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柔はやはり相対稽古/(古流柔術)

2020年 07月09日 11:31 (木)

 先の本部稽古では、久しぶりに柳生心眼流の「取返」をたっぷりと稽古した。

「梃子の原理を最大限に活用しながら攻防を繰り返し、技の極まらぬうちに逃れ、反撃に移る技法を形として伝えるもの」(『柳生心眼流兵術』小佐野淳師著)

 という柳生心眼流の「取返」について、それができるようになった、きわめて個人的な感動体験(笑)については、以前、本ブログに書いた。

柳生心眼流 「取返」/2017年 06月26日
https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-1145.html



 以来、できるだけ多く「取返」の稽古をしたいと思っているのだが、当たり前のことながら、相手も「取返」ができないと稽古ができないので、実際にはこれまで、兄弟子の関西支部長が本部にみえられたときにしか、稽古ができなかった。

 そこで、現在、翠月庵ではY師範代のみが心眼流の稽古をしているので、今年は彼に「取返」ができるようになってもらおうと思っていたのだが、春からのコロナ禍で稽古をすることができず、今に至ってしまった。

 素振二十八ヶ条を基本とし、日本の古流柔術の中では、比較的一人稽古がしやすい柔(やわら)である柳生心眼流とはいえ、それが対人攻防の武技である以上、やはり受と取で行う相対稽古は絶対に欠かすことができない。

 それをしみじみと実感している、今日この頃である。

1902_柳生心眼流_1


 (了)

鉄扇術の「鉄砲捕」/(古流柔術)

2020年 05月20日 18:19 (水)

 昨夜は久しぶりに、鉄扇術の形をおさらいした。

 個人的に鉄扇という武具には、なにか不思議な魅力を感じる。

 同じ短い棒状の武具・武技でも、十手や短棒、鼻捻といったものについては特別な感慨は無く、

「ああ、そうですか・・・」

 という感じなのだけれど、どういうわけか鉄扇となると、

「鉄扇っ!!!!」

 と、俄然、興味とモチベーションが高まるのである。

 我ながら、実に不思議だ。

 ま、嗜好というのは、そういうものなのだろう。

2005_鉄扇
▲鉄扇と木扇いろいろ。下から、甲陽水月流の稽古用木扇(手抜き紐付き)、真ん中の2本は日常差し用の八寸の鉄扇、上は黒檀の舞扇型木扇



 私の鉄扇術は、師より直接御指導いただいた国際水月塾武術協会制定の日本柔術(甲陽水月流)に含まれるものである。

 形は「蔓絡捕」、「魔王返」、「鉄砲捕」、「木葉返」、「鉢砕捕」の全5本で、古流柔術や剣術(小太刀)にある程度習熟した者であれば、いずれも比較的容易に習得できる技法群となっている。

 私はこの中でも、特に「鉄砲捕」という形=業がお気に入りだ。

 実にシンプルな業である。

 しかし、技を掛けられると一瞬で取り押さえられてしまい、おまけにたいへんに痛い。

 実に、骨に染み入る痛さである(苦笑)。

 鉄扇(木扇)の形状を活かし、一瞬で流れるようにかける、この「鉄砲捕」という形=業は、ある種の芸術性すら感じさせる。

 具体的にどのような形=業なのか気になるという人は、師の著作である『図説 武器術』(新紀元社)に掲載されているので、ぜひ参照されたし。

2005_鉄砲捕
▲『図説 武器術』(小佐野淳師著/新紀元社)より、鉄扇による「鉄砲捕」



 ただしこの業は、図解を見るだけでは、その魅力が十分に伝わらないのではないかと思う。

 直伝で実際に技を掛けられ、また自分が掛けることで、

「なるほど! こんなにシンプルで、しかも鉄扇という武具ならではの特性を生かして、これほど強烈に掛かるのか・・・」

 と実感できる。

 武道においては、百聞は一見に如かず、さらに一見は一触に如かずということだ。

(了)

