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柔らかな言葉の“手触り”~『忘れられた巨人』/(書評)

2018年 02月28日 00:01 (水)

 流行りものにはできるだけ背を向けたい生来の天邪鬼で、しかも四十路を過ぎてからは、読書はもっぱらドキュメントか古典中心であり、東直己と長野まゆみ以外、ほとんど小説は読まなくなった。

 しかし昨年末から、ちょっと思うところがあって、カズオ・イシグロを積極的に読もうという気持ちになった。

 とはいえ、ほとんど就寝前の睡眠薬という感じで、数ページ読んでは寝てしまうというありさまであり、『私を離さないで』を正月休みに読み、年明けから読み始めた『忘れられた巨人』を、ようやく先日読了した。


 カズオ・イシグロの作品は、それぞれに時代背景や設定などが全く異なるのが特徴ということで、上記2冊もかたや現代~近未来(?)が舞台であり、かたやアーサー王と円卓の騎士たちの時代の物語であった。

 内容としても、一方はSF仕立て、一方はファンタジー仕立てと、作品世界には何の共通性も関連性もないのであるが、どちらの作品も、使われている言葉がおしなべて丁寧であり、華美でなく簡素で、そしてなにより柔らかい“質感”を感じさせることが、たいへん好ましかった。

 こうした言葉の“手触り”が、作品本来のもち味なのか、あるいは訳者の日本語のセンスによるものなのかについては、私はまったく英語を解さないので判断できない。

 しかし、連日12時間以上机に向かい、1文字5円や10円の俗っぽい日本語を絞り出しながらキーボードにたたきつけていると、就寝前に読むカズオ・イシグロ作品の言葉や言い回しが、とても脳髄に優しく心地よかった。



 この2つの作品を比較すると、『私を~』は受容と諦念の物語であり、『忘れられた~』は赦しと記憶の在り様を問う物語であった。

 忘れられた「巨人」とは、いったい何なのか?

 我われは、すでにその巨人が目覚め荒々しく跋扈する世界に生きているだけに、物語の世界を旅する登場人物ひとりひとりの抱える悲しみや怒り、絶望や希望をありありと感じることができたように思う。

 そしてまた、「忘れる」という人間の行為の持つ意味を改めて考えさせてくれた、哀しくも心地よい読書体験であった。

忘れられた巨人


 (了)
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2月の水月塾本部稽古~柳剛流、柳生心眼流/(武術・武道)

2018年 02月26日 17:43 (月)

 昨日は水月塾本部での稽古。

 今回も埼玉支部門下のU氏とともに甲州へ。

 まずは私とU氏共に、師である小佐野淳先生に柳剛流の稽古をつけていただく。

 私は剣術・突杖・長刀(なぎなた)を、U氏は剣術を、それぞれ師に打太刀を執っていただき、手直しをしていただいた。

 次いでU氏は、八戸藩伝神道無念流立居合を、師より直接指導していただく。

 一方で私は、柳生心眼流の稽古。

 関西支部長の山根章師範に相手になっていただき、表・中極・落・切と、素振28ヶ条を相対で打ちながら、師に細かな手直しをしていただいた。


 昼食後は、関西地域の古流武術を精力的に調査・研究されている、姫路支部長の西躰勇師範が持参された貴重な伝書類などの史料を拝見、師のご解説を伺う。

 そして午後の稽古。

 U氏は以前から稽古を希望していた金鷹拳を、師より指導していただく。

 一方で私は、引き続き山根師範に組んでいただき、柳生心眼流の「取放」、「取返」の各7ヶ条14本を稽古。

 さらに今回は師より、新たに「小手返」7ヶ条を伝授していただいた。

 その後は約束組手の形式で、柳生心眼流の様々な実践用法について、師のご指導をいただきながら打ち込み稽古を繰り返す。

 今回は、特に細かな用法や口伝を教えていただき、非常に学びの多い稽古となった。

 稽古の最後は、師と山根師範による天道流剣術の形を拝見。

 精妙を極めた非常に高度な剣の理合を感じさせる、静謐かつ緊張感あふれる「業」と「術」の数々に思わず息をのむ、たいへん貴重な見取り稽古をさせていただいた。

 

 稽古後は、いつものように師に同道させていただき、各支部の皆さんとともに居酒屋にて小宴。

 我ら埼玉支部のうわばみ2匹は、師のシーバースリーガル/ミズナラをがぶがぶと飲みほし、良い頃加減の千鳥足で坂東への帰路についた。

 (了)

武芸者の一分/(身辺雑記)

2018年 02月23日 12:01 (金)

 過日、国立劇場で近松の『女殺油地獄』を観賞。最高に素晴らしい文楽体験となった。

 ことに「豊島屋油店の段」は圧巻の出来栄えであり、息を飲むとはこのことか! といった、至福のひと時であった。

 詳しくは、また項を改めて書こうと思う。



 25年の取材記者人生で、これまで1対1でインタビューをした人の数は、ざっと1,000人は余裕で超えている。

 これだけの数になると本当にいろんな人がいて、ラーメン屋の頑固おやじから国会議員、大学出たてのシステムエンジニアから離島の医師、幼稚園の熊さん組の幼児から引退した大学病院の名誉教授まで、実にさまざまな年齢・職種・階層にいる人と、初対面の上でアイコンタクト&フェイス・トゥ・フェイスで話しを聞いて、それを文字にして世の中に送り出してきた。

 これだけ雑多な人にインタビューをしていると、当然ながら自分とは考え方が異なる人、相性の悪い人、いけ好かない人もいた。

 しかし、こちらはプロのモノ書きであり、しかも出版社なり制作会社から依頼を受けてインタビューと原稿執筆を行っているのだから、基本的には相手を非難するようなものではなく、良いところ引き出す記事を書いてきたし、そういうスタンスで取材・執筆に臨んできた。

 ところが先日、いままで25年間のライター生活で、唯一、「俺はコイツが嫌いだ・・・」と心の底から思う相手についての仕事の依頼を、受けざるをえないことになってしまった。

 私の場合、普通ならこういう場合は丁重に仕事をお断りするのだけれど(だから儲からない・・・)、今回はどうしても断れない編集者や制作会社への義理としがらみがあったわけで、それがなければどれだけ原稿料を積まれたとしても、絶対に断っていた案件である。

