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二尺八寸八分での柳剛流居合/(柳剛流)

2020年 03月24日 00:36 (火)

 ここしばらく、自宅での柳剛流居合の稽古では、二尺一寸の無銘または二尺二寸の市原長光を遣っていた。

 しかし、いずれも真剣とはいえ短いのでばかり抜いていると、それはそれで腕が鈍るので、昨夜は二尺八寸八分の稽古用居合刀を抜く。

 久々に行う長尺刀での柳剛流居合は、最初のうちこそ少々難儀をしたが、5分も抜き差しをしていると、身体がなじんでいつも通り抜けるようになる。

 拙宅の屋内稽古場(別名・台所)は、稽古できるスペースが1畳ちょっとしかないので、この長尺刀ではこれまで、1本目の「向一文字」と5本目の「切上」しか抜くことができなかった。

 2本目の「右行」や3本目の「左行」、あるいは4本目の「後詰」では、体捌きや鞘引きをすると鞘がそこらへんにぶつかってしまい、スムーズに抜けないのである。

 しかし昨晩は、ふと、

「右行や左行、後詰も、ここで抜けるかもな・・・」

 と感じ、スラスラと抜いてみると、それなりに遣うことができた。

2003_柳剛流_居合
▲柳剛流の聖地・角田の新武館にて、柳剛流居合を遣う



 ひとりの剣術遣いとしての個人的な好みを言えば、私は長い刀はあまり好きではない。

 二尺一~二寸の短めで身幅や重ねの厚い刀が、心身ともに一番しっくりとくる。

 しかし、柳剛流居合の主たる眼目はあくまでも「鍛錬」であるため、稽古ではできるだけ長い刀を使うことが望ましい。

 また、柳剛流の偉大な先達たちが佩用し、あるいは稽古で使ったであろう差料を拝見すると、たとえば仙台藩角田伝柳剛流の佐藤彌一郎先師の佩刀は刃長三尺一寸六分・柄一尺一寸超であった。

 あるいは、江戸で活躍した大師範・岡田十内の差料も三尺八分と、双方ともたいへんに長い刀であることは、意味深長である。

 いずれにしても柳剛流の士たるもの、刀が短かろうが長かろうが、流儀の真面目である「断脚之太刀」と「跳斬之妙術」を存分に遣えるよう、平素から鍛錬を怠らないことが大切だ。

1908_柳剛流_佐藤彌一郎先師居合刀
▲刃長三尺一寸六分に及ぶ、佐藤彌一郎先師の佩刀


 小半刻ほど二尺八寸八分を抜き差しした後、我が愛刀・監獄長光二尺二寸一分で改めて柳剛流居合を抜くと、まるで脇差を振るっているようだ(苦笑)。

 この感覚ひとつとっても、柳剛流居合では平素から長尺刀での鍛錬が重要なのだと、改めて実感した次第。

2003_長光
▲私の愛刀・監獄長光。銘「長光」、2尺2寸1分、反り4分 元幅1寸5厘、先幅7分7厘、元重2分6厘、先重1分8厘。身幅広く、重ね厚く、切先は古風かつ豪壮な猪首風。刃文はのたれに丁字風乱れを加え、沸え崩れや飛び焼きが独特の景色を見せる

 (了)
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稽古自粛のため、柳剛流の一人稽古/(柳剛流)

2020年 03月22日 00:46 (日)

 新型コロナウイルス感染症予防のため、まことに残念ながら翠月庵の定例稽古は中止。

 このため拙宅にて、一人稽古に励む。

 本日は柳剛流の長木刀をせいせいと振るいたいので、屋内ではなく団地の私道で1時間半ほど汗を流した。

・準備運動/四股(50回)
・柳剛流/備之伝、備十五ヶ条フセギ秘伝、素振り、剣術、長刀
・柳生心眼流/素振二八ヶ条
・整理運動/四股(50回)

