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稽古と暑さ指数/(武術・武道)

2019年 08月24日 10:29 (土)

 今日は午後から、翠月庵の定例稽古。

 酷暑対策で、開始時間を1時間遅らせ15時からとし、状況が悪ければ1時間ほどで稽古を打ち切る予定だ。

 とにかく、最近の夏の気象状況は異常かつ危険なので、真夏の炎天下における野外稽古場では、これでもリスクが高いと考えている。

 そういう意味では、高校の野球部とかサッカー部とかの子たちは、本当にすごいなあとオジサンはしみじみ思う。

 この炎天下の真っ昼間に、3時間も4時間も延々と屋外のグラウンドで練習するんだからねえ・・・。



 来年からは、熱中症を予防することを目的として厚労省や環境省が推奨している、暑さ指数(WBGT(湿球黒球温度):Wet Bulb Globe Temperature)に基づいて、温度基準が「危険」となっている場合には(気温/35℃以上 、暑さ指数/31℃以上、熱中症予防運動指針/運動は原則中止)、屋外での定例稽古は中止にしようかと考えている。

 今年も炎天下の稽古後、体調を崩すことが何度かあったので、やむをえまいね。

1908_暑さ指数


 ちなみに、本日の翠月庵の暑さ指数は28℃(気温は32℃)で、運動指針は「厳重警戒」である。
 
 これなら2時間くらいは、稽古できるだろうか?



 今日の稽古予定メニューは、以下の通り。

■全員での稽古
 手裏剣術/基本打ち(3間)
 柳剛流:剣術/備之伝-フセギ秘伝、「右剣」「左剣」
 警視流/「前腰」から「四方」までの復習
■個別稽古
 柳剛流/長刀(S氏)
 警視流/全体のおさらい(A氏)
 柴真揚流/居捕「飛違」、「両羽捕」、「石火」(庵主・Y氏)
 柳生心眼流/素振の組形「落」「切」(庵主・Y氏)

 2時間の稽古では、これでいっぱいいっぱいかな・・・。


 (了)
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刀の「命」/(武術・武道)

2019年 08月23日 01:00 (金)

 仕事の関係で、太平洋戦争後の日本刀にまつわる話について調べている。

 終戦直後、米軍による武装解除によって、軍や警察そして民間から、大量の日本刀が「武器」として接収され、その多くがスクラップとされて海中に投棄されたり、海外に持ち去られた。

 その数なんと、300万口とも400万口ともいわれる。

 特に、当時は美術価値が無いとされた、いわゆる昭和刀は、そのほとんどが顧みられることなく廃棄された。

 私の愛刀である市原“監獄”長光は、本鍛錬された日本刀だが昭和10年代の作刀であり、軍刀として用いられたことから、同じ市原長光作の刀の多くが、その当時破棄されたことだろう。

 同様に、現在は武用刀として高い評価を受けている満鉄刀、また靖国刀なども、美術的価値のないものとして多くが破棄されたのだという。

 まことにもって昭和の敗戦は、日本人にとってだけでなく日本刀にとって、つまりは日本文化にとって受難の時代であった。



 過日の角田・丸森における柳剛流の事績調査では、角田伝における柳剛流の大師範家である、佐藤彌一郎先師が居合の稽古に用いていたという差料を拝見することができた。

 刃長3尺1寸超、柄1尺1寸超の長尺刀で、刃紋は直刃、小切先で樋は無く、身幅やや狭く、全体に細身である。

 実際に手に執ってみると、バランスは絶妙で、実に扱いやすい。

 この差料で、先師が柳剛流の居合を遣っていたかと思うと、流儀の末席を汚す者として、しみじみとした感慨に包まれた。

1908_柳剛流_佐藤彌一郎先師居合刀
▲佐藤彌一郎先師が柳剛流居合の稽古に用いた三尺刀


 
 この彌一郎先師の長尺刀は、同家の方々によって大切に守られ、終戦後の「昭和の刀狩り」を潜り抜けてきたからこそ、令和の今も、その貴重な姿を今に伝えている。

 その一方で、冒頭に記したように敗戦直後、全国各地で多くの貴重な刀が占領軍に取り上げられ、破壊され、あるいは持ち去られてしまったというのは、本当に残念で悲しい出来事だ。

 人間の命はせいぜい80年か100年。

 しかし刀の「命」は、大切に受け継いでいけば、数百年にも及ぶ。

 私の監獄長光も、昭和17年の作刀からすでに77年の歳を数えている。

 奇しくも、私の母の生年も、同じ昭和17年であった。

 刀にとっても、人間にとっても、平和こそが最も尊いと思う。

DSC_9285.jpg
▲我が愛刀、監獄長光の茎


 さて今晩は、柳剛流の居合を長光で抜いてから、やすむとしよう。

 (了)

