暮らす長屋の情景に目を引かれた。

 それにしても、新三が髪に刺している髪結いのアイテムである「髷棒」を見て、「こりゃァ、手裏剣に打てるかも」と考えてしまうのは、手裏剣術者の哀しい性(さが)である(苦笑)。

 多分、7~8寸くらいの長さがありそうだから、普通に稽古している手裏剣術者であれば、直打で3~4間は余裕で通せるのではないかと思う。

 髪結新三といえば、今回の観劇前に予習として圓生の音源をyoutubeで聴いたけれど、こちらもなかなかの出来であった。

 ただし2時間近い大長講なので、ご注意を(笑)。



 今年は歌舞伎よりも文楽を中心に鑑賞しようと思っているのだが、とはいえやはり歌舞伎もイイネ。

 (おしまい)

柳剛流平法/(柳剛流)

2018年 03月24日 03:47 (土)

 柳剛流は、剣術を中心に居合・突杖・長刀(なぎなた)・柔術・殺活術を擁する総合武術である。

 しかし切紙や目録、免許といった伝書の外題や巻頭の表題はほぼ全て、

 「柳剛流剣術」


 と記されている。

 これは伝系や師範家を問わず、ほとんどの伝書が、こうした表記になっているようだ。

 一方で「柳剛流剣術」以外の表記としては、

 「柳剛流」

 と流儀名のみを記すか、あるいは目録本文内には、

 「柳剛流兵法」

 と表記している一文も見られる。



 往時は、「剣術」と「兵法」は同義語として用いられていたのであろうから、認識としては問題ないのであろうが、

 「柳剛流剣術」

 という表記と、

 「柳剛流兵法」

 という表記では、いささかイメージが異なってくるように思える。

 「柳剛流剣術」と書くと、総合武術といえども、あくまでも剣術が表芸であるという意図が強く前に出る。

 一方で、「柳剛流兵法」と書くと、剣・居・杖・長刀・柔・殺活を網羅した、総合武術としての面が強調されるように感じられる。

 このようなイメージの違い、(いやニュアンスの違いといった方がよいか)があることから、私は本ブログ等では基本的に、「剣術」も「兵法」もつけずに流儀名だけで、

 「柳剛流」

 と記すことが多い。

 まあ「剣術」も「兵法」も同じ意味なのであるから、そこまで意識することもないのだが・・・(苦笑)。



 そんななか、今晩も柳剛流の稽古に勤しみ、就寝前に辻淳先生の著書である『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』を読んでいると、掲載されている柳剛流の伝書中に、

 「柳剛流平法」

 という表記を見つけた。

 これは、上総国山辺郡上谷村や飯塚村(現在の千葉県東金市・大網白里市)で柳剛流を指南した剣客・今関登が、安政6(1855)年に中村三郎司に伝授した『柳剛流剣術目録巻』内の一文である。

 そこには、

右者柳剛流平法太刀目録雖為秘書貴公多年依修行今般目録許候



 と記されている。

 「平法」という表記は、「兵法」や「剣術」と同じ意で使われたものであり、たとえば鳥取の雖井蛙流や、熊本の二階堂流などが、「平法」という表記を使っている。

 しかし柳剛流においては、「平法」という書き方はたいへんに珍しく、私はこの今関登筆の目録以外で、「柳剛流平法」という表記を見たことがない。

 もっとも当時の人は、漢字の表記については相当鷹揚であることから、あまり深い意味はなく「兵法」のかわりに、「平法」という文字を当てただけなのかもしれない。

 あるいは、私がこれまで確認してきた柳剛流の伝書類に、たまたま「平法」という表記のものが無かっただけなのかもしれない。

 (なにしろ、柳剛流の伝書の数は、流儀の流布具合からも厖大な数になるだろうから)

 しかし個人的には、今関登という柳剛流剣士が、あえて意図的に、

 「平らかな法」

 という文字を選んで、ここに書き記したと考えてみたい。



 それにしても、

 「柳剛流剣術」

 「柳剛流兵法」

 「柳剛流平法」

 以上3つの書き方は、それぞれの表記から感じられる武芸としての印象というか、文字に込められる想いのようなものが異なるように、私には思える。

 さて、私の遣う柳剛流は「柳剛流剣術」なのか、あるいは「柳剛流兵法」なのか?

