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こんな時には、柳剛流居合の鍛錬/(柳剛流)

2020年 02月28日 12:19 (金)

 新型肺炎の流行で、来週からは学校も休校になるとか。

 相変わらず地元のドラッグストアや薬局ではマスクも消毒用アルコールも品切れ状態。

 増産しているというのだけれど、こんなに品薄というのは誰かが買占めをしているのだろうかね?

 昨日あたりからは、各種イベントも次々と中止が発表され、私も3月に楽しみにしていた素浄瑠璃が中止になったり、行政関係の雑誌の取材が1か月先送りになったりと、いささか影響を受けている。



 翠月庵の定例稽古については、集まる人数がそれほど多くないこと、また屋外の開放空間での稽古であることなどから、今週末の稽古は予定通り実施、3月以降も今のところ予定通りに行う予定だ。

 しかし流行の具合によっては、急遽中止にすることも想定している。

 門人諸氏にはすでに、

「無理をして稽古に来ないように。体調不良の人はもちろん、家族に体調の悪い人がいる場合や、稽古場への通い中の感染が心配な人は、躊躇なく稽古を休むこと。1か月や2か月稽古を休んでも、武術人生の大勢に影響はありません。武術よりも、自分の健康と家族の安全、そして仕事の方が大切です! 定例稽古が無ければ、その分自主稽古に励んでネ」

 といった通達を出してある。



 こういう時にも総合武術である柳剛流は、いくらでも稽古のやりようがあるのが良い。

 自宅稽古中心で剣術の組太刀ができないのであれば、居合を徹底的に錬ること。

 柳剛流の居合は鍛錬形であり、これを徹底的に行うことで、跳斬之術を支える強靭な下半身を作り上げるのである。

 また、畳1畳のスペースがあれば存分に鍛錬できるのも、柳剛流居合の特長だ。

 さらに熟練者なら、床に新聞紙を敷き、その上で跳び違いながら居合を遣う鍛錬がオススメ。

 その際、敷いた新聞紙を破かないように、跳び違うことが重要だ。

 これができるようになると、剣術での跳び違いがたいへんに容易になり、跳び斬りがシャープかつコンパクトになってくるのである。

1810_柳剛流居合_演武1
▲できるだけ低く、その場で跳び違いながら長尺刀で斬撃を加える柳剛流居合



 外出を控えて自宅にいることが多くなるのなら、この機会にぜひ、徹底的に柳剛流居合を抜こう。

 (了)
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跳斬之術の鍛錬、木刀と模造刀/(柳剛流)

2020年 02月26日 12:54 (水)

 昨晩は柳剛流の稽古。

 先週末、翠月庵の定例稽古で指導のために仕太刀を遣った際、

「ちょっと、跳べてないな・・・」

 と感じたことから、跳び斬りの素振りに集中。

 しばらく、拙宅前で木太刀を振るっていたのだが、残念なことに雨が降り出してきたため屋内へ。

 さすがに拙宅内の稽古場(別名・台所)では、四尺四寸二分の長木刀は振るえないので、二尺二寸の木刀に持ち替えて、跳び斬りの基本でもある「右剣」と「左剣」の形を繰り返す。

 木刀の長さがこれだけ変わると、手の内や腕の振りもそれに合わせて微妙に変化する(させる)わけだが、一方で身体そのものの使い方は、木刀が長かろうか短かろうが、その根源は変わってはならない。

 そういう意味で、柳剛流の形=業=術は、基本的には長尺刀の特性を活かしたものであるのだが、仮にも目録や免許を許された者なら、逆に刀や木刀あるいは撓が長かろうが短かろうが、柳剛流の術=強みを十分に発揮できるだけの業前がなければならない。

