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再自粛の可能性と柳剛流の鍛錬/(柳剛流)

2020年 07月10日 14:32 (金)

 昨日、東京都内の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の新規感染者が224人となりました。

 また、今、この瞬間に入った速報(NHK)では、本日も東京では240人以上の新規感染者が確認されたということです。

 先週から連日100人台、昨日からは倍の200人台の新規感染者数が続いており、感染症の専門家の中には、

「パンデミックの第二波が始まった」

 と指摘する人もいます。

 同様に、翠月庵の稽古場がある埼玉県でも、新規感染者数の増加が続いており、最近は連日20~40名が新規感染。

 拙宅のある市でも、再び新規感染者が増えており、感覚としては先の自粛期間のまっさかりであった、4月上旬のような状況になっているように思えてなりません・・・。



 このため、本日以降も東京や埼玉での新規感染者数の増加が続く場合、翠月庵の定例稽古について、再び自粛とすることも検討しています。

 とりあえず、この週末から来週末までの新規感染の動向をみて、判断する予定です。

 思うにどうも最近、なんとなく社会全体で感染症対策への緩みを感じるところですが、引き続き十分な注意をしてください。

 また、仮に再び定例稽古が自粛となったとしても、門人諸氏は動じることなく粛々と、一人稽古に励んでください。



 柳剛流は総合武道です。

 剣術の組太刀ができないのなら、ひたすら居合を抜いて「跳斬之術」を磨いてください。

 また、初学の人は剣術の「備之伝」を、切紙以上の人は「備十五ヶ条フセギ秘伝」を、徹底的に練磨してください。

 たとえば、私は自宅での稽古の際、鏡に映った自分の構えに対し、これをフセギ秘伝で防ぐ一人稽古を必ずやります。

 真剣に「気」を込めてこれを五分もやると、かなり精神的に疲れますよ(笑)。 

 剣術や突杖などの形について、打太刀や仕太刀を仮想して、丁寧におさらいするのも良いでしょう。

 このように、一人稽古は工夫次第でいろいろなことができます。

 その上で繰り返しになりますが、柳剛流における一人稽古の王道は、やはり居合です。

 徹底的に居合を抜いて、跳斬之術のための強じんな下半身を作りましょう!

 そして、いずれコロナが本当に落ち着いたあかつきには、たっぷりと組太刀を稽古しましょう。

DSCN0681_柳剛流居合


「習へ遠く心や雲となりにけり 晴てそたたぬ有明の月」
(柳剛流剣術目録巻 武道歌)


 (了)

柳剛流と三和無敵流、稽古と調査/(柳剛流)

2020年 07月03日 09:35 (金)

 柳剛流の親流儀のひとつが心形刀流であることは比較的よく知られているが、もう1つの親流儀に三和無敵流があることは、意外と知られていない。

 大河原有曲から心形刀流の蘊奥を学んだ岡田惣右衛門は、廻国武者修行の際、常陸の名流である三和無敵流を廣澤源右衛門から学んだことが、残された史料から分かっている。

(なおウイキペディアでは、そのほかに東軍新当流や山本流[当流]などを修行したとあるが、関東周辺の柳剛流研究の第一人者である辻淳先生はこれについて、「山本流(当流)の修学については確実ではなく、東軍新当流についてはそれを示す史料や文献を見たことがない」と、問題点を指摘している。そのほかにも、ウィキペディアの柳剛流の記述は、いまだに誤りや不確実な記載が少なくないので注意が必要だ)

 心形刀流が主に柳剛流の剣術に影響を与えているのに対し、三和無敵流が柳剛流の殺活術をはじめ、突杖や長刀に影響を与えたであろうということは、これまでも本ブログで触れてきた通りである。



 こうした影響のさらに具体的な考察のためには、三和無敵流の史料だけでなく、その実技を検証できれば良いのだが、残念ながら同流はすでに絶流して久しいようだ。

 手元の史料を紐解くと、昭和33(1958)年発行の『盛岡藩 改訂増補古武道史』(米内包方著)の巻末にある「各県に現存する諸流」という章に、

「神奈川 三和無敵流 (現師範)鈴木時次郎」

 という記述があるが、この鈴木師範が最後の伝承者だったのだろうか?