 それとも「柳剛流平法」であろうか?

 そんなことをつらつら考えながら眠りについた、春の夜であった。

 (了)

流れ武芸者の憂鬱/(身辺雑記)

2018年 03月23日 02:41 (金)

 木曜の午後は、県立武道館にて稽古。

 ウォーミングアップに柳生心眼流の素振りを表から切まで行い、その後は思うところがあり柳剛流ではなく、八戸藩伝神道無念流の立居合十二剣を集中的に抜く。

 稽古後、来年度の県連主催空手道教室の申し込みをしようと、必要書類に記入をし、年会費と保険料合わせて1万円ちょっとを添えて、事務の係員氏に提出する。

「ええっと、ここに緊急時の連絡先の記入欄があるので、ご自分以外のご家族の方の連絡先を書いていただけますか?」
「私、家族とかいないんです」
「奥様は?」
「いません」
「お子さんとかは」
「いません」
「ご両親なんかは・・・?」
「両方とも死にました」
「ご兄妹?」
「嫁いでしまって、いません」
「ではお友達とか、どうでしょう」
「いや、友人の連絡先とか、勝手に教えられないでしょう」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 と、ここで係員氏も私も、どんづまりである。

 もっとも私は、12年間在籍していた空手道の会派を転居のために退会してから、すでに7年間、この県立武道館の空手の稽古会に通っているのだけれど、今までこのようなことは言われたことが無かったのだが・・・・・・。

 すると、顔見知りのベテラン事務員氏が出てきて、

「あ、どうも。じゃあ、とりあえず緊急連絡先は、ご本人の電話番号と同上ということにしておきましょう」

 ということで一件落着となった。



 それにしても時折ニュースなどで、独居老人が保証人がいないために入院できないとか、アパートへの入居ができないといった問題が報道されるけれど、いやはやなんとも、他人事ではない。

 もはや独居のオッサンは、空手も習えない時代ということである。

 ま、主催者側とすれば、稽古中に身よりのないオッサンが心筋梗塞でも起こして急に死なれたりして、おまけに遺体の引き取り手もいないとなれば、往生するであろうことは私にも想像できるので、腹が立つということはない。

 けれど、「面倒くせえなあ」というのが、正直な感想である。

 自分自身のこととして言えば、引き取り手の無い私の死骸は適当に焼いて、骨はゴミとして捨ててもらっていっこうにかまわないのだけれど、焼くにも捨てるにも、コストと人手がかかるのであろうから、今の時代、ヤモメのオッサンは死んだ後も、何かと面倒なものなのだなあと、しみじみ思う。

 21世紀の今、

 「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」(西行法師)

 などと、雅な死に方は難しいということか(苦笑)。


 (了)

身を修め心を正す/(柳剛流)

2018年 03月21日 22:59 (水)

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 春分の日だというのに、武州中山道にある拙宅は朝から雪。

 底冷えがするため、一度は片づけた冬用の黒織部筒茶碗を引っ張り出して一服する。

 静かな夜だ。



 我々、武術・武道を嗜む者は、日々、武技の稽古に励んでいる。

 故に、武術・武道の鍛錬をしていない人に比べれば、人間の殴り方や投げ飛ばし方が上手い。

 あるいは刀や鎗、長刀(なぎなた)や手裏剣など、人を傷つける威力を持つ武具の扱いに習熟している。

 だからこそ武術・武道人は、一般の人々以上に、稽古と実生活を通じて人格を陶冶し、規範意識を持ったより良い社会人でなければならない。

 そうでなければ、人の殴り方が上手いとか、刀の振り回し方に慣れているなどというのは単なる粗暴の輩であり、そのような輩の集まりである流儀・会派はまさに反社会的勢力である。



 往時、仙台藩角田伝 柳剛流では、剣術・居合・突杖そして長刀を修めた者に対し、秘伝として相手の死命を制する殺活術を伝授した。

 その際、

夫れ剣柔は身を修め心を正すを以て本となす(柳剛流殺活免許巻)



 ということを、強く諭した。

 その上で、

心正しくば則ち視る物明らか也。或は此の術を以て輙(たやす)く闘争に及ぶ者有り。此れ吾が党の深く戒むる所也。当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すを以て要と為すべし(柳剛流殺活免許巻)