 フリーランスの記者とて、業界の人間関係や義理を無下にしては、生きていけないのだ。

 では、なぜ私がその相手のことが心の底から嫌いなのかというと、拝金主義で権威主義で無礼で他者の傷みの分からないヤツだからである。

 たいがいの場合、どんなに性格の合わない相手でも、あるいは主義主張が異なる相手でも、じっくりと話しを聞けば1つぐらいはリスペクトできる点があるものだが、今回の相手にはそういったものが1つも感じられない。

 故に、いっこうに筆が進まず、難渋をしている。

 心に嘘は、つけないものだ・・・・・・。



 拝金主義の世の中である。

 若い頃は、「金で買えないモノはない」といった言葉に対して非常に強い反発を感じ、「この世には金で買えないモノが必ずあるはずだ!」などと、青臭いことを常々考えていたものだ。

 武術・武道という、おおよそ金儲けとは対極にある技芸に人生を打ち込んできたのも、そういった心持ちの現れのひとつなのかもしれない。

(世のなかには一部、武芸を金儲けの道具にしている者もいるが、思うに、どうせ金儲けをするのなら、もっと費用対効果の高い方法があるだろうにと思う)

 しかし半世紀も生きていると、「世の中のたいがいのモノは、お金で買える」という事実をしみじみと思い知らされるし、認めるか認めないかは別にして、それに気づかないと社会人としてかなり生きづらくなってしまう。

 そうはいっても、やっぱりあからさまに金儲けを称賛しない「廉恥心」は失わずにいたいし、やっぱり心の底では「金で買えないモノもある」と信じたい。

 そういう意味で、たとえば武芸にしても、あるいは冒頭に記した文楽をはじめとした伝統芸能にしても、これらは何千何万何億円を積んだとしても、学ぶ側に熱意があり、努力を積み重ねて弛まず長い年月に渡って稽古をしないと、見事な「業」や「術」、そして「位」を得る事はできない。

 こうした在り様が、伝統芸の素晴らしさのひとつだと私は思う。

 武道の名誉何段だとか古流武術における金許しの免許皆伝だとか、そういったものもあるけれど、実力の伴わない金や地位で得た段位や位階というのは、真面目な修行人たちからは鼻で笑われるだけの「値札」に過ぎず、そのカッコ悪さに気づかないのは当の本人だけなのだ。

 また、技芸の師範という立場で考えると、やはり何千何万何億円を積まれたとしても、「教えたくないヤツには教えない!」という自由がある。

 相手が首相だろうが大企業の社長だろうが、「顔を洗って出直してこい!」とか「おととい来やがれ!」とか「あんたに教える業なんかねえよ!」と言えること、ここに武術・武道人の心の一分、精神の自由があるわけだ。

 ま、首相や大企業の社長が、私の所に武芸を学びたいと願い出てくるかどうかは、定かではないが・・・・・・。

 しかしまあ実際には、「1億円出すから教えてください」と言われたら、たいがいのことは教えてしまうだろうことも、私自身も含めた浮世で生きる人間の悲しい性(さが)である。

 上述した、私が心の底から嫌いな人物が、「いますぐキャッシュで5億円お渡ししますから、柳剛流と手裏剣術を教えてください、お願いします」と三つ指ついて頭を下げてきたら、はたして私はそれを断れるだろうか?

 多分、教えちゃうんだろうな・・・・・・(涙)。

 生きていくというのは、切ないものだネ。


 「けがさじと 思う御法のともすれば 世わたるはしとなるぞ かなしき」
                       (『山上宗二記』より)


 (了)

柳剛流の重層的な稽古体系/(柳剛流)

2018年 02月22日 00:58 (木)

 本日も仕事が夜半まで押してしまったため、拙宅内にて柳剛流備之伝、備フセギ15ヶ条秘伝、そして剣術と居合、突杖の稽古を行う。

 以前まで深夜の室内での稽古では、剣術にせよ居合にせよ、跳び違いの際の足音や衝撃が課題であった。

 しかし、師よりご指導いただいた柳剛流居合における口伝の鍛錬法の成果で、最近になってようやく、深夜の屋内でも足音や衝撃をあまり気にせず、跳び違いができるようになってきた。



 本ブログでもたびたび指摘してきた通り、総合武術である柳剛流は、剣術~居合~長刀(なぎなた)の「術」が、それぞれ連関し円環していることが特長で、剣術の鍛錬のために居合があり、それらを仕上げるために長刀があり、長刀に熟練することで剣術がさらに深まるという、重層的な稽古体系の構造となっている。

 稽古を通じて、柳剛流は剣・居・長刀がそろうことで初めて、その「跳斬之妙術」と「断脚之術」が活きた業として磨かれていくのだということを、しみじみと実感できる。

 一方で、これらの技術的な連環から外れている柳剛流突杖(杖術)は、未だ剣に熟練していない初学者、往時の農民や町人でも比較的容易に習得できる、即応性の高い武技として位置づけられているように思われる。

(とはいえ突杖の技法が簡単だというわけではない。むしろある意味で、剣術や居合以上にシビアな難しさを秘めているともいえる)

 そして殺活術は、免許者が武芸者として嗜むべき秘伝として伝授されたのであろう。


 全体として形の数こそ少ないものの、こうした重層的な古流武術の術技を、系統立てて学ぶ事ができるというのは、総合武術たる柳剛流の大きな魅力といえるだろう。

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▲柳剛流免許秘伝の長刀「左首巻」

 (了)

悪所通いの報いか・・・/(身辺雑記)

2018年 02月21日 22:08 (水)

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 終わることの無い激務による体調不良で免疫が低下。

 若い頃の悪所通いの報いか、ついに花柳病を発症してしまった・・・・・・。



 というのは真っ赤な嘘デス。

 先日、台所で揚げ物を作っていたらウズラの卵が破裂してしまい、油が跳ねて顔に飛んできた。

 咄嗟に手で払って避けたため、思い切り馬手に油を浴びてしまった次第。

 これぞまさに、『男殺油地獄』である。

 ちょっと調べたところ、ウズラを揚げていて破裂した黄身の破片が目に入ってしまい、失明してしまった料理人もいるとか。

 飛んできた油の塊(熱した油は跳ねると塊になって飛んでくる!)を右手で払ったものの、結局、飛沫になった油が目にもかかってしまったのであるが、幸いなことにメガネをかけていたので大事無かった。