警視流、鎌、そして柴真揚流/(武術・武道)

2019年 07月21日 11:26 (日)

 昨日は、翠月庵の定例稽古であった。

 それにしても、気温29.6度、湿度72%、向こう1か月の長雨をたっぷりと吸い込んだ草地の野天稽古場では、立っているだけでミストサウナに入っているようで、意識がもうろうとし、少し体を動かすだけで呼吸が乱れる。

 稽古着に着替えるとすぐに汗が吹き出し、30分もすると絞れるほどの重さとなるので、経口補水液の用意は絶対に欠かせない。

 それでも我々は剣を振るい、柔(やわら)を取る。

 寒天酷暑もまた、武芸修行。

 というか、ま、単に過酷なだけなんだけどな・・・・・・(苦笑)。



 これまでの長雨で、地面が多量の水分を吸ってぬかるんでおり、手裏剣の打剣で激しく踏み込むと地を掘って荒れてしまうため、今回は手裏剣の稽古は中止。

 警視流立居合のおさらいから始める。

 まずは礼法を細かく丁寧に解説・指導し、その上で「前腰」、「無想返し」、「廻り掛け」、「右の敵」、「四方」と、5本を丁寧に繰り返す。

 次いで、受注生産の稽古用の鎌が、半年がかりでようやく手元に届いたので、甲陽水月流の鎌の形を稽古。

 1本目の「富士折」から5本目の「富士留」まで、前半5本をおさらいしつつ、Y氏に仕方を指導する。

 師によればこの鎌の形は、「草刈鎌」と呼ばれる山本無辺流の業がベースになっているという。

 全体的にシンプルだが、なかなかに味わい深い形だ。

1907_鎌
▲受注生産のため、注文から半年がかりでようやく届いた稽古用の鎌



 稽古後半は、柴真揚流の形を取る。

 まずは、居捕の1本目である「左巴」から「右巴」、「左車」、「右車」と、最初の4本を、くんずほぐれつ繰り返しとりながら指導していると、絞れるほど汗を吸った稽古着が、さらに汗で重くなる。

 きつい・・・、フィジカル的に。

 しかし、これもまた、野趣あふれる「屋根なし、床なし、冷暖房なし」の野天道場ならではの鍛錬である。

 巴と車の後は、5本目「両手捕」、6本目「片胸捕」、7本目「両胸捕」について、受と捕を交代しなが何度も繰り返す。

 激しい蹴足、体当たりのごとく打ち込む独特のレバーブローやストマックブロー、突きさすような肘当てなど、徹底的に当身を使って当て殺す柴真揚流の業は、「柔術早業」という呼び名がぴったりであり、その形稽古は伝統派空手道の約束組手のようでもある。

 このあとは柳剛流のおさらいをしたかったのであるが、まことに残念なことに、3時間の定例稽古はここで終了。

 柳剛流は、各自、自主練でしっかりと復習しておいてください。

180825_140416.jpg
▲地面に敷いた茣蓙の上で、くんずほぐれつ柔術(やわら)を取る



 それにしても、まだ本格的な夏はこれからなわけだが・・・、早く秋にならないかねえ。

 真夏の野天稽古は、年々、体に堪えるようになってきた。

 安美錦は、40歳で引退。

 ご苦労様でした。

 私も、もう、この秋で50歳なんだよなあ・・・・・・。

 南無八幡大菩薩。

 
 (了)

「業」=「術」あってこそ/(武術・武道)

2019年 07月18日 09:49 (木)

 多忙である。

 旧盆が終わるまでのこれから1カ月間は、年末年始と並んで、ライター稼業が最も忙しくなる時期だ。

 単行本、専門誌、月刊誌、ガイドブック、パンフレット、webの仕事が山積みで、連日12時間近く机に向かい原稿を書き、あるいは取材先を渡り歩いていると、どうしても余裕をもって稽古をする時間がなくなり、気力も萎えがちだ。

 しかし、わずかでも稽古ができればと、深夜、稽古着に着替えて木太刀や手裏剣を手にとり、あるいは当身台に向かう。



 最低限のメニューとして、たとえば、

・柳剛流/備之伝、備十五ヶ条フセギ秘伝
・柳生心眼流/素振の片衣(表、中極、落、切)
・柴真揚流/柔術早業の形(適宜数本)、当身台への打ち込み

 などであれば、15分もあれば、ひと通りの稽古ができる。

 また、手裏剣を打つだけなら、15分などあっという間だ。

 そして、忙しい日々の中で15分の時間を見つけ、気力を振りしぼっていざ稽古を始めれば、結局は体がそれを求めて小半刻(30分)ほどの稽古となることも少なくない。

 翠月庵での定例稽古が門人への指導中心となるだけに、わずかな時間でもこうした「自分のための稽古」を日々積み重ねていかなければ、己自身の業前について、「武技として最低限のレベル」が担保できない。