 と教えた。

 つまり、一打必倒の奥義である殺活術を学び、流儀の皆伝を得る者には、

 「身を修め心を正す」

 ことが、強く求められたのである。



 21世紀の今、柳剛流を稽古する我々も、流祖伝来の武技の鍛錬を通じて身を修め心を正し、粗暴のふるまいを慎しみ、強くなればなるほど他者に優しく、物腰穏やかでありたいと思う。

 (了)

本物の「術」を体得するために/(柳剛流)

2018年 03月18日 00:05 (日)

 昨年12月から取り掛かっていた書籍の原稿、267ページの初稿を、なんとか締め切り通りに入稿することができた。

 まだまだ、ゲラ、色校と先は長いが、まずはひと段落である。

 ハレバレとした気分で、土曜の午後、行田の稽古場へ。



 手裏剣、そして柔術の稽古を行った後、じっくりと柳剛流の稽古に取り組む。

 本日は居合の指導を中心にしようと思っていたのだけれど・・・・・。

 備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝の相対稽古、切紙の「右剣」と「左剣」、目録・柳剛刀の「飛龍剣」「青眼右足刀」「青眼左足刀」「無心剣」「中合剣」「相合剣」、そして突杖の形を5本「ハジキ」「ハズシ」「右留」「左留」「抜留」と稽古をした段階で時間切れとなり、結局、居合の指導までたどり着けず。

 なかなか時間の配分が難しい(苦笑)。



 今回は特に、柳剛流剣術の中でも断脚の術の精華といえる2つの形、「青眼右足刀」と「青眼左足刀」の理合と実際の操刀について、丁寧に稽古・指導する。

 単に形の手順として跳び違い脚を斬るのでは、武術としての剣術ではなく、見世物や自己満足の剣劇になってしまう。

 仕太刀と打太刀が共有する三次元的な「場」において、飛び違うべき理があるから飛び違い、脚を斬るべき理があるから脚を斬るのである。

 このような形の理合を、理屈ではなく実際に木太刀を打ち合うことを通じて身体で感得し、その「場」で求められる拍子と間積もり、そして位を磨いていくのが、武術の形稽古なのだ。

 資料を読み、動画を見て、それで分かったような気になっているだけでは、本物の「術」を体得することはできない。



 武蔵野をわたる心地よい春風に吹かれながら、蒼天の下で長木刀を存分に振るい、柳剛流の稽古に没頭する。

 ああ、私は幸せだ。

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▲柳剛流剣術 「中合剣」


 (了)

力でねじ伏せろ/(身辺雑記)

2018年 03月15日 23:58 (木)

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 今年最初の書籍の締め切りが、いよいよ佳境である。

 本日も、すでに14時間、原稿を書いている。

 働き方改革、万歳!!

 明日中に、あと16ページ書かねばならないのだが、さて、本当に間に合うのだろうか?

 死に物狂いで力でねじ伏せるべし。その先に勝利あり。ただ、死ぬような思いをスルヨ、とのご神託である。

 とりあえず、柳生心眼流の稽古をしてから寝よう。

 オヤスミナサイzzzzzz。

 (おしまい)

『女殺油地獄』/(身辺雑記)

2018年 03月12日 10:28 (月)

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 過日、国立劇場で近松門左衛門作の人形浄瑠璃『女殺油地獄』を鑑賞。

 文楽の近松作品は、最近では昨年『曽根崎心中』を楽しんだが、本作の鑑賞は初めてである。

 『女殺油地獄』は、松田優作主演のドラマ版を、随分昔に見た記憶がある。また、子供の時分から、オドロオドロしいタイトルのインパクトが強烈で、何か淫靡な話なのだろうか? などと、幼い妄想を巡らせたものだ(苦笑)。



 本作はタイトルが有名なわりには、近松の世話物の中ではマイナーな作品だったそうで、江戸時代の初演後、長らく文楽では上演されず、再演されたのはなんと昭和、しかも戦後になってからなのだという。

 たしかに、本作は放蕩息子によるDV、借金による強盗殺人など、封建的・儒教思想の江戸時代の常識では、相当刺激的な内容であり、修身的な思想が厳しかった明治・大正・昭和初期の世相にも、あまりマッチしない作品だったろう。

