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『らくちん道への道』の鈴木崩残氏に関する記事について/(手裏剣術)

2019年 10月02日 00:40 (水)

 『らくちん道への道』というブログを読んでいたところ、無冥流投剣術の故・鈴木崩残氏の著作に関する書評が記されていた。

「廃墟のブッダたち―銀河の果ての原始経典 (EOシリーズ)まんだらけ出版部; 2019年改訂版」
https://krakuchin.exblog.jp/239310374/


 この記事の文末に、

「余談で、関西の知人から彼の手裏剣術の師匠のところに著者が習いに来ていた話を聞いたことがある」

 との一文があるのだが、これは事実誤認、あるいは質(たち)の悪いデマである。


 私は、2006年から2015年までの9年間、崩残氏と共に手裏剣術の共同研究と稽古・実践を行ってきた。

 その上で私の知りうる限り、手裏剣術に関して崩残氏が、既存の手裏剣術の流派や会派へ、

「習いに来ていた」(習いに行っていた)

 ということは、私が同氏と出会う以前も以後も、一度も無い。


 手裏剣術の研究のために、崩残氏は古流から現代流派まで、ほぼすべての現存する手裏剣流派や会派に何らかのコンタクトを取り、技術交流や意見交換、共同研究などをしていたのは事実だ。

(こうした手裏剣術への人並外れた熱意ゆえに、彼は意見の相違から他流や他会派とトラブルとなる事が少なくなかった。そして私とも、義絶することになる・・・)

 しかし彼が、特定の手裏剣流儀や会派に入門・入会し、その流儀なり会派の技術を、

「習いに来ていた」

 ということは、皆無である。

 上記の記事の文言では、「関西の知人云々・・・」とあるので、この証言は関西に支部あるいは道場がある手裏剣術の流儀・会派関係者からのものと推測できる。

 たしかに関西に支部のある現代手裏剣術の流派や特定の道場と、崩残氏が一時期接触し、技術交流や意見交換をしていたことは間違いない。

 しかしそれを、

「習いに来ていた」

 とするのは、事実認識として、また言葉としても正確ではない。

 崩残氏としては、これらの流儀・会派との接触は、あくまでも技術交流や意見交換のためのものであったのだと、私は本人から直接聞いている。


 意図してか、そうでないのかは定かでないが、こうしたミスリードは、故人の業績をゆがめることになろう。

 その結果、誤った事実認識が後世に伝わり、ひいてはそれが何らかの権威付けに使われるようなことがあるとすれば、そういう「背乗り」のような行為を最も嫌ったのが鈴木崩残という人物であることを知る旧友として、看過することはできない。

 ゆえに、故人の名誉のためにはっきりと、そのような事実は無かったことを、ここに明言しておく次第である。


 旧手裏剣術伝習所 翠月庵
 庵主・市村翠雨こと
 武術伝習所 翠月庵
 庵主・瀬沼健司 謹識

翠月庵
▲鈴木崩残筆・「翠月庵」の書

 (了)
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武技としての手裏剣術/(手裏剣術)

2019年 09月22日 23:59 (日)

 柳剛流と手裏剣術が翠月庵の表看板なわけだが、ここしばらく、手裏剣の稽古はどうしても片手間になりがちであった。

 このため先日の翠月庵の定例稽古では、久しぶりに1時間ほどかけて手裏剣をじっくり打った。

 それにしても、久々の打剣のため、たかが3間程度の近距離にもかかわらず、最初は尺的すら外す始末・・・。

 手裏剣は、稽古不足が如実に現れる武芸だなあと、しみじみ思う。

 小半刻ほど3間強(的から10歩の間合い)の基本打ちに集中して、ようやく「板金を打つ心」(フルパワーで殺しに行く気勢)での打剣で、4寸的に集剣するようになった。

 やれやれ。

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▲3間強から「板金を打つ心」での打剣例。5打中3本は寸的にまとまっているが、1本は右にそれ、1本は的に刺さっている手裏剣の剣尾に当たってはじかれた



 剣術では昔から、刀を殺し、技を殺し、気を殺すという3つの留意点を「三殺法」と呼ぶ。

 それになぞらえて、手裏剣術の打剣における三殺法は、手首を殺し、力を殺し、心を殺すことである。

 「手首を殺す」というのは、手首のスナップを絶対にかけないこと(スナップをかけると、剣尾を叩いて首落ちする)。

 「力を殺す」とは、力んで腕を振らないこと(力を入れて腕を振ると、手離れが遅れて首落ちする)。

 「心を殺す」とは、平常心で的=敵に向かうこと(手裏剣の打剣=刺中の結果は、驚くほどメンタルの影響を受ける)。

 この3つの要点が1つでも欠けていると、手裏剣は刺さらない。

 では、具体的に、手首をどう殺すのか?

