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稽古三昧の週末/(武術・武道)

2020年 07月06日 10:43 (月)

 先の土日は、久しぶりに稽古三昧の週末であった。

 土曜は翠月庵の定例稽古。

 当初は雨で中止かなとも思ったのだが、昼前から曇りになったので稽古を実施。

 先週に引き続き感染症対策に留意しつつ、ソーシャルディスタンスが保てる稽古ということで、警視流立居合、柳剛流の備之伝と居合に絞って集中的に稽古を行う。

 昨年、当庵に入門したI氏、そしてF氏(なんと今年で御年70歳!)、両名とも警視流立居合について、形の手順はおおむね覚えたので、形の想定や意味を解説しつつ、より細かい指導を心がける。

 細かな動作や運足、拍子にいちいちダメ出しをしていると、だんだん自分が嫁をイジメる姑にでもなったような気分だ(苦笑)。

 しかし、せっかく時間と体力とお金を使い、しかもコロナ禍の中で感染リスクを冒して習いに来てくれているのだから、こちらも手を抜くことはできない。

 彼らの「形」を「業」に、そして「術」にまで止揚させるべく導いていくのが、私たち武道師範の務めであろう。

 そのためには、姑のごとく嫌われても、正すべき点は正していかねばなるまい。

 ま、必ずしも、世の中のすべての姑の皆さんが、嫌われているわけではないだろうけれども・・・。

 後半は、柳剛流備之伝から柳剛流居合。

 低く跳び違いながら抜き差しを繰り返す柳剛流居合の稽古は、身体的な負荷も高く、下半身の強じんさと柔軟性がないと相当に厳しい。

 特に中高年の初心者については、場合によっては膝や腰、下肢の筋肉や筋を傷めかねないので、慎重に各人の体調や状況を観察しながら形の手直しをした。

2007_柳剛流_居合
▲入門8か月目のI氏による、柳剛流居合1本目「向一文字」



 翌日曜は朝から山梨に赴き、本部稽古に参加。

 午前中は柳剛流。

 兄弟子で柳剛流免許である関西支部長・Y師範に相手になっていただき、「右剣」から「相合刀」まで剣術の組太刀をおさらい。

 組太刀を遣うのは、3月からのコロナ自粛以来なので、なんと実に4カ月半ぶりだ。

 柳剛流はもとより、天道流や力信流の剣の遣い手でもあるY師範を相手に、木太刀を手に対峙する稽古は緊張感あふれるもので、こうした厳しい感覚は相対稽古ならではだ。

 やはり剣術の稽古は、組太刀をやらないとダメだなあと、しみじみ実感する。

 午前の後半は、柴真揚流。

 師より、柔術早業居捕「左車」と「右車」の裏と裏々の形をご指導いただく。

 柴真楊流の当身は接近戦での運用が特徴なのだが、この左右車の裏の形では一段と接近した状態からの当身を使わねばならず、なかなかに難しい。

 裏々の形も当て倒しの業であり、さながら空手道の約束組手を、座して行っているような趣である。



 昼食をはさんで午後は、柳生心眼流の稽古。

 素振二十八ヶ条からミットへの打ち込み、さらに私はY師範と組ませていただき、素振の組形を取る。

 受となって、心眼流特有の返し(ムクリ、マクリ)の後方回転を取るのも4カ月半ぶりだ。

 最初はいささかぎこちなかったが、師に検分をしていただき、後半はなんとかそれなりに受けが取れるようになった。

 次いで、柳生心眼流の「取返」。

 梃子の原理を最大現に活用しながら攻防を繰り返し、背中合わせの後方回転等で技の極まらぬうちに逃れ、反撃に移る技法である心眼流の「取返」は、技術的にも身体的にも、非常に負荷の高い形であり鍛錬でもある。

