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Protect yourself at all times./(時評)

2013年 10月07日 21:27 (月)

 若い頃はバックパッカーで、ユーコン河流域やタクラカン沙漠などといった辺境地をうろうろしていたこともあり、一時私は、野外教育のインストラクターを目指そうかな・・・、などとバカなことを思っていた時期があった。

 このため、英国に本部がある由緒ある野外教育機関の日本校で、1週間の泊まりこみで野外教育者の養成コースを受講したことがある。その講習の中で、こんな課題の演習があった。

 「山中の登山道を数人の仲間と歩いていると、曲がり道の先にある崖の下に誰か人が倒れている! さて、君はまず何をなすべきか?」

 われわれ受講生は、野外教育者を目指すコースを受講するだけに、みな登山やスキーなどのベテラン揃いであり、上記の課題に対して「速やかにCPR(心肺蘇生法)を施す」という人がいるかと思えば、「自分たちパーティーのメンバーに迅速に役割分担を指示し、倒れている人を搬送する」などといった、手馴れた対応をした。

 しかしこれらの対応は、野外活動中のリーダーの対応としては、すべて落第である。正解は、

 「自分と仲間の安全の確保」

 である。応急処置も、搬送も、すべて自分たちの安全確保が十分になされた後に、行わなければならない。

 なぜ、曲がり道の先で、人が倒れているのか? その原因がはっきりするまでは、安易に現場に近寄るべきではない。

 そこには、火山性の有毒ガスが流れているかもしれない。あるいはそこは、落石の巣かもしれない。ナイフを持った犯罪者が近くに潜んでいたり、手負いの危険な野生動物が徘徊しているかもしれない・・・。

 だからこそリーダーとして異変を見つけたら、まず自分と仲間の安全確保を最優先にしなければならないのだ。

 そのためには、救助・救出を後回しにしてでもよい。最悪の二次災害を防ぎ、被害を最小限に止めるためにも、自分たちの安全確保は、最優先にされるべきであるし、それを指示するのがリーダーの責任でもある。


 「Protect yourself at all times」

 これは、映画『ミリオンダラー・ベイビー』で、クリント・イーストウッド演じる老ボクシングトレーナーが、若き女性ボクサーのヒラリー・スワンクに、繰り返し伝えようとした教えだ。

 この教えは、ボクシングに勝つためのアドバイスであることはもちろん、貧しい白人家庭に生まれ、たった一人で、怠惰で人間として最低な家族たちを支え、社会の片隅であがき続ける女性が、「過酷な社会でサバイバルするための掟」でもあるのだ。

 老トレーナーの教えを守り勝利を積み重ねることで、ボクサーとして、また人生の成功者として、絶頂を目の前にした彼女だが、一瞬、ほんの一瞬だけ、

 「常に自分を守る」

 という教えを忘れてしまう。

 その結果は、彼女にとっても老トレーナーとその友人の老ボクサーにとっても、あまりに残酷でほろ苦いものだった・・・。

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▲『許されざる者』にせよ、『グラン・トリノ』にせよ、生きることのほろ苦さと、
それに直面しても逃げない市井の人々の強さと寂しさを淡々と描いている
のが、イーストウッド作品の魅力だ。


 連日伝えられている鉄道事故と救出の報道を目にするごとに、わが身を挺して他者を救った人の自己犠牲の純粋さは多とするけれど、一方で残された家族のいたみを慮ると、「Protect yourself at all times.」という言葉の重みを改めて感じるし、大マスコミや政治家が俗っぽい美談調でメディアで取り上げることに、いささか違和感を感じる。


 われわれ凡人が、この悲劇から教訓を見出すとすれば、大切な人たちを守るためにも、「Protect yourself at all times」と心に刻むべきであろう。

 (了)
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質問力/(身辺雑記)

2013年 10月07日 11:08 (月)

 過日、とある著名研究者の講演会にいった。

 講演の最後、質疑応答の時間があり、何人かの受講者が「質問」をしたのだが、そのあまりのひどさに閉口してしまった。質疑応答とは、質問と回答のやり取りである。しかし、彼らの「質問」は、演者への問いかけではなく、そのほとんどが「自分語り」であった。

 その道の専門家に疑問を問いかけるのではなく、著名な演者に対して自分がいかに彼(講演者)を尊敬し崇拝しているのかを朗々と語る・・・。

 そりゃあ質疑応答じゃあねえだろう。

 しかし演者は、そんな愚問にも角が立たないよううまく応えていて、「さすがに著名人は、人あしらいがうまいのう・・・」と感心した。

 私が質問を受ける側だったら、「それは質問ではなく、あなたの感想ですよね?」とか言って、会場の空気をどんよりさせてしまうだろうなと思う。


 「質問」をするためには、疑問点や問題点を明確にし、なおかつそれを「コトバ」として他者に正しく伝えなければならない。そのためには、まず自分の課題(疑問・質問)を客観的に把握し、整理する必要がある。

 課題に対する認識力が未熟なうえに、それを伝える言語能力が低いのであれば、その問いは「質問」にはならず、限りなく「自分語り」になってしまうのも当然であろう。

 的確で簡潔な「質問」ができるかどうかで、その人の人間としての器量を推し量ることができる。

 ありていに言えば、どんな技芸の世界でも「ぬるい質問しかできないようでは、お里が知られるぜ」、ということだ。
 
 (了)