 一方で、平成時代に生きる人間の視点で見ると、主人公である油屋のバカ息子・河内屋与兵衛のダメ人間さ、強いものには媚びへつらい弱い者には暴力を振るうクズっぷり、姉のような存在のお吉に返す当てもない大金を無心するという甘えた根性、そして金の無心を断られると殺して奪うという短絡性といった人物造形が生々しく、弱さゆえの悪、悪ゆえの弱さは優れて現代的だ。

 こうした物語の現代性・普遍性に加え、文楽の大きな魅力は無機物である人形が、人形遣いの手にかかったとたん、本当に生きているかのように動き、泣き、笑い、苦悩する、ある種魔術的な「業」にある。

 今回の上演では、与兵衛の人形遣いは吉田玉男、女房お吉は吉田和生であり、ことに殺しのクライマックスである「豊島屋油店の段」は、比喩ではなく本当に息をのむほどの名演であった。

 また、妹おかるは人間国宝である三代目・吉田蓑助が務め、圧倒的な存在感を示していた。

『南無阿弥陀仏』と引き寄せて右手(めて)より左手(ゆんで)の太腹へ、刺いては抉り抜いては切る、(略)、打ち撒く油、流るる血、踏みのめらかし踏み滑り、身内は血潮の赤面赤鬼、お吉が身を裂く剣の山、目前油の地獄の苦しみ、(略)、菖蒲刀に置く露の魂(たま)も乱れて息絶えたり。(床本より)




 血糊もなにもなく、ただ人形の動きだけで、血の池地獄のような凄惨な殺しの場を表現する、人形遣いの業の冴え。

 圧倒的な声量と情感で、むせび泣くように無常を謡う太夫と太棹。

 本当に至福の時であった。

 文楽は、いいぞ。

 (おしまい)

柳剛流剣術の術理/(柳剛流)

2018年 03月09日 10:27 (金)

 柳剛流の最大の特長は、相手の脚を斬る「断脚之術」である。

 これは「足斬り」だとか「脛斬り」として、時代小説などのフィクションで触れられることも多く、広く世間に膾炙した当流のイメージであろう。



 一方で、他流の武術・武道人や研究者も含めて、ほとんどの人が柳剛流の実技を知らないために、「足斬り」「脛斬り」として珍妙な業の解説や考察がいくつも流布している。

 特に多いのが、帯刀した状態からいきなり足に抜き付けるというものだ。

 試みにグーグルを使って「脛斬り」で検索をすると、どこの流儀の人なのか不明だが、こうした抜き打ちでの脚への斬りを写真入りで解説した上で、

相手の脛が切れるポジションをとるということは実のところ目の前に剣先がくる位置になる。(http://www4.big.or.jp/~suguha/mbn/fumei/sune/sune.htm



 として、「これでは頭が斬られてしまう」と、疑義を呈しているページまである。



 これまでもたびたび本ブログで指摘しているが、相手の脚を斬る技というのは、実は柳剛流に限ったものではなく、たとえば駒川改心流や直心影流、力信流や天然理心流など多くの剣術流派にみられる、ありふれた技だ。

 しかし、柳剛流の「断脚之術」が優れているのは、

1.脚にいきなり斬りつけるといった単純な「技」ではなく、打太刀との攻防の中で相手の脚を斬るべくして斬る、脚斬りに至るまでの「作り」「掛け」「斬り」の理論と実践が「形」として構築され、一連の実技・心法・口伝を包括した「術」として成立していること。

2.脚を斬る際、我の真向を斬ってくる打太刀を防ぐ「術」が明確に示されていること。

3.切紙から目録の教習の中で、上記の理論と実践が「形」を通してはっきりと示され、基本から応用まで段階を追って学べるようになっていること。

4.形稽古だけでなく、撃剣(撓での自由攻防)においても臑当てをつけて打ち合う稽古をすることで、融通無碍な「業」を磨かせたこと。



 以上の4点にある。


 こうした柳剛流の術理からみると、帯刀状態からいきなり抜き打ちに相手の脚に斬りつけるようなものは、「術」どころか「業」以前の基本動作に過ぎない。

 このような初歩的な動作をもって柳剛流の「断脚之術」を語られるのは、心血をそそいでこの術を編み出した流祖に対して、まことに失礼な話しだ。

 一方で他流や一般の人たちに、このような誤解や予断を持たせておくのは、一瞬の勝負で死命を決する兵法としては、重要な「勝口(カチクチ)」のひとつでもあろう。

 なにしろ我々一党は、そのような業の遣い方はしないのだから。



 いずれにしても、柳剛流祖・岡田惣右衛門が編み出した「断脚之術」は、単純に抜き打ちで相手の脚を斬るような初歩的な「技」ではなく、剣と武の理論・実践を包含した奥深い「術」であることは、流儀の末席を汚す者として、何度でも明言する次第である。