 仙台藩登米伝柳剛流の大家であった沼倉清八師範は、柳剛流の剣に加え、柔(やわら)として柳生心眼流の免許皆伝でもあったという。

 偉大な先達に自分如きを重ね合わせるのはおこがましいのだけれど、柳剛流の剣を振るい、その後、心眼流の当身拳法を鍛錬していると、

「かつて、沼倉師範もこのように稽古をされたのだろうか・・・」

 などと、想像の翼が広がる。

 なおちなみに、私たちが伝承している仙台藩角田(丸森)伝柳剛流剣術の師範方の多くは、心極流の躰術を兼修されている方が多かったと伝えられている。

2003_柳剛流_佐藤新治先生碑
▲柳剛流剣術と共に、心極流躰術の伝承にも努めたと伝えられる、伊具郡丸森町にある佐藤新治先師の頌徳碑



 ところでニュースによれば、埼玉県知事やコロナ対策担当の国務大臣が開催自粛を要請しているにも関わらず、今日、埼玉スーパーアリーナで1万人規模の観客が集まる格闘技のイベントが行われるのだという。

 今この時期に、この状況の中で、県や国の要請を無視して、密閉空間に1万人以上を集めて格闘技の興行を強行するというのは、疾病予防や公衆衛生という観点からみれば、人々の生命を危険にさらす、

「テロ行為」

 に等しいといって、過言ではないだろう。

 現在、埼玉県内では多くの武道やスポーツ関係者・団体が、新型コロナウイルス感染症の流行を防ぐために、稽古や試合、イベントなどを自主的に控えているなかで、このような大規模な格闘技イベントを、行政の自粛要請を無視して行うというのである。

 しかも、イベント主催者は感染予防のために十分な対策をするとしているのだが、その具体的な内容を確認したところ感染症対策としてはお寒いかぎりで、到底、クラスターの発生を予防できるとは思えない。

 こういう無責任で、金儲けしか考えていないきわめて利己的な行動に対して、埼玉県民として、また地域で伝統武道の振興に携わっている者としても、非常に強い憤りを感じる。

 このように、営利優先で公共の福祉や地域の安全を考えない、

「反社会的な活動」

 を平気で行える無神経さ、公衆衛生に対する鈍感さ、つまり社会性の低さゆえ、「K-1」という格闘技は公共性のあるスポーツにはなりえず、しょせんは「色物の興行」としてしか、社会に認知されないだろう。

 武道関係者はもとより、スポーツとしてまじめに格闘技に取り組んでいる多くの人たちは、こうした「興行系格闘技」の反社会的行為に対し、もっと真剣に怒るべきだと私は思う。

 (了) 

ある日の一人稽古~柳剛流兵法/(柳剛流)

2020年 03月12日 02:02 (木)

 さて、今晩は柳剛流の稽古。


1.有酸素運動/エアロバイクを最大負荷で(30分)
2.ストレッチ各種
3.筋トレ(下記のメニューを15分以内で)
・プレスアップ(横)×20、クランチ×20、ランジ×20、レッグレイズ×20、小太刀片手素振り×60、ベントニーシットアップ×20、カーフレイズ×100、サイハンドスライド×20、プレスアップ(縦)×20、レッグレイズ×20、リアシザーズ×50、ツイストクランチ×20
4.柳剛流兵法(40分)
・備之伝/上段、中段、下段、向青眼、平青眼、斜青眼、中道、右陰、左陰、下陰、八艸、頓保、丸橋、右車、左車
・備十五ヶ条フセギ秘伝
・剣術(右剣、左剣、飛龍剣、青眼右足刀、青眼左足刀、無心剣、中合刀、相合刀)
・居合(向一文字、右行、左行、後詰、切上)
5.刀の手入れ(10分)

 以上、合計95分。 
  1908_柳剛流_新武館にて


 柳剛流において、一人稽古の根幹となるのは居合である。

 このため柳剛流居合の形は、実践のためのスキルというよりも、柳剛流の術技が自由自在に遣える、「身体を作る」ための鍛錬という意味合いが色濃い。

 こうした点を念頭に、切紙を目指す初学者は、まずは丁寧に形の動作を覚えることを心がけてほしい。

 一方で、切紙以上の修行人は、柳剛流の真面目たる「跳斬之術」を習得するための鍛錬として、徹底的に居合を抜き、跳び違いでの斬撃を繰り返し、強い下半身を作ることが重要だ。