 近眼&老眼で良かったヨ。

 なんというか、刺客に遠当ての術を喰らったような気分である(爆)。

 しかし、こりゃあ痣が残るな、きっと・・・・・・。

 いずれにしても、調理中の油跳ねにはご用心。

 跳ねるのは、柳剛流の跳び違いだけで十分である。

 (おしまい)

夫れ武は仁義の具、暴を誅し乱を救う/(柳剛流)

2018年 02月17日 01:28 (土)

■2018.8.4 一部加筆訂正


 柳剛流の伝書は、流祖・岡田惣右衛門が学んだ心形刀流の影響が強く、たとえば流祖直筆伝書や岡田十内系、泉冨次師範以降の角田伝の柳剛流目録の前文などは、その多くが心形刀流の伝書の文言とほとんど同じである。

 一方で、同じ仙台藩角田伝でも、その祖であり柳剛流の正当な2代目でもある一條(岡田)左馬輔直筆の目録伝書の文言は、心形刀流のものとは異なる。

 一條左馬輔直筆の伝書については、切紙の文言は小川重助系統の切紙と、目録については岡安貞輔系と同じ文言であるが、免許巻については(今のところ私が確認している限りでは)、他の伝系の伝書に同種の文言を見ない独自性の高いものだ。

 一條左馬輔筆の免許伝書の文言が非常に独自性が高い事、しかし後年の角田伝の伝書は、切紙・目録のいずれも江戸の岡田十内系とほぼ同じ文言に変化していることは、いずれも非常に興味深く、今後の調査・研究課題のひとつである。



 その上で、一條左馬輔の記した伝書の文言は、簡潔で分かりやすく、剣の理合や武芸者としてのあるべき姿を、誰にでも理解できる分かりやすい言葉で指摘しており、とても好感が持てると私は感じている。

 たとえば、「武術・武道を修行する目的とは何か?」というのは、今も昔も、武芸に携わる人間が抱える普遍的な命題である。

 これについて、左馬輔は次のように明快に語る。

夫れ武は仁義の具。暴を誅し乱を救う。皆民を保つの所以にして仁義の用に非ざるなし。(「柳剛流免許之巻」より。以下、同じ)



 さらに、そのような「武」のあるべき姿について、以下のように諭す。

是を以て之を用うるに仁・孝・忠なれば即ち天下の至宝なり。之を用うるに私怨奸慝(かんとく)なれば即ち天下の凶器なり。※奸慝(よこしまな隠れた悪事)



 じつに明快な考え方であり、実直な教えだ。

 そして左馬輔は、

故に剣法を知り至誠偽り無きの道、以て謹まざるべけん哉。



 と結ぶのである。

 また、これは以前にも本ブログで紹介したが、勝負に臨んでの心法について左馬輔は、

敵の盈虧(えいき)を察し、必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ。何を以てか之を譬えん。其の際に髪を容れるべからず。※盈虧(満ち欠け)(「目録之巻」より)



 と喝破する。

 この、「必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ」という心法は、普段の稽古において私はいつも念じ、門下へもこの心法を第一に指導している。

 相手に勝とうという気持ちを棄て、ただ自然に剣の道理に従って術を遣う。

 その「術」が剣の道理、実の道に背いていなければ、おのずから勝ちを得ることができるのだ。

 こうした剣の理は、言葉こそ違えど平山子竜の言う、

其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ。(「剣説」)



 と、通じる所は同じであろう。



 私は(想定としての)闘争においては、

 「相手に勝とうと思う必要はない。ただ、自分も死ぬが必ず相手も殺す。多勢に囲まれて打ち殺されるとしても、必ず一人は道連れにして殺す。闘争における必勝の勝口は、この気勢を持って対するのみである」

 と常々考えており、門下にも稽古を通じてこうした心法を錬るよう指導している。

 武芸における強さとは、綺麗ごとや理屈ではなく実体として、最終的には術技の巧緻を超えた、「一人一殺」「一殺多生」の心法に収れんするのではあるまいか?

 その気勢を錬るために、我々は何千何万何十万回と、流祖以来連綿と伝えられてきた「形」を日々繰り返し、「術」を磨き続けるのだ。

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▲柳剛流居合 「向一文字」

 (了)

メメント・モリ/(身辺雑記)

2018年 02月16日 12:08 (金)

 本日は確定申告の提出開始日。

 昨日、1日がかりで書類をまとめ、先ほど提出を終えた。

 それにしても、2017年も1年間、馬車馬のように働いてきたが、沈没寸前の出版業界の不況の影響で、年収は右肩下がりである。

 出版不況と武術・武道の関係でいえば、先月9日、『剣道日本』の発行元であったスキージャーナル株式会社が、約4億円の負債で破産した。

 昨今の出版業界の不況と紙媒体の凋落を考えれば、むべなるかなというところだ。

 東京商工リサーチの報道によると、スキージャーナル社は、


平成4年5月期の売上高は約16億5,000万円を計上していたものの、近年は出版不況による発行部数の減少に歯止めが掛からず売上が落ち込み、27年5月期の売上高は約5億5,500万円に低下。その後も業況が好転せず、資金繰り悪化から債務の支払遅延なども発生し、29年12月8日に資金ショートを起こしていた。



 のだそうな。

 売上が最盛期の3分の1では、倒産もやむをえまいと思う一方で、業界全体の落ち込み方も似たようなものだと実感する。

 私のようなフリーランスの記者の原稿料をみても、たとえば旅行ガイドブックでは平成7年ごろ、取材なし・執筆のみで1ページ1万2,000円だったギャラが、平成30年現在、同じ条件で1ページ3,000円程度にまで下落している。

 或いは、比較的不況の影響を受けにくい医療専門誌の原稿料も、平成12年ごろは取材・執筆込み4ページ12万円程度だったものが、今は同じページ数で6万円以下だ。

 一文字換算の原稿料で考えると、平成20年ごろまでは1文字10円の仕事は安すぎて断っていたのが、いまや1文字4円とか3円の仕事などざらである。

 つまり、私のような個人事業者レベルで考えても、近年の売上高は最盛期の2分の1から4分の1に低下してしまっているわけで、スキージャーナルの減収と同じような状態なのだ。

 それでもなんとか借家の家賃を払い、スーパーの見切り品の刺身を肴に紙パックの安酒で酔っ払い、一方で稽古場を維持し、必要な武具を用意し、思う存分武芸に打ち込んでいられるのはなぜか?

