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検察庁法改正に抗議します/(時評)

2020年 05月13日 09:00 (水)

 今回の検察庁法正の問題点は、

「内閣の裁量で63歳の役職定年の延長、65歳以降の勤務延長を行い、検察官人事に強く介入できる」

 ということ。

 つまり、内閣による検察の私物化だ。

「改めて検察庁法の一部改正に反対する会長声明」(日本弁護士連合会)
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2020/200511.html



 ところがネットでは、この問題について、

「今回の改正は単なる公務員の定年延長のため」

 といったミスリードを繰り返し、問題を矮小化しようとする、現政権の手先のような人々がいる。

 それどころか、勇気を出して発言をした若い芸能人に対し、大量のいわゆる「クソリプ」を送ってSNS上の発言を削除させ、自由な言論・表現の自由を攻撃する者さえいる。

 このように他者の異論を許さず、言論の自由や表現の自由を棄損させ、あまつさえ人としての優しさや思いやり、武人の言葉で言えば「惻隠の心」が欠如した者たちに、強い憤りを感じるのは私だけではあるまい。



 権力者とその取り巻きたちに、検察の持つ捜査権や逮捕権を私物化させ、結果として民主主義の根幹となる国民主権を侵す蓋然性の高い今回の検察庁法改正は、絶対に看過することはできない。

 私も検察庁法改正に、強く抗議する。

 また、すべての国民にとって「政治」は生活のために不可分な領域である以上、芸能人だろうが武道人だろうが、大人でも子どもでも、有名人も無名の市民も、誰もが政治について自由に発言する権利が守られなければならない。

 ゆえに、権力者に不都合な発言を、有形無形の暴力(SNS上の言葉も、時に「暴力」となる)で弾圧しようとするネトウヨと呼ばれる者たちには、猛烈な嫌悪感を表明しておく。

 人として、恥を知れと思う。

2005_山田五十鈴

「貧乏を憎み、誰でもまじめに働きさえすれば、幸福になれる世の中を願うことがアカだというのなら、私は生まれたときからアカもアカ、目がさめるような真紅です」(昭和の大女優・山田五十鈴の言葉)

 (了)

圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ/(時評)

2020年 05月03日 11:00 (日)

 憲法記念日に思うのは、現在の日本国憲法に対して、「アメリカからの押し付け」という間違った認識を振りかざす人々の不勉強さだ。

 かつて、明治政府の圧政に対し、基本的人権の尊重、国民主権、平等博愛といった、近代民主主義の志を掲げて闘ってきた、自由民権運動の闘士たちの思想が、どれだけ戦後の日本国憲法に活かされているのかを、不勉強な人々は知らない。

 五日市憲法草案しかり、植木枝盛の憲法草案しかり、こうした自由民権の志と、日本人が積み重ね示してきた具体的な新憲法の草案、そして何より、先の大戦で命を失った約300万人の尊い犠牲とその悲しみがあったからこそ、戦後、あれだけ短期間のうちに、

「国民主権」

「基本的人権の尊重」

「平和主義」

 を掲げた、現在の日本国憲法ができたのだ。



 ヒャクタやタカス、サクライやカドタといったエセ保守のネトウヨたちは、人々をさんざん煽動しながら、いざ戦争がはじまっても、自分たちは絶対に戦場には立たない。

 かつて、若者たちに特攻を命令し十死零生という統率の外道を強いながら、いざ戦争が終わったら長々と余生を満喫して生き延びた、一部の旧軍高級士官たちとまったく同じだ。

 戦塵の中で、水漬くかばね、草むすかばねとなるのは、いつの時代も純粋な若い人たちである。

 にもかかわらず、自分たちは決して戦場に立たない老害たちが、民主主義の理想像である日本国憲法を葬り去ろうと、陰に日に蠢いている。

 一方で、いつの時代も本当の武人は、戦(いくさ)には慎重だ。

 なぜなら、戦いや暴力の悲惨さを一番よく知っているのが、武人というものだから。

 戦後、創設間もない自衛隊に自ら志願した志高い青年たちに対し、時の首相・吉田茂は、

「君たちには、日陰者でいてほしい」

 と懇願した。

 その真意とは何か?