 実際、柳剛流の史料をひもとくと、一般的な寸法の木刀や短めの真剣(軍刀)などで、形稽古や演武を行ったという記録も散見される。

 こうした点で、普段はめったに行わないのだが、先の定例稽古では剣道形用の模造刀で柳剛流の剣術形の稽古をしたのだが、普段の長木刀に比べると、また違った感覚があり、切紙以上の稽古者は、こうした稽古も折にふれてやっておくべきだろう。

 実際、仙台藩角田伝柳剛流の七代師範である佐藤正敏先生が公開で演武をされた際は、木刀ではなく刀を用いて行ったと聞く。

 また、手元にある『剣道・伝説の京都大会(昭和)―徳江正之写真集』(体育とスポーツ出版社) を見ると、紀州藩田丸伝柳剛流の三村先生も、木刀ではなく刀で演武をされているのが分かる。

 このように柳剛流では、木刀ではなく刀での形の演武もけして珍しいものではなかっただけに、我々もそのような稽古にある程度習熟しておく必要があろうかと思う。

IMG_0902_柳剛流剣術


 (了)

九寸五分と鉢巻、そしてスピリタス/(古流柔術)

2020年 02月25日 10:07 (火)

 巷では、新型肺炎が猖獗を極めているということで、稽古以外、できるだけ人込みを避けるようにして自宅に引き籠もり飲んだくれている・・・のではなく仕事をしている(爆)。

 こういうとき、すでに生活に関わる買い物の半分以上がアマゾンやヨドバシ・ドットコムになっているというのは、ありがたい。

 そんな中、柴真揚流の稽古に使う九寸五分の木刀と鉢巻を購入。

 これまで、稽古用の短刀タイプの木刀を持っていなかったので小太刀の木刀で代用していたのだが、一尺五寸ほどの小太刀と九寸五分の短刀ではあまりにも寸法が異なり、形稽古の際の体捌きや間合、拍子が異なってしまうのが気になっていたのだが、これで正しく稽古ができる。

2002_柴真揚流_武具
▲新たに購入した九寸五分の木刀と鉢巻。下段は水月塾謹製の鉢巻



 鉢巻については、私は師よりいただいた水月塾謹製のものを使っているのだが、門人諸氏はこれまで鉢巻が無かったので、短刀と併せて人数分を購入した。

 なおちなみに水月塾謹製の鉢巻には、古式に則って額の部分に刺し子が施してある。

 今回新たに門人用に購入したものは出来合の鉢巻で刺し子はないので、各人、自分あるいは奥さんや彼女(LGBTQの時代なので、旦那さんや彼氏でも結構ですが・・・)にお願いして、チクチクやってください。

2002_柴真揚流_鉢巻
▲鉢巻の額に当たる部分には、古式に則って刺し子が施されている。



 ちなみに伝書をひも解くと、柴真揚流では手拭いを鉢巻にしてつける礼式が伝えられている。

 その際、手拭いの折り方について、「陰陽」や「天地人」といった東洋哲学の考え方を用いて説明しているのも興味深い。

 また実践者として思うのは、鉢巻をつけて柔(やわら)を取ると、なにもしていない時よりも気持ちが「ピリッ」とするものだ。

 さらに余談だが、「気持ちがピリッとする」といえば、師の教えによれば柳生心眼流の返し(ムクリ・マクリともいう)には導引養生の効果もあるとのことで、確かに素振り二十八ヶ条の組形で受をとり返しを行うと、なんとなく気鬱が晴れるような気がするのはプラセボだろうかね・・・?