 原稿料が3分の1や2分の1に下がった分、30代の頃の2倍も3倍も働いてしているからだ。

 これは正直、後2年で五十路を迎えようという初老の男には、結構つらい。

 若い頃のように、毎日12時間・1週間ぶっとうしで原稿を書くとか、1週間通しでの地方取材とか、1日5人続けて一人1時間のインタビューとかいうのは、体力的にも精神的にもそろそろ限界である。

 それでも、これくらいハードな仕事をしないと、15年前の年収は維持できないわけだ。

 もう1つ、今のような経済状態でもなんとか人並みの生活が維持できているのは、養うべき家族がいない独り者だからである。

 現状の年収では、とうてい子供に十分な高等教育を受けさせられないし、奥さんと一緒に銀座の『BEIGE ALAIN DUCASSE TOKYO』での外食など絶対に無理である(爆)。



 かつて、同じ学校で出版人を志した仲間の多くは、出版不況の悪化にともなって転職し、出版業界から去ってしまった。

 この25年間で、失踪したまま行き方知れずになってしまった者や、自ら命を絶ってしまった者もいる。

 とはいえ、この仕事は誰に強制されたわけでもなく、売文稼業を選んだのは自分自身であるし、四半世紀に渡って業界に踏みとどまっているのも自分の意思だ。

 そもそも、五十路にならんとする潰しのきかないフリーの記者の転職先など、ほとんど無いのが現実なのだが、誰か年収800万円くらいでいいから雇ってくれんもんだろうかネ。

 あるいは、月謝1万円で弟子が100人くらいいれば、経費を差っ引いても余裕のある生活ができるのだがナ・・・・・・(苦笑)。



 この先、どこまで売文業で食っていけるか分からないし、最終的には私のような零細自営業者の場合、高齢になり仕事が無くなれば、満額でも月々6万4,000円の国民年金しか収入がない状態となる。

 それどころか私の場合、若いころは無頼三昧なその日暮らしで年金を払えなかった時期があるので、年金の受給額は毎月2万円強にしかならないし、資産や貯金は現時点で皆無である。

 こうした状況を鑑みた上で、医療・介護・社会福祉領域を専門とする記者として自分の将来を客観的に推測するとだね、宝くじでも当たらない限り、私の老後は生活保護&孤独死が100%確定しているわけだ。

 それでも私は今、きちんと税金や社会保険料などの支払を済ませ、自分で稼いだ金で酒を飲み、柳剛流をはじめとした古流武術や手裏剣術の稽古と研究に打ち込み、自分の稽古場で門下への指導を行い、月に一度親しい人と好きな歌舞伎や文楽と食事を楽しむことができる、ささやかなこの暮らしに結構満足している。

 その上で、最終的には孤独死する覚悟は、とうの昔にできている。

 あるいは西部邁氏ではないが、状況と必要によっては自裁という選択もありだろう。

 ちなみに死後、自分の死骸や貰い手のない家財道具等を処理してもらうための最低限の資金確保は、必ずあらかじめしておきたいものだ。

 死んだ後にまで、世間様にご迷惑を掛けてはならぬ。立つ鳥跡を濁さずである。

 私の場合、今のところ県民共済の死亡保障で、自分の死体の後片付け等の代金は賄える予定だ。



 そんなこんなで、今日も今日とて原稿を書きまくり明日を生き抜くための金を稼ぎつつ、木太刀を執って柳剛流の稽古に勤しむわけだ。


 「吾れ死なば焼くな埋むな野に晒せ 痩せたる犬の腹肥やせ」
                         (小野小町)

 
   (おしまい)

或る茶会/(武術・武道)

2018年 02月15日 12:13 (木)

 過日、とある茶会の記事を読んだ。

 その茶会では、衆人環視の中、裸体の女性を器に見立てて菓子を盛り、手前を行ったのだという。

 またこの茶会の亭主は、政府や海外の要人を招いた茶会も催している高名な人物だそうな。

 ま、日本は自由の国であるし、本来茶の湯というものは、もてなしのために「作意」の新しさを工夫するものであるが、これほど侘茶の志からかけ離れた、見世物としての茶事も珍しいのではあるまいか。

 かつて山上宗二は、

我が茶湯をば取り乱し、天下へ出で、坊主顔する者は、梅雪同前なり。



 と、世におもねる茶湯者を厳しく批判した。

 また『南方録』には、

思ひ々々さまざまの事をたくみ出し、古伝にちがいたること、いくらと云数を知らず。十年を過ぎず、茶の本道捨たるべし。すたる時、世間にては却つて茶の湯繁昌と思べきなり。ことごとく俗世の遊事に成りてあさましき成りはて、今見るがごとし。



 とある。

 もっとも、利休や宗二が求めた「修行得度」としての茶の湯など絶えて久しいのであろうし、ならば裸の女性を茶室に入れるといった常軌を逸した茶事を、利休直系の流派の名のある師範が行うというのも、むべなるかなと思う。

 そういえば数年前ある雑誌で、茶室内で半裸の男が打刀を脇に置いて茶を服している写真が掲載されたことがあったが、これなども茶の湯の伝統と精神を根底から冒涜する、あまりにも酷い演出写真であり、その撮影意図に首を傾げたのは私だけではあるまい。



 さて、翻って武術・武道の世界でも、見世物まがいのパフォーマンスで、衆人の耳目を集めようとする人々がいる。

 それはそれ、何をしようが公共の福祉に反しさえしなければ自由であり、私には関わり合いのないことだ。

 しかしグレシャムの法則を持ち出すまでもなく、そういったあさましい行為が日本の武術の伝統だと、世間一般の皆さんに誤って認知されてしまうようであれば、それはまことに困った事であり、斯界の末席を汚す者として憂慮に堪えない。

 「悪貨は良貨を駆逐する」というようなことにならないよう、心から願う次第である。

 (了)

柔(やわら)の稽古/(古流柔術)

2018年 02月13日 09:21 (火)