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▲柳剛流剣術 「右剣」


 (了)

夜、手裏剣を打つ/(手裏剣術)

2018年 03月08日 01:36 (木)

 今晩は手裏剣を打つ。

 拙宅内のため2間しか間合いがとれないので、座打ちに専念。跪坐や折敷いての打剣では、下半身の力を使ってしまうため、正座にて。

 この状態で、ようやく立打ちでの3間相当の難易度に近くなるというわけだ。

 4寸的へ集剣すべく半刻ほど打剣を凝り返す。

 剣尾の巻物がもうボロボロなので、そろそろ巻き直さねばならぬ。

 そういえば、最近はとんと飛刀術を稽古してなかったのだが、たまには脇差も打っておかないと腕が錆びついてしまう。

 しかし、飛刀術の稽古は的がすぐにダメになってしまうのが難点だ。

 1間半以内からだと重量畳でも貫通してしまうし、合板にマットを張った的などは簡単に打ちぬいて壊れてしまうのである。

 そんなこんなで、もう1年近く脇差は打っていなかったのだが、今週末の翠月庵の稽古では、久々に飛刀をやろうかね。


▲飛刀術・切先返し。脇差を抜刀して受け流し胴突き、踏み込んで1間超の間合いから手裏剣に打つ。5年前(!)の映像・・・・・・

 (了)


 

「備十五ヶ条フセギ秘伝」の課題/(柳剛流)

2018年 03月07日 10:52 (水)

 昨日は終日出かけていたので、帰宅後、短期間であるが、柳剛流の備之伝、備十五ヶ条フセギ秘伝、そして剣術の形稽古をサラッと行う。

 時間がない時の、お約束メニューである。



 これまで何度か本ブログでふれたが、柳剛流の備十五ヶ条フセギ秘伝は、さまざまに変化する相手の構えに対して、それぞれの構えに対応した必勝不敗の構えをとるという、目録で伝授される口伝である。

 これについて、最近、ある課題を感じている。

 本来の「フセギ」では、相手のAという構えに対してBの構えを、Bという構えに対してはCの構え・・・・といった具合で対応するのだけれど、いざ、実際に相手を立てて稽古をしていると、逆転現象が起きてしまうことがある。

 たとえば、上記の様に、AにはBが勝ち、BにはCが勝つという場合、相手がBという構えをとった場合、こちらはCという構えで対応するわけだが、どういうわけか相手のBという構えに対して、なぜか負けてしまうAという構えをとってしまうことがあるのだ。

 言ってる意味、分かります・・・・・・?

 じゃんけんで言えば、グーにはパーが勝ち、パーにはチョキが勝ち、チョキにはグーが勝ちますね。

 そこで、たとえば相手がグーを出したらこちらはパーを出す、相手がパーを出したらこちらはチョキを出す、相手がチョキを出したらこちらはグーを出す。

 いわゆる「あと出しじゃんけん」というやつですが、これを剣術の構え(攻防)において意図的に行うのが、柳剛流の「備十五ヶ条フセギ秘伝」なわけです。

 ところがこの「フセギ」の稽古をしていると、どういうわけか相手がグーを出しているのにわざわざチョキを出してしまう・・・、相手がパーを出しているのになぜかグーを出してしまう・・・、ということがちょくちょく起きるのである。

 思うにこれは、

 グー>チョキ
 チョキ>パー
 パー>グー

 という個別の相対的な関係を、勝ち・負けという「思考」で判断して行動しているために、とっさの行動になると相対的な価値判断が混乱してしまうからなのではないか?