 東洋医学的に考えると、返しを取る=後方回転をすることで、「気逆」を整える効果があるようにも思われるが、いかがなものだろうか。



 ところで、疫病の流行で今月のはじめ頃から、近所のドラッグストアや薬局からマスクはもちろん消毒用のアルコールも、まったく姿を消してしまった・・・。

 幸いマスクは親しい人から当面間に合う分を譲ってもらい、消毒用のアルコールも近所のドラッグストアにあった最後の1本が買えたので、しばらくの間はもちそうである。

 しかし今後、悪疫の流行は数カ月間続きそうであり。マスクも消毒用アルコールも不足あるいは高値が続きそうだ。

 そこで取り急ぎ、消毒用アルコールの代替品としてスピリタスを購入。

 こいつを1.2倍に希釈すれば、最も殺菌効果の高い80%濃度の消毒用アルコールとなるわけだ。

 飲んじまわないように、気をつけなければいかんね(笑)。

2002_スピリタス
▲幸い早めに注文したので定価で買えたが、現在は3倍くらいの高値となっている。マスクの転売屋もそうだし、東日本大震災の時もそうだったが、こうした災害時に高値で暴利を貪る悪徳商人が実に多い。ま、日本人の民度など、所詮こんなもんということか・・・。「令和の打ちこわし」が必要かもね

 (了)

『日本剣道史第十号柳剛流研究(その一)』の投げ売りに想う/(武術・武道)

2020年 02月24日 18:23 (月)

 ちょっと前からヤフオクで、森田栄先生の『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その一)』が、何冊も続けて出品されている。

 どなたか、まとめて所蔵していた人から古書店に流出したのだろうか?

 私が確認している限り、ここ3週間くらいの間に同一業者から3冊が出品され、すでに2冊が落札されている。

 それにしても腹立たしいのは(苦笑)、これらがいずれもわずか2,000円という安値で落札されていることだ。

 私がこの柳剛流に関する貴重な史料(非売品)を入手したのはもう何年も前、やはりヤフオクでの落札だったが、その際、他の落札希望者との競争で値段が吊り上げられ、最終的に20,000円以上の金額でようやく落札した。

 2万円以上である。

 180ドル以上だ。

 166ユーロ以上ですよ。

 70兆ジンバブエ・ドル以上なんだよ・・・(※)。

 それが今、たったの2,000円と、私が買ったときの10分1の値段で売り買いされ、しかも次々と3冊も売りに出されているわけだ。

 いくら私が「足るを知る老荘の学徒」とはいえ、そりゃあ多少、むかっ腹を立てるのも人情ってもんでしょうよ。

 一瞬、

「いっそのことカネにモノを言わせて片っ端から買い占めてやろうか」

 とも思ったのだが(3冊買っても6,000円!)、さすがにそれはヒトとして野暮の極み。

 なにより柳剛流について、より多くの人に広く研究・考察していただくことは、実伝を継承し流儀の末席を汚す者として望むところでもあるので、心を鎮めて買占めは思い止まり、一人自家製の大根の漬物をかじりながら、唇をかみしめている次第・・・(涙)。

 この森田先生の労作は、時代的な制約から最新の調査・研究結果と比べると内容の誤りもいくつかあるのだけれど、それを補って余りあるほど貴重かつ重要な史料的価値の高いものだ。

 私が言うのもなんだが、購入した人はぜひ大切に味読・精読して、その価値を十二分に活かし、柳剛流の普及啓発や研究に役立てててほしいものである。



 悔しいといえば、去年、柴真揚流の詳細な手控えが記された伝書を落札し損ねたときも、まことに無念であった・・・。

 82,000円(!)まで値段が上がったため、私は涙を飲んだわけだが、今思うと誰かに借金してでも手に入れておくべきだったなあと、深く後悔することしきりである。

 オークション時に公開されていた画像は全部ダウンロードしておいたのだが、その内容を精読すると、我々が伝承している町川清先生~小佐野淳先生の系統の柴真揚流柔術早業とは異なる双川喜一系統の伝書のためか、形の取り口や技のかけ方が異なる点がいくつかあり、そういう意味でも興味深い貴重な史料であった。

 ちなみにこのオークションでは、例の「千人遠当て」の薬方について記した文面も画像が公開されていたため、その内容がツイッターでも広く流布され、いまやウィキペディアにまで掲載されてしまっているというのは、なんとも時代を感じさせる顛末である。

2002_柴真揚流_伝書
▲昨年、オークションに出品されていた柴真揚流の伝書。立合投捨「腰附」の取り口など、我々の伝承とは異なる点も少なからず見受けられる



 いずれにしても、落札した人はwebでいいから、内容を公開してくれんかねえ・・・。

 あるいは、いくらか謝礼を払ってもいいので、コピーさせてくれないだろうか?

