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初心に還る/(柳剛流)

2019年 05月29日 11:53 (水)

 夜、柳剛流の稽古。

 備之伝から剣術、そして突杖から長刀(なぎなた)までをおさらいした後、次の週末に新人のA氏へ指導する要点についてつらつらと考える。

 初学者への指導は、忘れてしまった己自身の初心の頃を思い出させる。

 かつて、初めて手にとった刀の、なんと重かったことか・・・・・・。

 素振りひとつ、受け流しひとつにも難儀した、かつての自分自身の姿を糧に、ひとつひとつ丁寧に指導していかねばならぬ。

 まずは備之伝、そして剣術の「右剣」と「左剣」の形がしっかりとできるようになることを目標に、一歩ずつゆっくりと習得してもらえればと思う。

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「大道無門、千差路有り。此の関を透得せば、乾坤に独歩せん」

(大道に入る門は無く、到る所が道なれば、無門の関を透過し、あとは天下の一人旅)『無門関』より



 (了)
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師家の無制約/(柳剛流)

2019年 05月28日 11:21 (火)

 日本を代表する剣術流派のひとつである某流のホームページに、その流儀を代表する高名な師範への破門状が公開されていた。

 他流のことであるし、詳しい事情も分からないので私が論評を加える余地はないのだけれど、なんというか宗家(家元)制度の暗黒面を改めて見せられたようで、

 「ああ、あの由緒ある、業前も見事な●流も、結局はこういうことになるか・・・」

 と、いささか暗澹たる心持ちである。

  *  *  *  *  *

 形而上下すべてにおいて、ひとりの宗家(家元)が門人を統制して隷属下に置こうとする、宗家(家元)制度や不完全相伝制の武芸には、常に内紛や権力闘争の火種がくすぶる。

 一方で、免許皆伝を得ればその師範は独立して一門を構え、自律的に門弟を取り立て許状も発行できる完全相伝制の武芸には、そのような「暗さ」がない。

 翻って柳剛流をみれば、流祖以来、完全相伝制を墨守しており、実力さえあれば年齢や修行年限に関わりなく免許皆伝を許し、独立を促してきた。

 このため数多くの「柳剛流●×派」が生まれ、それぞれが業前を競いつつ、流祖伝来の「術」と「法」を広く全国に普及させていったのである。

英名録3
▲万延元(1860)年発行の『武術英名録』には、さまざな師範家の柳剛流の名が記されている



 古流武術研究で知られる埼玉大学の山本邦夫教授は、これについて、

 「柳剛流特有の師家の無制約」

 であると指摘している。

 実際に柳剛流祖・岡田惣右衛門は、晩年に高弟であった仙台藩石川家中の一條左馬輔に岡田姓を譲り、柳剛流の正式な二代目継承者としたものの、それ以前もそれ以後も、いわゆる宗家(家元)制のような強力な流儀の統制は敷かなかった。

 ゆえに、たとえば角田伝と同じ仙台藩領内でも、登米地方では野村大輔~吉田勝之丞~半田卵啼系の登米伝柳剛流が角田伝とは別に興隆し、その道統は平成時代まで続いた。

 あるいは伊勢では、直井勝五郎~橘内蔵介系の紀州藩田丸伝柳剛流が数多くの人に稽古され、現在も松阪市の三村幸夫先生御一門によって、その道統が守られている。

 江戸府内では今井(林)右膳や岡田十内が多いに勢力を張り、上総では古川貢や行川幾太郎が東金周辺に柳剛流を伝えた。

 そして、流祖生誕の地である武州では、松田源吾、岡安英斎、綱島武右衛門、飯箸鷹之輔、深井源次郎などそうそうたる柳剛流師範家たちが、それぞれ数百から数千人単位の門弟数を誇り、流儀の興隆を競いあっていた。

 これらの事実はいずれも、流祖以来の完全相伝制を墨守した柳剛流の先師・先人たちの、清々しい「在りよう」を現しているといえよう。

  *  *  *  *  *

 昔も今も、宗家(家元)制や不完全相伝制による門人への統制の強化や修行階梯の複雑化は、ともすると宗家(家元)なり組織の長なりを頂点とする不健全な権威主義につながり、あるいは宗家(家元)とその周辺の佞臣たちが門人から金品を吸い上げる拝金主義に堕してしまう蓋然性を否定しえない。

 それゆえにか、柳剛流祖・岡田惣右衛門という人は宗家(家元)制や不完全相伝制をとらなかった。

 修行階梯を整理して門人の時間的・経済的な負担を軽減し、実力のある者には年齢や修行年限に関わらずに免許皆伝を与え、宗家(家元)に権威や金品を集中させることなく、各々の師範たちに自律と独立を促したのである。

 こうした事績をみるに流祖という人は、権力欲や名誉欲、金銭欲などといったものに汚されない、度量の大きさと心映えの清らかさを兼ね備えた武人であったのだろう。


 令和の時代となった今、流祖伝来の柳剛流を稽古する我々も、流祖のような度量の大きさと心映えの清らかさを体現できるよう、日々の稽古を通じて業前はもとより、心もしっかりと磨いていきたいものだと、しみじみ思う。