 この国に生まれ、あまつさえ武人を自負する者は、必ずそれを熟考しなければならぬ。

 ところが、平和ボケでたがの外れた今の時代、ヘイトスピーチを繰り返し、社会的に弱い立場の人々を執拗に攻撃し続けるネトウヨたちのように、武人よりもむしろ普通の人々の方が、一方的な暴力に熱狂している。

 人を殴れば、自分も殴られる。

 彼を斬れば、我も斬られる。

 他を撃てば、己も撃たれる。

 こうした、武人が最初に学ぶ「戦いの原則」を、彼らはまったく知ろうとしない。



 私の祖国である日本という国は、いったいどこに向かっているのだろう?

 かつて秩父困民党の闘士たちは、貧しい人々からカネを徹底的にむしり取ろうとする資本家たちと、それを支援して弱者を踏みにじることを止めない明治政府に対し、

「圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ」

 との要求を突きつけ、武州の山々で家伝の秋水を抜刀し、白襷も清々しく蜂起した。

 その自由を求める血脈を確かに受け継ぎ結実した、日本国憲法前文に謳われた人類の崇高な理想は、はたして本当に実現できるのだろうか?

 私たちは今、その厳しい岐路に立っている。


 
日本国憲法 前文
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」


 (了)

一人居ること/(時評)

2020年 04月20日 11:03 (月)

 3月の第二週から翠月庵の定例稽古を中止にして、はや6週間が過ぎた。

 ここで、現状確認。

 現在、国内の新型コロナウイルス感染者数は1万人を超えて死者は224人、埼玉県内では感染者667人で死者13人、私が住んでいる地域では感染者4名となっている。

 都内の一部地域ではすでに医療崩壊が始まっており、埼玉県内では200人以上の感染者が、病院のベッドが足りないために自宅療養となっている。

 今のところ緊急事態宣言の期間はゴールデンウイーク最終日の5月6日(水曜)までとなっているが、報道等によればこれが延長されることは、ほぼ間違いないだろうとのこと。



 武芸の立合いでは、気の抜けたなれ合いの形稽古でもない限り、ぼけ~っと突っ立てやられるのを待っている相手などいない。

 同様に、疫病対策も常にその局面(最近はフェーズっつうんですか?)は変化流動する。

 この点で注意したいのが、首都圏や大阪・兵庫圏など感染が急激に広がり蔓延期となっている地域では、すでに「三密を避ける」といった生易しい対策で可とする局面は過ぎ去っているということだ。

 現状では、

「人との接触を8割減らす」

 という局面に入っている。

 国のクラスター対策班による接触の定義とは、

「誰かと1メートル以内の距離で2~3往復の会話をすること」

 あるいは、

「握手をするような身体的接触」

 とのこと。

 このレベルの人との接触について、コロナ流行前を10割とし、それを8割減らして2割にせよという。

 要するに、

「家から出るな」

 ということだ。

2004_コロナ



 にもかかわらず、一昨日から昨日の週末、都心の人出はそれなりに減少したものの(週末だから当たり前だ)、吉祥寺や湘南など、都心以外の人出は従来と同様か場所によっては増えていたとのこと・・・。

 これは、彼ら彼女ら自身の感染機会を増やすだけでなく、それにより結果として地域の医療崩壊を促し、重症者の命を死に追いやっているという点で、間接的・潜在的な「傷害致死」といって過言ではない。

 3月の中頃、首都圏でのイベント自粛が指摘され始めた中でK-1という大規模格闘技イベントが強行され、社会的に大きな批判を浴びた。

 今現在、47都道府県すべてで緊急事態宣言が発出され、全国民に不要不急の外出自粛が要請されているなか、それを無視してわざわざ行楽に出かけたり、複数人で集まって遊んでいる人たちというのは、