 機会があれば、調査をしてみたいと考えている。

 これに関連して先日、1996年発行の『秘伝』誌に、山田実先生ご執筆の三和無敵流に関する記事があることを知ったので、現在取り寄せているところだ。



 調査という点では、以前、複数の武術研究に関する先輩方からご連絡やご指摘をいただき、数年前まで登米に現存していた柳剛流柔術とその伝承者であるN氏について情報提供をいただいた。

 その上で、コンタクトを取ろうと何度か試みたのであるが、まことに残念ながら成果が上がっていない。

 あと10年、いや5年早ければ、何らかの情報が得られたのではないかというところで、悔しい思いをしている。

 また、仙台藩角田伝の某師範家の末裔という方からご連絡をいただき、伝書類を見せてくださるということで、「使いの者に伝書を渡し、連絡するように言っておいた」とのお知らせを受けたのだが、結局、その後、先様からの連絡が途絶えてしまったということもあった。

 さらに柳剛流柔術に関しては、上記『盛岡古武道史』に、関東地方での伝承者の記述があり、その伝承者に関係するであろうご親族と思われる方の所在までおおよそ当たりがついているのだが、私の多忙もあり、まだ直接コンタクトをするところまでには至っていない。



 このように、柳剛流に関連して調査すべき課題はまだ山積しているわけだが、何しろ私は研究者ではなく、柳剛流という伝統武道の実践者・伝承者である。

 ゆえに私の本義は、柳剛流という兵法の武技の練磨、そして伝承と後進の育成であることは言うまでもない。

 ありていに言えば、自分の稽古と門人への指導が最優先であり、事績の調査・研究はあくまでも補助的なものだ。

 武道人として、この優先順位を見失っては本末転倒である。

 この点を心しておきながら、フィールドワークも少しずつ進めていきたいと考えている。

 なにはともあれ、まずは柳剛流の稽古そして指導。

 話はそれからだ。

1705_松代演武_柳剛流左剣

 (了)

足切り論争/(柳剛流)

2020年 06月30日 11:48 (火)

 ツイッターで情報発信を始めてから、およそ1か月。

 頑張って、基本的に毎日3回、柳剛流に関する話題を中心につぶやいている。

 おかげさまで、いいねやリツイートをしてくれる方もいてくださり、たいへんにありがたい。

 それらの方々のプロフィールを拝見すると、武道関係者よりも歴史ファンの人の方が多いのかなあという感じである。

 ま、発信している私自身、武道関係者向けというよりも、それ以外の方々により広く、柳剛流をはじめとした古流の伝統武道を知ってほしいというのが第一の目的なので、いまのところ順調に情報発信ができているかなと思っている。

 アラシとかクソリプも、今のところは無いしね。

 今のところは・・・(笑)。



 発信が多くなった分、これまで以上にツイッターをみる機会も増えたのだが、まあ、いろんな人が、いろんなことをつぶやいているんだねえ。

 そんな中で先般は、剣術の「足切り」が話題になっていた。

 当然ながら、そういう話題なので柳剛流の名前も挙げられ、なかには脚斬りについて使えるとか使えないとか、いろいろと論評をする人々も見られた。

 五十路を過ぎて足るを知った老荘の徒である私としては、面識のない武道関係者たちの論談の場に、のこのこ「当事者」として乗り込んでいって論争をするのは面倒くさいので、そっと読むだけに留めていた次第。

 それにしても、まあ皆さん、言いたい放題なわけだが(苦笑)、そういう文言を見ると、他流の人々が脚斬りという技、あるいはそれを代名詞としている柳剛流をどう見ているのかが分かって、これはこれで非常に勉強になる。

 また、脚斬りという業について否定的な認識や、誤解・誤謬というか、そういうものを他流の人々が持っているというのは、逆に「兵法」としては、むしろ我々にとって都合がよいことでもあるので、多としたいところでもある。

 その上で、一言記しておくと、

「面に隙ができるとか、間合いが近いとか、下半身の力が必要とか、そういう課題はもう、我々は200年以上も前に、すべて検討し、解を導きだし、クリアしている」

 ということである。

(なんか、似たようなセリフが、某格闘漫画にあったような・・・)

 脚斬りの難しさや剣術技法としてのメリット・デメリットについて、それらを活かしあるいは解決するための技術的工夫、鍛錬法、応用、心法といったものは、柳剛流においてはすべて流祖・岡田惣右衛門によって編み出され、まとめ上げられ、形や口伝として我々現代の修行者にまで伝えられている。

 ゆえに、これはもう何度も書いてきたことだが、

「相手と見合っている状態から、反射神経に頼ってやぶから棒に脚に斬りつけるような粗雑な業は、柳剛流にはない」

 ということだ。

 こうした反証の例として、脚斬りへの疑問を示した剣道家の記者に対し、仙台藩角田伝柳剛流6代師範・佐藤健七先生が、実際に立ち合った結果が、昭和53年発行の雑誌『剣道日本』に記されている。

1907_柳剛流_佐藤健七先師
▲仙台藩角田伝・佐藤健七先師による、柳剛流剣術「左剣」(昭和53年)/(『剣道日本 続剣脈風土記 陸前柳剛流』より)



 また、これも何度も書いているけれど、脚斬りだけが柳剛流の業や勝口(かちくち)ではない。

 たとえば立合いで左上段に構えて、「脚を斬るぞ! 脚を斬るぞ!」と色を見せた上で、おもむろに横面をひっぱたく(竹刀打ちの稽古の場合、無礼な人間や敵対的な相手に対しては、ここで耳を抜く)というのも、柳剛流の試合稽古におけるひとつの勝口である。