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▲仙台藩角田伝 柳剛流剣術 「右剣」


 「分けのほる鹿の道は多けれど
           同じ高根の月を詠めん」(柳剛流 武道歌)



 (了)

初学に極意あり/(柳剛流)

2019年 05月09日 16:54 (木)

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▲柳剛流剣術 「左剣」



 柳剛流の修行は「右剣」と「左剣」に始まり、「右剣」と「左剣」に極まる。

 初学者が最初に学ぶこの2つの剣術形=業に込められた「事」と「理」とが、免許秘伝の長刀(なぎなた)にまで通底するのだ。

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▲柳剛流長刀 「上段右足」



 柳剛流を学ぶ者は、初学者も上級者も、常にこの2つの「形」が指し示す事理に立ち返り、己の「術」を高めていかなければならない。


 「花紅葉冬のしら雪時しそと
       思えば悔し色にめでりけり」(柳剛流剣術目録巻 武道歌)


 (了)

令和元年度 諏訪明神社奉納演武会/(柳剛流)

2019年 05月06日 11:19 (月)

 5月5日は、国際水月塾武術協会主催の諏訪明神社奉納演武会であった。

 本殿へ参拝の後、午後1時から始まった演武には水月塾本部をはじめ、関西支部、姫路稽古会、横浜稽古会、そして我々埼玉支部も加わり、それぞれが日頃の鍛錬の成果を神前に奉納した。

 埼玉支部からは私を含めて3名が参加。

 柳剛流兵法から剣術、突杖、居合、そして師に打太刀を執っていただき長刀(なぎなた)を披露した。


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▲柳剛流剣術 「晴眼左足頭」(仕太刀:吉松章 打太刀:瀬沼健司)


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▲柳剛流突杖 「ハジキ」(仕杖:長峰浩二 打太刀:吉松章)


190505_柳剛流_居合_水月塾演武
▲柳剛流居合 「向一文字」(瀬沼健司)


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▲柳剛流長刀 「右首巻」(打太刀:小佐野淳師 仕太刀:瀬沼健司)



 柳剛流祖・岡田惣右衛門生誕の日の翌日、こうして神前に柳剛流の業を奉納できるのも、何か不思議な縁(えにし)のように感じられる。

 そんな想いを胸に、今後もさらに柳剛流兵法の錬成に努め、このかけがえのない業=身体文化を後世に伝えていかなければならないと、しみじみ実感した次第。


 「打つ人も打たるる人も打太刀も
          心なとめず無念無心そ」(柳剛流免許巻 武道歌)



 (了)

流祖生誕の日に/(柳剛流)

2019年 05月04日 00:00 (土)

 先生は江戸の人(※1)、諱は奇良(よりよし)、総右衛門と称す(※2)。初め伊庭直保に従い(※3)、心形刀流を学び、つとに其奥を窮む。

 而して未だ自ら慊(あきた)らず、遂に海内を経歴してあまねく時の名家に問う。輙(すなわ)ち、往きて其技を較べ、又従いて其理を講究す。

 資性の美、加うるに積累の功を以てして、変動すること神の如く。

 独得の妙、一世勍敵無し。

 顧みておもえらく、諸家の法は観る可しと雖も、要は皆議す可く有り。吾は我を愛するによらざるを得ざる也と。

 因って一家の法を立て、命(なづ)けて柳剛流と曰う。

 蓋し剛柔偏廃する可からざるならん。

 既にして誉望益々震い、四方の士争いて其門に造るは、百川の巨海に帰するが如し。

 而して伊勢三河の両国、即ち先生淹留すること年有り。故を以て門人尤も多し。

 脚を斫(き)る之術、是より先の諸家未だ嘗て講ぜざる所にして、先生意を以て之を剏(はじ)め、特に其妙を極む。

 文政丙戊九月、享年七十(※4)。病にて家に於いて終わる。

 爾後、海内其遺法循習する者、日増月盛。嗚呼、亦偉なるかな。

 (「柳剛流祖岡田先生之碑」(石巻市大門崎)より、一部抜粋)



※1)生地は江戸ではなく、正しくは武蔵国葛飾郡惣新田。
※2「総右衛門」は誤りで、正しくは「惣右衛門」。
※3)伊庭直保の直弟子ではなく、直保の弟子であった大河原右膳に師事をしている。
※4)正しくは、62歳で逝去。

  *  *  *  *  *  *  *

 柳剛流祖・岡田惣右衛門は今から254年前の明和2年3月15日、西暦に置き換えると1765年5月4日、つまり本日、現在の埼玉県幸手市である武蔵国葛飾郡惣新田に生まれた。

 流祖生誕の日に、私は終日、水月塾本部で柳剛流の稽古をし、翌5日は神前にて柳剛流の業を奉納させていただく。

 毎年のことながらこの2日間は、流祖の御霊により強く想いを馳せながら、木太刀を執り、刀を抜き、長刀(なぎなた)を振るおうと思う。

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▲柳剛流長刀 「切上」


 (了)