 ・・・などと思うのだが、ま、いずれにしても覆水は盆に返らず。

 史料との出会いは一期一会だ。

 ここ一番で財力が無いのは悲しいねえという、貧しい流れ武芸者の嘆きであった。

 さて晩酌の肴に、スーパーで見切り品の刺身でも買ってくるかな・・・。

 嗚呼、南無八幡大菩薩。


(※)本日時点での、Amazonでの販売価格(10兆ジンバブエ・ドル紙幣=2,580円)からの換算。

 (了)

本日もまた居残りで、柴真揚流の稽古/(武術・武道)

2020年 02月23日 14:55 (日)

 昨日は翠月庵の定例稽古。

 いつものごとく、警視流立居合からはじめ、素振り、打ち込み稽古から、柳剛流の「右剣」と「左剣」をみっちりと指導。

 さらに今回は、目録・柳剛刀の一手である「飛龍剣」についても、解説しながら指導をした。

 また、見学・体験希望者が1名来訪したため、ひと通り形を披露した上で、体験として打ち込み稽古にも参加してもらう。



 定例稽古は14時から17時で終了なのだが、私とY師範代はさらに居残りで1時間ほど柴真揚流の稽古。

 小太刀居合である「素抜」をおさらいした後は、柔術早業の立合投捨15本の形を繰り返し取る。

 柔術も剣術も、人間を相手にした相対稽古で、みっちりと業を錬り込んでいかなければならない。

 「手順を知っている」「なれ合いなら技が効く」というレベルでは、それは到底武術とは言えまい。

 (あくまでも想定の上でだが)自分や大切な人の生命を守るべき「場」において、その一手に命を託せるか?

 今の時代、武術の業を実際に用いるようなことは、あってはならないことだが、柔(やわら)にせよ剣術にせよそのレベルにまで「術」を引き上げてはじめて、「本物の武術」といえるのではなかろうか。

 今年は特に柴真揚流について、相対稽古の数をできるだけ多く取り、形=業の質を上げていきたいと考えている。

2002_警視流拳法_2
▲久富鉄太郎著『拳法図解』(1888年)より

 (了)

柴真揚流における、当身の威力の源泉/(古流柔術)

2020年 02月22日 04:11 (土)

 晩酌の後にそのまま寝てしまい、目覚めると深夜2時過ぎ。

 いかん、今晩はまだ稽古をしていない・・・。

 そこで寝ぼけ眼で稽古着に着替え、本日は柴真揚流の稽古。

 表早業立合投捨を1本目の「馬手捕」から15本目の「三人捕」まで、丁寧におさらい。

 動きの中での「気合の大事」に留意しつつ、顔別・水月・雁下・電光・釣鐘・高利足といった「殺」の部位をしっかりと意識しながら形を取る。

 次いで当身台に対して、形の動きでしばし打ち込み稽古。

 特に拳での当身については、体幹の力積を活かした威力の伝え具合に注意する。

 ここのところ、柴真揚流の当身の威力=打撃力の源泉は、一文字の構えにあることを強く実感している。

 この構えをきちんととることで腰のキレが生まれ、かつ体幹の力積をしっかりと拳や蹴足に伝えることができるように思う。

 若いころ、柔(やわら)の稽古で一文字の構えを教わった際には、この構えの重要性というのがさっぱり理解できなかったのだが、最近、当身はもとよりその他の柔の術技においても、この構えの大切さを強く感じている。

