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地獄は一定すみかぞかし/(身辺雑記)

2019年 06月05日 22:50 (水)

 深夜24時。

 先週インタビューしたAIと医療に関するグラビア用の原稿を脱稿。

 いつもなら、ここで着替えて稽古なのだが、今晩はどうにもメンタル的な疲労感が強く、脳がワクワクするようなので稽古はサボり。

 さっと入浴をすませ、黒じょかに赤霧島の水道水割りをなみなみと満たし、ぬか床から上げたばかりのナスの漬けものを器に盛り寝酒。

 会津塗りの杯を傾けながら、しばし越路大夫の『加賀見山旧錦絵』の、長局の段を鑑賞する。

 酒精と昭和最後の名人である越路大夫の声が、原稿書きで亢進しすぎた脳を穏やかに鎮めてくれるようだ・・・。



 それにしても、『加賀見山旧錦絵』の悪役である岩藤は悪相だ。

 そして、こういう顔の人というのは、結構世の中にいる。

 ちなみに易者として言わせてもらうと、人形浄瑠璃の「頭」というのは、人相学的にも理にかなってるのである。

 私は卜占では「卜」が専門で、「相」はあんまりみないのだけれども、その人の心根の悪さだとか、秘めた悪行、ルサンチマンややましい思いというのは、本人の気づかないうちに必ずその人の顔に出るものであり、私程度の画相も読めないなまくら易者でも、その程度のことは分かるものだ。

 また、これは余談だが、房事過多は必ず顔に出る。

 これは一発で分かるので、気をつけた方がいい(苦笑)。



 いずれにしても、悪相はさらなる悪因縁を呼び込むので、40を過ぎたら男も女も、自分の顔つき(顔だちではない)には十分に気をつけるべきであろう。

 ま、因果は巡る小車の、地獄は一定すみかぞかし、ということだ。

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 (どっとはらい)
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「通し狂言 妹背山婦女庭訓」/(身辺雑記)

2019年 05月21日 22:35 (火)

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 数カ月前から楽しみにしていた、『通し狂言 妹背山婦女庭訓』。

 親しい人と連れ立って、第二部を鑑賞に行く。

 今回の席は、2列目ながら一番左端のため、太夫と三味線が座る床から遠く舞台の上手も見渡しにくいなあと思っていたのだが、災い転じて福となす。

 第二部冒頭の三段目「妹山背山の段」、通称「山」では、舞台の上手側にある床に加えて、下手の床にも太夫と三味線が座り、上手の「背山」と下手の「妹山」とで掛け合いながらの浄瑠璃となる。

 このため私たちの席の真横、手を伸ばすと届くところに下手の床があるのだ。

 そして、ここに座って三味線を弾くのは、人間国宝・鶴澤清治!

 いやまったく、距離1メートル足らずの本当に真横で、「闘う三味線」と言われた当代随一の太棹の名手の三味線が、その息遣いや掛け声と共に間近で聴けたのは、一生の思い出になったといって過言ではない。

 さらに、こちら妹山側の太夫は、個人的に応援している豊竹呂勢太夫、そして竹本織太夫。

 舞台に目を移せば、目の前の妹山側で人形を操るのは、人形浄瑠璃文楽のレジェンド・吉田蓑助と人間国宝・吉田和生!

 文楽のオールスターたちが、目の前に勢ぞろいだ。

 いやまったく、生きててよかったよ、ほんとマジで。



 そんなこんなで、興奮のうちに「妹山背山の段」は、あっという間に終了。

 そしてこの後、四段目「杉酒屋の段」からは、桐竹勘十郎が操る悲劇のヒロインお三輪にすっかり魅了された。

 本来、無機物である人形が、勘十郎の手にかかるとまるで生命が吹き込まれたようにしなやかに動き、慟哭する。

 恋に破れ、いじめられ、理不尽に命を奪われるお三輪の切なさに、すれっからしの流れ武芸者の心も震えたぜ。

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 ああ、文楽って本当にいいもんですねえ。


 (おしまい)

野暮と修羅/(身辺雑記)

2019年 05月07日 09:08 (火)

 いまに始まったことではないけれど、ツイッターやフェイスブックなどのSNS、あるいはウィキペディアのノートなどをつらつらとみていると、「修羅の巷だなあ・・・」としみじみ思う。

 社会問題にしても、趣味の世界の話にしても、また武術・武道界隈のことについても、おそらく互いに顔も知らないであろう人たち同士が、いわゆる「クソリプ」というやつを送り合いながら、たたき合い、そしり合い、あるいは承認欲求全開でマンティング合戦を繰り返しているのは、まさに21世紀の地獄絵図だ。

 一方でSNSでは、日常生活では巡り会えないような慧眼の士や、博覧強記な専門家の考えや見立てを見聞することができ、学ぶことも少なくないので、なかなか「もう二度と見ない!」とまでは割り切れない。



