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残心と止心/(武術・武道)

2017年 09月01日 10:57 (金)

 初心者への指導というのは、たいへんだなあと思う。

 翠月庵で柳剛流と手裏剣術を稽古している者は、全員が(といってもわずか5人だけれども・・・)何がしかの武術・武道の師範か有段者なので、稽古以前の武術・武道の所作だとか、常識的な武具の扱い方などについては教える必要がない。

 これは、たいへんらくちんなことである。

 当庵では、入門を経験者に限定しているわけではなく、全くの初心者や武術・武道の未経験者でも、その人が望めば誰でも入門できるのだが、そうった場合、稽古着の付け方から正座の仕方、武具の取り扱いや基本的な礼法から教えなければならないとなると、「結構たいへんだよな・・・」と思う。

 ま、もちろん初心者には、袴の付け方から丁寧に教えますので、ご心配なく。



 過日、本部で外国人の初心者と柔術の稽古をしていた際、残心をまったく意識していないようだったので、度々注意した。

 もっとも、私は英語が喋れないので残心の意味を彼に説明することができず難渋したのであるが、見かねた師がその場で彼に説明をしてくださり、彼もようやく理解できたようである。

 とはいえ、日本語を解する日本人としても、「残心」というのは、奥深い難しいテーマである。

 武術・武道における残心は、一義的には、業が極まった後も対敵意識を途切れさせず、いつ反撃されても対応できる心身の状態を維持することであり、流儀や会派を問わず、対敵技法たる武技を学ぶ上の基本中の基本といえる心法だ。

 武術・武道を嗜む者であれば、初心者でも有段者でも、あるいは名人達人に至るまで、「残心」という心法は不変不朽のものである。

 ところが先日、とある武術関係者がネット上で、「残心など不要」と発言しているのを見て、たいへんに驚いた。

 反撃どころか逃走もしない、意思も覚悟もない試し物を切ってばかりいると、こういう誤った考え方になってしまうのであろうか?

 もっともこれは、手裏剣術者も十分注意しなければいけないところで、試斬と同じように、動かず反撃も逃走もしない不動の的ばかりを相手に稽古していると、このような「対敵」という武芸の大原則を忘れた誤った考えに陥ってしまうことがあるので注意が必要だ。

 武芸を志す手裏剣術者は、常に「的は敵なり」(鳥取藩一貫流弓術)という教えを心に置いて、単なる的打ちに堕することなく、残心はもとより、拍子や間積り、位といった武芸の対敵概念をしっかりと学び、鍛えていく必要があるだろう。



 一方で「残心」というものは、稽古においては形骸化した所作や単純なルーティーンに陥りがちなものでもある。

 本来、「残心」とは術者にとっての内的な心法であり、それが動作に表れるか、表れないかは、あまり意味のないことだ。

 ここを勘違いすると、動作や所作そのものへの居着きや心の執着、いわゆる「止心」という状態となってしまう。

 この点について、たとえば武芸の古典である『天狗芸術論』の指摘する「残心」についての考え方は、中級以上の武術・武道人であれば、必ず一度は検討してみるべき含蓄のあるものだ。


一、問う。
諸流に残心といふ事あり。不審(いぶかし)、何を残心といふ。
曰く。
事(わざ)にひかるることなく、心体不動の所をいふのみ。心体不動なるときは応用あきらかなり。日用人事もまた然り。打ちあげて奈落の底まで打込むといふとも、我はもとの我なり。故に前後左右無碍自在なり。
心を容れて残すにはあらず。心を残すときは二念なり。又心体明らかならずして心を容れずといふばかりならば、盲打盲突といふものなり。明は心体不動の所より生ず。只明らかにうち、あきらかに突くのみ。是等の所かたりがたし。あしく心得れば大いに害あり。(『天狗芸術論』佚斎樗山)




 なお余談だが、この『天狗芸術論』は、最近では講談社学術文庫から分かりやすい訳注もついた形で発行されており、だれでも簡単に読めるようになったのは、たいへん喜ばしいことである。

 しかし、まことに残念なことに、某思想家氏が執筆している巻末の「解説」が、なんとも上から目線で面白くないのである(苦笑)。

 この人の解説さえなければ、本文庫は武芸の古典に気軽に触れられる、非常に質の高いオススメの1冊なのだが・・・・・・。

 閑話休題。



 武芸における「残心」というものは、あくまでも形而上の心法であり、それが形而下に表出していようがいまいが、そいうことは些末なことだ。

 しかし、「残心」という武芸の心法そのものを否定するのであれば、それは、自由な意志と必死の覚悟を持って我に迫る相手を制するという「武」の根本を忘れた、たんなる見世物や素人のチャンバラごっこと大差ないものであろう。

170901_柳剛流目録

 (了)
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