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とある休日/(身辺雑記)

2019年 04月24日 11:16 (水)

 昨日は約2カ月ぶりに、何も予定のない休日であった。

 午前中は、県立武道館で稽古。

 柳剛流居合と長刀(なぎなた)に集中する。

 昼過ぎに帰宅し、ホタルイカと焼きソラマメで昼酒。

 すべて世は、事もなし。

 ひと眠りしてから図書館へ行き、以前から読みたかった渡辺京二の『江戸という幻景』を借りる。

 帰宅後、長芋とオクラの素揚げをつまみに、赤霧島のお湯割りを飲みながら、つらつらと読み進める。

 いつの間にか、手枕で寝てしまい、目覚めればもう日付が変わっていた・・・。


 さて今日は、2カ月ぶりのインタビュー取材のため、これから築地の某新聞社へ。

 帰りはひさびさに、池袋の「うな鐵」にでも、寄ろうかねえ。


 (おしまい)
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バラッドをお前に/(身辺雑記)

2019年 04月23日 01:19 (火)





 今しがた、7月に発行予定の、高齢者福祉に関する単行本の原稿205ページを、ようやく書き上げた。

 文字数にして、およそ10万字。

 おかげで3月から連日12時間机にかじりついてきて、心身ともに疲労の極みである。

 とはいえ、まだ初稿を終えたというだけで、これからゲラでの加筆修正、色校まで、作業は続くのだが、とりあえずひと段落というところだ。



 一方で、5月は演武が続く。

 5日は水月塾本部の演武会、18日には松代藩文武学校武道会の演武がある。

 もうあまり時間がないが、それぞれの演武で披露するために翠月庵の門人一同、柳剛流の剣術、居合、突杖、そして長刀(なぎなた)を、より高いレベルへ仕上げていく。

 その上で、もう次のインタビューや新しい雑誌の原稿のオファーも数件あり、しかもそのうちの1つはかなり大きく長期的な、そしてきつい仕事になりそうだ。



 ヘヴィーな日々が続くが、なんとかしのいで行くしかない。

 生きるために働き、カネを稼ぐ。

 そしてその合間に、可能な限り時間を作り、業を磨き鍛錬を続け、柳剛流師範として流祖や先師・先人方に恥じない業前を維持し、常に昨日よりも今日、上達していかなければならない。

 加えて後進への指導にも意を注ぎ、流儀の業を後世につなげていくことにも注力していかねばならぬ。

 武芸者としての己の業前の上達と、伝系の末席を汚す者として流儀を後世に伝えるという、この2つの使命は、柳剛流に関してはもちろん、柳生心眼流や柴真揚流についても同様であり、どれもひとつとして練磨と伝承に手を抜くことができない。

 ま、これくらいで、私の人生、いっぱいいっぱいだ(苦笑)。



 さて今晩も、もう25時を過ぎた。

 さすがに今日は稽古はさぼり、一杯ひっかけて眠るとするか。

 明日は、県立武道館で稽古だ。

 南無八幡大菩薩。


 (了)

おくやみ/(身辺雑記)

2019年 04月22日 14:24 (月)




 小池一夫先生の、ご冥福をお祈りいたします。


 (了)

礼法と「右剣」/(柳剛流)

2019年 04月21日 12:24 (日)

 昨日の午後は、翠月庵の定例稽古であった。

 先月末の入門後、定例稽古参加は今回で2回目のA氏のため、全員で柳剛流の備之伝から稽古を開始。

 柳剛流修行歴3年目、杖道師範でフルコンタクト空手・柔道・薙刀・抜刀道それぞれの有段者でもある、当庵門人きっての猛者S氏には、正面に出て「備」に対する備十五ケ条フセギ秘伝を執ってもらい、双方について私が検分、修正や指導、理合の解説を行う。

 新しい人が入ってくると、こうした多角的な稽古や指導もできるのがいい。



 全員での「備」の稽古の後、私はA氏にマンツーマンで礼法を指導。

 一般的な座礼の真行草、そして柳剛流の礼法について、何度も繰り返す。

 これまで翠月庵に入門して柳剛流を学んでいる門人は、いずれも他流の師範または有段者だったので、こういった基本的な所作や立ち居振る舞いについて指導することはあまりなかったのだが、今回は武術・武道未経験者ということで、基本のキからの指導である。