 力を殺しながら一打必倒の打剣の威力をどう担保するのか?

 どのようにして平常心を保つのか?

 これらはすべて、当庵の口伝である。



 手裏剣の稽古というのは、なかなか上達しない一方で、下達するのは目に見えて分かるものだ。

 かつては私も、直打で7間まで通したのだけれど、最近は稽古不足で5間が限界である。

 もっともここ数年は、距離を延ばすよりも精度や威力を重視しているので、5間を超える中・長距離はまったく稽古していない。

 いずれにしても、武芸として手裏剣術を標榜するのであれば、3間尺的への集剣・的中は必要最低条件だ。

 これは、もう10年以上も前から指摘していることだが、太刀合における手裏剣の実践間合は1間半~2間半である。

 私の記憶が確かなら、旧ソ連の特殊部隊におけるナイフ投げの訓練距離も約2間であった。

 彼我、相対する勝負の場においては、手裏剣術者にとって1間は近すぎ、3間では遠すぎるのである。

 だからこそ普段の稽古では、必ず3間以上、4間までは通さなければならない。

 なぜなら、固定されて動かず、反撃もしてこない的に対して3~4間が通せないレベルの術者が、2間半以内の間合いで、しかも動き回りあるいは我に向かって突進し反撃をしてくる殺意を持った剣術者を相手に、一打必倒の手裏剣を打つことなど、できるわけがないからだ。

 こうした「厳しさ」を己に課して稽古に臨まなければ、手裏剣術は単なる見世物やパフォーマンス、あるいは的当て遊びの手慰みとなってしまう。

 最近は行っていないけれど、4~5年前まで当庵では、3~4間間合で的の横に打太刀を立たせて打剣をする相対稽古をしていた。

 この間合で、しかも「板金を打つ心」で、防具をつけていない生身の人間を的横に立たせて手裏剣打つ稽古は、本当に命がけである。

 これは、十分に稽古を積んだ手裏剣術者同士(手裏剣を打つ者は3~4間で4寸的必中、的横に立つ打太刀は相対稽古で2間から打たれた手裏剣を完璧に避けることができる技量が必要)だからこそできる稽古だ。

 しかも万が一の場合、ケガや障害を負っても自分で責任をとる「覚悟」のある者だけができる稽古である。

 ゆえに、こうした稽古は一般の武術・武道人には推奨しないし、打剣未熟な者は絶対にまねをしてはならない。

 しかし、見世物やパフォーマンスではなく、手裏剣術を「武技」として鍛錬しようという人には、意義の深い稽古であろう。

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▲刀法併用手裏剣術の組稽古。間合3間で、打太刀の横の的に、実際に手裏剣を打つ(平成26年度翠月庵秋季合宿にて/仕太刀:吉松章、打太刀:瀬沼健司)



 最近は、こうした厳しい手裏剣術の稽古をしていない・・・。

 知命の歳を前にして、私もいささか「ぬるく」なってしまったのかなあと、遠い目になる今日この頃である。

 (了)

A Prayer for the Dying/(手裏剣術)

2019年 03月09日 23:50 (土)

 思えばもう、3月も上旬が終わる。

 振り返れば先の2月は、無冥流・鈴木崩残氏の祥月であった。

 まことに残念なことだが、彼の晩年、私たちは袂を分かつこととなった。

 しかし、そうであっても、2006年から2015年まで約10年間に渡って、共に手裏剣術の可能性を模索してきたことは、私にとって終生忘れる事の無い記憶である。

 そして、無冥流投剣術の核となる「重心理論」と、手裏剣に関するさまざまな実験や考証の成果は、今も翠月庵流の手裏剣術に脈々と受け継がれている。

140106_円明流手裏剣1
▲鈴木崩残作 円明流手裏剣 写し


 (了)

一打必倒の打剣/(手裏剣術)

2019年 02月02日 22:12 (土)

 本日は翠月庵の定例稽古。

 今回は手裏剣術の稽古を中心に。

 私は5間直打でゆっくりと肩を慣らした後、2間~3間~4間~5間と移動しながらの連続打ちを稽古。

 その後、門人に手裏剣術運用形を指導する。

 翠月庵流の手裏剣術では、長剣と翠月剣(短刀型手裏剣)による3間直打(順体、逆体、歩み足の運足3種)という基本ができるようになると、次に「手裏剣術運用形」を学ぶ。

 これは、「前敵」、「左敵」、「右敵、「後敵」、「前後敵」、「左右敵」、「突進」の7本の形で構成され、それらがさらに順体と逆体の2パターンあるので、合計14本の形となる。