 今のところ、この形については本部にY師範が来られる時にしか稽古ができないので、この機会を逃してなるものかと相手をお願いして何度も繰り返す。

 その後は師より申し付けられ、柳剛流居合の指導に当たる。

 本部で柳剛流居合を学んでいるB氏に、1本目の「向一文字」から5本目の「切上」まで5本の形について、特に運足と体の転換について留意しながら指導をした。



 本部での稽古は今年1月以来、実に半年ぶりであった。

 ずいぶんと間が空いていただけに、朝から夕方まで稽古三昧の時を満喫することができた。

 首都圏でのコロナ禍は、再び流行の兆しをみせているだけに予断は許されないが、世情に一喜一憂することなく、粛々と、淡々と、自分なりの稽古、そして指導を続けていきたいものだ。

 (了)

兵法としての交流・広報・宣伝戦略/(武術・武道)

2020年 06月25日 10:42 (木)

 今から10数年前、知人の武友を介して、複数の他流派の人間を集めて、当庵で手裏剣術を中心とした交流・講習会を行わないかという話が持ち上がったことがあった。

 当初は私もその話に前向きだったのだが、会の詳細を詰めていく段階で思うところがあり、結局、私の方から開催を断り、交流会の話は流れることとなった。

 なぜ断ったのかというと、諸々細かい問題があったのだが、一番の理由は、参加する側の中心的なメンバーである某古流武術の人間の対応が非常に高慢で、礼を失していたからである。

 私は昔から、無礼なヤツが大嫌いだ。

 ま、無礼なヤツが好きだという人は、あまりいないだろうけれども(苦笑)。

 こちらとしては、武友の口利きで稽古場を交流場所として提供し、あまつさえ先方の希望を受けて手裏剣術の講習を無償で行おうというのにも関わらず、その某古流の人間は、あたかも「参加してやる」「呼ばれてやる」といった態度でこちらに応対したので、

「そのような無礼な人間と交流する意味はないし、そのために稽古場を提供し、手裏剣術を解説・指導することはできない」

 と、丁寧にお断りした次第である。

 一方で、これもまた10年くらい前だったか、やはり知人の口利きで、手裏剣術を取り上げたいということで、ネットTVの番組への出演依頼があった。

 そこでまず、番組の担当者と面会して企画書を提出してもらい、番組の構成を確認し、演出や台詞については手直しが必要なところはこちらが赤字を入れて、

「これで良いなら、取材を受け入れて出演できますよ」

 と提案。

 無事、こちらの意図した通りの番組として、出演、放送されたということがあった。

 また、これは番組名を明かしても良いだろうけれど、かつてのフジテレビの人気番組に『笑っていいとも』というのがあったのだが、この番組のディレクターから番組スタッフへの手裏剣術の指導を依頼されたことがあった。

 お台場の局に出向いて実際に指導をしたところ、「番組にも出演してくれないか?」と依頼をされたのだが、この番組はニュースや報道ではなくバラエティ番組なので、場合によっては「いじられそう」な気配がしたため、出演は丁重にお断りをした。



 こんな過去の思い出話をつらつら冒頭で書いたのは、先日、ネットでちょっと話題になっていた動画を見たからである。

 この動画は、著名(?)な若い総合格闘技の選手と、合気道の達人として有名なS師範のお孫さんという若い師範が技術交流をするというものだ。

 実際に動画を見ると、格闘技の選手が、「達人に合気道を教わる」というていの内容で、まあ一見、当たり障りのない交流風景に見えないでもない。

 しかしその一方で、格闘技の選手の側が、合気道師範に対して、「それ本当に効くんですか?」「僕には効きませんよね」的なスタンスのシーンも垣間見え、見方によっては、

「ちょっと失礼なんじゃないか?」

 と感じる人もいるだろうな・・・というようなものであった。

 案の定、ネット上では、格闘技の選手の合気道師範に対する態度が「失礼だ」という否定的な意見があり、あるいは「そんなことはない、にこやかな交流じゃないか」との好意的な意見もあり、評価は二分されているようである。



 さて、ここで私は思うのだけれど、肝心なのは、この動画への出演・公開によって、格闘技の選手側と合気道の師範側のどちらが、よりメリットを甘受しているのかということだ。