「規範意識の低さ」

 という点で、あのときノコノコK-1を見に行って批判を浴びた人たちと、何らかわりがない。

 それどころかツイッターを見ていて驚いたのだが、緊急事態宣言の中でも特に警戒が必要な特定警戒都道府県に指定されている地域でありながら、なんと今この段階でも弟子を集めて、室内で組太刀を指導している人がいた。

 まあ、当庵にはまったく関わり合いのない団体のことなので、私がとやかく言う筋合いはないわけだが、武道人として、またいち社会人として考えると、その指導者は常軌を逸しているとしか思えない。

 こうなるともう、無知とか規範意識とかいうレベルではなく、

「反社会的行為」

 と言ってよいだろう。



 それにしてもなぜ、たかだか1か月やそこらを、(仕事以外で)家に居ることができないのだろう?

 精神的に未熟な子供が、家でじっとしていられないというのなら、まだ話は分かる。

 分別有る大人がこの局面で、不要不急の外出や人との接触を自粛できないというのが、私にはさっぱり理解できない。

 こういう人たちが、療養中の高齢者や既往症の有る人たち=社会的弱者の生命を危険にさらし、結果として224人を死に至らしめ、疫病の早期収束を妨害し、社会や経済を崩壊に導いているわけだ。

 ふた親をともに肺炎で亡くし(肺炎で死ぬのがどれだけ苦しいことなのか、多くの人が理解していない)、ちょっとした感染症でも命を失いかねない療養中の患者さんを取材した経験のある私は、強くそう思う。

 いずれにしても、こんなことでは到底、早期での疫病終息は望めないだろう。

浄土



 一人で居(お)ること。

 それを苦としないこと。

 武人に絶対欠かすことのできない素養である。

 翠月庵の門人諸氏は、これを十分に心して、己の身を正しく処してほしい。


「打解て少しまどろむ頃あらば 引き驚かす我枕神」
(柳剛流剣術免許巻 武道歌)


 (了)

ヒーロー/(時評)

2020年 04月01日 11:21 (水)



 私のヒーローである秋山小兵衛先生や鬼平こと長谷川平蔵は、たとえば江戸の町が疫病に襲われた際に、貧民を救済するなとか、唐人を追い出せとか、そんなことは絶対に言わないだろう。

 差別や排外主義を煽る連中を懲らしめ、困窮している人々や外国人たちを手助けするべく奔走するはずだ。

DSC_9315.jpg
▲秋山先生は、やっぱり又五郎さんだね


 それにしても、高齢者や子どもを抱えたシングルマザー、障碍のある人など、アベ政権の悪政のもとで生活保護を受けざるを得ない、貧しい人たちに対するヘイトを煽る百田尚樹のツイートに、10万を超える「いいね」がつけられているというのは、日本人の心根の醜さを目の当たりにさせられるようで、暗澹たる気分になる。

 また、この国で真面目に働き、つつましく暮らしている外国人たちをあえて攻撃する小野田紀美のツイートも、同様に醜い。

 このように災害や疫病が生じると、かならずそこに差別や排外主義が台頭する。

 しかしそんな「悪」に、絶対に与してはならない。

 柳剛流兵法二代・岡田(一條)左馬輔いわく、

「武術之儀は護国之(くにのまもり)」

 だと。

 吾人が鍛え上げた柳剛流の「断脚之太刀」は、社会の片隅で困っている弱い人たちを踏みにじるためのものではない。

 そのような人々を、護るためにこそあるのだと、心に期するべし。

 貧しくとも自由な流れ武芸者である私の、これがせめてもの矜持である。

 (了)

破廉恥/(時評)

2020年 02月18日 08:10 (火)

 確定申告の書類を作るために膨大な伝票の山と格闘し、終わったのは日付が変わるギリギリ前。

 こうして昨年1年間の自分の売り上げや経費、収入を数字で突き付けられると改めて、

「儲かんねえなあ・・・」

 と実感する(苦笑)。

 報道によればGDPも2期連続マイナスで、特に最新の数値(昨年10~12月)はマイナス6.3%とのこと!