 昨晩の稽古は柔術を中心に行った。

 といっても、自宅での自主稽古なので相手がいない。

 捕りにせよ受けにせよ、柔(やわら)の稽古というのは、相手がいないとままならないものなのであるが、こうした点で、柳生心眼流は素振りがあるのでありがたい。

 まずは、表、中極、落、切と、素振り二十八ヶ条を行う。

 元々空手道で培われた打撃感覚が強かったこともあり、心眼流を習い始めた当初は、その動きになかなか体の感覚がなじまなかったのであるが、最近になってようやく、心眼流の素振りが体になじみ始めてきたかなという感覚が(わずかだが)してきたように思う。

 当身についても、当初は独特の柔らかい握りに対する違和感が強かったが、最近では掌と拳それぞれの特長を兼ね備えた心眼流独特の握拳で、「当てられるな」という実感が少しずつ育ってきた。

 次いで、取放と取返の各七ヶ条を復習。さらに、実践応用稽古を行う。

 柳生心眼流の体動のある部分は、柳剛流剣術に含まれる体術的技法にも通じるところがあり、その辺りについても念頭に置きながら稽古をする。

 心眼流に続いては、水月塾制定日本柔術。

 初伝逆取から中伝逆投までの動きを、単独動作で復習する。

 ここで、当身の部位を確認していた時にふと思ったのであるが、楊心流系の殺では、右肋は「稲妻」または「電光」、左肋が「月影」というのが一般的だが、柳剛流の殺活術では、右肋は「右脇」、左肋が「稲妻」となっていることに改めて気づく。

 この点は注意しておかないと、「稲妻」の部位を混同してしまいそうだ。

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▲仙台藩角田伝柳剛流の殺活術では、右肋は「右脇」、左肋は「稲妻」と称す。これは昭和14(1939)年の伝書でも、文久2(1862)年の伝書でも同様である


 稽古の〆は柳剛流の殺について、当身の単独動作を行いながら部位を確認。

 仙台藩角田伝柳剛流の殺十八ヶ条に加え、武州岡安伝柳剛流の殺十三ヶ条と五ヶ所大當も復習する。

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▲武州岡安伝柳剛流の殺活術に伝えられた「五ヶ所大當」


 現在、私の武術修行の本義は柳剛流と手裏剣術であるが、そもそも自分の武術修行の始まりは12歳から始めた柔術であったこともあり、柔の稽古は実に楽しく興味深い。

 幸いなことに、今年からは翠月庵でも門下諸子とともに柔術の稽古がしっかりとできるようになったので、今後もさらに稽古を積んでいきたいと思う。

 (了)

幕間、希望と追憶/(身辺雑記)

2018年 02月12日 10:22 (月)

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 世間様は3連休なのだなということを、今朝、改めて知った。

 私は今日も、ひたすら原稿書き。



 昨晩、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を読了。

 静謐な良作であった。 


 (おしまい)

稽古時間の延長/(武術・武道)

2018年 02月10日 23:30 (土)

 昨年まで翠月庵の定例稽古は、毎週土曜の午後3時から5時までの2時間だったのだが、この1月から開始時間を1時間早め、午後2時から5時まで3時間、稽古を行っている。

 これは近年、当庵で指導および稽古する内容が増えるなか、従来の2時間の定例稽古だけでは十分な指導や稽古がままならないなと感じていたからである。



 そこで今年から定例稽古の開始時間を1時間早め、基本的に柔術1時間、手裏剣術1時間、柳剛流1時間というような割り振りで稽古を行うようにしている。

 これにより、たとえば手裏剣術の稽古では、みっちり1時間手裏剣を打つことができ、門下に対しても2~3間の基本打ちに加え、移動しながらの打剣の基本である運用形や刀法併用手裏剣術を、時間に余裕をもって指導することができるようになった。

 柔術や柳剛流についても同様で、稽古時間に余裕がある分、これまで以上にひとりひとりの門人に丁寧な指導ができるようになったと思う。



 本日も、まずは野天に敷いた茣蓙の上でたっぷり1時間、当て、投げ、抑え、固めて、柔術の稽古。

 ま、一応まだ、コンクリートの上でも受け身くらいは取れるけれども・・・・・・などと見栄を張りつつ、地べたの上で柔術の稽古をしていると、内心、「畳というのは、ほんとうに柔らかいものだな・・・」としみじみ思うわけだ(爆)。

 その後は、手裏剣を2~5間間合いでビシビシと打ち込むこと30分。

 次いで、帯刀した状態から手裏剣を打ち抜刀する、刀法併用手裏剣術の指導を30分。

 そして柳剛流剣術と突杖について、ひとりひとりの門下を相手に、休むことなく打太刀を執る事1時間。

 本日は特に、目録・柳剛刀の一手である「無心剣」をじっくりと指導。

 柳剛流剣術の業の中でも、特にこの無心剣は、気押しと位取が重要になる、難しい形のひとつである。

 それだけに、何度も繰り返し、丁寧に指導する。



 こうして3時間の稽古は、あっという間に終了。

 欲を言えば柳剛流の稽古は、さらにもうプラス1時間くらいやりたいのであるが、さすがにそれは諸般の事情で難しいところである。

 その分、門下諸子も、私自身も、稽古場以外での日々の自主稽古を、欠かさぬようにしていかなければならない。

 (了)

小渕観音院の柳剛流奉納額の願主は、松田源吾ではない/(柳剛流)

2018年 02月08日 19:38 (木)

 ひと様の誤りを、逐一あげつらって訂正するというのは、なにやら底意地が悪いようであまり気が進まない・・・・・・。

 気が進まないのだが、流儀に連なる者として、間違った史実が流布されるのを見過ごすわけにはいかないので、まるで意地悪な小姑みたいでなんだが、こうしてつらつらと、ネット上の柳剛流に関する間違いを指摘するわけだ。

 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

 といった心持ちである。



 さて過日、ツイッターで、moroさんという方が、埼玉県春日部市にある小渕観音院に掲げられている柳剛流の奉納額について、つぶやかれていた。

 https://twitter.com/morokoshoten/status/961256850686541824


 このつぶやきでは、奉納額の願主を松田源吾だと記しておられるのだが、そうではなく、

 奉納の願主は、岡安英斎(禎助)だと考えられる。

 この奉納額については、以前、本ブログにて詳細を紹介しているので、まずはそちらも参照されたい。

 「柳剛流の奉納額(その2)」 2016/03/28(Mon)
 http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-895.html