 「前敵」から「左右敵」までの形は、前後左右各方向への打剣を錬るための形であり、最後の「突進」は正面への打剣から手裏剣を馬手差し(鎧通し)として用い刺突する動作の基本を錬るためのものだ。

 これら運用形は、3間間合で行うのが基本だが、特に初学者については2間間合からの打剣でもよい。

20160409_演武打剣
▲苗木城武術演武会での、翠月庵主による演武。手裏剣術運用形「前敵」を披露。
3間直打・歩み足で、翠月剣を打つ(2016年4月)



 運用形に続いては、動作線上の前後に的を立て、前後打ちと左右打ちを指導する。

 前後打ちについては、1.順体から順体、2.順体から逆体、3.逆体から順体、4.逆体から逆体の4種の打ち方があり、これら4種がさらに、転身の方向によって表(左回り)と裏(右回り)に分かれるので、合計8パターンの打ち方に変化する。

 左右打ちも同様に、合計8パターンの打ち方に変化するので、前後・左右打ちで総計16パターンの運足・体勢から、3間4寸的への的中(単なる刺中ではない)を鍛錬する。

 こうした多様な運足と体の転換を伴う打剣の稽古をしていると、初学者の場合、「何が何だか分からなくなる・・・」ようである(笑)。

 いずれにしても翠月庵流の手裏剣術では、武術としての手裏剣術を習得するために、順体でも逆体でも、歩み足でも送り足でも、前後左右、あらゆる方向にあらゆる体勢で、あらゆる運足を用いながらあらゆる拍子で、一打必倒の打剣ができることを目指すのである。

 ただし、打剣の前に的の前で宙返りをしたり、前転・後転・側転をしてから手裏剣を打つなど、見世物的あるいはパフォーマンス主体のいわゆる「華法」は、身体能力の表現や狭義の打剣技術としては見事であっても、対人攻防としては武術における拍子の位や間積りを無視し、動作そのものに居着いた無駄で不必要な動き、いわば「死気体」であり、そのような打剣は当庵では是としない。

 翠月庵流の手裏剣術の極意は、ただスタスタと無心に相手に歩み寄り、踏み込んで剣を放ち、一撃で相手の死命を制する、

 「生死一重の至近の間合からの、渾身の一打」

 である。

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▲香取神宮境内での奉納演武にて、50名以上の居合道家を前に、
「刀法併用手裏剣術」の形を披露する(2007年5月)



 本日の稽古のシメは、柳剛流長刀(なぎなた)の指導。

 柳剛流の長刀は免許秘伝の業であるが、その体動はあくまでも、修行者が最初に学ぶ柳剛流剣術の「右剣」や「左剣」の延長線上にある。

 この2つの剣術形に習熟してこその、極意の長刀なのだ。

 こうした点をしっかりと門人に説明しながら、みっちりと打太刀を務めた。



 さて本日の稽古で、武術伝習所 翠月庵の行田稽古場での稽古は、通算399回となった。

 来週で400回である。

 開庵から、足かけ12年。

 当庵で手裏剣術の稽古をした人の数は、延べ人数で300人以上となる。

 「延べ」人数でね(苦笑)。

 そのうち7間以上を直打で通したのは、私と翠月庵師範代の吉松章氏を含め、計3名。

 翠月庵流手裏剣術の「目録」を受領した門人は2名。

 花も嵐も踏み越えて、たかが400回、されど400回・・・・・・。

 (了)

「離れ」をおしまぬ事/(手裏剣術)

2018年 11月24日 21:43 (土)

 本日は翠月庵の定例稽古。

 久々に一刻の間、ひたすら打剣に専念する。

 ここのところ、手裏剣の稽古は柳剛流に比べて二の次だったこともあってか、最初は基本中の基本である3間直打で難渋する。

 これでは到底、手裏剣屋とは言えんね・・・(苦笑)。

 1時間ほど打っていると、ようよう感覚が戻ってきて、なんとか4間直打、板金を打つ心(フルパワー)で、尺的程度には集剣するようになった。



 しかし、何年やっていいても、手裏剣は難しい。

 そして打剣の要諦は、つまるところ「手離れ」、この一点であることを改めて実感する。

 首落ちするのは、すべからく、手離れを惜しむからだ。

 知新流の印可伝授書に、

剣の上より立つは離れを惜しむ故也。 手離れをおしまぬ様に心得打つ事専一なり。



 とある通りである。



 この冬は改めて、手裏剣術にも気を入れて稽古しなければ。

 板金を打つ心での、4~5間尺的と3間4寸的について、より精度を上げていきたいと考えている。

 また、飛刀術や刀法併用手裏剣術についても、この冬はみっちりと稽古していこう。

 なんといっても手裏剣術は、翠月庵にとっては12年来の表看板なのだから。

 精進せねばなるまい。

DSC_9317.jpg

 (了)