 思うに、私たち武術・武道の指導に携わる者は、毎日当たり前のように稽古着に袖を通し、礼法を行い、木太刀や剣を振るい、あるいは柔(やわら)をとっている。

 しかし今から38年前、12歳の時に初めて武芸の門を叩いたあの頃を思えば、私も初めは何も分からなかった。

 そういう意味で、「まったき初心者」への指導というのは新鮮なものだ。

 股立の取り方ひとつをとっても、初心者、ましてや21世紀を生きる平成生まれの若者にとっては未知の体験であろう。

 だからこそ、正しい所作とその意義や意味を、分かりやすく伝えていかねばと思う。

1804_柳剛流礼法2
▲柳剛流の礼法



 礼法の後は、いよいよ初めての形の教伝。

 柳剛流剣術の最初の一手であり、至極の形でもある「右剣」を指導する。

 この形には、柳剛流の真骨頂である「断脚の術」や「跳斬の術」に関する、すべてのエッセンスが凝縮されている。

 初学者がこの後に学ぶ形である「左剣」はもちろん、“当流極意柳剛刀”として目録で学ぶ一連の形や剣技、そして免許秘伝の長刀(なぎなた)に至るまで、すべてはこの剣術1本目「右剣」の応用変化であるといっても過言ではない。

 それだけに、柳剛流の「右剣」という形=業は、何年稽古をしても実に難しいものだなあと、私自身、しみじみ思う。

 武術・武道の初心者については、まずは2~3年の間じっくりと、「右剣」と「左剣」の2つの剣術形に腰を据えて取り組ませるのが、流祖以来の当流の流儀だ。

1706_柳剛流「右剣」
▲柳剛流剣術 「右剣」



 一方でこの2~3年の間に、2つの剣術形に加えて鍛錬形である居合5本、そして実践技法としての突杖(杖術)5本も学ばせることとなる。

 柳剛流は単なる剣術流派ではなく、総合武術なのだ。

 なにはともあれ、慌てず腰を据えて、形に込められた流祖や先師方の想いをかみしめつつ、地道に稽古を重ねてくれればと思う。



 「むら雨の柳の枝のふりかかり
       てまの心大事とそしれ」(柳剛流切紙 武道歌)



 (了)

向一文字/(柳剛流)

2019年 04月20日 10:02 (土)

 深夜2時、原稿を書き終えた後、稽古着に着替えてしばし柳剛流の稽古。

 今晩も、居合に専念する。

 室内にて、「向一文字」と「切上」の形を抜く。

 部屋の狭さと刀の長さゆえ、左右後への体捌きを伴う「右行」、「左行」、「後詰」の形は抜き難い。

 しかし、柳剛流居合の真面目は、あくまでも1本目の「向一文字」にある。

 低く跳び違いながら、ひたすら抜き差しを繰り返す。

 深夜故、跳び違いの際、大きな音が立てられないことも、よい鍛錬だ。

 そしてこの鍛錬が、柳剛流剣術や免許秘伝の長刀の眼目となる、「跳斬之妙術」につながるのだ。

 武芸の上達に“魔法”はない。

 ひたすらこの一剣を、磨きぬかねばならぬ。


171014_柳剛流居合
▲柳剛流居合 「向一文字」での跳び違い



「敵と我二人と見るは愚かなれ
         一体一気溜りなければ」(柳剛流剣術免許巻 武道歌)


 
 (了)

次の「場」へ/(柳剛流)

2019年 04月19日 11:16 (金)