1603_小渕観音奉納額2
▲小渕観音院に掲げられている柳剛流の奉納額


 さて、この小渕観音院の柳剛流奉納額は、現在、長年の風雨の影響で額文はまったく判別できなくなっている。

 しかし幸いなことに、大正7(1918)年に刊行された『吉田村誌』に、この額文の翻刻が記されている。

 さらにその翻刻も含めた『吉田村誌』の全文が、平成13(2001)年に発行された『幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手』(幸手市教育委員会編)に掲載されている。

 また、これらを元にした額文の翻刻は、平成20(2008)年に刊行された辻淳先生の『幸手剣術古武道史』にも掲載されている。

 これら史料の記述によれば、この奉納額が献納されたのは慶應2(1866)年であるが、松田源吾はその14年前である嘉永5(1852)年に、すでに亡くなっている。

 また、額文の翻刻には願主の氏名に関する記載はないものの、柳剛流が流祖・岡田惣右衛門から松田源吾、そして岡安英斎と受け継がれ、英斎の門下は数百数千に及ぶ興隆ぶりであり、神と師の恩に報いるために、この額と2口の剣を奉納する旨が記されている。

 さらに額文には記されていないが、この奉納額が献納された慶應2年は、岡安英斎の嫡子である禎三郎が、父より柳剛流の免許を允許された年でもある。

 このように、

1)松田源吾はこの額が奉納される14年前に死去している。
2)額文では流祖~松田源吾~岡安英斎という、3名の道統と来歴が記されている。
3)額文では岡安英斎一門の興隆が、具体的に記されている。
4)額が奉納された慶應2年は、岡安英斎の嫡子・禎三郎が柳剛流の免許皆伝となった記念すべき年である。



 以上の点から、本奉納額の願主は松田源吾ではなく、岡安英斎であるとするのが最も自然であろう。

1603_小渕観音奉納額4
▲辻淳先生の『幸手剣術古武道史』に掲載されている、額文の翻刻


 本来は私が直接、moroさんに、こうした内容をツイッターでお伝えするべきなのであるが、私はツイッターは閲覧専門で書き込みなどはしていないので、本ブログにこのように書いた。

 縁があれば、ネット上を巡り巡って、先様に正しい情報が伝わるであろうし、できればそれを願っている次第である。



 それにしても、柳剛流に関する正しい情報の発信や、通説の誤りの訂正などについて、どうすればより良いのかを考える今日この頃である。

 とはいえ、あくまでも私の本義は、柳剛流の実技の研鑽と伝承であり、史実の調査研究や啓発活動はあくまでも二義的なものだ。

 大切な事は、師より受け継いだ仙台藩角田伝 柳剛流の「業」と「術」を、見事なものに磨き上げ、その実技をひとりでも多くの門人に伝えていくことである。

 こうした実伝を通じて、流儀の正しい伝承や史実も、門人たちに併せてしっかりと伝えていくことが、結局は最善の方法なのであろう。

 流祖・岡田惣右衛門が編み出した柳剛流の「断脚之太刀」を学びたいという志のある人には、私たち武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部の門は、いつでも広く開かれている。


 ■参考文献
 『幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手』(幸手市教育委員会編)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳著)

 (了)

ありがとうございます/(柳剛流)

2018年 02月06日 22:50 (火)

 先日、本ブログにて「松平主税助の流儀は「柳剛流」であり、流祖の諱は「奇良」である」という記事を書き、神無月久音さんがツイッターでまとめられていた剣豪ランキングに含まれる、松平主税助や岡田惣右衛門に関する一部記述について指摘をさせていたいた。

 その上で、先ほどツイッターを閲覧すると、さっそく訂正をしてくださったとのこと。

 神無月様、ありがとうございます。

 また、やはりツイッターにて、みんみんぜみさんが、「今回のランキングは、ネット検索ヒット数の集計なので、「奇良」よりも「寄良」の方が多くなっているのだ」と、ご解説くださっており、なるほどと得心いたしました。

 みんみんぜみ様、ありがとうございます。

 私としましては、柳剛流に関する正しい情報が、より多くの皆さんに伝わるようになればうれしいという気持ちのみですので、今回、差し出がましい事を申しまして恐縮でしたが、ご寛恕いただければと思います。



 こういうメッセージこそツイッターで書けばよいのですが、私はツイッターは閲覧専門なので、こちらにてお二方にお礼申し上げます。

 翠月庵 瀬沼翠雨 拝

 (了)

本日終業後、茶を喫して想う/(身辺雑記)

2018年 02月05日 00:10 (月)

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 さて、日付も変わったことだし、稽古して寝るか・・・。



 けがさじと思う御法のともすれば
             世わたるはしとなるぞかなしき(慈鎮和尚)


 (了)

大寒雑感/(身辺雑記)

2018年 02月04日 11:05 (日)

 風も無く朝から陽ざしも温かい日曜日だが、私は今日も仕事だ。

 今月も休みは合計2日間しかなく、月末までに解剖生理学の単行本の原稿を100ページ書き、医療雑誌のインタビュー記事を3本まとめ、某通信大手の幹部にインタビュー取材を行い、某流通大手の福利厚生関連の冊子のコラムを書き、横浜の旅行ガイドブックの編集をしつつ、インバウンド向けの飲食店の紹介記事を90軒分(!)書かなければならない。

 もちろん、全部自分一人でだ。

 こんなに休む間もなく働いているのに、暮らし向きはいっこうに楽にならず、今日も玄米粥と卵焼きとおこうこの食事、晩酌は月桂冠糖質ゼロのぬる燗とモウカザメの煮つけで糊口をしのいでいるというのは、実に不可解である。

 たまには、外神田の「いし橋」のすき焼き(霜降り)コースとか、丸の内の「アンティカ・オステリア・デル・ポンテ」の季節のシェフおすすめノルチャ産黒トリュフディナーコース・アップグレードなんぞを堪能したいものだが、そんなことよりも、このクソ寒いのにシャワーからお湯が出なくなりつつある、我が家のぶっ壊れた40年物の風呂釜を交換せねばならぬ。