当身の鍛錬/(古流柔術)

2020年 05月15日 12:57 (金)

 昨夜は柴真揚流の稽古。

 柔術表早業の居捕と立合投捨、合計32手を丁寧におさらいする。

 稽古のシメは、いつものごとく当身台への打ち込み。

 まずは正座した状態から、居捕の形の動きに則って「左巴」と「右巴」の蹴足、「片胸捕」や「両胸捕」での電光への拳当て、また「巌岩」や「横車」での水月への拳当てなどの打ち込みを反復。

 次いで立合投捨の形から「馬手捕」や「弓手捕」での電光や雁下への拳当て、「巌岩落」での頭突き、「小手返」での肘当てをくり返す。

 以上の当身の稽古は、いずれも畳にウレタンマットを重ねた当身台への打ち込みである。

 ここで注意したいのは、柔(やわら)の当身の稽古では、畳を当身台として使う場合、必ず畳の上にウレタンマットなどを重ねて、打突面にある程度の柔らかさを持たせることだ。

 ご案内の通り、柔の当身は多くの場合、空手道の正拳のように拳の拳頭(第三関節基部)、あるいはボクシングのようにナックルパート(拳の第二関節と第三関節の間の平面)を当てるのではなく、握り込んだ拳の第二関節部分を当てる。

 柴真揚流でも、それは同様である。

2004_柴真揚流_拳
▲柴真揚流で用いる、親指を握り込んだ形の拳。指の第二関節部分を当てる



 あるいはその他の流派でも、空手道やボクシングのように拳頭やナックルパートを当てるということはなく、柔における拳の当身のほとんどは、指の関節部で当てるものだ。

2004_柳生心眼流_星彦十郎系_その他古流柔術諸派_拳
▲星彦十郎系の柳生心眼流や竹内流など、柔術諸派でよく見られる、人差し指と中指の第二関節部で当てる拳



 ちょっと変わったものとしては、私が若い時分に旧師から学んだM流には、親指の第一関節、人差し指と中指の第二関節と、3点で当てる独特の拳での当身もあった。

2004_T流_拳
▲親指の第一関節、人差し指と中指の第二関節と、3点で当てる独特の拳。他流ではあまり聞いたことがない。拳の3点を同時に当てるために、打ち込み方や使い方に独特の工夫がある



 こうした柔術の拳形で打ち込み稽古をする場合、ウレタンマットなどを張らない素のままの畳では表面の弾力性が乏しく、しかも打突面が平らなため、拳の形の性質上、当て心地があまりよろしくない。

 そもそも柔の当身の鍛錬は、空手道の正拳のように拳を固めて武器化することを意図していないので、当身台の打突面が固い必要はない。

 衝撃力で対象物を破壊するのではなく、電撃的な打突で急所を打ち、相手の抵抗力を奪うことを主な目的としている柔術拳法での当身の威力を錬るには、ある程度の柔らかさを持った打突面を持つ当身台の方が、より良いのである。

 そこでは、

・当身の当て心地を知る事
・威力の乗せ方を体感的に覚えること
・意識せずとも正確な打突位置(急所)を打撃する習慣を身につけること

 などが、主な目的となる。

200312_柴真揚流_当身1
▲水月、雁下、電光など、「殺」の位置に無意識でも正確に当てられるように、当身台への打突を繰り返す。当て心地や威力の乗せ方を知るために、当身台の打突面にはウレタンマットを張り付けるなどして、ある程度の弾力性を持たせることが重要だ 



 柴真揚流では、下段の蹴当てを多用するため、それ用の当身鍛錬具も工夫している。

 上記のような畳の当身台の下段部分へ蹴込を繰り返すのはもちろん、45×40×30センチの段ボールに古新聞を入れて重しとしたものを、下段蹴込専用の当身鍛錬具として使っている。