 締め切りが迫っているにも関わらず、高齢者介護に関する単行本の仕事がなかなか思うようにはかどらない。

 そのせいか、昨晩からいささか迷走気味の翠月庵である・・・。



 先の苗木城での演武から、すでに一週間。

 いまだ、柳生心眼流演武の確かな手ごたえが強く心身に残っているのだが、もはやそれは過ぎ去ったこと。

 このため今週は、もっぱら柳剛流の稽古に専念。昨晩も二尺八寸八分の差料で、柳剛流居合に集中した。

 私の体格では、この刃長の差料での抜き差しはなかなか難儀なのであるが、柳剛流居合は本質的に「鍛錬形」なので、こうした負荷の高い長さの刀を使い、自分の体を最大限に大きく使わなければならない。

 ゆえに、現実的にはあり得ないことだが、もし刀をもって戦わなければならないようなことがあったとしたら、私はこの長すぎる二尺八寸超の差料は選ばない。

 二尺二寸一分の市原長光を選ぶ。

 重ね厚く、身幅広く、猪首気味の切先で、打刀としてはやや短く取り回しがよいこの差料であれば、戦塵の場でも己を託せるかと思う。

市原長光



 「居合は鍛錬形である」

 という、流祖・岡田惣右衛門の思想が明確に示されていることが、柳剛流居合の大きな特徴だ。

 長い差料を用い(先師の中には、三尺を超える刀を用いていた方もいる)、身体を最大限にまで大きく使い、座位にて刀の抜き差しと斬撃、そして跳び違いを徹底的に練る。

 これによって柳剛流ならではの、跳斬之妙術を我が物とするのである。



 今しばらく心身両面で過酷な仕事が続くが、倦まず弛まずコツコツと流祖の剣を磨きながら、次の「場」へと向かうとしよう。

1810_松代演武_柳剛流居合


「脚を斫る之術、是より先の諸家未だ嘗て講ぜざる所にして、先生意を以て之を剏め、特に其妙を極む」(「柳剛流祖岡田先生之碑」石巻市大門崎)


 (了)

平成最後の演武/(武術・武道)

2019年 04月16日 09:37 (火)

 先の土曜は、岐阜県中津川市の史跡・苗木城跡で開催された「苗木城桜まつり武術演武会」に参加した。

 武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部として、私とY氏で、柳剛流剣術と突杖、そして柳生心眼流の素振二十八ヶ条の組形から十本を披露した。

 当初、桜の開花が予想以上に早そうだという話であったが、数日前からの冷え込みもあり、当日は満開の桜の下で、存分に演武を披露することができた。

 なかでも柳生心眼流については、私もY氏も演武での披露は初めてであったが、この日に向けてここ数カ月、徹底的に稽古をしてきたゆえ、演武者としては、まずまず満足のいくものになったかと思う。

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▲演武本番前のリハーサルにて、Y氏による素振り・「表」


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▲こちらもリハーサルにて、私の素振り・「中極」



 さて、次の演武は、元号も変わって令和元年5月5日の、水月塾本部の演武会である。

 引き続き気を引き締めて、当日に臨みたいと思う。

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▲桜の森の満開の下で


 (了)

挑む者に勝利あり/(武術・武道)

2019年 04月13日 00:40 (土)

 さて、準備すべきことは準備をし、備えるべきことはすべて備えた。

 それでは西へ、向かうとしよう。

 南無八幡大菩薩。


131203_210504.jpg


「敵の盈虧(えいき)を察し、必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ。何を以てか之を譬えん。其の際に髪を容れるべからず」(柳剛流剣術目録巻より)

 (了)

稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ/(武術・武道)

2019年 04月12日 00:24 (金)

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問。能に位の差別を知る事、如何。

答。これ、目利きの眼には、やすく見ゆるなり。およそ、位の上がるとは能の重々の事なれども、不思議に、十ばかりの能者にも、この位自れと上る風體あり。ただし、稽古なからんは、自れと位ありとも、徒ら事なり。先づ、稽古の却入りて、位のあらんは、常の事なり。また、生得の位とは、長なり。かさと申すは、ものものしく、勢のある形なり。また云はく、かさは一切に亙る儀なり。位・長は別の物なり。例へば生得幽玄なる所あり。これ、位なり。しかれども、さらに幽玄にはなき爲手の、長のあるもあり。これは、幽玄ならぬ長なり。
 また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の却入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。
 よくよく公案して思ふに、幽玄の位は生得のものか。長けたる位は却入りたる所か。心中に案を廻らすべし。