2002_警視流拳法
▲一文字の構え。『柔術練習図解 : 早縄活法 一名・警視拳法』井口松之助 編より



 また、これはあくまでも私個人の感覚的認識なのであるが、柴真揚流の当身、特に拳での当身については、空手道における「山突き」が、非常に重要な示唆を与えてくれている。

 たとえばバッサイ大の後半で3回続けて行う山突き。

 これの分解を、上段突き受けと中段裏突きの同時動作とする。

 この、ショートレンジでの中段裏突きを、親指を握り込んだ拳で行えば、それはまさに柴真揚流柔術における拳での当身そのものである。

 これはまあ、技術として直接的な歴史的関連性の無い、

「武術的なシンクロニシティ」

 なのだけれども、空手道のバッサイ大の「山突き」が、私にとって柴真揚流の当身の理解に、たいへんに大きな示唆を与えてくれたことは間違いが無い。

 さらにいうと今から15年ほど前、競技組手では全く使われることのない「形骸化した技」である空手道の山突きについて、武術的・護身術的な有用性を教えてくださったのは、G流空手道のS先生だった。

 このS先生の教えがあったからこそ、柴真揚流の当身と空手道の山突きに関する武術的なシンクロニシティに気づくことができたことは、ここに改めて記しておく次第である。

黒帯会特別合宿
▲今から15年ほど前、G流の黒帯合宿にて、S先生より直接ご指導をいただいた際のひとコマ



 表早業立合投捨のおさらいの後は、居捕1本目の「左巴」について、表の形に加えて裏と裏々の形を復習。

 最後は柴真揚流独自の小太刀居合である「素抜」を抜いて、今晩の稽古は終了。

 その後、この文章を書いていたら、もうこんな時間である。

 明日(いや、すでに今日だ・・・)は翠月庵の定例稽古だ。

 新型肺炎対策としても、早く寝なければ・・・(苦笑)。

 (了)

「殺」を意識した打突/(古流柔術)

2020年 02月21日 12:20 (金)

 県立武道館の空手教室では、毎年2月が昇級審査の時期となっている。

 このため稽古も審査向けの内容になるのだが、あくまでも有級者の皆さんのみを対象にした審査である。

 ゆえにこの時期の稽古では、

「審査に関係のない有段者の皆さんは、できるだけ指導やアドバイスに回ってください」

 ということなので、私も有級者の皆さんを見て、気づいたことはできるだけ助言するように心がける。

 先日の稽古で一番気になったのは、中段突きで突く位置が高すぎる人が多いということだ。

 多くの人が、中段突きなのになんとなく己の喉あたりの位置を突いているので、水月の位置を正しく打突するようにアドバイスをする。

 思うに、突きの位置があいまいになってしまう人は、「殺」(急所)の意識が希薄なようだ。

 話を聞いてみると、上段突きは顔、中段突きは首から下くらいの大雑把な意識しかないようである。

 そこで上段なら人中あるいは下昆、中段なら水月または膻中と、「殺」の部位をしっかりと意識して突くことを強調した。



 この点は、翠月庵で古流の柔(やわら)を指導・稽古する際にも、常に留意しているところだ。

 殺活の伝は、どの流儀でもそれが伝授されるのは免許皆伝者など上級者のみに許されるものだが、実技としての「殺法」(急所への当身)は、初学の頃からしっかりと学び体得ができるよう、初歩で学ぶ形からすでに含まれているのが一般的だ。

 ことに水月の殺は、柔術の当身殺法における基本中の基本であり、かつ奥義でもあるだけに、初学のうちからしっかりと身体に覚え込ませ、無意識のうちにでも自然に当てることができるように鍛錬しておかねばならない。

 そういう意味で、例えば柴真揚流柔術早業では、一番最初に学ぶ形である表早業居捕の1本目「左巴」から、水月への蹴足で相手を当て殺すことが形=業=術の眼目となっているのは、たいへんに興味深い。