 これについては、明らかに格闘技の選手側のメリットが大きいように思う。

 そして、合気道家側のメリットは最小限度であり、私が思うにはむしろデメリットの方が大きいとすら感じた。

 出演している格闘技の選手の態度も、たしかに一見、友好的で柔和に見えるが、一方で合気道師範側を呑んでかかっていることが一目瞭然であり、

「なんで合気道側は、こんな自流の『格』を下げるような動画への出演を了承したのかな?」

 としか思えないのである。

 宣伝や広報などというのは、本来、武道修行の本質には何のかかわりも無いものだけれど、一方で現実社会では、霞を食って生きていくわけにはいかないので、宣伝も広報も大切であり、門人の募集・確保もあだやおろそかにはできない課題である。

 こうした意味で、自身や自流の広報・宣伝戦略、今風に言えば「ブランディング」のようなものについても、特に稽古場を開いて門人を募集している師範や、流儀の道統を担っている稽古者は、ある程度、意を砕く必要があろうかと思う。

 ありていに言えば、

「どのように、マスコミやネットに『露出』するか?」

「どのように宣伝・広報することが、自流や自分にとって有効・有益なのか?」

「他流・他会派との交流に、どのような意味や意義があるのか?」

 という点を常に熟慮して行動することは、それこそ「兵法」そのものであり、絶対に蔑ろにできないということである。

 このような視点から上記のネット動画について論評すれば、当該動画は格闘技の選手の側にとってメリット最大であり、合気道師範側には益する点は皆無で、本人の気持ち・感想は別として流儀・会派としては、損害ですらあったといえるだろう。



 ネットにせよ、テレビや新聞、雑誌といったマスコミにせよ、そこで取り上げられる、あるいはそこに登場し、発信することが、

「自流や自分自身にとってどのような影響を及ぼすのか?」

「どんなメリット・デメリットがあるのか?」

「リターンとリスクはどのような割合なのか?」

 武術・武道人は、こうした点を「兵法」の観点から、常に熟慮しておかねばならない。

 さもないと、相手側に面白おかしく取り上げられて流派の「品位」を貶められたり、利用されていたずらに武人としての「格」を下げられてしまうなど、ろくなことがない。

 これは、自分自身の失敗も含めた武術・武道人としての経験から、また出版業界というマスコミの一端で25年間、記者・編集者として仕事をしてきた者としても、断言できることである。

 武人たるもの、広報・宣伝戦や情報戦も、けして軽く考えてはならない。

1309_6周年

(了)

稽古再開/(武術・武道)

2020年 06月20日 21:15 (土)

 暦を見ると、本日は種をまけば豊作間違いなしの一粒万倍日であり、かつ極上の吉日である天赦日だとか。

 そんななか、新型コロナ感染症対策のため3月から中止としていた毎週土曜の定例稽古を、今日から再開した。

 感染症対策のため通常よりも稽古時間を1時間短縮し、14~16時までの2時間、ソーシャルディスタンスを維持し、門人の間近で指導する私はマスクを着用。

 対面で行う組太刀や柔(やわら)の稽古は今しばらく様子をみて自粛する形で、接触の少ない警視流立居合と柳剛流居合の稽古を行った。

 すでに真夏の陽気の中、荒川の風に吹かれながら天下御免の野天道場で剣を振るうのは、なんとも開放的で清々しい。

 普通にのびのびと稽古ができる喜びを実感した、あっという間の2時間であった。

200620_警視流立居合_無想返し
▲警視流立居合 「無想返し」

 (了)

天行健/(武術・武道)

2020年 06月14日 00:00 (日)

 3か月半ぶりに定例稽古再開!