 ちなみに風呂釜の交換代は、20数万円だそうな・・・・・・。

 このような生活の中、一方では日々、柳剛流を中心に、柳生心眼流、水月塾制定日本柔術、神道無念流立居合、荒木流抜剣、手裏剣術、空手道の稽古に勤しみつつ、週末には翠月庵で門弟に指導を行い、本部稽古にも参加をする。

 要するに何が言いたいかというと、今月も私はたいへん忙しいにもかかわらず、ちっとも儲かっていないということだ(爆)。

 ならばこんな駄文を朝から書かずに、さっさと某医療法人の理事長のインタビュー音源のテープ起こしを始めればよいのだけれど、そこがそれ、人間という生き物の一筋縄ではいかないところで、こんな天気の良い日曜の爽やかな朝に七面倒くさいテープ起こしなどを始める気分にもなれず、駄文を書くことで現実逃避をしてるわけである。



 さて、

 昨日は翠月庵の定例稽古の日であったのだが、私にどうしても外せない急な仕事関係の所用が入ってしまったことと、たまたま門弟もみな所用や病欠で稽古には不参加であったことから、急遽、定例稽古は休みとした。

 その分、夜の拙宅での稽古は、いつもよりも長めに行う。

 まずは鏡に映った己を相手に、柳剛流の備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古を行う。

 この、柳剛流独特の稽古法は、一人稽古でもあるいは相対稽古でも、実に良い稽古法だなと思う。以前にも書いたかもしれないが、私見するに、この稽古は形稽古と撃剣の稽古をつなぐ位置づけにあるように思える。

 また、太刀筋や位詰というものについても、この稽古は深く考えさせてくれるものだ。

 次いで剣術。

 基本であり極意でもある「右剣」と「左剣」から、当流極意と言われる柳剛刀6本までの形を、先の本部稽古で師より指摘された点に留意しつつ丁寧に行う。

 最近ようやく、足で地を蹴らずに太刀の道に従った飛び違いが多少はかたちになってきたが、ちょっと油断をすると、すぐに足で地を蹴ってしまう。

 かつて、無敵の女武芸者・園部秀雄に「跳斬之妙術」と言わしめた柳剛流の飛び違いを、自分がどこまで体現できるのか?

 突き付けられた課題はあまりにも厳しく難しいが、それを目指して精進を重ねるしかない。

 次いで突杖。

 剣術や長刀と異なり突杖については、ここ数日、どうもしっくりと行かない・・・・・・。しかしそれも、稽古を通して解決していくしかないだろう。

 そして、長刀(なぎなた)。

 長刀も剣術と同様、太刀の道に従って飛び違うことで、地を蹴ることなく正しく飛び違うことができるということを実感する。

 また、長刀での飛び違いを十分に錬った上で剣術に立ち返ると、さらに剣術での業=形の遣い方が見えてくる。

 これぞまさに、総合武術である柳剛流の面目躍如といったところだ。

 稽古の〆は、殺活術の部位をおさらいしつつ、その部位への当ての単錬。

 なおこの柳剛流殺活術に関しては、「活」は師よりの実伝であるが、「殺」については角田伝及び武州・岡安伝の伝書を参考に私が勝手に稽古しているもので、師伝のものではない。

 このことは、本ブログでもたびたび記述しているけれど、改めて明言しておく次第である。



 稽古後、節分の夜ということでささやかに豆をまく。

 しかし「鬼はそと」は唱えず、「福はうち」のみを唱える。

 これで「おにた」も、引き続き我が草庵に、居着いてくれることだろう。

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 (おしまい)

松平主税助の流儀は「柳剛流」であり、流祖の諱は「奇良」である/(柳剛流)

2018年 02月03日 12:20 (土)

 ツイッターで神無月久音さんという方が、ネット上での剣豪の知名度ランキングというのを集計・発表されていて、「ほほう」っと思い、楽しく閲覧させていただいた。

 その中に、松平主税助の名前があり、「おお、こんなマニアックな柳剛流の剣客も入っているとは!」とうれしく思ったのだが、なんと流派名が柳剛流ではなく、制剛流になっているではないか!

 この方は、古流剣術について詳しい方のようなので、おそらく間違いというより誤字・入力ミスの類だと思うのだけれど、それにしてもまことに、いやまったく、まことに無念である・・・・・・(涙)。

 松平主税助の流儀は「制剛流」ではなく、「柳剛流」です!!

 よっぽど直接メッセージを送るかなにかしようかと思ったのだけれど、私はツイッターは閲覧のみで、書き込みなどはまったくしていないし、そもそも書き込みなどの仕方がよく分からない。

 リツイートと返信の違いって、何なの?

 ま、今のところは、そのようなツイッターの使い方を覚えようとも思わないので(私には、もっと他に覚えなければならないことや、やらなければならないことが山ほどある)、代わりにここに記しておく。

 縁があれば、ネット上を巡り巡って、先様が間違いに気づいてくれるかもしれないことを期待する次第である。

 繰り返しますが、

 松平主税助の流儀は「制剛流」ではなく、「柳剛流」です。



 また、やはりこのランキングの中に、柳剛流祖・岡田惣右衛門の名も揚げられているのだけれど、これまたまことに残念なことですが、名前(諱)が間違っている・・・・・・(涙)。

 岡田惣右衛門の諱は正しくは「奇良(よりよし)」なのだが、ここでは誤って「寄良」とされているのである。

 岡田惣右衛門の諱は、「寄良」ではなく「奇良」です!!!

 流祖の正しい諱については、石川家文書をはじめとした古文書や、全国に3つある江戸から明治にかけて建立された流祖の頌徳碑といった一次史料によって、

 「寄良」は間違いで、正しくは「奇良」である


 ことが十分に確認され、森田栄先生や辻淳先生などの柳剛流に詳しい研究家の皆さんも、その旨を指摘・公表しているにも関わらず、世間的にはなかなか正されずに誤った文字による諱が流布しているのは、本当に無念である。



 そういえば、ウィキペディアにも、松平主税助(松平忠敏)の記載があるのだけれど、剣客としていささか否定的なニュアンスで書かれていることが気になる。

 松平主税助は、柳剛流祖・岡田惣右衛門の弟子であった直井勝五郎の門下として柳剛流を修め、安政3 (1856)年に講武所剣術教授方に、さらにその後、講武所師範役に昇進し、旗本としては最高位の諸太夫従五位下上総介に任じられている。

 このように、松平主税助は柳剛流の歴代剣士の中でも、名実ともに有数の剣客であるにも関わらず、ウィキペディアの記述では、

 「剣豪タイプの人というよりは官僚的な旗本」

 「後世には相当な腕の剣客としての虚名が広がるようになる」



 と、ずいぶん否定的なニュアンスで書かれているのである。

 それにしても、「虚名」というのは、まことに失礼極まりないと思うのは私だけだろうか?