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▲居捕の1本目から蹴足で当て殺して極める、柴真揚流柔術



 なおちなみに、柴真揚流では水月の殺以上に、電光の殺を多用することも特徴的だ。

 電光の殺について、井ノ口松之助著『柔術生理書』では、

「此の法は、最も危撃にして万一を誤ればまた回復することなし難きに至るを以て、多く戦場等最も大事の場合にのみ施し、普通に用ゆる事なし」

 としている。

2002_電光
▲古流柔術を学ぶ者なら必携の名著・『殺活自在 接骨療法 柔術生理書』(井ノ口松之助著/八幡書店)より



 打撃系の武道や格闘技をやっていた人ならだれもが実感している通り、水月への当ては筋肉を固めてこらえることがある程度可能だが、電光の当て、いわゆるレバーブローは、ひとたび当てられたらどうにも耐えることが難しいほど効く。

 あれは、本当にきつい・・・。

 柴真揚流柔術では、そこを徹底的に殴り、そして蹴ることを教えるのである。

 さすが、悪者を素手で殴り殺していたら自分の手が痛くなったので、落ちていた瓦を拾って引き続き殴り殺したという流祖が創った柔術だけのことはある(爆)。

 いずれにしても、空手道にせよ古流の柔にせよ、そこに武術としての制敵要素を求めるのであれば、当身については「殺」を意識した打突を常に心がけ、それを徹底的に身につけておくことが大切だ。

 (了)

眼之大事と『五輪書』/(武術・武道)

2020年 02月20日 01:02 (木)

 一般的に、人は怒りの感情にかられ、その感情がコントロール不能にまで高まると、無意識のうちに目を見ひらくことが多い。

 そして、怒りで目を大きく見ひらいている時は、多くの場合、頭がやや後方に反って顎が前て、顔を突き出すような姿勢になる。

 このような表情は、一見たいへんに怖ろし気に見えるのだが、武術的には非常によろしくない。

 なぜなら、見開いた大きな目には指先などの当身やホコリなどの異物が入りやすくなるし、首が後ろに反って突き出た顎は、ショートフックなどの打撃の恰好の目標になるからだ。

181228_030006.jpg
▲目を見開いて顎を突き出し、顔を近づけて威嚇してくるオッカナイ人(笑)には、ショートフックが効果的。コツとしては、顎ではなく耳の下あたりを狙い、肘を上げずに短く鋭く腰を使ってナックルパートを当て、そして振り抜くこと。空手家であれば同様なボディワークで、振り突きや振り猿臂を使ってもいい



 今更言うまでもない事だが、空手の組手や撃剣の試合などで、目をクワっと見開いて相手に打ちかかってくる人は、多分、シロウトさんでもあまりいないだろう。

 つまり、怒りの顔色で目を見開いて脅してくるような人は、武術や武道、格闘技などの心得の無い相手である蓋然性が高いというわけだ。

(ただし、世の中の事象には常に「例外」というものがあるので、「絶対に」ではないことには注意が必要である)

 一方で、顎を引いた上目遣いで、目を細めてにらみつけてくる相手というのは、それなりに喧嘩慣れしていると判断できる。

 ま、一番怖いのは、ニコニコしながら近づいてきて、グサッとひと突きしてくるような人なんだけれどもね(笑)。



 では武術・武道人たるもの、有事の際にはどのような「目」で対するのが良いのか?