 これが「アベノミクス」なる愚策の成果というわけだ。

 仕事をしながら聞き流すインターネットの国会審議中継では、首相のウソと居直り、品位に欠けたヤジと言語不明瞭な言い訳を聞かされるばかりで、本当に気が滅入る。

 この人は近年、日を追うごとに人相が悪相になっているわけだが、どうしてこんなに平気でうそがつけ、しかもそれがばれても居直れるのだろうかと不思議に思う。



 人相そしてうそという点で、最近興味深いなと思ったのが、京都”あ~ん”不倫旅行&コネクティングルーム不倫出張が問題となっている、首相の右腕という内閣府補佐官のオッサンと厚労省審議官のオバチャンだ。

 特に、このオバチャンの顔を見ていると、悪相が顔に出てしまっていて、「あ~あ・・・、こりゃあひでえや」という感じである。

 それにしても、仮にも行政の指導的立場にある者が、下々から集めた公金を使ってノコノコと不倫旅行をし、あまつさえそれがばれても平気な顔をして居直っている。

 そういう醜態をみていると、今の若者たちの言葉で言えば人間として、

「クソだな」

 と思う。

 一方で人の世には、悲しい巡り合わせによる「わりなき恋」というものもある。

 そのような人間のどうしようもなさをリリカルに描く、人形浄瑠璃文楽を愛する者のひとりとして、私はそれをすべて否定はしない。

 しかしそれは、わりなき道行を往く二人が世間様に対して、墓場に行くまで互いの想いを隠し通してはじめて、そこに一片のつつましやかな「美」や「哀切」が見て取れるものなのだ。

 だからこそ映画『マディソン郡の橋』は、名作なのである。

 それかあらぬか、このオッサンとオバチャンは、京都への不倫旅行で乳繰り合っている真っ最中を文春に撮影されて暴露された後も、平然と居直っている。

 加えて不倫旅行の途中で、我が国における再生医療の至宝・山中先生を、権力をかさに恫喝したというのだから、もう人として終わっていると言っても過言ではあるまい。

 こんな没義道漢たちが、内閣府や厚労省の上級官僚としてそっくり返っているわけだ。

 その下で働くまじめな公務員の皆さんは、さぞかし腸が煮えくり返えり、この二人を軽蔑していることだろう。

 「破廉恥」とはまさにこういうことだと、しみじみ思う。

 ま、私如き路地裏の流れ武芸者兼ニワカ易者が、そんなふうに世を憂いても、どうしようもないわけだがね。



 そんな静かな、しかし深い怒りと絶望を感じつつ一日の業務を終えたせいか、夜の稽古にも今一つ身が入らず。

 二間座打ちで手裏剣をしばらく打っていたのだが、どうにも気が乗らない。

 そこで暗鬱な気分を断ち切ろうと、真剣で柳剛流居合を抜く。

 さらに柳剛流剣術「右剣」と「左剣」の形を、これも真剣で何度も繰り返す。

 こうして深夜、半刻ほど剣を振るい、ようやく心のよどんだ気鬱が晴れた。

 醜い男女の愚行に比べ、柳剛流の剣の道はいつでも清々しい。

 さっぱりとした気持ちで稽古を終え、入浴して汗を流し、睡眠薬代わりに兵頭二十八師訳・岡谷繁実著の『名将言行録』を読みながら床に着いた。

 すべて世は、事も無し。

1908_柳剛流殺活免許

夫れ剣柔は身を修め心を正すを以て本となす。
心正しくば則ち視る物明らか也。
或は此の術を以て輙(たやす)く闘争に及ぶ者有り。
此れ吾が党の深く戒むる所也。
当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すを以て要と為すべし。
(柳剛流殺活免許巻より)


 (了)