 っと、感染症対策も万全に週末を迎えたものの、無情にも雨。

 古式ゆかしい野天稽古場の翠月庵は、雨が降ると稽古ができない。

 このため、まことに残念ながら、土曜の定例稽古は中止。

 再開は、次週へと持ち越しとなった。

 ところが、どうも来週末も、雨のようである・・・。

 まあ、こればっかりはしかたがない。

 易に曰く、

「天行健なり。 君子はもって自ら彊めて息まず」

 の心持ちで行くしかあるまいね。



 定例稽古が中止になったので、午後から拙宅で一刻ほど稽古。

 柳剛流を総ざらいする。

 備之伝、フセギ秘伝、剣術、突杖、長刀、そして居合と、すべての形を丁寧におさらい。

 仕太刀はもとより、打太刀についても手付けや史料を見直しつつ動作を確認し、業を繰り返す。

 さらに、小刀伝、二刀伝、鎗・長刀入伝、活之伝、組打口伝、一人ノ合敵、そして一〇心と、伝承しているすべての口伝を確認。

 最後に、稽古のシメは殺法。

 柳剛流殺活術、角田伝の18の殺と岡安伝の五ヶ所大當について、それぞれの部位を確認しつつ、当身台に拳足を打ち込んだ。



 入浴後、早めの食事を済ましてから、本日は観相のお勉強。

 柳剛流の「五眼伝」について、ツイッターで少々書いたこともあり、人相見の書物をひも解く。

 天道春樹先生監修の『人生を豊かにする人相術』(説話社)は、一見、新書版の手ごろで安価なハンドブックだが、人相見の奥義・極意ともいえる画相の見方を初歩から非常に丁寧に、しかも分かりやすく解説した、古今無双の名著である。

 が、しかし、それでも画相を見るというのは、卜占の中でもかなり難しく、私のようなニセ占い師にはたいへんにハードルが高い。

 けれども特に「目」の見方については、武芸を嗜む者として最低限これだけは、しっかりと学んでおきたいところだ。

 一方で易は、誰が筮竹をさばいても、あるいは八面賽を振っても答えは一刀両断。

 基本的に百発百中である。

 易神に問うて当たらないというのは、占者が「ヘボ」なだけだ。

 もちろん私も、「ヘボ」の部類なんだけどネ(笑)。

 さて、来週の土曜は雨が降りませんように。

 南無八幡大菩薩。

 1910_人相

 (了)

雨か・・・/(武術・武道)

2020年 06月11日 16:04 (木)

 いよいよ今週末から定例稽古再開!、と浮き立っていたら、今度は熱波、そして梅雨入りである。

 ご存じのように、翠月庵は古式ゆかしい野天稽古場なので、雨が降ると稽古ができない。

 そして、天気予報によれば、今週末そして来週末も雨のようだ・・・。

 こうなると、実質的な稽古再開は、結局7月ということになるかもしらん。

 差し当たって雨天中止とするかは、天気予報の動向をにらみながらギリギリで判断するつもりだが、少なくとも今の段階では、今週末は難しいかなあという感じでもある。



 その上で、昨晩は稽古再開に向けて警視流立居合のおさらい。

 一本目「前腰」から五本目の「四方」までを丁寧に抜き、指導上の留意点などを確認した。

 コロナによる自粛期間中、初学の門人は警視流立居合、ベテラン陣は柳剛流居合と、それぞれじっくり一人稽古として取り組むように促してきたので、定例稽古再開後、各人が3~4か月間の間にどれくらい習熟してきたのかを、しっかりとみていくつもりだ。

 サボっていた人は、ひと目見ればすぐにばれますよ(笑)。



 当庵で稽古している国際水月塾伝の警視流立居合は、一般に流布している警視流立居合と比較すると、抜き付け方などが一部異なるが、それぞれの形の趣旨や技の遣い方の大意は共通している。

 諸流の抜刀の技を精選し、神道無念流立居合の強い影響下で取りまとめられた一連の形は、シンプルながら味わい深く、蹲踞による礼法も独特の趣がある。

 ただし、行合いや行連れなど、形の想定する状況を理解していないと、特に初学の稽古者は、

「なぜに、その運足?」

 と困惑するケースが少なくないので、指導する者はその辺りを明快に解説するべきであろう。

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▲警視流立居合 「前腰」



 私は子供のころから雨が大好きなのだけれども、稽古に関してだけは、雨降りは困る。

 本当に困る。

 彩の国埼玉は晴天率日本一なのだから、土曜の午後は雨よ降るな!

 (了)