 こうした戦闘のイロハについて、時代や流儀の垣根を越えて参考になるのが、宮本武蔵が書いた戦闘教範である『五輪書』だ。

 同書水の巻には、「兵法の身なりの事」として、次のように書かれている。


「顔はうつむかず、あをのかず、かたむかず、ひずます、目をみださず、ひたいにしわをよせず、まゆあいにしわをよせて、目の玉うごかざるやうにして、またゝきをせぬやうにおもひて、目をすこしすくめるやうにして、うらやかに見ゆるかを(顔)、鼻すじ直(すぐ)にして、少しおとがいを出す心なり」(岩波文庫『五輪書』より)


 ようするに、顎を引いて上丹田(眉間)に意識を集め、目を細めるようにして見よ、ということだ。

 思うに、武蔵の『五輪書』ほど、具体的で分かりやすく、しかも流儀の垣根を越えて参考になる剣客向けの戦闘マニュアルというのは、古今、無いだろう。

 例えば体当たりのコツを教える「身のあたりといふ事」や、突きの効用を教える「おもてをさすといふ事」「心をさすといふ事」、受けと打ち込みの拍子の大事を教える「かつとつといふ事」などは、柳剛流の備之伝や剣術の組太刀においても、たいへんに参考になるものだ。

 誤解を恐れずに言えば、形のポイントを記した水の巻「五つのおもての次第」を除けば、それ以外の『五輪書』のすべての教えは、他流の剣術者にとっても極めて実用的かつ具体的、そして有用な実践マニュアルになっているといえよう。

 さらに『五輪書』の素晴らしいとところは、言語では解説できない事については、

「コトバではうまく伝わらないので、稽古を通じて体得し、自分なりに工夫をしてみなさいね」

 と、明快に諭している点にある。

 こうした極めて明晰で合理的な身体と言語の感覚を持っていたというのが、宮本武蔵という剣客の「天才」であろうと私は思う。

1712_五輪書
▲377年前に書かれたとは思えない、明快で論理的・合理的な剣術戦闘マニュアル

 (了)

お楽しみの三宅坂/(身辺雑記)

2020年 02月19日 12:12 (水)

 過日、親しい人にご招待をいただき、三宅坂で2月の文楽公演を鑑賞。

 今回は、第一部の「菅原伝授手習鑑」と、第二部の「新版歌祭文」、「傾城反魂香」を満喫した。

 「菅原伝授手習鑑」では桜丸切腹の段で、人形浄瑠璃文楽の生けるレジェンド・吉田簑助が登場。お元気な姿を見ることができ、ひと安心。

 千歳太夫の語りも口跡よく情感もあふれ、納得のいくものであった。

 第二部「新版歌祭文」野崎村の段では、「闘う三味線」こと人間国宝・鶴澤清治が、休養中の呂勢太夫に代わって織太夫の相三味線として登場。

 清治の薫陶の影響か、これまで織太夫に感じられた「不必要に華美な語り」がいささか収まり、従来よりもしっとりと聞かせるようになったのは良かった。

 また、切場の三味線を弾いた六世燕三の音色がいつになく情感にあふれ粒だっており、たいへんに聴きごたえがあったのも印象的であった。

 第二部の後半は、竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言「傾城反魂香」 土佐将監閑居の段。

 錣太夫の語りは、その師匠である津太夫をほうふつとさせるスケールの大きな、かつ繊細なもので、聞きごたえのあるものであった。

 もっとも個人的に「吃又」は、五世伊達太夫によるチャーミングで人情味あふれる語りの方が好みなのだけれども。



 今回も一日たっぷりと文楽を満喫することができ、実に幸せな時間を過ごすことができた。

 なお、今回は錣太夫の襲名披露公演だったわけだが、どういうわけかいつものように舞台上での華やかな襲名挨拶は無く、床の上での口上だったのはなぜなのだろう?

 大衆芸能の襲名披露は、やはり華やかで賑々しい方が良いと思うのだけれどもねえ。

2002_文楽

 (了)

破廉恥/(時評)

2020年 02月18日 08:10 (火)

 確定申告の書類を作るために膨大な伝票の山と格闘し、終わったのは日付が変わるギリギリ前。

 こうして昨年1年間の自分の売り上げや経費、収入を数字で突き付けられると改めて、

「儲かんねえなあ・・・」

 と実感する(苦笑)。

 報道によればGDPも2期連続マイナスで、特に最新の数値(昨年10~12月)はマイナス6.3%とのこと!