 つらつら思うに、ネットの修羅場というのは、結局各人の価値観の押し付け合いであり、自我のマウンティング合戦なのだろう。

 どんなに言葉を飾り立てても、その本質は、

 「もっと僕を見て!」

 「もっと私を大切にして!」

 「もっとオレを尊敬しろ!」

 「もっとアタシをもてはやして!」

 といった、まともな躾と教育を受けた人なら10代後半~20代前半位でしっかりと落とし前をつけているはずの、こっぱずかしい承認欲求や全開の自我である。

 そういうものを、分別盛りの大人がむき出しにしている様子を見るのは、なんとも痛ましい。

 「恥を知ること」

 廉恥心は、いつの時代も不易の美徳だ。



 ありていに言えば、個人の価値観を他人様に押し付けるから争いになる。

 しかもその押し付けの動機が「利得」ならまだしも、その人個人の「正義感」に基づいているから、さらに厄介なのだ。

 「自分の価値観で、他人をはからない」

 というのは、たぶん高校生くらいで感得すべき最低限の社会性だと思うのだが、実際はなかなかそういうわけにはいかない。

 自分自身を振り返っても、

 「なにやってんだ、オレは・・・」

 と思うことはいまだにあるし、たとえば本ブログでも、過去の記事を読み直していて、

 「ああ、恥ずかしい・・・」

 と思い至り、修正したり取り下げることもある。

 いやまったく、お恥ずかしい限りです。



 だからこそ、個人的に心がけているのは、

 「野暮なことはしない」

 ということ。

 あるいは、

 「野暮だねえ・・・」

 と言われないように、身を処したいということだ。

 面識もない相手にいきなりクソリプを送って悦に入るとか、マウンティングやパワハラ・モラハラを繰り返すなどというのは、まさに人として野暮の極みそのものであろう。

 一方で、野暮の対極にあるのが「粋」。

 そして、「粋」は「意気」だ。

 しかし他人様から、

 「あの人は、粋だねえ」

 と言われるほど格好よくは、なかなか生きられないというのも、50年もニンゲンをやっていると、だんだん分かってくる。

 何しろ「粋」というのは、「行き」があっても「帰り」がないので、勇み肌のおあにいさんたちならまだしも、私のような市井の凡人には、そうそう容易に体現できない「道」なのである。

 だからこそ、せめて他人様から、

 「野暮な奴だ」

 などと言われないように、清々しく身を処し、人に優しく自分に厳しく、爽やかでありたいものだと、しみじみ思う。

 そしてまあ、いざという時には、気っ風のいい啖呵のひとつやふたつ、さらっとぶてたら最高だ。

  
「なにをぬかしやがるんだ、この丸太ん棒め! てめえなんざあ、丸太ん棒にちげえねえじゃあねえか。血も涙もねえのっぺらぼうな野郎だから丸太ん棒てんだ。てめえなんざ人間の皮を着た畜生だ。呆助、ちんけいとう、株っかじり、芋っぽりめ! てめえっちに頭をさげるようなおあにいさんと、おあにいさんのできがすこうしばかり違うんだ。分かったかあ、このF*ck!」


 なんてね。

 (了)

逝きし世の面影/(身辺雑記)

2019年 04月30日 10:59 (火)

 今日で「平成」が終わり、明日から「令和」が始まるそうな・・・。

 「そうな」などと他人事風なのは、実際に他人事だからである。

 今日も仕事をして稽古をして酒を呑んで本を読んで寝て、明日も仕事をして稽古をして酒を呑んで本を読んで寝てと、元号が変わっても私の日常は、特段何も変わらない。



 とはいえ、30年以上続いた平成の世が今日で終わると言われれば、いささかの感慨はある。

 平成元年に、私は20歳となった。

 そして今年、50歳になる。

 つまり平成という時代とともに、私は二十代、三十代、四十代の30年間を過ごしたというわけだ。

 ひとりの人間にとって、20歳から50歳までの30年間というのは、人生の中心的な時期だといっても過言ではあるまい。

 私個人の平成史を超ざっくりと振り返れば、二十代は出版業界の門を叩いてフリーランスとして独立、30代は古流武術を離れて空手道に打ち込み、40代は手裏剣術を研鑽しつつ再び古流武術の門へ還ってきた。



 日本人男性の平均寿命が81.09歳。

 しかし、私のふた親はいずれも73歳で死んでいることから、自分もおそらく長くとも70歳くらいが寿命だろうなと思っている。

 その上で、武芸の実践者として、ある程度身体が動くのは、あと10年くらいだろうか・・・?

 そう考えると、もうあまり時間はない。

 ま、身体が利かなくなったら、武芸については後進の育成に専念しつつ、卜占や東洋医学の勉強を楽しみながら、心静かに暮らしたいものだ。



 なにはともあれ来るべき令和の時代も、座右の銘である「潜竜」の教えを我が心に置きつつ、限られた時間を大切に、仙台藩角田伝柳剛流を中心とした伝統武道の研鑽と伝承に努めていこう。


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潜竜用いるなかれとは、何の謂ぞや。
子曰く、竜の徳あって隠るるものなり。
世に易(か)えず、名を成さず、世を遯れて悶(いきどお)るなく、是とせ見(ら)れざれども悶るなし。
楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。
確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり。
(『易』 文言伝より)
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 (了)

とある休日/(身辺雑記)

2019年 04月24日 11:16 (水)

 昨日は約2カ月ぶりに、何も予定のない休日であった。

 午前中は、県立武道館で稽古。

 柳剛流居合と長刀(なぎなた)に集中する。

 昼過ぎに帰宅し、ホタルイカと焼きソラマメで昼酒。

 すべて世は、事もなし。

 ひと眠りしてから図書館へ行き、以前から読みたかった渡辺京二の『江戸という幻景』を借りる。

 帰宅後、長芋とオクラの素揚げをつまみに、赤霧島のお湯割りを飲みながら、つらつらと読み進める。

 いつの間にか、手枕で寝てしまい、目覚めればもう日付が変わっていた・・・。


 さて今日は、2カ月ぶりのインタビュー取材のため、これから築地の某新聞社へ。

 帰りはひさびさに、池袋の「うな鐵」にでも、寄ろうかねえ。


 (おしまい)