 おまけに、じゃんけんのあと出しは3パターンしかないが、柳剛流の「フセギ」では15パターンを覚えなければならない。

 これはなかなか大変な課題であるが・・・・・・、やるしかない(苦笑)。

 朝鍛夕錬、ひたすらフセギを反復し、相対稽古でランダムな相手の構えに対応する動きを繰り返し、「思考」を「反射」へ止揚しなければならないのである。



 「思考」から「反射」へという「備十五ヶ条フセギ秘伝」の鍛錬が求めるものは、いわゆる非打や砕といった形式の古流剣術の鍛錬と同様のものであり、形稽古と自由攻防である撃剣(試合稽古)の橋渡し的な意義を持つ、武術には欠かすことのできない重要な稽古過程だ。

 また、「フセギ」の稽古を通じて、このような独自のメソッドを考案した流祖・岡田惣右衛門の非凡さを実感するとともに、200年以上も前の時代を生きた流祖の思想に想いを致することができることも、古流の武術を稽古する醍醐味といえるだろう。

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 (了)

一足立ち/(柳剛流)

2018年 03月04日 00:01 (日)

 毎週土曜日は、午後から翠月庵の定例稽古なのだが、本日は所用のためお休み。

 このため、夜、拙宅にて自主稽古。

 今晩は柳剛流長刀(なぎなた)の稽古を中心にやろうと思ったのだが、心眼流の素振りで体を温め、次いでまずは柳剛流剣術の形を始めたところ、思うところがあり気がつけば剣術の稽古だけで終了時間となってしまった。

(拙宅屋外での稽古は団地の私道で行っているのだが、さすがに23時以降は自粛している。そして、7尺を超える長刀を振るう稽古は、当然ながら屋外でないとできないのである)

 これまで、柳剛流剣術の打太刀の動きにある一足立ちの動作について、ずっとしっくりいかない点があったのであるが、今回の稽古でふとひらめくものがあり、わずかだが体の遣い方を修正すると、数年に渡って感じていた「違和感」を、劇的に正すことができた。

 この気づきのために、本日は長刀の稽古にまで至らなかったのである。



 稽古を終えて部屋にもどり、師に打太刀をとっていただいている写真を確認すると、「やはりこれだ!」と本日の気づきを確信することができた。

 流祖伝来の形を真摯に繰り返すことで、頭ではなく体の感覚でこうした気づきを得る事ができるのが、古流の稽古の醍醐味だ。

 そしてまた、ほんのわずか数センチ単位の体の遣い方で、「術」が成立するか、しないかの違いが生まれるところに、武術の奥深さがある。

 本日は、短い時間ながらもよい稽古ができた。

 そして明日こそは、長刀をやろう(苦笑)。

1705_松代演武_柳剛流左剣
▲師の見事な一足立ちに比べ、自分は未だ遠く及ばないものの、今日の気づきを大切に、さらに柳剛流の研鑽に励まなければならない


 (了)

演武小考/(武術・武道)

2018年 03月02日 11:58 (金)

 3月、弥生である。いよいよ、春だ。

 春は、私にとっては演武の季節である。

 4月には苗木城武術演武会(岐阜県)、5月には富士北口諏訪明神社奉納演武会(山梨県)と松代藩文武学校武道会武術武芸会(長野県)がある。

 私が参加する武術の演武会は、上記以外には、秋にもう1度行われる松代藩文武学校武道会武術武芸会のみで、合計して年間4回である。

 上記演武会は全て翠月庵の稽古場がある埼玉県外での開催なので、できれば年に1回くらいは埼玉県内で何がしかの演武を行いたいとは思うのであるが、いまのところ、その「場」と「機会」がない状態だ。

 年にたった4回の演武だが、私としてはこれくらいがちょうどよいのかなとも思っている。

 私にとって武芸の演武は、神前での奉納にしても、観覧者向けのものであっても、心法の在り様は「真剣勝負」だと捉えている。

 ゆえに、演武に向けては万全の調整をした上で、形而上・下いずれにおいても、その時の自分が発揮できる最高の業前を披露できるよう心掛けている。

 だからこそ演武修了後の心身の消耗はなかなかなもので、それを年に10回も15回も、あたかも興行のようにこなすことは到底無理だ。



 これまで何度か、公開の場で外国人を中心とした観光客を対象にした、手裏剣術や剣術の演武と体験のための指導をしてくれないか、という依頼がきたことがある。

 しかしいずれの場合も、 日本の伝統文化である武術の普及啓発というよりも、テーマパークの観光客向けチャンバラ・ニンジャショーといった趣きの営利目的であることが明白だったことから、丁重にお断りした。