 これが「アベノミクス」なる愚策の成果というわけだ。

 仕事をしながら聞き流すインターネットの国会審議中継では、首相のウソと居直り、品位に欠けたヤジと言語不明瞭な言い訳を聞かされるばかりで、本当に気が滅入る。

 この人は近年、日を追うごとに人相が悪相になっているわけだが、どうしてこんなに平気でうそがつけ、しかもそれがばれても居直れるのだろうかと不思議に思う。



 人相そしてうそという点で、最近興味深いなと思ったのが、京都”あ~ん”不倫旅行&コネクティングルーム不倫出張が問題となっている、首相の右腕という内閣府補佐官のオッサンと厚労省審議官のオバチャンだ。

 特に、このオバチャンの顔を見ていると、悪相が顔に出てしまっていて、「あ~あ・・・、こりゃあひでえや」という感じである。

 それにしても、仮にも行政の指導的立場にある者が、下々から集めた公金を使ってノコノコと不倫旅行をし、あまつさえそれがばれても平気な顔をして居直っている。

 そういう醜態をみていると、今の若者たちの言葉で言えば人間として、

「クソだな」

 と思う。

 一方で人の世には、悲しい巡り合わせによる「わりなき恋」というものもある。

 そのような人間のどうしようもなさをリリカルに描く、人形浄瑠璃文楽を愛する者のひとりとして、私はそれをすべて否定はしない。

 しかしそれは、わりなき道行を往く二人が世間様に対して、墓場に行くまで互いの想いを隠し通してはじめて、そこに一片のつつましやかな「美」や「哀切」が見て取れるものなのだ。

 だからこそ映画『マディソン郡の橋』は、名作なのである。

 それかあらぬか、このオッサンとオバチャンは、京都への不倫旅行で乳繰り合っている真っ最中を文春に撮影されて暴露された後も、平然と居直っている。

 加えて不倫旅行の途中で、我が国における再生医療の至宝・山中先生を、権力をかさに恫喝したというのだから、もう人として終わっていると言っても過言ではあるまい。

 こんな没義道漢たちが、内閣府や厚労省の上級官僚としてそっくり返っているわけだ。

 その下で働くまじめな公務員の皆さんは、さぞかし腸が煮えくり返えり、この二人を軽蔑していることだろう。

 「破廉恥」とはまさにこういうことだと、しみじみ思う。

 ま、私如き路地裏の流れ武芸者兼ニワカ易者が、そんなふうに世を憂いても、どうしようもないわけだがね。



 そんな静かな、しかし深い怒りと絶望を感じつつ一日の業務を終えたせいか、夜の稽古にも今一つ身が入らず。

 二間座打ちで手裏剣をしばらく打っていたのだが、どうにも気が乗らない。

 そこで暗鬱な気分を断ち切ろうと、真剣で柳剛流居合を抜く。

 さらに柳剛流剣術「右剣」と「左剣」の形を、これも真剣で何度も繰り返す。

 こうして深夜、半刻ほど剣を振るい、ようやく心のよどんだ気鬱が晴れた。

 醜い男女の愚行に比べ、柳剛流の剣の道はいつでも清々しい。

 さっぱりとした気持ちで稽古を終え、入浴して汗を流し、睡眠薬代わりに兵頭二十八師訳・岡谷繁実著の『名将言行録』を読みながら床に着いた。

 すべて世は、事も無し。

1908_柳剛流殺活免許

夫れ剣柔は身を修め心を正すを以て本となす。
心正しくば則ち視る物明らか也。
或は此の術を以て輙(たやす)く闘争に及ぶ者有り。
此れ吾が党の深く戒むる所也。
当流を修めんと欲する者は、先ず心を正すを以て要と為すべし。
(柳剛流殺活免許巻より)


 (了)