 古流と言えども、それが対人攻防における武技である以上、見せかけだけの「華法」であってはならない。

 剣術でも柔術(やわら)でも、あくまで制敵可能な「業」=「術」の実力があってこその武術・武芸である。

 どれほど由緒正しく高名であろうと、人目を引き付けるような華美な技を誇ろうと、精緻で高尚な理論を唱えようと、最低限の制敵すらできぬなまくらな「業」では、それはもはや武術や武芸とは言えまい。

 だからこそ「業」を磨くと同時に、たとえ相手が自分よりも強く優れていようとも、本当に死命を決する「時」と「場」であるなら(そのような「時」と「場」は、現代の日常生活では基本的にありえないけれど)、勝てずとも必ず相打ちとなす、「一死一殺」「一殺多生」の気勢・気組を養っておくことが重要だ。

 武技に足る「業」=「術」、そして「一死一殺」「一殺多生」の気勢・気組があればこその、我が国の伝統武道が古来より目指すべき境地とした「神武不殺」であろう。

 日常的な稽古の積み重ねを通して、こうした「心法」を錬ることが、結果として武徳を高め、平時の武人としての人格の陶冶に結び付く。

 それが武道修行の、ひとつの要諦ではないかと、私は思う。

1907_松代演武_無双直伝流
▲北信濃伝 無双直伝流和(復元)「水車」。松代藩文武学校武道会の演武にて



「神はもって来(らい)を知り、知はもって往を蔵(おさ)む。それたれかよくこれに与(あずか)らんや。古(いにしえ)の聡明叡智、神武にして殺さざる者か」(易経 繋辞上伝より)




 (了)

7月の本部稽古~柳生心眼流、柴真揚流、甲陽水月流/(武術・武道)

2019年 07月08日 10:44 (月)

 昨日は、水月塾本部での稽古。

 埼玉支部からは、私とN氏の2名が参加する。

 まずは師にミットを持っていただき、柳生心眼流の打ち込み稽古。

 柳生心眼流の体動を用いて、円筒ミットに拳足肘を打ち込んでいると、稽古着がみるみる汗まみれになる。

 次いで、柴真揚流。

 師より、立合投捨の「腰附」、「両羽捕」、「小手返」、「捨身」、「杖捌」、「三人捕」を伝授していただく。

 いずれも柴真揚流らしい、当て殺しの形のオンパレードで、実に私好みの業だ(笑)。

 午前後半は、胴プロテクターを装着し、N氏と交代しながら実際に当身を入れて柴真揚流の形をとる。

 当身の中でも特に蹴当ては、実際に当てる稽古をしておかないと、身の内1~2寸へのきちんとした当身を習得することが難しい。

 存分に蹴当て、肘当てを打ち込みながらとる柴真揚流の形は、実に爽快だ。

 翠月庵でも予算を工面して、近いうちに稽古用の防具を揃えたいなと思う。



 午前の稽古の後、稽古場から場所を移して、師より柳生心眼流切紙を伝授していただく。

 50歳を目前にして、少年時代からのあこがれの流派のひとつであった柳生心眼流の切紙をいただけるというのは、実に感慨深いものだ。

 しかしこれに満足せず、さらに精進をして免許皆伝を目指さねばならぬ。

1907_柳生心眼流_伝授式


190708_104724.jpg




 昼食後、午後はカナダ支部の皆さんと共に、水月塾制定日本柔術(甲陽水月流)の稽古。

 5人で相手を変えながら、初伝逆取から中伝逆取まで、30本の形を繰り返しとる。

 二人一組になりながら相手を順次変えつつ柔術形をとるのだが、合計5人のため必ず1人が余るので、この1人は見取り稽古となる。

 そこで、せっかくなのでフィジカル的な鍛錬もしたいと考え、私は元立ちに立って見取りには外れず、ひたすら相手をかえて形を取り続けた。

 しかし、梅雨時の湿度の高さも相まって、まことに体に堪え、己の年齢を実感した次第・・・(苦笑)。



 稽古後は、カナダ支部の方々も交え、師に同道させていただき小宴。

 最高の馬モツと馬刺しを肴に、アルコール度数23度の日本酒をグイグイと飲んだため、また結構フィジカルに堪える稽古の後だったこともあってか、私は久々に泥酔。

 このため、気が付いたらもう自宅で寝ており、宴席後半から電車に乗って家に帰るまでの記憶がほとんど無い。


 ・・・やっちまった。


 師や同門、そしてカナダ支部の皆さんに対して、粗相失礼は無かったと思うのだけれども・・・。

 多分、無かったと思う・・・・・・。

 無かったんじゃないかなあ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。


 しばらく面壁して反省します。


 (了)