 最近、外国人訪日客が激増する中、この手のショーやイベントが各地で増えているようだが、私個人としては、自分が心血を注いで研究・編纂・稽古してきた武術としての手裏剣術や、流祖・岡田惣右衛門から脈々と受け継がれてきた柳剛流の業を、そのような見世物まがいの金儲けのネタにするというのは、到底考えられない。

 仙台藩角田伝柳剛流では、「武術は暴を誅し乱を救う、仁義の具である」と諭している。

 あるいは、武州松田源吾伝の柳剛流では、「 武術之儀は国之護り」としている。

 そのような武芸を、物見遊山で飲み食いをしている人々の前で、見世物として披露し対価を得るというのは、流祖から我が師に至るまで、八代・二百有余年に渡って柳剛流を伝承してきた、歴代師範や流儀の先人たちへの冒涜以外の何ものでもないだろう。

 そもそも柳剛流の起請文には、「仮に親兄弟のためといえども、やたらに他見・他言すべからず」という誓いが記されており、営利目的での武技の公開というのはありえない事なのだ。



 ところで先日、国立劇場で近松の文楽『女殺油地獄』を鑑賞したのだが、それは私の観劇歴の中でも一二となるような最高のひと幕であった。

 文楽をはじめ、能・狂言、歌舞伎といった伝統芸能は、観客から金銭をいただいて磨きぬいた芸を披露するものである。

 ただし、そこには演者と観客との間に静かな緊張感と形而上での火花が散るような位取りがあり、加えて見る側に演者の技芸を賞翫できるだけの観の目と耳、そして伝統文化に対する深い敬意と理解があるからこそ成り立つ、芸術であり娯楽なのだ。

 一方で幇間芸からはじまった落語は、その出自からか、今でも飲食・酒席の場での芸の披露をいとわないが、それでも小三治や歌丸といった当代の名人クラスの高座や独演会で、主任の長講をワンカップ大関とあたりめを手にし、酔いころ加減で噺を聞くような剛毅な落語ファンは、あまりいないだろう。

(鈴本はまだ、客席で飲酒可だったっけ?)

 このように、他者に「観せる」「聴かせる」ことが前提の芸能でさえも、その披露の「場」には、彼我の(心地よい)緊張関係とたしなみ、気づかいが求められる。

 いわんや、本質的に人の死命を制する技芸であり、本来は他者に見せるべき「術」ではない武芸の演武では、より高いレベルでの厳しさと節度が求められるのは言うまでもない。



 ゆえに当庵は、興行のような営利目的での演武は行わないし、飲食・酒席の場での武技の披露などはしない。

 一方で、真摯に学び次代に向けて流儀を伝承していこうという志を持って門を叩く人には、術技と口伝を惜しむことなく伝授する次第である。

1709_松代演武_柳剛流長刀
▲柳剛流長刀(なぎなた)の演武 (打太刀:小佐野淳師 仕太刀:瀬沼健司)


 「道は秘するにあらず。秘するは、しらせむが為也」(兵法家伝書)


  (了)

深夜、心眼流の形を打つ/(身辺雑記)

2018年 03月01日 01:03 (木)

 再び3月中旬に向けて、原稿ラッシュとなっている。

 このため、本日も業務終了は0時近く・・・・・・。

 明日に備えてさっさと一杯ひっかけて寝てしまいたいところであるが、気力を振り絞り稽古着に着がえて小半刻ほど稽古。

 今晩は柳生心眼流に集中。

 先日の本部稽古で師よりご指摘いただいた点に留意して、表・中極・落・切の形を打つ。

 次いで、実践応用技法の取口を復習。

 柳生心眼流の素振り(形)は、口伝を受けることで1つ1つの動きがそのまま実践的な技法に繋がっていくのが、たいへんに興味深い。

 なかでも、山勢厳流しにより入身し当て倒す技法群や前周転巻きからの当て、そして心眼流独特の重ね当ては、必ず自分の得意技にしたいと思う。


 
 さて、ひと風呂あびて眠るとするか。

 (おしまい)