 畳の当身台と違い、この段ボール製蹴込鍛錬具は置く位置を自由に変えられるので、形の動きに合わせた位置にその都度置いて、蹴込を当てることができるのがいい。

 そして何よりコストパフォーマンスが高く、壊れたらすぐに捨てて(段ボールも新聞紙・古雑誌も、資源ごみに出せるのでエコである)、新しく作り直せることも魅力だ(笑)。

 この蹴込鍛錬具も、蹴足の威力(打撃力)を養成するのではなく、物体への当て心地や威力の加え具合(当身は身の内一・二寸)を体得することが大きな目的だ。

2005_柴真揚流_当身
▲柴真揚流の蹴足稽古用段ボール。中に古新聞や雑誌などを入れて、蹴りで吹っ飛ばないように重みをもたせている。また蹴足を当てる部分には、タオルなど古布を内側に入れて、弾力性を持たせている



 こうした一人稽古での当身の鍛錬を普段から十分に行った上で、形の相対稽古でも上位者が受を取る場合には、取はある程度の威力で実際に当身を入れ、さらに適宜、防具を付けて十分に威力を乗せた当身を加える稽古もしなければならない。

 特に、これは古流柔術だけでなく、空手道の稽古や指導も含めた経験上実感していることなのだが、初心者は精神的な抑制がかかることもあり、実際に本物の人体へ、全力で打撃を打ち込むことが意外にできない。

 「当てていいよ」と言われても、無意識のうちに手加減をしたり、力を抜いてしまうのである。

(ただし、精神に異常をきたしている者や生来粗暴な暴力的性癖の強い者、弟子・生徒として教えを受ける立場ではなく何らかの害意を持っている者や、指導者を試してやろうと思っている者などは、武道初心者であってもこの限りではない)

 だからこそ初学の者に対しては、上記のような段階的な稽古を適切に積み重ねながら、実際に人体に対して、

「適切な当身」

 が加えられるよう、指導していくことが重要だ。

 また中級以上の者に対しては、実際の闘争では形の想定通りに当身を入れることは非常に難しい(相手は自由に動き、反撃してくる)ということも、十分に認識させておく必要がある。

 この点の意識づけをおざなりにすると、妄想を肥大化させただけの、武術の本質とはかけ離れた表面的な「形名人」を育てることになってしまうので、指導する者は十分な注意が必要だ。

 (了)

清明心―柴真揚流の稽古で「呪い」を解く/(古流柔術)

2020年 05月02日 00:48 (土)

 世の中がどう流れようと、稽古は続く。

 今晩は、柴真揚流。

 柔術表早業居捕、1本目の「左巴」から17本目の「二人捕」までを、じっくりとおさらい。

 当身の威力を意識して、拳当ては肘脇、肘当ては腋脇、蹴足は膝脇の、いわゆる「裏内」に気力を集めて打突するよう心がける。

 さすがに今日は八十八夜だけに、小半刻も形を取っていると、鉢巻が汗でびっしょりとなる。

 もう、夏も近いのだ。

 稽古後半は鉢巻を前結びに結び変え、受の動作のおさらい。

 門人との稽古では私が受をとるので、受の間合や動作、踏み込みや体捌き、さらに受は打刀や小太刀、短刀も使用するので、それらの使い方も確認し反復する。

 早くコロナ禍が収まり、思う存分、相対稽古がしたいものだ。

 その日が遠くないことを信じて、今は一人で「業」を磨いていこう。

 稽古の終わりは、いつも通り当身台への打ち込みでしめた。

2005_柴真揚流_諸道具
▲拙宅の一畳稽古場にて、柴真揚流の稽古に励む



 実は今週、週の初めに心底から不愉快になる出来事があり、それ以降、猛烈な怒りの感情に捉われていた。

 しかし今夜、無心で柴真揚流の稽古を繰り返しているうちに、なにかようやく「呪い」が解けたように思う。

 憤怒の感情に捉われては、取るに足らない小人にすら、足をすくわれてしまう。

 今はただ一心に、清き明き心で稽古に励むのみだ。

 佞人の発する、善人の仮面をかぶった悪意という「呪い」。

 それに心底からの怒りを感じたとはいえ、これほど憤怒に捉われてしまうとは、私もまだまだ武人として修行が足りないなと、深く自戒した次第。

 (了)