 ここでは、

「柳剛流は脚を斬る」

 と、相手に思わせれば思わせるほど、我にとっては有利になる。

 「脚斬り」という技で、相手の心を居着かせて勝つのだ。

 空手道でたとえれば、下段蹴り(ローキックや関節蹴り)が得意技だからといって、空手家は組手の試合や地稽古で、下段蹴りだけで勝つわけではない。

 下段を蹴るぞ、下段を蹴るぞと色を見せて、刻み突きや逆突きを相手の上段に叩き込むのも、典型的な勝口である。

 こんなことは、ことさら言い立てなくとも、剣術はもとより、柔(やわら)や空手、拳法など、試合稽古や地稽古を地道にやっている真面目な武道人なら、誰でも理解しているごく初歩的な戦術であろう。

2001_柳剛流_青眼左足頭
▲柳剛流剣術 「青眼左足刀」



 私自身も時として陥りかねないので、大いに自省しているのだけれど、他流の業を一知半解で、公に論評するというのは、技術論として未熟なことはもとより、そもそも武道に携わる者として、たいへんに失礼なことだ。

 たとえば、一刀流や新陰流をよく知らない私が、あえて公の場で、切り落としや合撃を批判しても、それは技術論として的外れなだけでなく、それらの流儀をまじめに稽古している方々に対して、たいへんに無礼な行為であろう。

 ところがそのような言説が、ツイッターという世界では匿名のもとに、縦横無尽に飛び交っている。

 しかも、それらの人々の中には、武道の素人さんや初心者だけでなく、それなりの流派のそれなりの立場にあるであろうと思しき者もいて、他流の業や術を気安く論評しているわけだ。

 いやまことに、ツイッターという世界は修羅の巷、ある種のハッピーな地獄絵巻なのだなあと、改めてしみじみと実感する。

 ま、フェイスブックのように、中高年が承認欲求全開で、えんえんと実名でマウントを取り合っている世界もまた、違った意味で地獄絵図なんだけどナ・・・(笑)。

 そういう意味では、ツイッターの方がまだ、ある種、気楽でいいのかもしらんネ。

 南無八幡大菩薩。

 (了) 

地力を錬る/(柳剛流)

2020年 06月27日 11:34 (土)

 昨晩は柳剛流居合の稽古。

 「向一文字」と「切上」の2本を繰り返し抜く。

 抜き付けの序破急を意識し、二尺八寸八分の刀をいかに鋭く遣うかに留意した。



 先週から再開した翠月庵の定例稽古だが、当面の間はソーシャルディスタンスを保った上での柳剛流居合、あるいは警視流や神道無念流の立居合の稽古を中心としている。

 剣術にせよ柔(やわら)にせよ、相対稽古の再開については、7月以降も慎重にならざるを得ないようだ。

 なにしろ、都内では連日40人から50人の、埼玉県内でも10人前後と、自粛解除後、新規感染者が再び増えてきており、到底、楽観できない状況になっているからである。

 有効なワクチンが開発され、臨床で広く使われるようになるまでは、コロナ前の暮らしには戻れないということか・・・。



 それでも稽古は怠れない。

 幸いなことに柳剛流は総合武術であり、剣術だけでなく居合があり、突杖があり、長刀(なぎなた)もある。

 組太刀の稽古ができなければ、引き続き居合に精進し、柳剛流の地力を徹底的に錬ること。

 これに尽きる。

1910_柳剛流_居合_新武館

 (了)

下段に附ける/(柳剛流)

2020年 06月09日 11:13 (火)

 昨晩は柳剛流の稽古。

 備之伝、フセギ秘伝、剣術をおさらいしたあと、目録の小刀伝や二刀伝、鎗・長刀入伝について、手控えや口伝書を参考にしつつ、木太刀を執る。

 その延長で、思うところあって続けて柳剛流の長刀(なぎなた)を振るった。

 ところで、一言で長刀を「下段に附ける」といっても、その形態は流儀によってさまざまである。

 手元の書物をひも解いても、たとえば同じ古流の長刀でも、直心影流と天道流では、ずいぶんと下段の構えの趣が異なる・・・。

 そんなことを考えつつ、ひとしきり長刀のおさらいをした後、そのまま興がのってしまい、入浴後、園部秀雄刀自著の『学校薙刀道』(昭和11年)を読みながら床についた。

1805_柳剛流長刀
▲柳剛流長刀 「上段左足」



 さて、本日午後は、久しぶりに都内で打ち合わせだ。

 リモートでない仕事の打ち合わせは、なんと2カ月半ぶりである。

 まったくコロナ禍は、「この世界」の姿をすっかり変えてしまったのだなあと、しみじみ実感する次第。

 (了)