 その際、補助的な鍛錬として、新聞紙を一枚広げ、その上で飛び違いながら、新聞紙を破らずに居合を抜くという鍛錬法がある。

 切紙以上の者はこの鍛錬法を、積極的に一人稽古に取り入れると良いだろう。

2003_柳剛流_居合


 なお居合の稽古に関して、翠月庵では行田稽古場での稽古の場合、特に初学者には居合稽古用の模造刀使用を推奨している。

 これは、行田稽古場は野天稽古場のため、真剣を使う場合に風雨や雪などの心配があること(刀が錆びる、柄が傷む・・・)、また指導上、時として初学者に対しては、刀身に触れて指導をする場合があるためである。

 一方で、初学者でも真剣を所持している人は、自宅での居合の稽古では、模造刀よりも真剣の使用が望ましい。

 当然ながら、切紙以上の者で真剣を所持しているなら、自宅での居合稽古では、真剣の使用が大前提だ。

 これは言うまでもないことだが、いくら居合の稽古用といっても模造刀は所詮は模造品。

 真剣と模造刀とでは、形而上下あらゆる意味で、武具としての「重み」(単なる重量のことではない)が違うのである。

 ゆえに剣術者たるもの、己の心丹を錬るためにも、居合の一人稽古ではできるだけ真剣を用いるべきだ。

 我々は常に、「触れれば切れる」「振るえば相手を打ち殺す」、極めて殺傷力の高い武具を扱う「業」=「術」を鍛錬しているということを、忘れてはならない。

 また、刀匠が心魂を込めて打った日本刀は「惟神の霊器」ゆえ、稽古後の刀の手入れも大切な「心の稽古」だ。

 きちんと端座・面壁し、丁寧に愛刀を手入れすることは、武人の嗜みと心得るべきである。

 (了)

令和金色夜叉/(柳剛流)

2020年 03月04日 01:32 (水)

 23時過ぎに、ようやっとインバウンドの原稿を書き終わる。

 そして、いそいそと稽古着に着替え、日付をまたぎながら柳剛流の稽古。

 居合を抜き、剣術のおさらいを終えて、

「さて今晩はこれくらいにして、風呂に入る前に洗い物でもしちまおうかな」

 と思っていると、スマホにメールが。

 先日から入札していた、ヤフオクに出品されている柳剛流の切紙について、これまでは私が最高額入札者だったのだが、高値を更新されたとの知らせである。

 「チッ!」

 っと、おっとり刀でさらに1万円まで入札したが、それでも入札額を超えられず。

 今月は20年間使っていた刀ケースが壊れてしまい、修理に出すために別のを新調したこともあって、これ以上の投資はできない。

 ということで、落札を断念した。

 そこで、せめてアップされている画像だけでも史料にと、スクリーンショットでコピーをしておいた次第。

 ああ、この柳剛流の伝書もまた、どこかの好事家のタンスの奥深くにしまわれ、永遠に日の目を見ることはないのか・・・。

 ま、いい。

 私には、流祖・岡田惣右衛門伝来の剣術、居合、突杖、長刀、そして各種口伝という、仙台藩角田伝柳剛流免許皆伝の実技全伝が、あるじゃあないか!