死の影、そして素振二十八ヶ条/(古流柔術)

2020年 04月23日 02:06 (木)

 私の住まいからもそれほど遠くない埼玉県白岡市で、新型コロナウイルスに感染し、軽症だとして自宅待機中だった50代の男性が死亡した。

 今月16日に感染が確認されたが、軽症だとして入院できる病床が空くまで自宅で待機することを余儀なくされていたという。

 その結果、21日午前9時すぎに、連絡が取れないことから男性の父親が自宅を訪ねたところ倒れているのを見つけ、搬送先の病院で死亡が確認されたということである。

 感染確認から、わずか5日後の急死だ。

 ちなみに埼玉県内では、病床がひっ迫していることなどから、20日までに感染が確認された676人のうち半数以上の370人が自宅での待機を余儀なくされている。



 上述の男性と同様、私も50代でひとり暮らし。

 その死は、けして他人事ではない。

 この病気は感染すると、最初は軽症でも急変して死に至ることがあるのだ。

 にもかかわらず、いまだにパチンコ屋で密集したり、県外の観光地に押し掛ける人が絶えないなど、この感染症をあまりにも軽く考えている人が多すぎるように思えてならない。

 そもそもこれは人類にとって未知のウイルス感染症であり、たとえ軽症や無症状だとしても、どんな後遺症が残るのかも分かっていないのだ。

 欧米の研究では、症状が軽快した後も、免疫不全や臓器に深刻な後遺症を残す例があるとの報告もある。

 とにかくこの病気には、慎重過ぎるほど慎重に対応するべきだ。



 本日は夕方までに、とある民間資格に関するインタビュー原稿をアップ。

 ホッケと高野豆腐を肴に冷酒で軽い晩酌を済ませ、二刻ほど仮眠。

 その後、エアロバイクから筋トレで身体を温め、今晩は柳生心眼流の稽古。

 まずは「卍」、「巴」、「水平」の振りで心身を整える。

 次いで「天の振り」から「横周転の振り」までの単独素振り。

 そして、「表」、「中極」、「落」、「切」と、素振二十八ヶ条を振る。

 過日、本部稽古にて師よりご指導いただいた、右手首の使い方と重当ての要点に特に留意しつつ、「表」から「切」までの二十八条を丁寧に繰り返す。

 稽古のしめは、実践応用稽古の復習、そして当身台への打ち込み。

 当身台への打ち込みでは、周転山勢巌からの肘当てと、跳び込んでの重当てを集中的に行った。



 それにしても、柳剛流や荒木流の居合を除けば、私が稽古している武芸の中でも一人稽古のしやすさという点で、柳生心眼流はやはり頭抜けた存在だ。

 素振二十八ヶ条は、一人で、いつでもどこでも稽古ができるのがいい。

 一つの形は初めから終わりまでわずか20秒足らずで完了する動作なので、仕事の合間でもちょっとした時間があれば振ることができるし、もちろん集中して一時間、二時間と稽古することもできる。

 まさに、このコロナ禍において、一人稽古に最適の古流武術だといえるだろう。

 ただし、やはり心眼流の稽古の醍醐味は受と取りの二人で相対して形を取る組形にある。

 コロナが収まり翠月庵での定例稽古が再開したら、存分に組形を取りたいものだ。

 また今年は、Y師範代を相手に取返の稽古がみっちりとできるよう、仕上げていきたいと思う。

 そのために、今は一刻も早くコロナが終息するよう、できるだけ家に居よう。

1902_柳生心眼流_2

 (了)