 (『風姿花伝』第三 問答條々より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 世阿弥の『風姿花伝』は、芸道を歩む者であれば、必ず読んでおくべき古典である。

 なかでも、「第三 問答條々」にある上記の問いと答えは、私の最も好きな一節だ。

 技芸における「位」とは、それをめざして稽古をして、得られるものではない。

 稽古を積み重ねた結果、おのずから身につき、自然とにじみ出るものである。

 また「位」には、生得のものである「幽玄の位」と、修練を重ねた結果として得られる「長けたる位」があり、両者は異なるものなのだと、世阿弥は言う。

風姿花伝


 私のような凡俗は武芸において、生来のものであるという「幽玄の位」など、あろうはずもない。

 しかし、稽古を積み重ねたその先にある「長けたる位」であれば、もしかしたらそれを得られるかもしれない・・・・・・。

 そんな想いで未熟者なりに、流れ流れてもう37年も、武芸の稽古を続けている。

 さて、今晩も木太刀を執り、拳足を当身台へ打ち込むとするか。


 (了)

新入門、そして演武に向けて/(武術・武道)

2019年 04月07日 01:28 (日)

 本日(というか、もう昨日だが・・・)は、翠月庵の定例稽古。

 本日から新たにA氏が入門。柳剛流の稽古を始める。

 まずは着装から。

 帯の締め方、袴のつけ方などを指導。

 我々のように、もう40年近く、しかもほぼ毎日稽古着を着ていると、それは完全に日常生活動作になっている。

 しかし、21世紀の標準的な生活を送っている若い武道初心者にとっては、袴に足を通すこと自体、未知の体験なわけで、私とY氏の2人がかりで、手取り足取り着装の指導となる(笑)。

 ついで、真行草の立礼の仕方、立ち方、木刀の持ち方の指導。

 そしていよいよ、柳剛流の備之伝を伝授する。

 「伝授する・・・」などと書くといかにも大仰であるが、ま、ようするに構え方を教えるわけデス。

 上段から左車まで、柳剛流の15の構えを、ひとつひとつ指導。

 Y氏がお手本になってくれるので、たいへんに解説と指導がしやすい。

 A氏の入門初日の稽古はここまで。

 次回は、柳剛流剣術の「右剣」をやりましょう。



 そして私とY氏は、5月にある水月塾本部の演武に向けて、柳剛流突杖をおさらい。

 次いで1週間後に迫った岐阜での演武に向けて、柳生心眼流の素振を「表」から「切」まで、相対で徹底的に繰り返す。

 形を打てば打つほど、心眼流の武術としての魅力を強く感じる。

 今年は素振の演武だが、いずれはぜひ「取返」を披露したいものだ。

 しかし、コンクリート打ちっぱなしの床の上での「取返」は、いささかかハードかな・・・?

 膝にサポーターをつければ、なんとかなるかねえ。

 一昨年は、コンクリの床の上で、仕太刀が打太刀を地面に叩きつける、柳剛流剣術の「相合剣」をやったしなあ。

 もちろん、打太刀を執ったのは私なんだけどもね。

 コンクリの上で受け身をとると、腰が痛いんだよ・・・(苦笑)。

1805_柳剛流_相合剣
▲打太刀を地面に叩きつけ、さらに倒れている相手に止めの斬撃を加える、柳剛流剣術「相合剣」。打太刀として、これをコンクリの床の上でやるのはいささか難儀であるが、柳剛流の打太刀たるもの、それくらいできて当然でもある



 稽古場から帰宅後、いつもなら自室で心静かに晩酌となるのだが、介護関係の単行本の執筆が大幅に遅れていて、もうにっちもさっちもいかないので、やむなく簡単に夕食を済まして机につき、原稿執筆に集中。

 とりあえず、25時までに6ページを書き上げて、編集者に送信した。

 しかし、あと89ページか・・・。

 ま、ちょっと寝よう。


 (了)