 南無八幡大菩薩。

1911_柳剛流_切紙
▲昨年のフィールドワークで拝見した、仙台藩角田伝柳剛流5代師範・佐藤金三郎先師が、4代師範・泉冨次先師より受領した「柳剛流剣術切紙」

 (了)

柳剛流平法の徒として、悪疫下の世を想う/(柳剛流)

2020年 03月03日 11:55 (火)

 悪疫と政府の愚策のため、日用品や食品の買占めが目につくようになっている今日この頃。

 買い物先のスーパーマーケットやドラッグストアの売り場では、冗談抜きでちょっと殺伐とした雰囲気すら漂っている。

 災害や疫病の際、こうした人心の荒廃が怖ろしい。

 ネットを覗くと、自称ジャーナリストで元ニュースキャスターの女性や、ナチズムを肯定する資産家の美容外科医などが、さかんに「武漢肺炎」という言葉を連呼し、人種差別と外国人嫌悪を煽っている。

 差別や迫害につながることから、WHOでは新興感染症について、特定の地名を付けた名称で呼称しないように促しているのだが、これらネトウヨのオジイチャン・オバアチャンたちは、おそらく意図的なのであろう、くどいほどに「武漢」という言葉を繰り返している姿が、なんとも醜悪だ。

 ツイッターでも、こうした特定の地名を意図的に結び付けた、差別的な病名をしつこく繰り返しているネトウヨ系アカウントが目に余り、日本人の心の醜さを目の当たりにさせられるようで、心底ゲンナリとする。

 かつて関東大震災の際にデマを煽り、あるいはそれに踊らされて、罪のない外国人たちを虐殺したのは、きっとこういう人々なのだろう。

 彼ら彼女らが、どんなにおちょぼ口で「美しい国でござい」、「誇り高き民族であります」などと叫んでも、日本人の品格は、近代日本の新思想における理想的な高みを表した2つの名著『武士道』と『茶の本』の上梓をピークとして、以後、現在までの100年間は劣化する一方なのだなあと、しみじみ絶望する。

 本当にこの国を思い、この国の伝統を愛し、世界の中で誇れる日本あるいは日本人でありたいと望むのであれば、他者を侮り、いたずらに見下し、作らぬでよい敵をあえて作るような行為は愚の骨頂であることに、なぜに彼ら彼女らは気づかないのだろう。

 また、こうしたネトウヨと言われる人々は、「売国奴」とか「非国民」などという、なんとも薄汚れた過去の亡霊のようなコトバをよく使う。

 しかし、いたずらに憎しみをあおり、無害な他者を排撃し、諍いの種をまき散らす、「自称・保守」の彼ら彼女らこそ「売国奴」であり「非国民」ではないだろうか?

 彼ら彼女らは、

「よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」

 という明治天皇の御製を、もう一度赤心から読み直すべきであろう。


 
 柳剛流兵法は、「柳剛流平法」とも称す。

 そして流儀の先達は、

「武道を学ぶ人は心の和平なるを要とす」

 と諭し、

「当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すをもって要と為す」

 と教えた。

 幸いなことに当庵の門人には、特定の国や民族を憎み攻撃するような差別・排外主義者は一人もいないが、万が一にもそのような心根の醜い者がいたとすれば、すみやかに当流の門から立ち去るべきだ。

 柳剛流はその本義として、

 「武術之儀は護国之」

 という思想を掲げている。

 つまり武人の育成=人格の陶冶こそが、その剣の根本命題なのだ。

 ゆえに、流儀の稽古を重ねて業前が上がるほどに、弱い人や恵まれない人にも心を寄せる「仁」の精神が、欠かすことのできない徳目として求められる。

 なぜなら、「仁」あっての武勇であり武徳だからだ。

 逆に言えば、他者を思う「仁」の心が薄く、弱い人にも心を寄せる「惻隠の心」を解さない没義道漢には、柳剛流の剣を学ばせてはならない。

 柳剛流の先達は、

「人之行ひ正敷して其上に武有はよし、行い正しあらさる時武有は人をも害あるのみならず、己をも害する事出来者也」

 と喝破した。


 こんな時代だからこそ、流祖・岡田惣右衛門以来の「断脚之太刀」を学ぶ我々は、先師・先人たちの教えを改めてかみしめる必要があるだろう。

2002_柳剛流_殺活免許


「まけてのく 人を弱しと思うなよ 智恵の力の強き人なり」
(中山柳剛流・中山多七郎の修行帳より)


 (了)