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形の意味/(柳剛流)

2017年 11月17日 11:54 (金)

 先日の空手道の稽古にて。

 師範から仰せつかり、有級の方々にバッサイ(大)の形を指導する。

 皆さんすでにかなりの期間、バッサイの形の稽古をしているはずなのだが、何しろ週1回のしかも集団指導での稽古なので、残念ながらアラが目立つ。

 なにより、分解(形に表現された技の使い方)の意味を十分に理解していないので、形における一挙手一投足が、武技の体をなしていない・・・・・・。

 そこで途中からは、分解を中心に指導する。

 手刀受けの意味と使い方、掛け手の意味と使い方、突き受けの意味と使い方など、1つ1つの動きの基本的な意味と使い方を解説。

 中でもバッサイ大の特長的な技である、掛け手での一本取りからの関節蹴りについては丁寧に、応用も含めて解説したのは、いささか自分の趣味に走りすぎたきらいもあるかもしれない。

 応用の解説をしていくうちに、なんだかだんだん柔の技みたいになってしまったのは・・・・・・ま、流れ武芸者ゆえの暴走である。



 武芸の稽古では、あまり理屈優先になると、エセ評論家のような者を量産することになりかねないので注意が必要だけれど、一方で大人、特に中高年の人への指導では、その動作や動きの意味と使い方を適宜明確に解説・指導していかないと、当人たちのモチベーションも上がらないのではなかろうか?

 特に空手の形のように、極限まで「記号化」された動きの場合、稽古する者にいわゆる「観の目」がないと、動作の意味に思いが至らず、本当に単なる体操になってしまう。

 これは古流武術の稽古でも同じだ。

 若くてイキの良い青年に対しては、「がたがた言わずに、右剣と左剣の形を100万回繰り返せ!」とか、「あれやこれや考えるヒマが有ったら、居合の向一文字を千回抜け!」的な指導でもよいだろう。

 こうした問答無用の過酷な稽古は、武術・武道人にとって、いずれかの時点で必ず1度は経験しておくべきことであるし、適切に行われれば、その効果も非常に大きい。

(逆に言えば、この手の稽古は適切に行われないと、単なるシゴキやイジメ、スリコミや洗脳の道具に堕してしまうので注意が必要である)。

 しかし一般的には、ある程度理屈の分かる中高年の稽古者や、すでに武芸の素養のある人に対しては、個別の技、運足や体捌き、運刀、そして形の原理や意味、使い方について、流儀の掟が許す範囲でできるだけ分かりやすく解説することが、指導する上で重要なのだと思う。



 柳剛流で考えれば、なぜ初学者は、最初に剣術の「右剣」と「左剣」の形を学ぶのか?

 指導する者は、その意味と目的、効果や効用について、弟子に明確に説明できなければならない。

 なぜ、柳剛流では脚を斬るのか?

 なぜ、飛び違いながら斬るのか?

 なぜ、「右剣」と「左剣」の次に居合を学ぶのか?

 なぜ、目録で学ぶ「柳剛刀」6本の形を当流極意というのか?

 なぜ、免許秘伝が長刀(なぎなた)なのか? 

 柳剛流を指導する者は、これらにすべてについて、その意味と目的、効果や効用について、弟子に問われれば明確に分かりやすく答えることができ、しかも当然ながらそれらの業について、武技として十分に実践できなければならない。

 その上で己も弟子も、これらの鍛錬の涯てに、万古不易の「天地の道理」を見いだす。

 武術を稽古し、それを人に教え、次代に伝えるという行為の真面目とは、そういうものではないだろうか?


 ~花紅葉冬のしら雪時しそと
           思えばくやしいろにめてけり~(柳剛流 武道歌)



 (了)
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