 そうまで書くのなら、ぜひ、その「虚名」とやらの根拠を知りたいものだ。

 史料価値や信憑性の低いネット百科の記述とはいえ、こうした根拠のない誹謗中傷は、それこそ「司馬遼太郎の呪い」の二の舞になりかねない。

 とはいえ、ツイッターと同様、ウィキペディアについても、私は編集の仕方など全く分からないし、いまのところ編集の仕方を覚えるつもりもないので(私には、もっと他に覚えなければならないことや、やらなければならないことが山ほどある)、代わりにここに記しておく。

 縁があれば、ネットを巡り巡って、誰かが間違いを正してくれるかもしれないことを期待する次第である。


「平日に咄しするとも真剣と
            思うて言葉大事とそしれ」(柳剛流 武道歌)



 (了)

司馬遼太郎の呪い~柳剛流へのデマや誹謗を考える~/(柳剛流)

2018年 02月01日 11:06 (木)

 ネット、なかでもツイッターで「柳剛流」というキーワードを検索すると、ヒットするのはほとんど漫画に関するツイートで、武術としての柳剛流に関連するものはとても少ない。

 しかも、その数少ない武術関連の柳剛流に関するツイートも、柳剛流の実技を知らない人々による伝聞や推測に基づいた、誤ったものがほとんどだ。

 このためいまだに、

「柳剛流は、なりふり構わず足を狙う」

 とか、

「柳剛流は江戸の剣客のなかでは評判がよくない外法(げほう)とののしる者もあり、『百姓剣法』と悪口する者もいた」

 とか、

「異様に長い竹刀で相手の足ばかりをねらうために、いかにもなりがわるく、観る者もそのぶざまさに失笑したり、それが意外にも勝ち進むために、ひそかに舌打ちをする者もあった」

 とか、

「柳剛流も、こうして他流のあいだで立ちあわせてみると、いかにも醜い。角力でさえ足を取るのはいやしいとされている」

 などといった、司馬遼太郎作のフィクションに基づいたデマや誹謗中傷が蔓延している。

 まったく、無礼な話である。

 そもそも司馬遼太郎の言うように、本当に柳剛流が「醜く」、「卑しい」、「外法の百姓剣法」であったとすれば、なぜそのような柳剛流を修めた松平主税助が、有為な武門の子弟に武芸を教授する、幕府講武所教授(剣術師範)なのだろうか?

 あるいは、我々の伝承している仙台藩角田伝柳剛流は、仙台伊達家臣中の一門筆頭である石川家(2万1380石)の剣術流儀だが、「醜く」、「卑しい」、「外法の百姓剣法」を、大名クラスの大身である石川家が、わざわざ御家の剣術流儀として採用するだろうか?

 このあたりをぜひ、シバリョウ先生に問いかけたいところである。

 できることなら、おっとり刀で駆けつけて苦言申し上げたいところであるが、シバリョウ先生はもう鬼籍に入られて久しいし、史実ではなく創作された物語を盛り上げるには、「醜く」「卑しい」「外法」の悪役が必要だということも、分からんでもない・・・・・・(苦笑)。



 これまでも何度か本ブログで指摘してきたが、柳剛流における脚斬り=「断脚之術」は、なりふり構わず足を狙うといった粗野なものではない。

 また、帯刀した状態から、あるいは抜刀して何らかの構えをとった状態から、いきなり体を沈めて相手の脚を斬るような底の浅い業は、柳剛流には1つとして無い。

 (なお、撃剣における勝口(かちくち)のバリエーションのひとつとして、たとえば上段から相手の拍子をはずして先をとり、いきなり足に打ち込むといった技が、ある程度有効であることは言うまでもない)

 そもそも、いきなり足に向けて斬ってくるような単純な脚斬りは、ある程度慣れてくれば、実は受けたり抜いたりすることはそれほど難しくないし、多少こちらの拍子が遅れてもよいので相打ちのつもりで頭や首、小手などを斬り伏せればよいだけのことだ。

 故に、「術」として相手の脚を斬るためには、斬るための「拍子」・「間積り・「位」が必要であり、それらによって作られた「場」と「彼我の接点」があるからこそ、我は斬られずに相手の脚を斬ることができるのである。

 この、斬るための拍子・間積もり・位は、柔(やわら)でいえば、いわゆる「作り」と「掛け」に当たる。

 このような「断脚之術」の理合の、基本と極意が余すことなく盛り込まれているのが、柳剛流で最初に学ぶ「右剣」と「左剣」の形である。

 だからこそ柳剛流の門を叩く者は、江戸の昔も平成の今も、まずこの2つの形を徹底的に練磨するのだ。



 一方で、世の中のイメージが、本来の業とはまったく異なるものとして多くの人に流布しているというのは、兵法としてはたいへんに好都合でもある。

 なにしろ、多くの人は、柳剛流は「なりふり構わず足を斬る」とか、抜き打ちにせよ構えた状態からにせよ「いきなり足に斬りつけてくる」と思っているのだ。

 そのように思い込んでいる相手には、そのように思わせておいて、脚など斬らずおもむろに面なり小手なり胴なりを斬れば良いのである。

 柳剛流の勝口は、脚斬りだけではないのだから。



 それにしても、司馬遼太郎や高野佐三郎が吹聴した柳剛流へのデマや誹謗中傷は実に根深い。

 それらを払拭していくことも、21世紀の今に柳剛流を伝承する我々の、使命のひとつであろう。

1706_柳剛流「右剣」
▲柳剛流剣術 「右剣」。脚を斬るためには、そこに至る「作り」と「掛け」が必要である。さらにこの状態から打太刀の正面切りに応ずる「術」も、形を通して学ぶのである


 (了)